第3話

 護国丸の浸水が進んでいる。


 我々の前にも次々とボートがバシャーン、バシャーンと海面に下ろされている。

 深夜の灯火管制の中で、視力を頼りに救助作業が進む。


 先ほど、わたしから軍刀を取り上げた男は一本のロープを切り、次のロープの切断に取りかかっている。


 目の前の護国丸の傾斜が進み、暗い甲板の上から、大きな石が転がるように船尾の方に落ちていった。


 船首の甲板には多くの人がいる。

 あの看護婦さんと工兵はイギリス兵捕虜を船倉から救出したようだ。


 残りの一本のロープが切れた。

 このボートに乗り込んでいる海軍水兵がオールを持って、急いでこぎ出した。


 船が沈むときの波に巻き込まれないようにするためだ。


 このボートの周りには、浮遊物につかまって泳ぐ者、救命胴衣をした者が海面に溢れている。しかし全員をこのボートに乗せることはできない。


 時折、海中のほうからズシン、ズシン・・・と振動が伝わる。


 駆逐艦が水面下の米軍潜水艦の爆雷を投下し、それが破裂する振動のようである。

 対潜水艦戦が繰り広げられている模様だ。


 護国丸はずんずん沈み、船首の方が持ち上がった。


 イギリス兵捕虜らしき者たちは、傾斜する船の手すりに必死にしがみついている。 ゴロゴロとなになら多くのモノが船から転げ落ちている。

 人影らしきものもある。


 護国丸はついに船首が垂直に立ち上がった。

 まるで海面から岩が突き立っているかのように。


 そしてゴーッと音をたて、その巨船は海中に没した。


 あっという間の出来事だった。

 船が沈む時に、ドーン、ドーンと何かが落ちて当たる音が不気味に響いた。


 我々のボートは満員、誰ひとり、その恐ろしい姿に沈黙して声を出す者はいなかった。


 浮遊物につかまっている者からは「ここは御国を何百里……」という軍歌が聞こえる。

 おーい、おーい、と戦友を呼ぶ声。


 この船は遺骨宰領部隊も乗船していたのだろうか。

 白木の箱が五柱づつ浮台に安置されたものが、波間を漂っていた。


 海面には多くの人、「離れるな、集まれ」とお互いに離れないように呼び合う声が聞こえた。


 空には満天の星空が広がっている。


 昨晩に、看護婦さんたちにカノープスの話をしたことを彼女らは覚えているだろうか。


 あの、明るい星が南だとわかれば、北を目指せばよい。そこに台湾がある。


 台湾は我が国の領土。新高山が台湾の目印。


 夜に北斗星が見えない時は、カノープスと反対の方向を目指せばよいのだ。


 時間が経つにつれて、漂流者は潮に流されて散り散りになっていく。


 浮遊物につかまる人の軍歌の掛け声もだんだん小さくなっていった。


 このような中でも勇壮に泳いでいる者たちもいる。


 船首から転がるように落ちた人影はイギリス兵捕虜達だったようで、彼らの姿も波間に見えた。彼らも必死で泳いでいる。


 われわれのボートは、できる限り海にいる者を救出し、満員なのでこれ以上人を乗せるのは危険だった。


 そして、主を失った板きれなどの浮遊物も波間に浮かんでいた。



 9月9日の朝、白々と夜が明けたので、6時頃だろうか


「敵機!」と叫ぶ声がした。


 空にはエンジン音が轟いていた。

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