チャプター9  エクセプション≪除外≫(1/2)

「えっ、大会? すごいすごいっ!」



 そのとき急に声を張り上げ、身振みぶり手振りではしゃぎだす水鈴みすず

 今月末、枝保しほが、他の都市で開催される陸上競技大会へ出場すると知ったためだ。


 走行練習を終え、苦しそうに浅い呼吸を繰り返す枝保しほは、水鈴みすずとなりに座ってはにかみ笑いを浮かべる。



「そんなにすごくないよっ。センシュケンに比べたらすっごく小さい、選手同士の馴れ合いみたいなもんだし……でも、この≪スキン≫からだで大会に出るのは、初めてなんだ」

枝保しほさんなら大丈夫ですよ。ぜったい!」



 眉根を寄せる枝保に、水鈴みすずはげましの言葉をかける。


 枝保しほ微笑ほほえみを返す。手にステンレスの水筒を持ち、ストロー口から音を立ててきゅうてつする。

 不透明な容器の中身を見ることはできないが、接続した枝保しほの内側へ、600ccがぐんぐん流れ込んでいることは、水鈴みすずにもわかった。


 容器をひといきに飲み干した枝保しほ。大きな吐息をついた後、冷静おもむろに切り出す。



「よかったら、応援に来てくれないかな? 実はけっこう緊張きんちょうしてて……不安、なんだ。他の子は≪スキン≫も変えず、努力を積み重ねてる。身体の大きさは変わらないけど、経験とか想いとか……そういうので負けてる気がするの」

「えっ、行きたいです! 行きます!」

「即答じゃん。ありがとっ。じゃあ……ま、集合時間きまったら連絡するね」



 水鈴みすずの快活明朗さに、気が引けたような表情を浮かべながら枝保しほは礼を言う。


 陽光がついにビル影へと飲み込まれ、一日の夜の時間となる。

 水鈴みすずと枝保は運動公園の入口を出たところで別れる。


 帰りぎわ水鈴みすず枝保しほに「頑張ってーっ!」と声援を送った。

 枝保しほは気が早いなと含み笑いをして、水鈴みすずに手を振る。



「いいしらせを持って帰るよ」



 枝保しほの声にうれしくなり、水鈴みすず諸手もろてを振り返した。



「またねーっ!」




 ≪学園≫医務室での出会いから、2人の関係は1か月以上続いてきた。


 死に行く身体の水鈴みすずにとって、枝保しほこそが、今を生き続ける理由となっていることは明白だ。

 枝保しほすえを見守るため、水鈴みすずは生きていると言っても過言ではない。


 しかしそれが、出場選手でなければ第一世代バーナム型≪スキン≫と同等の権限も持たない水鈴みすずの、休学と遠征を許可する根拠とはなりかった。


 水鈴みすずの父親経由で事情を知った担任ソフムは、くだんの大会前日に水鈴みすずのもとへやって来ると、上の言い分をもと水鈴みすずを説得する。



「無理は通せないんじぇね。おとなしく講義に出るんじぇねよ」



 気の抜けるまぬけな声に、そのじつ水鈴みすずはすっかり打ちのめされる。


 ことわりを入れるため枝保しほを探す水鈴みすずだが、都合よく見つけることはできなかった。

 医務室のソフムに言伝ことづてを頼んだ。


 晴れない表情のままで水鈴みすずは生涯クラスの教室にもどり、一般学生の1人として講義を受ける。


 次の日も同じように過ごした。次の日も。その次と次の日は≪学園≫の講義が休みの日であるため、母親の買い物と外食に付き合った。


 大会当日も≪学園≫で、途方もない時間を講義と研究に勤しんだ水鈴みすず

 その最中に枝保しほからの連絡はなかった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 カレンダーを切り替えると、水鈴みすずは晴天の下で≪学園≫へと向かう。


