第2話 提案

「儀典室のクレストです。今度行われる功労者表彰の式典の予算書をお持ちしました。担当のアトレイ様はいらっしゃいますか?」

 財務課に赴いて彼への取次ぎを頼むが、緊張で声が小さくなる。


「私だ」

 無表情で不機嫌そうに眼鏡をクイッとしながら彼が受付台に現れた。

 渡す予定の予算書の上に小さい紙切れを乗せる。


〈昼休みに王城の裏門の奥にある古井戸の前でお待ちしています〉


 勇気をだして紙切れを渡した。

 緊張で彼と目を合わせることは出来ない。

 でもこれは政略結婚というミッションと白い結婚を円滑に進めるための必要な作戦だ。

 突然の政略結婚の相手の呼び出しに、堅物の彼が応じてくれるのだろうか?

 一瞬は不安になったが、それは杞憂に終わった。

 彼は律儀にきっちり指定の時間に来てくれたのだ。

 

 「アトレイ様、お呼び立てをして申し訳ありません。改めまして、わたしがシェリー・ク……」

「あの、クレスト嬢」

 彼とわたしが婚約をしたと親からの手紙で知って初めてお会いするのだから、とりあえずご挨拶だけでもと思ったが、挨拶の途中で彼に遮られた。

 慌てて言葉を止める。

 

「いや、自己紹介は大丈夫だ。貴女が私の婚約者なのだろう。用件を手短に頼む」

 メガネの奥の目が笑っていないよ。この方。

 妙な威圧感を感じ、より心拍数が上がる。

 

 「はい。この度の結婚のことでご相談があります」

 背中から冷や汗が出てきた。脇汗もひどい。

 まるで雲の上の上司に相談するような緊張感。

 怖い。とにかく怖い。

 婚約者からの挨拶なんて余計なことだったのね。最初で失敗したわ。

 挨拶もいらないぐらい、わたしと仲良くする気はないってことかしら?それとも時間の無駄だと思われた?

 どちらにしても、こちらとしては好都合だけど。

 彼の表情を伺うが、無表情のままでなにの感情も読み取れない。

 あきらめて、ここはどう思われてもわたしの計画を建設的にさっさと話して、早く立ち去ろうと決意をする。

 

 「お互い、仕事で忙しいですよね?なので、これから結婚式までの準備を効率重視で進めませんか?」

 彼の表情が少し驚いたように目が大きく開く。

 少しはこの話に興味を持っていただけたようだ。


「効率重視というのは?」

「両家の顔合わせと婚礼衣装選びと招待客関連の打合せは同日に行い、1日で終わらせましょう。新居はお互い寮生活ですし、各々で都合の良い時に引っ越しを行うのはいかがでしょうか?あと結婚式で使用する結婚指輪も、自分で付けるものを各自で用意するのはいかがでしょうか?」

 この政略結婚に恋愛感情は一切ない。白い結婚をするなら情が移ることも避けたい。

 それにウェディングドレスにこだわりもないし、結婚指輪も当日の指輪の交換で使用するだけで、1年後には離婚も視野に入れているのだから、それなら自分の気に入った手持ちの物で代用すればいい。

 思い出の品なんて、2人には不要だ。

 

 この、作戦はいかに少ない日数でお互いが極力顔を合わすことなく結婚式までの準備を進めるかだ。

 この計画だと、結婚までに顔を合わすのは1日だけだ。

 これなら、仕事人間のアトレイ様の時間を結婚準備に向けて割いていただかなくても済むし、納得して頂ける計画になっていると思う。

 わたしの提案をじっと黙って聞いていた彼が、無表情で眼鏡をクイッとした。

 

「貴女がそれで良いのなら、良いのではないでしょうか」

 話は決まった。

 彼の言質を取ったこのあとは脱兎のごとく事務室に戻った。



 結婚式はつつがなく終了した。

 無駄もなく、必要最低限。

 儀典室仕込みのわたしの采配は完璧だった。

 結婚式が無事に終わったというよりも、仕事のミッションを無事に遂行出来たという充実感に満たされている。

 そして、王城から徒歩で10分ほどのところにある決して広くはないが、古き良きといった趣の空き家だった侯爵家のタウンハウスをお借りして、それが新居となった。

 

 今日からふたりでこのタウンハウスに住む。

 もちろん、朝から晩まで仕事で王城に出ている私たちの新居には、彼を幼少の頃からお世話をしていた年老いた家令のエムアルさんとその奥様のメイドのリオさんのふたりだけで必要最低限の人数しか屋敷にいない。

 屋敷には寝るためだけに帰ってくるので、屋敷関連の事務仕事が少し増えるぐらいで、寮生活と大して変わらない生活だと踏んでいる。

 それに1年後には離婚をしてまた寮生活に戻る計画なので、わたしの寮の部屋はまだそのままにしてあるのは、彼に内緒だ。


「疲れましたね。とりあえず、さっさと寝ましょう」

 結婚披露宴からようやく新居に帰って来られた。

 そう言って、はたっと気づく。

 今夜はこんなに疲れているのに初夜だ。

 

 早朝から家の者に磨き上げられ、ウエディングドレスを着せられて、教会に連行されて、そのあと会場を移して披露宴という宴会までこなして、そしてこれから初夜…

 ちょっと行事がてんこ盛りでハード過ぎない?

 初夜なんて要らなくない?

 でも、よく考えれば彼も同様の1日を過ごしたに違いない。

 彼も疲れているだろうに…

 お互いこれから行う初夜のことに思いを馳せたのか、目が合うと顔を赤くし気まずい雰囲気になった。

 わたしは白い結婚がいいのだけど、この雰囲気では言い出しにくい。

 

「クレスト嬢、後で夫婦の寝室に集合だ。私は仕事でしなければならないことがある。先に浴室に行ってくれ」

 (今日みたいな日でも仕事をするんだ。さすが、仕事人間。敬服します)

 そう言い放つと彼はさっさと部屋を出ていった。

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