パッチワーク≪ツギハギ≫(2/2)

 水鈴みすずは、枝保しほの話にあった都市居住区南部の運動公園へ訪れる。

 公園はWFMO政府直轄ちょっかつの場所ではなく、スポーツを愛好する有志によって整備されているため、敷地内の監視カメラ設置率はほかに比べて低い。


 昼から夕に流れる空と、あつさの去りつつある開放的なフィールド。

 空気にほだされた水鈴みすずすずやかな表情で仰向あおむく。統一制服の上着を脱ぎすて、傷一つない肌を解き放つ。


 しかし、枝保しほを見ると水鈴みすずの気分はこなごなになる。


 四肢のつけ根から外側へ、色素の濃い肌がすべてあらわになったユニフォーム姿の枝保しほ

 均衡がとれた筋肉質な体つきは照り、陰影、シルエットのどれをみても古典芸術にかなう。


 ただし、長いあしのテクスチャーに焦点しょうてんを当てるとき、いくつかの大きな隆起した傷痕ケロイド――それに加え、小さな打撲だぼくこんが無数に刻まれている――が、観客の評価を二分した。



「どしたの? キョトンとしちゃって」



 枝保しほが訊ねる。どこからか現れた両親とともに、フィールドへ障害ハードルを並べる枝保しほ

 水鈴みすず枝保しほの声に、ほうけた顔をぐっとしかめる。



「なんでもないです。……そのケガ、痛くないんですか?」

「なんでもなくないじゃんっ。前にちょっと、ハードルにはさんじゃったりしただけだよ。もう痛くない」

「そうですか」



 言葉に続いて、安堵あんどした表情になる水鈴みすず。「変なのっ」と、微笑ほほえみながらつぶやく。


 水鈴みすずはちょうどよい小階段に腰かけると、しばらく枝保しほの練習風景をながめることにした。



 入念なストレッチと準備体操の後、枝保しほが走り出す。

 ハードルを並べた外側のトラックをぐるぐると周回する。速度はない。ウォーミングアップと、走行姿勢の訓練をねているようだ。

 真剣な顔を浮かべる枝保しほ。それを見つめる水鈴みすずの顔からも、おだやかさが消える。


 やがて、枝保しほの走る速度が増していく。

 ほとんど水鈴みすずの全力疾走と変わらないスピード。枝保しほはトラックの土をり進む。


 遠くからのぞ水鈴みすずの目にも、汗の飛沫のきらきらした輝きがうつってしまうのではないかという切迫せっぱく感が今の枝保しほにはある。



水鈴みすずさーーぁんっ!」



 突然、枝保しほが声を張り上げた。

 水鈴みすずに手を振ったまま、走り続けている。



「一緒に走ろぉー!」



 満面の笑顔からの申し出だった。

 水鈴みすずはその場で困惑する。公園に来る以前に約束したことではあったものの、いざとなると水鈴みすずの心には迷いが生じていた。


 がばっ! 硬直する水鈴みすずを、枝保しほの両親が2人がかりでかかえ上げる。



「なんでえ!」


 水鈴みすずの声は効力を発揮しない。肩や腰をくねくねさせる程度の抵抗をする水鈴みすず

 枝保しほの両親はそれを意に介さず、拘束した水鈴みすずをフィールドへと放り込んだ。

 水鈴みすずが地面にほおをなすりつける。


 周回遅れの水鈴みすずの後ろから、枝保しほが近づく。

 倒れた水鈴みすずの手をつかむと、自身のとなりにぐいっと引き寄せ、立ち上がらせる。



「ほいっ、さ! 走ろう!」

「ちょ、とっ、枝保しほさんっ!」



 危ない姿勢をひっしに修正し、水鈴みすず枝保しほと並走をはじめる。

 俯きがちの水鈴みすず枝保しほが少し前に出てリードする。

 歩幅どころか息の調子も合わない2人だが、枝保しほはたびたび水鈴みすずを振り返り、並走を維持した。



水鈴みすずさんっ、どう? 毛穴に風が抜ける感じ。息がつらくて、頭ん中スーッとからっぽになって。気持ちいいでしょっ?」

「うーん……」

「ダメだよ、小難こむずかしく考えちゃ! 好きになれるもの、探してるんでしょっ。だったらまずは、『楽しい』が先に来ないと!」



 枝保しほの助言を受け、水鈴みすずは前を向く。

 しかし、並走は長く続かなかった。


 元来がんらい体力のない水鈴みすずは「へろへろぉ……」といって減速し始める。

 少しの間、隣を枝保しほの声援によって、三輪車のような状態でよろよろと走行を続けた。


 そのとき、水鈴みすずは口にあわを吹くと、フィールド上へ倒れ込む。



「大丈夫っ?」



 枝保しほは声を荒げ、後方の水鈴みすずに走り寄る。

 地面に倒れた水鈴みすずは、枝保しほから見ると疲労ひろうこんぱいしたというより、凄絶せいぜつなショックによって打ちのめされたような様相だった。


 この後、水鈴みすずは決心して、ようやく枝保しほへ『がん』について話をした。


 枝保しほ水鈴みすずのことを深刻に受け止めた。

 そして、無理やり走らせるようなことをして悪かったと、謝罪の言葉をべる。



「ううん。むしろ、お礼が言いたくてっ。なんだか気がまぎれたって感じで……ありがとうございます」



 枝保しほの誠意へ、水鈴みすずは嬉しそうにこたえる。

 痛みの箇所を手で押さえ、身体を丸める姿は枝保しほにとって痛々しいものに映った。



「実はさ……わたし、これで3代目なんだ、≪スキン≫」

