hit a Satan

チャプター7  ティアー≪薬≫

 水鈴みすずは再び、りし日と同様、≪学園≫医務室のベッドの上で目覚める。


 ところが、水鈴みすずの視界には、天井よりも真っ先にとある人物の仏頂ぶっちょうづらが映り込んだ。

 全身じゅんな白色をした教職用≪スキン≫、通称ソフムの1体。


 ソフムはまゆを寄せた不機嫌そのもののようすで、水鈴みすずを見下ろす。

 また息が詰まるような臭気しゅうきもある。

 ソフムのそばにある灰皿には、水鈴みすずの予想通り、生き生きとした吸いがらが小さな山を形作っている。



「おい。何をのんきに寝ているんだね、不良学生」

ソフム先生が寝かせてくれたんじゃ、ないんですか……?」



 ソフムの語気強い罵倒ばとうに対して、水鈴みすずは遠慮がちにき返す。

 はんっと鼻を鳴らし、水鈴みすずの態度を一笑に付するソフム。


 しかし、水鈴みすずがソフムの態度を不愉快に思うことはない。それはソフムの、次の言葉のためだ。



「これで何度目? ところ構わず失神して、ソフムや学生に手を焼かせる。正直、迷惑なんだよ」



 水鈴みすずは、自身が『がん』の宣告を受けた日をさかいに、≪学園≫内で失神しては医務室に運ばれる騒動を連日引き起こしていた。

 今回も、倒れた水鈴みすずを、生涯しょうがいクラスの学生が背負って医務室のソフムの元まで送り届けた。


 もっとも、当のソフムにおいては、水鈴みすずのふるまいを見るに見かねて指摘したのではない。


 ソフムは手で、統一制服の上から、水鈴みすずの身体をまさぐった。むねわきの下あたりに、少し肉がついてきている。



「やはり、健康状態は以前よりいいね。前回も、失神の理由は栄養失調だと君は言ったが、どうかな……他に思い当たることは?」



 ソフムが穏当をよそおって問いかけるも、水鈴みすずは返事をせずにだまり込む。


 しびれを切らしたソフムは、ふところからデミタスカップを取り出し、湯気立つ黒い液体をずずずとすする。

 目を閉じ、静けさの中の自身と水鈴みすずの息づかいを聞いている。



「ノイズがする。息を吸うとき、痛むんでしょ?」



 ソフムのぽつり。水鈴みすずが冷や汗をながす。

 みずからを抱きしめるように、水鈴みすずは身体を丸める。



「……やっぱり『がん』のせいなんですね」

「その可能性は高い。だからといって、そうと決まったわけじゃ」

「最近、背中がすごく痛くてっ。パパに統制器とうせいきの調整を見てもらったんです。それで、『痛覚』のゲージを最大にして。でも、たまに我慢できないときがあって……だから……」



 白状した水鈴みすずは、それから口をつぐんでいたお詫びとばかりに、ソフムに向かって頭を下げた。



「そっか。確かに、人倫統制器はすべての痛みを除去できるわけじゃない。痛みの起こる機序によっても変わる。っで、親御おやごさんは、今の≪スキン≫のままでいいと?」

「はい。水鈴みすずのしたいようにすればいいよ、って」

「はあー……付き合いきれない」



 うんざりした顔のソフムがベッドのそばを立ち、事務机にもたれる。左手のカップから液体を摂取する。

 水鈴みすずに背を向けて、デスク横の薬品棚をながめはじめた。



「本当は今日、WFMO政府報告をして、の回収をさせるつもりだった。このまま放置して、愛玩用ウイルガとしてのめいを果たせないとなると、≪学園≫の信用に関わるからね。

 ……でも、愛玩用の所有者である第一世代バーナムが君のたわむれをゆるすと言うなら、わたしとしても、甘んじて受け入れよう」



 すると、ソフムは一つの薬品が入ったカートリッジを手に取る。加えて、小箱に雑然ざつぜんと保管されている注射器を取り出す。


 ソフムはカートリッジの液体を、注射器の中へとうつし替える。水鈴みすずはおそるおそる見ていることしかできない。

 しばらくして水鈴みすずの元に、注射器を構えたソフムがやって来た。

 ぴゅーと針先から液体を飛ばして遊んでいる。



「右手出して」



 瞬間、ソフムはもう一方の手で、水鈴みすずの右手をつかまえる。

 水鈴みすずのふっくらした肌の一端を指でまむと、合図もなしに注射器の針を皮下へと突き刺す。水鈴みすずの中に液体が次々入っていく。


 液体を出し切ったソフムは、水鈴みすずの手をはなした。



「なんですか……?」

「オピオイドだよ。大抵の苦痛はどうにかなる。当面は1日2回、わたしのところで摂取せっしゅすること。自宅では簡易錠剤じょうざいでしのぐように。わかったね?」



 言いたいことだけを言って、水鈴の元からはなれるソフム。


 水鈴みすずは意図をんで、不本意ながらベッドから起き上がる。

 床に素足をつけて、立ち姿勢になっても、めまいやこし回りの激痛といった症状はなかった。

 水鈴みすずはその足で、よろめきながら医務室の出入口まで歩く。



「水鈴くん」



 あくまでもいたわりのない声で、ソフムが水鈴みすずの背中を呼び止める。



「早くらくになれるといいね」



 声に振り返る水鈴みすず。ソフムをじろりとにらむ。

 ソフムは水鈴みすずを睨み返し、しらじらしい笑みをたたえている。


 ずううっ、と意地汚い音を立ててコーヒーがすすられる音へ隠れるように、水鈴みすずは息をのむとゆっくり医務室を後にする。

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