チャプター8  パッチワーク≪ツギハギ≫(1/2)

 鎮痛剤ちんつうざいの投与を受けて以来、≪学園≫の医務室には、毎日決まった時間にソフムを訪ねる水鈴みすずの姿があった。


 麻薬性の成分を体内へ受け入れ、わざわざ安楽あんらくと地獄の境界線上に立とうとする、目のうつろな愛玩用ウイルガ型≪スキン≫。

 それと教室や廊下で出会った一般学生たちは皆、「知っているか?」「そうなの? 奇特な子だね」などと、ふくみ笑いのうわさ話を口々くちぐちに語る。さらに周りへと拡散しうる声でもって。


 そのために、透見川うおせ 水鈴みすずは計らずも≪学園≫の擬似ぎじ怪異のような存在へと成りつつあった。

 実際、水鈴みすずも自身に立てられた肩書きについて、しかたがないと受け入れ始めていた。


 習慣をなぞって、水鈴みすずは本日2度目の注射を受けるため、≪学園≫医務室に入る。



「先生ぇー?」



 医務担当のソフムは不在だ。水鈴みすずが床を見下ろすと、事務机から出入口までの動線に、ホコリをいた真新しい軌跡きせきがある。

 入れ違いになったのかもしれないと考える。


「待っていよう」


 水鈴みすずは使い慣れたベッドで休もうと、医務室のおくへ向かう。


 そのとき音がした。しゅつる、という衣擦きぬずれの音。


 直後、ベッド同士の間に設置されたカーテンの揺らめきの中に、水鈴みすずはとある人影を見つける。

 しかし、シルエットだけでは、それが教職用ソフム型以外の≪スキン≫であることしか判別できない。


 人影が水鈴みすずに気づいたようすはなく、なおもつるつると音を立てて脱衣を継続する。

 水鈴みすずは足音をころせず、息づかいと気配をおさえたつもりで人影に近づく。

 なおも人影は水鈴みすずを警戒しないでくれていた。


 しばらくの後、手の届く場所までやって来た水鈴みすず不作法ぶさほうなようすで、閉じたカーテンをつかむ。


 そして、堂々と開いたその先で――今まさに統一制服のボトムスを脱ぎ、ボンッ! とさらされた下着と尻たぶに遭遇そうぐうする。



「誰、ですか……?」



 水鈴みすずの問いかけに、引きまった良い尻が真横を向く。


 連動して、尻の持ち主の顔が水鈴みすずを見た。

 あどけない顔つきをした、水鈴みすずと同じ愛玩用≪スキン≫だ。


 水鈴みすずの目は少しのあいだ尻にあったが、誠心にられ、例の顔へと向き直る。



「あっ、えと水鈴みすずは……」

「見かけない顔だね。いや、顔自体は毎日ヤになるくらい見てるんだけどさ。もしかして、ソフムの助手さんだったり、するのかな?」

「そういうのではなく……」

「なるほど。じゃあ、わたしの身体をジロジロ見てるのは診察のためではない、と。なんだ変態さんじゃないか」

「そ、そういうのでもなくっ!」



 水鈴みすずは大声を上げ、変態呼ばわりを否定する。

 反対の愛玩用≪スキン≫はごめんごめんと言って、水鈴みすずのひっしさを笑いぐさにした。


 もっとも、愛玩用≪スキン≫の指摘は言霊のような作用をなして、事実水鈴みすずの関心を対面する肉体美へと向けさせていた。


 統一制服の上着のみを着て、へそからくるぶしまでを露出した状態にある愛玩用ウイルガ型≪スキン≫。

 上腕筋や胸筋の発達程度について、着衣しであるとあまりわからない。

 下腹部は腹直筋の形に盛り上がり、深い鼠経そけいみぞを通じ、肥大した大腿だいたい筋へと接続している。ふくらはぎも当然太い。


 以上の水鈴みすずの熱心な観察により、当該愛玩用≪スキン≫の肉体美は、下半身を中心に形成されていることが判明する。



「ふーん……みたい?」

「えっ!」



 水鈴みすずは、突然喉笛のどぶえをひねり上げられたような声を発する。

 目の前にいる愛玩用≪スキン≫の、大胆な呼びかけに驚いたためだ。



「わたしの身体、さわってみたい?」



