イミテーション(2/2)

「「許してあげて。ハムスターは、また買ってくればいいんだから」……」



 唐突に、乗り移った青年の弟によって、文言を読み上げさせられる水鈴みすず

 中編小説の3分の1を過ぎたばかりのページで、その手が止まった。


 左となりで、ささいな自己啓発書に感心しているソフムは、異変をきたした水鈴のようすに気づくと、好奇心旺盛おうせいなひとみで水鈴みすずの顔を覗き込む。



「なはっ、お目が高いですね。印象的な話作りには欠きますが、場面描写のよりとテーマの太さは、素朴そぼくながら谷のような輪郭をした世界観に重量と説得力をもたせ――」

「あの……解説はいいので。終わってもいいですか?」

「君がそこで終わっていいなら。と、言いつつ、何が気にさわったのですか」



 ソフムがはっきりと問いかける。水鈴みすずは本をテーブルの上に置く。



「水鈴は、もうちょっとでハムスターになるんです。……先生は知っていました?」

「え。いや、人がハムスターになるという話は、聞いたことが……と、ボケるのはよして。

 君の≪スキン≫の寿命がせまっている、それで合っていますか? すると、わたしは知りませんでしたよ。その本が渡ったのも、運命のいたずらです」



 ソフムが何らかの意図をもって、『き出るねこ』が水鈴みすずの手に渡るよう仕向けたのではないか。その疑念は、大した時間もかけずに晴らされた。


 水鈴みすずいとにくしの複雑な表情になる。

 不意に、ソフムの手をつかんでしまった。水鈴みすずが掴むと、そこで折れるのではないかという細いソフムの、白くきめ細かな肌の手首。



「今日、『がん』になったって言われて。あと1年半しか生きられないって。そう言われたんです。……水鈴みすず、わからなくて」

「何が、わからないんですか」



 ソフムは、自身にしがみついた水鈴みすずの手を、穏かにもう一方の手のひらで包み込む。



「死ぬってことに、どうやって向き合ったらいいのか……、大事な人には死んでほしくなくて。死んじゃったら、悲しくてしょうがなくって。

 水鈴みすずが死んだら、しずりんとかパパとかがそうなるのかなって考えて……だとしたら、死ぬのヤだなーって。そうだったら良かったのに」

「うん」

「でも……違いますよね? 水鈴みすずに死んでほしくないのは水鈴みすずだけ。≪スキン≫この体は、みんなは水鈴じゃないから『死んでも大丈夫』って、『いなくならない』って言ってくれました。

 水鈴みすずもそうだそうだ、って思って! 思ってるのに! こわいのとわからないので、グチャグチャで……」



 水鈴みすずは泣いた。みずからの信念と、人倫統制器による凄絶せいぜつな修飾作用との板挟いたばさみに耐えかねた水鈴の心が発した、かすかなエスオーエス。


 ソフムはそうだと捉えている、毅然きぜんとした顔つきで、そばのすすり泣く子どもへと近寄る。



「君の語る『ふつう』は、まるで旧時代の映画のようですね」

「そうですよ……」

「ええ。現代の価値観にはまるでそぐわない。

 ≪スキン≫とは、徹頭徹尾てっとうてつび道具ですよ。それも際限ない量産の利く、単位に成り下がった道具、ね。

 『がん』はこの≪スキン≫という道具の宿命、つまり絶対の命なのです。『がん』により死ぬこと、それ即ち≪スキン≫が役目を全うしたことを意味する。

 君が≪スキン≫の死の受け止めについて、あれこれ考えていることは、教本たるわたしが娯楽ごらく小説をたしなむこと以上に無意味なことなのです」



 まさしく、洗礼と呼ぶにふさわしい忠言。小児しょうにでしかない外見で、そのじつ≪学園≫に通う学生たちの教本を自称するだけのことはある。


 水鈴みすずははじめから、むねの内で理解していた。このソフムも同じであること。

 WFMO政府に忠誠をちかい、学生たちのいっときのなぐさめも許さない厳格さをもって、≪学園≫の秩序ちつじょを維持してきた。

 WFMOの、知能をもった指先。


 ソフムたちのお陰で、水鈴みすずは他の愛玩用ウイルガ型≪スキン≫と同様、ある日死に、またある日に何事もなかったまし顔をして「おはよう!」と、クラスメイトにあいさつをすることができる。納得できる。



「はいっ。ありがとうございます!」



 水鈴みすず目端めはしをしぼり、涙を出し切ると、とびきりの笑顔をソフムに向けた。



「最低ですね、こんな世界」

「えっ」



 水鈴みすずはみずからの耳を疑う。

 しかし、言葉はソフムの本心にちがいない。



「当人がこれまで獲得した記憶や社会性は≪人命データ≫として、≪ノストルム・アルカ≫のサーバ上に保管される。

 これを人間そのものと定義し、≪スキン≫は生活をいとなむためのツールに過ぎないものとする――誰でもっていることです。

 だからおのずと常識じょうしきとなり、その常識に適応する手助けを、人倫統制器による脳内分泌制御が行う。これによって人々は……死を殺し、永遠の生を手に入れたと錯覚する。

