第3話 初夜

 夫婦の寝室のベットにレースをふんだんに使った薄い夜着を纏って腰を掛け、彼が部屋に来るのを待つ。

 今日はもうクタクタですぐにでも布団にダイブしたいのに、これから行う人生の一大イベント「初夜」のことを考えると心拍数が上がり緊張をする。

 あの無表情のアトレイ様と初夜だと考えると余計に緊張をするがこれも「初夜」という仕事だと思うことにしよう。

 仕事と思えば、気持ちも落ち着く。

 

 彼がこの部屋に集合と言ったということは、やっぱり侯爵家の嫡男だから、政略結婚の最大も目的「跡継ぎが必要」で子づくり作業は必須ということなのかしら?

 それとも、わたしを気遣って初夜はしなければと思ってくださっているのかしら?

 

 結局、タイミングを逃して白い結婚にして欲しいと申し出ることはできていない。

 仕方がない。白い結婚はあきらめるか。

 結婚しても処女っていうのもアレだし。ここはとっとと処女を喪失してしまおう。

 

 白い結婚にするつもりだったから、明日からはまたガッツリと仕事の予定だ。

 ここは休暇を取るべきだったかしら。失敗したかな。

 でも、彼と長い時間を過ごせるほど仲良くはないし、休暇よりも仕事に行っているほうが体力的にキツくてもマシだ。


 アトレイ様には申し訳ないけど、先ほどこっそりと避妊薬を飲んだので初夜をがんばっても子供を授かることはない。

 子供が出来てしまったら、お互いに離婚も出来ないし、大好きな仕事を減らしたり、続けられなくなるかもしれない。

 そんなこと、真っ平ごめんですよね?わたしは真っ平ごめんです。

 アトレイ様もそうですよね?


 1年間子どもが出来なければ、どちらからでも離婚もし易くなる。

 1年後に「喫緊の課題に結果が出せなかったので次の人に交代します」と離婚を申し出てもらうなり、無理ならわたしから申し出よう。

 そんなことを考えているうちに、ほどなく彼も寝室にやってきた。

 

 眼鏡を外している彼の顔を見るの初めてだった。

 彼は意外にも眉目秀麗という言葉がしっくりとくるぐらい、整った顔立ちだった。

 いつもは綺麗にオールバックで纏めている髪が無造作に乱れ、少し濡れた黒髪からほどよい色気が出ている。

 わたし、こんな綺麗な人と結婚したんだ。

 思わず見とれた。

 

「アトレイ様、眼鏡がなくても大丈夫なんですか?」

「自分の部屋に置いてきた。いまからは必要ない」

 ぶっきらぼうに答えられた。

 そ、そうですよね。怖〜。

 子どもなら泣いてるレベルだよ。

 眼鏡がなければ、大して美しくない私がぼんやり見える程度で済む。いまからわたしを抱かなければならない彼には、見えないほうが好都合なのだろう。

 だから、眼鏡を外してきたのね。

 相手が平々凡々な容姿のわたしで申し訳ない気持ちになってくる。


 緊張で沈黙が続いたが、ふたりの間に簡単な話題さえ一切ない。沈黙は辛いが言葉が出てこない。

 そして、緊張で声も出ない。


 ギシッとベットが軋む。

 彼がわたしの隣に座った。


「その、なんだ。俺をアトレイと呼ぶのは変えよう。君も結婚をしてアトレイとなったのだから。俺の名前を呼んでほしい」

 へっ?彼の名前??

 平常時ならすぐに答えられそうなものも、いまは人生最大に緊張をしているので、一度も呼んだことのない名前を声にするのには思考回路が混乱していて少し時間がかかる。

 

「セ…セドリック様」

 呟くような小さな声になる。

 横に座る彼を見ようと首がギギギと音が聞こえるくらい、ゆっくりと彼の方を見た。

「「様」はいらない。セドリックとこれからはそう呼んでほしい。わたしも君のことをシェリーと名前を呼びたい。名前で呼ぶ許可をいただいても良いか?」

「は、はい。もちろんです」

 緊張で間違いなくぎこちない笑顔になっているのが自分でわかる。緊張で頬が上がらないのだ。

 

「シェリー」

 セドリック様が噛みしめるようにゆっくりわたしの名前を呼ぶ。

 そ、そんなに大事そうに呼ばれると照れるんですがっ。

 そして、何故かわたしの髪にそおっと触れて、一房取る。

 その様子を人ごとのように唖然と見ていた。もしかして…

 

「埃が髪の毛に付いていましたか?取ってもらったようですみません」

「えっ?」

「えっ?」

 なにか、違ったかしら?

「埃…」

「ありがとうございます」

「…………」

「…………」

 会話が弾まない。

 成績優秀、仕事が完璧なセドリック様でも初夜は緊張されるのね。

 

「あの…そのなんだ。俺はシェリーを今夜は抱こうと思っていなくて、その、なんだ…」

 何かをすごく言いづらそうにしているセドリック様。


(わたしを抱こうとは思っていない…)


 期待をしていた訳ではないのだけど、それでも女として拒否されたような気になり少しだけ悲しくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る