「えっ! なのに、そんなボロボロなの? あっ――」



 驚いたのもつかの間、反射的に無遠慮な思いが口をついて出てしまう水鈴みすず



「そうなの! 変だよね。わたしの使い方が悪いんだと思う」



 水鈴みすずの失言のようなものを、枝保しほはすなおに受け止め、自虐的に笑う。



「1回目は『がん』で、2回目は足を痛めて。のに慣れてくるとね、だんだん大事にしなくなってくるんだ。こわれたらまた替えればいいって。当たり前のことだし」

枝保しほさんは、怖くないんですか……死ぬこと」



 にこにこしている枝保しほを前に、水鈴みすずが重々しくたずねる。枝保しほはいちど水分補給をする。口をつけた水のペットボトルを水鈴みすずに手渡す。水鈴みすずもボトルの中の水を飲む。



「怖かったよ。初めては。でもさ、≪スキン≫を一ぺんでも替えると、死ぬってのがないってわかった。……わたしが怖いのは、走るのが好きじゃなくなることだよ」

「どういうことですか?」



 水鈴みすずは、先の枝保しほの返答から一拍置いて、き返す。



「今のわたしの『好き』は、ツギハギなんだよ」

「ツギハギ……フランケンシュタインの怪物みたいな?」

「そんな感じ。最初のわたしも、2代目のわたしも、死ぬまで走ることが好きだった。だから、わたしも何も変わらず走ってる。

 ……でもさ、『好き』の前に『楽しい』が来てない。が走り始めたとき、もう『好き』があったんだ。それで後から、知り合いみたいな顔して『楽しい』がくっついて来た」



 枝保しほの表現を、水鈴みすずは恐ろしく感じる。

 決して所感として述べることはしなかった。動悸どうきの収まらない小さな胸へ、しまい込むことにした。



「だから、好きじゃなくなるかもって……」

「うん。楽しくない『好き』を続けられるほど、わたしは強くないんだ。だから、水鈴みすずさんには――説教のつもりはないけど。今の≪スキン≫自分を大事にして欲しいなって。つらいと思うけど。わたしの失敗をバネにしてっ!」

「勝手にバネになられても……」



 水鈴みすずが苦笑する。枝保しほもはにかみ笑いを返した。



「うそうそ。一緒にがんばろうね!」



 そのとき、笑い合う2人の後ろ、公園の木陰に座っていた枝保しほの両親が枝保しほを呼びつける。枝保しほが立ち上がって両親の場所まで行く。両親は、そろそろ練習しなさいと注意する。


 水鈴みすずのもとへ足早に戻ってきた枝保しほは、手にもった衣装を水鈴みすずに見せつけてくる。

 両親から受け取ったそれは、ゼッケンの付いた大会用ユニフォームだ。



「それ持ち歩いてるんですか?」

「うん! ゲンかつぎってやつ。ねえ、これ読める?」



 枝保しほが指さすゼッケンの文字。

 水鈴みすずは「さたに?」と読むが、枝保しほは高らかに笑って否定する。



「さたん! 佐谷 枝保しほ。そういうわけだから」



 どういうわけか水鈴みすずに説明がなされることはこれ以降なく、枝保しほは大会用ユニフォームを上から着ると再びフィールドに向かって行く。そのままハードル走の練習を開始。


 水鈴みすずは内臓の痛みをかかえながら、陽が落ちるまで枝保しほの試行錯誤を、うっとり見つめていた。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 見学を終え、枝保しほと別れた水鈴みすずは送迎車をひろい、家路へとついた。


 透見川うおせ家の玄関先では、水鈴みすずの帰りが遅いことで悲嘆ひたんに暮れる父親がうなだれ、座り込む。

 そこへ、水鈴みすずの乗る送迎車が到着。

 父親が顔を上げると、血色の悪い水鈴みすずがよたよたと玄関先まで歩くようすが見える。



「ああっ、水鈴みすずぅ!」



 立ち上がった父親は水鈴みすずへ駆け寄り、いきおい抱擁ほうようする。



「よかった。帰るまでに力尽きているんじゃないかと、気が気でなくて……」



 ところが、水鈴みすずは父親の心配をよそに、元気いっぱいの声を上げた。



「パパっ、水鈴みすずね、好きなものができたの! だから――」

「うん? 水鈴みすずは、フレッシュミート、昔から好きだったろ?」

「ちがうよ。水鈴みすずは、パパとお母さんが好きなんだよ。もうそれはいいから……それで、今度から帰ってくるの、遅くなるね。ごはん、無理に待ってくれなくていいから。その代わり、お弁当は大きめに作ってね!」

「あ、ああ。お母さんには言っておくよ」



 水鈴みすずのお願いを、父親は不審がりながらも了承する。


 その日の夕食の席では、水鈴みすず枝保しほと過ごした時間を家族と振り返ることはせず、気ままな子どもらしく、楽しげに振るまった。


 風呂でシャワーを浴びるとき、自身のきゃしゃな体をかがみ越しに見ると、水鈴みすずの心臓はどきどきという疼痛うずきもよおした。


 ソフムに処方された鎮痛薬をとると、ベッドの中に熱っぽさを持ち込み、眠りについた。

 夢のような今日の日を、水鈴みすずは夢に見なかった。

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