 間もなく、愛玩用ウイルガ型≪スキン≫は先の提言を訂正する。


 水鈴みすずもこれに応じ、「ああ……」と納得。

 したかに思えた。「えっっ!」水鈴みすずがふるえ声で鳴く。


 相対あいたいする愛玩用≪スキン≫は、悪戯いたずらっぽい笑みを顔に浮かべながら、統一制服の上着をまくり上げ、日焼けしたつやのある肌を胸下まで露出させる。



「い、いやっ、えっと! 名前も知らない人の身体を触るなんて、失礼っていうか!」



 ようやく愛玩用≪スキン≫の意趣いしゅを理解し、とり乱す水鈴みすず

 愛玩用≪スキン≫は服をはだけた状態で水鈴みすずにたたみかける。



「じゃあ、誰か分かれば、触ってもいいんだね?」

「そんな軽々しく……」

「わたしは枝保しほ。君は?」



 愛玩用≪スキン≫の強硬な態度に折れ、水鈴みすずは自身のフルネームを読み・書きともに答える。



水鈴みすずさん、ね。さあどうぞ」



 根負けした水鈴みすず渋々しぶしぶ、恥ずかしがりながらも、半裸の枝保しほに抱きついた。


 同一の遺伝子構造をもつ、≪スキンルーツははおや≫のクローンという関係にある2人。

 多少の個体差を加味しても、本来、それらは愛玩用≪スキン≫の典型の上で酷似するはずだ。


 水鈴みすずうでのなかにある、水鈴みすずより一回りも大きな肉体。

 手指に伝わる筋肉の硬さや、いびつな凹凸おうとつは、水鈴みすずのつるりとした表面に合わさると奇妙な隙間すきまを生じる。

 そして、メラニンが沈着した肌からは、やわらかい温もりがかおった。


 水鈴みすずは、本当に枝保しほが愛玩用≪スキン≫なのか、うたがいの念を抱く。



「きゃああ!」



 前触れもなく水鈴みすずが悲鳴を上げる。

 直前、枝保しほは眼下にいる水鈴みすずの尻を、腰を、てのひらでみ込んでいた。



「おっと。お互い知り合えば、触っていい約束だったよね?」

水鈴みすずはそんなこと一言もっ……」



 枝保しほの手をはらいのけ、水鈴みすず枝保しほから距離を取る。



「ごめんごめん、ジョーダン。うん。むっちりしてて、いい感じ! ちょっと筋肉量は足りないかもだけど」

「おっ、大きなお世話ですから!」



 顔を赤くし、水鈴みすずが怒声をはなつ。それを浴びせられ、おだやかに枝保しほ微笑ほほえんだ。


 水鈴みすずの前で着替えを再開した枝保しほ。雑談じりに、自身を陸上競技の選手と紹介しはじめる。

 ≪学園≫での講義が終わると、着替えをしてすぐ居住きょじゅう区南部の運動場に向かい、両親とともに競技練習を行っていること。

 はじめは短距離走へ打ち込んでいたものの、最近になり障害物競走に転向したこと。


 枝保しほはひとしきり話した後、ねじの切れたオルゴールのようにピタリとおしゃべりを止めた。



枝保しほさんは、走ることが好きなんですか?」



 水鈴みすず怪訝けげんな表情をして、枝保しほたずねる。



「愚問すぎるね!」



 会話中、競技ユニフォームへ着替えをすませた枝保しほは、初対面の水鈴みすずに見せたときと同じ、ましたあどけない顔で言葉を返す。



「なんで、自分が走るのが好きだって――ううん、違う。水鈴みすず、そういうの分からなくて。好きなことって、どうしたら見つけられるんですか?」

水鈴みすずさんは、自分が好きなものを探しているんだね」



 枝保しほから、大様な姿勢で共感を示されると、水鈴みすずは満更でもないようすでうなずいた。



「だったら一緒においでよ。わたしたち、同じ遺伝子もってるんだし、陸上……やってみたら案外ハマるかもよ?」



 枝保しほが提案する。それは水鈴みすずの感情、知性いずれの方面からも好意的な受け止めをされる。

 水鈴みすずは再度、枝保しほにそわせた顔をたてに振った。

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