チャプター6  イミテーション(1/2)

 医務室のソフムから死の宣告――どちらかと言えば、「早く死ぬべきだという忠告」をあたえられた水鈴みすず

 そのあと、いたたまれない感情を処理することができず、部屋から飛び出した。


 ≪学園≫の廊下を、方向は成行なりゆきに任せて走る。うしろに追いすがる何ものの影も見当たらない。


 水鈴みすずはしばらくして、足の速度を落とす。静かに歩く。

 傷んだ精神は、おのずと堅牢けんろうな巨大円環建築の中から、いっときの安らぎとなる風流を探した。


 ――何もない。


 講義が終わり、本日の役目を果たした愛玩用ウイルガ型≪スキン≫たちは、一斉に帰り支度をして帰途につく。

 水鈴みすず悲喜ひき交々こもごもを鮮やかにしてくれるものが、この場所にありえようもなかった。


 旧時代の教育施設では、今の時分を「ホウカゴ」と呼んだはずだ。

 頭の中に、親友と観たいずれかの映画の記憶を思い起こす水鈴みすず

 ずるずると、畑から収穫しゅうかくした芋の連なりのように、クリップが連鎖的に水鈴みすずの脳裏にかび上がる。


 もし、透見川うおせ 水鈴みすずがありふれた中学校に通う、13歳のだったとすれば――。



 夕陽がかたむき始めた、放課後の校舎。水鈴みすずは保健室から出て、クラスへのかえり道を歩く。

 周囲には、逐一ちくいち拾い聞きすることもできないにぎやかな音が満ちる。


 そのうちの1つ、水鈴みすずのそばを駆けていく仲良しの2人組のステップ。


 また1つは、楽器のメロディー。廊下の窓から見通した先の教室にて、吹奏楽部の部員たちがパート練習にはげんでいる。


 どこかの教室からも、取り留めのない会話で盛り上がる居残りの生徒たちの声がひびきわたる。


 永遠と続くような、退屈で雑然とした、しかし確かにひかりすシーンを想起して、それに水鈴みすずは心酔した。




「1年半……」



 不意に、口をついて出た言葉。水鈴みすずを、肌につくじっとりした静寂せいじゃくと、現実の元に引き戻す。



「どこも悪く、ないのになぁ……」



 水鈴みすずは、水っぽい声音でつぶやく。

 歩きながら、下を向いて医務室のベッドの上で乱れた統一制服を正す。

 首元をおおう薄いピンク色のシルクスカーフ。水鈴みすずは、視線を前方にもどした。


 卒然、廊下の先に、不思議な光の点があらわれる。味気あじけない灰色の景色の中で、ひときわ目立つ真っ白い特異点のようなものに、水鈴みすずは釘付けとなる。


 点は水鈴みすずのほうへ接近してくる。

 5分と経たない間に、水鈴みすずは、点が小さな子どもの姿と知る。ついに点と、表情がわかる距離までせまった。


 真っ白い色の過剰な長髪に、白衣を着たあどけない子ども。

 教職用ソフム型≪スキン≫、通称ソフムは廊下を歩く足をゆっくりと静止させる。

 低空をたゆたう長髪の毛先も、慣性をうしなって墜落した。



「おや。何を突っ立っているんです?」



 水鈴みすずと身長差のある分だけ、こなれたようにあご先をつり上げたソフム。水鈴みすずは無反応のままでいる。

 水鈴みすずの表情筋がつくり出したその標識を、ソフムはくまなく見つめる。



「……ふふっ。子どもらしい顔をして。お困りごとですか?」



 やがて、標識の意味に気がついたソフム。


「今は終業後。廊下にいては、他のソフムがWFMO政府報告します。こっちに来て!」


 緊張感を与えない、あくまでも先導せんどうする余裕を思わせる抑揚よくようでソフムが言う。

 水鈴みすずの手を捕まえると、医務室の水鈴みすずが来た道をたどる。

 水鈴みすずはソフムの成すがままだ。


 ソフムは、医務室をこえた先の部屋で足を止めた。連れて来られた水鈴みすずの頭上に、「図書室」の看板。