 いつもの送迎そうげい車に乗り、背の高い道路の上から完成間近の≪学園≫鉄道線をながめる。


 30分ほど経ったころ、車は≪学園≫正門前駅の敷地内に到着する。

 車を降りた水鈴みすず。その横を、同じ顔の人間たちがぞろぞろ追い越して≪学園≫の正門へと歩いていく。

 水鈴みすずもいつとなく流れの中に混じった。


 正門から遠く離れた研究棟の、生涯クラス・生物科では何人かの仲の良い学生が、水鈴みすずの到着を待っていた。

 水鈴みすずは学生たちとあいさつをわす。席に着くと、いつもの顔ぶれの見慣れた後頭部が並ぶ。



「あっ、ちょっと待ってて」

「いつもの?」



 水鈴みすずの申し出にき返した愛玩用ウイルガ型≪スキン≫の顔を向き、こくりとうなずいた水鈴みすず



「おけおけ。じぇねこが来たら、テキトーに言っとくね」



 理解ある返答をくれる学生に、ふたたびうなずいた水鈴みすずは、そそくさと教室から立ち去る。


 水鈴みすずは医務室を訪れる。

 戸を開くと、コーヒーと紙巻きタバコの臭気が渾然こんぜん一体となったものが、いっせいに水鈴みすずを包み込んだ。

 発生源にはソフム。

 水鈴みすずと目が合った瞬間、何を言わずともデスク横の薬品棚からオピオイドの入ったカートリッジを取り出し、注射器の準備を始める。


 水鈴みすずはベッドに腰かける。ソフムが振り返るのを待った。



「そういえば……」

「あいさつもくれないんですか?」



 図々ずうずうしい言葉をかけた水鈴みすずに、振り返ったソフムが幼子おさなごの面で、ムッとした顔つきを見せる。



「お、は、よ、う!」

「おはようございます。ふふっ」



 ソフムをからかって笑う水鈴みすず

 ソフムがやって来て水鈴みすずの細腕をつかまえる。注射器を構えられても、水鈴みすずは動揺を見せない。



「深く息を吸って?」


 ソフムの指示に従って、水鈴みすずは胸を上下させる。

 激痛に、少しのあえぎを漏らす。

 その間にソフムは無遠慮なようすで注射針を刺した。



枝保しほくんのこと、気になる?」

「そりゃ、まあ……」



 水鈴みすずは、身体の痛みが消えていく感覚に集中する。それはいかなる幸福やなぐさめの言葉より、信頼にる感覚だ。



「以前、あの子も『がん』になってね。経過観察と鎮静剤ちんつうざいの投与はわたしが。君みたいに、言いつけを守ってくれたらいいんだけど……枝保しほくんは『走っても気持ちよくないから』と、途中で薬をやめてしまった。繊細なんだろうね、くるしいくらいに」



 ソフムの注射器を持つ手がふるえる。

 間もなく、水鈴みすずの中に鎮静剤を注射し終えた。

 ソフムは同じ手で、注射器と灰皿に置いた紙巻きタバコを交換し、げた快楽を思う存分にたしなんだ。



「今の≪スキン≫で3代目だって聞きましたけど」

「ふぇっ、そうなの?」

「知らなかったんですね。2代目の枝保しほさんのことは?」

「さあね。その言い草だと、2代目は『がん』になっていないんでしょ? わたしは『がん』になるような、のためだけのソフムだから。埒外らちがいのことには詳しくないんだ」



 ソフムは自虐半分に、水鈴みすずへの当てこすりを口にする。



「み、水鈴みすずは、経過観察とか、しないんですか……?」

「しないよ。なおすもんでもないし、寿命の見込みも1年丸々は残ってる。あの子はアスリートだったから、≪スキン≫を最後まで使いつぶせるように定期的な検査をしてあげた。それだけだよ」



 おそるおそるたずねた水鈴みすずの期待を真っ向からくだく目的で、ふてぶてしい顔のソフムが冷淡に答える。



「そして、今回の枝保しほくんについても、わたしにとっては埒外のようだ。……先ほど、しらせが届いてね。君には関心事だったろう?」



 水鈴みすず呆気あっけにとられていた。


 ソフムは水鈴みすずの波乱の胸中をおもんぱかることなく、枝保しほ――正確には、枝保しほの両親からの報せについて語り出す。


 それは枝保しほが競技の最中に負傷し、失格しっかくとなったという内容だった。

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