スキン(2/2)

 直後、2人の抱擁ほうようにはさまって、ベルをもがれた元目覚まし時計がシェリシェリシェと久々の大仕事をやり遂げる。



「まずいっ。≪学園≫に行かなきゃっ! ほらしずりんも――」



 衣装棚から統一制服を取り出した水鈴は、自分が万歳バンザイ脱衣するのとともにしずりの服もはぎ取ろうとする。

 しかし、すでにスウェットの下へ、統一制服を着こんでいるしずり。

 水鈴は、しずりの服をつかんだ手を静かにはなす。


 寸刻すんこくの後、あらわになった青白い腹部には、≪スキン≫に特有な突き出した赤黒いへそが、ルビーのようにかがやいていた。



「みすぅ。ぼくが死んだ日から、≪学園≫行ってなかったんでしょ。おじさんから聞いた。どーして?」

「それは、だって……こわくて」

「でも、ぼくは死んでもいなくならないでしょ。だから大丈夫」

「うん。分かってるよ。ごめんね」



 水鈴は、しずりの手を借りずにてきぱきとパジャマから統一制服に着替える。


 首元の人倫統制器をおおうように真っ白なシルクスカーフを、きつくしぼると自室を立つ。

 しずりも水鈴の背にぴったりつく。2人はそろって一階のリビングに向かう。


 リビングに、朝食の用意を済ませた水鈴の母親は、引き戸の先で2人を出迎える。



「おはよう、水鈴。朝ごはんできてるから。しずりさんも、食べていくでしょ?」

「ごちそうになりまぁす」



 そして、水鈴としずり、水鈴の両親が食卓に集まる。


 テーブルには、しずりの死により気落ちした水鈴を元気づけられないかと、水鈴の母親が用意した薄桃色の瀟洒おしゃれなクロスがひかれている。


 その上にはチューベローズの造花、鮮やかな種々の色の野菜を使ったサラダやスープ、小鉢料理が並ぶ。



「すごい量……水鈴のため?」



 感心する水鈴。そのほうけた表情をのぞく3人が、顔を見合わせてにやにやと微笑ほほえみを返す。


「それでは」



 すばやくことわりを入れると、を差し置き、しずりがテーブルの上の料理に手を伸ばす。

 好きなものだけ自身の手前にかき集めると、みぞおちにおよぶ長さの白い髪の束を小刻みに揺らしながら次々口へ放り込んでいく。


 それに負けじと水鈴みすずも、ハサミのすじの上で細く白い髪を跳ねさせ、両親と親友の手料理をじかはしで取ってはほおばる。



「2人ともいい食べっぷり! うーん、試作品だけど、せっかくだから出しちゃおっかな」


 水鈴の母親は台所にスキップで向かう。


 まもなく、小皿の乗った盆をもってもどってくる。

 小皿にはフレッシュミートのフリッターと、青トウガラシのディップソースが乗る。



「味の感想きかせてね?」

「やった! お母さんありがとう!」



 水鈴は笑顔を浮かべ、母親から差し出された小皿を受けとるとかんはつをいれずパクついた。



「からーい! 青くさーい! おいしー!」

「へー。じゃあぼくも」



 水鈴のようすに感化される、食い意地の張ったしずり。

 盆の上の小皿をすぐにもおのれの陣地へ招き入れると、小粒のフリッターを一欠ひとかけ摘まみ上げ、勢いよくついばむ。



 そのとき、しずりはのどと声帯をいっせいに引きずり出されたかのように、「ぶおええ」と大きな摩擦音を上げると、テーブルにフリッターを吐き落とした。



「ぐふぉえ」



 ばちゃっ、ばちゃっ、しずりの吐しゃ物が音を立ててテーブルをいろどりはじめる。


 しゃぶつを頭からかぶった青トウガラシのディップソースは、光沢の深緑色に胃液のあやしい照りを帯び、新たなトッピングを得てすっかりサルサソースの様相をていする。



「べっ! えっ!」



 濁った声。涙目で嘔吐おうとをし続けるしずり。


 他方、水鈴みすずは物も言えず、しずりの醜態に釘付けとなっている。

 なおも水鈴の両親は食事を楽しんだ。


 ひとまず、しずりが胃の内容物をすべてポンプし終えた頃。

 嘔気の余波に身体をびくびくと震わせるしずりは、何も出てこない口をあえぎとともに何度か開閉させている。


 このとき、吐しゃ物が気道をふさぎ、人を殺す可能性があると水鈴は知らなかったこともあり、この場に適格なふるまいをまったく見いだせない。


 水鈴の心境を察してか、父親は落ち着き払った状態でしずりに近寄り、大きいサイズのハンカチを見せた。



「しずりさん、大丈夫かい? ごめんね。まだ、統制器とうせいきがなじんでいないのを忘れていたよ」



 水鈴の父親から差し出されたハンカチと謝罪を、しずりは受け入れる。



「いや、あはは……大丈夫です。ぼくこそ吐いちゃってすみません」

「いいのよ。既製品きせいひんですもの」

「おばさんもありがとう。ナゲット、よかったっすよ、たぶん!」



 しずりは、水鈴の両親に頭を下げると、ハンカチが雑巾ぞうきんになるまで、自身の顔と酸味の手、ぐっしょり濡れた太ももを拭き上げた。


 そして使い終わり、やや黄ばんだ布きれを、水鈴の母親に手渡しする。



「……お風呂入っていきなさいね?」


 