 部屋に入ると、中には看板に違わず、背の高いしょだながいくつも並ぶ。

 加えて、図書室はほこり臭さとみょうな息苦しさが満ち満ちている。せきこむ水鈴みすず。この場所が、ほとんど手入れをされていないことは、水鈴みすずもすぐにわかった。



「あのっ、先生ここは――」

「なははっ、汚いところで申し訳ない。わたしくらいしか使っていないもので……さて、君はどのような本が好きですか? ゆっくり語らいましょう。っと、少しお待ちくださいな」



 不信感をあらわにする水鈴みすずを差し置いて、ソフムは2人分のいすを並べ、卓上照明をともし、てきぱき書棚から本を積み重ねるとそれを抱えながら、水鈴みすずの左となりの席に着いた。


 どうぞ、という言葉の調子で、ソフムは空いたいすを手前へ引いてみせる。水鈴みすずがいすに座る。



「……水鈴みすず、本は読みません。字ぃよむのニガテなので」



 告白する水鈴みすず。ソフムの収集して積み上げた書籍のとうをしずかに崩す。


 書籍のタイトルが、つぎつぎ水鈴みすずの目に入る。


・『明日からできる! テレパス話法』

・『スパイス農家大全』

・『消化器から見る進化学』

・『プレゼン力が上がるたった13の方法・2038年決定版』

・『賀宝がほう 夏子フォトエッセイ うしろあるき』


 と、字面を読み上げるだけで、誰でもそこに一貫性はないと確かめることができる。



「承知しています。愛玩用ウイルガ教職用ソフム労働用オプス――≪スキン≫はいのちの限り、それぞれがめいを課される。命は絶対。

 WFMO政府はこの、命にあたるための知恵と権利を与えはすれども、そこへ実際に向かっていくための信念しんねんを与えてはくれません。

 ≪スキン≫が生きる社会、それを動かしているのは、つまり≪スキン≫みずからの信念に他ならないのです」

「なんで、それが本を読むことと関係するんですか?」

「……そう。≪スキン≫は、本来ある見識のみにしたがって生きていれば百点満点なんです。

 いや、むしろ余分な知識は、思考をにぶらせる麻薬でありWFMO政府はっ、厳格にこれを取り締まらなくてはいけないでしょう!」



 ソフムのんだ声色が少し、人倫統制器の熱にふるえる。



「しかし、WFMO政府は、何も規制しなかった。何も! 

 空想、映画、論文、ポルノ、WFMOへの批評。すべてです。社会の維持には、人倫統制器の導入だけでよいと判断したのでしょう。だからわたしは本を読むのです!」

「んー? ど、どーゆこと……」

「本を読めばわかります!」



 結論として、今すぐに水鈴みすずと読書をしたいソフムの押し売りにより、水鈴みすずは動機も興味もない書籍へと向かうことになる。

 当初、水鈴みすずの発した疑問は解消されることなく、ちゅうに放り出されたまま放置された。


 どうせ読むなら、かざり気のない簡潔な物語を――水鈴みすずが手にとったのは、小説『き出るねこ』。



 冒頭、主人公の青年は、拾い猫を家に迎え入れる。まだ子猫の気分でいるやんちゃなトラ猫。

 もっとも、その家では1匹のハムスターがすでに暮らしていた。


 家に誰もいない日、トラ猫は家じゅうを遊び回るさなかにハムスターの住むケージと接触し、檻を床へ落としてしまう。

 そのときの衝撃でハムスターは重傷を負い、家族の誰にも最期を看取みとられることなく、静かに息を引き取る。


 主人公の青年は帰宅後、事件の顛末を知るや否や、トラ猫を蹴飛けとばす。

 さらに「こんなやつててやる!」と言って、トラ猫を屋外へ連れ出そうとする。

ただし、問題は、青年の横暴ではなく彼の弟が口にしたセリフにあった。


「「許してあげて。ハムスターは、また買ってくればいいんだから」……」

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