 なんて残酷でおぞましい! こんなものは、真の平和じゃない。何世紀も前からえがかれ続けてきた暗黒郷ディストピアそのものだ」



 強い口調で話したのち、ソフムが席を立つ。



「君の『がん』が、どのくらい重症化しているかわかりかねますが……先端医療をもってすれば、治療できる可能性は十二分にあります。

 けれど、完治したとき、あらかじめ≪スキン≫に定められた20余年のリミットにたっしてしまっては、もと木阿弥もくあみでしょう」



 改めて、水鈴みすずは見つめ直す。ソフムの姿。

 無数の遺伝子操作によって、全身がもろく真っ白い色に変わり、小児の身体で成長が止まる。


 脳内には人倫統制器を通じて、個体差など考慮しない教職用ソフム型≪スキン≫として必要な知恵と認知のみをインストールしている。


 気取ったメガネ、ダボダボの白衣、床につかんとする長髪、さわがしい安全靴。


 愛玩用ウイルガ型≪スキン≫と比較にもならない、造物めいた姿の道具は水鈴みすずの眼前で、滔々とうとうと涙を流した。

 つねより備わっていない機能――ゆえに、道具はそれをせき止めるすべを知らなかった。



「君は死ぬんだ。いいですね?」



 ソフムの感極まった表情を無下むげにはできないと、水鈴みすずは私情を押しころし、これにうなずく。

 水鈴みすずの反応を確認して、ソフムは口元にやわらかい笑みを作る。



「よし! でも、これからもどうか悩んでほしいです。

 ……君は、一度きりじゃないから。

 友だちの死に胸を痛めて、自分の死を苦しくても受け止めようとする君には、何度でも悩んで、本当の正しさを探してほしい。わたしからのお願いですっ」

「先生、ひどいこと言いますね……頑張って、みます」



 返事をした水鈴みすずは、起立してソフムの元へ行く。胸元から外した桃色のシルクスカーフを四角形に折りたたみ、遠慮がちな手つきで、ソフムのあどけない泣き顔をいた。


 ソフムは照れくさそうに、左耳朶じだつらぬくプラグを指でいじる仕草をする。


 突然、水鈴みすずの神経回路が、脳裏に具体的な記憶を挙げる。



「あっ、園外学習のときの……」

「やっと気づいた! それと、入学日ね。『なんでちゃん』、生涯しょうがいクラスに入って、立派になりましたね」



 感動の再会(?)。ところが、2人の間隙かんげきに水を差す意図で、≪学園≫中にチャイム放送が鳴り響く。

 講義と休憩の際にはけっして流れない、最終帰宅勧告だ。


 ソフムたちは≪学園≫敷地内の建屋で生活しているため、水鈴を正門まで見送ったのちに帰途へとつく。


 水鈴は大慌おおあわてで、帰り支度をととのえる。

 2人の影が小走りに、正門へと急ぐ。廊下に差した外光の色は、眠気を誘うオレンジをていしていた。



「待ってください。これをどうぞっ」



 正門は閉じかかっていたが、かろうじて正門前駅方面に脱出することができた水鈴。

 ソフムは施錠を目指す正門をへだてて、水鈴に1冊の本を手渡す。



「『湧き出す猫』、だからこれはっ――」

「なんでそんなタイトルか、わかりますか? 

 結果的にトラ猫を捨てた主人公でしたが、数年後にそのがらを見つけ、激しい後悔の念に駆られる。

 それからというもの動物福祉に目覚めて、野良猫の保護活動や里親探しに奔走するのです。

 いい話ですねー。死とは死者への理解の、おおいなる一歩なのですよ」

「内容バラさないでくださいっ! これじゃもう、水鈴みすずが読んでも意味ない……」

「なははっ。どうぞ独断と偏見の感想、お願いしますっ。ではではー」



 ソフムの気の抜けたあいさつを合図に、正門の柵は完全に封鎖され、水鈴みすずを外へと締め出す。


 送迎車を拾うため、≪学園≫鉄道正門前駅の駅舎へと歩き出した水鈴みすず道半みちなかばで我慢ならずに後方を振り返る。


 するとまだ水鈴の背に、小さな手を振り続けるソフムのシルエットが目視できる。

 機械的に一定のテンポで見送っている。

 その真っ白い子どもの健気けなげさに、水鈴みすずは愛おしさと共に、氷のようなもろくもするどい冷たさをおぼえた。

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フレッシュ 石鬼輪たつ🦒 @IshioniWatatsu

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