 水鈴の母親から脅迫めいた善意の言葉を授かり、しずりが透見川家の浴室に入って、それなりの時間が経過した。


 水鈴は脱衣所のようすを見に行く。

 しずりはまだ、すりガラスの向こうで鼻歌まじりにシャワーを浴びている。



「しずりん? もうそろそろ出ないと、最初の講義間に合わないよー」



 水鈴がひと声かけたところ、しずりの返事はない。

 シャワーの噴水音にかき消えたのかと水鈴が耳を澄ますが、噴水自体の反響はうすく、代わりに人体の柔らかさではなく撥水はっすい性の高い床材が水をはじく音がはっきりと聞こえる。

 しずりは足元の何かをシャワーで流しているのだ。


「しずりん、ちょっと開けるね――って、ねえ!」



 戸に手をかけ、室内のようすを見るや否や水鈴みすずは反対のあいた手で、しずりのバリカンを持つ手を根元から制しようとする。



「なんだなんだっ! どうしたの、みすぅ」

「水鈴がききたいよっ! なんで髪ぜんぶ、なくそうとするの!」



 先ほどまで、しずりのみぞおちに接する長さがあった白絹の髪。

 その3分の1がすでにバリカンによって刈り取られている。2人の眼下に散乱した髪のクズが流水にただよい、うじかみみずのごとくい回る。



「いや、だって……髪長いとおんなひとみたいだし、『性表出だ!』って言われて、どーせ≪憲章けんしょう≫違反になっちゃうじゃん。それに時間ないし。(バリカンで)剃っちゃう方が楽でしょ?」



 しずりは水鈴の心配を意に介さず、真面目ぶって答える。



「そう、だけど……もっと自分の体、大事にしてよぉ」



 水鈴は、髪型だけが異なる自分とそっくりな親友にしがみつき、具体性のない切望を口にする。


 しずりは上方から水鈴を見下ろす。

 しずりの肩をつたう水が、温度と速さを失って、水鈴の着る統一制服にしみ込んだ。



「大丈夫だって。さっきも言ったじゃん。みすぅは考えすぎ!」



 しずりがバリカンを浴槽のへりに置き、水鈴の顔を両手でつつみ込む。


 水鈴は、一糸まとわぬ、作りもののように美しいしずりの体を見る。


 打ち身の傷痕きずあともなければ、飛び散ったガラス片に切り裂かれた箇所かしょもない。

 愛玩用ウイルガ型≪スキン≫という生命の地図をささいな欠陥一つなく再現し、人の形に保っている。


 もしも、現存する日月しずみ しずりという人物の肉体が2代目にだいめだったとして――

 その事実に、『世界』は、確固たる決意をもって、次のように回答するはずだ。

「それがどうした」と。



「分かってる! でも、しずりんが傷ついたり、また急にいなくなったりするのもこわいの!」



 透見川うおせ 水鈴という人格は生来の実直さから、自身の直感的正義を、親友の忠告よりも信頼していた。


 それでもなお、水鈴の人格が≪スキン≫という資源マテリアルに寄りかかっている以上、『世界』の見解にしたがうことからは逃れない。


 しずりはそのことを分かって、涙目の水鈴の顔をおおうように抱きしめる。

「ごめん」と、言い慣れない謝罪の言葉を口にする。


 

 風呂から上がったしずりは、自身の統一制服に着替え、中途半端に剃髪ていはつした頭へ残った白い長い髪を巻きつけ、ヘアピンと三つ編みで最低限の工作を行う。



「もー。帰ったら、責任とってみすぅが整えてよ?」



 自虐的に笑うしずり。吐しゃ物まみれのスウェットを、透見川家の洗濯かごにぼんと放る。


 水鈴はしずりの茶化しに対して、小さくうなずいてみせる。



「あのさ。今日は……講義終わったら、いっしょに帰ってくれるよね」



 玄関で靴を履くしずりの背中に、水鈴がぽつりとこぼす。


 しずりが振り返る。

 虚ろな目の水鈴は、抱きしめられたときにれた統一制服の胸元を強くつかみ、しずりのことを見下ろしている。

 

 しずりは笑顔をくずすことなく答える。



「あたりまえじゃん! こんな髪型ぜえーったい笑われるし。みすぅに守ってもらうから」

「うん、うん! じゃあ約束ね!」



 水鈴は子どもらしくはしゃいで、しずりの肩に抱きついた。

 2人は、お互いに同じ長さ、同じ太さ、同じ歩幅の足の調子をそろえて≪学園≫に向かう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る