チャプター2  スキン(1/2)

 何度目かの、空が明いた朝。水鈴みすず部屋に陽の光が淡く差し込む。


 頭のベルをもがれた元目覚まし時計が、水鈴の体内時計へ聞かせるように秒針をコチコチと鳴らしている。

 部屋の主が起きる時間が、こく一刻と迫って、やがてそのときになる。

 水鈴みすずは目を覚ます。この部屋の時空間にズレはない。


 ところが、水鈴みすずが指で目のはしをしぼり、瞳孔どうこうをあけて窓の外を見たその限りでは、まだ起床する時分に至っていなかった。



「うぅん、まだ朝じゃない……?」



 水鈴は、自身を明け方にいざなった、異なる原因について考察する。


 底冷え。

 無理な寝相。

 膀胱ぼうこう内圧の上昇。

 夢魔。おもらし。

 そのとき水鈴の想像した多くのものは、見えざる手の所業しょぎょうらしく下腹部へと連結される。


 これだ! かけ布団。

 この下に真相がひそんでいるにちがいないと確信して、水鈴は思いきり足もとの大判の布をめくり上げる。


 水鈴みすずの体温でほのかにあたたかい掛布団の中には、謎の白い毛がえていた。

 スポンジからむしり取ったかいれの根を流水でほぐしたあとのような、しっとりとした長く白い毛。

 これが人肌の密閉空間内に生え散らかしていた。



歌舞伎カブキィ!?」



 水鈴の悲鳴。あろうことか長く白い毛は、突然の声にびくんと跳ね上がり、ベッドの外に飛び出したのだ。


 水鈴がよく見ると、長く白い毛は四本足の生き物で、姿見すがたみの前に立つ影が水鈴とそっくりになっている。


 加えて、見知っただるだるのスウェット姿。


 一瞬にして、水鈴の記憶の回路は激しく躍動し、索引、視界にある固有なぞう面影おもかげをたしかに探し当てる。

 そしてその正否は、水鈴みすずの口が明らかにした。



「しずり、ん?」

「そーだよ。ぼくだよ」



 長く白い毛は肯定する。

 左手に前髪をまつわらせ、力強くひたいの上で押しとどめる。

 白い障害がなくなったことで、人物の表情が光の下にさらされる。


 浮かべているものは、子どもらしいはにかみ笑い。水鈴の知る、日月しずみ しずりの笑顔といえばこれだ。


 しかし、独自な使用感のあるスウェットとは対蹠たいしょ的に、愛玩用ウイルガ型≪スキン≫の構造は水鈴と根本的に酷似しており、しずりを象徴するものには果たしてなり得なかった。作りものの笑顔。



「……しずりんなら、分かるよね? 水鈴のきくこと」



 親友のふりをした――姿はまったくの同一の、反面はらそこから信頼するには値しない胡乱うろんな魅力をはらんだ人物に、水鈴はおそるおそる問いかようとする。



「うん」

「水鈴としずりんが、はじめて一緒に観た映画はなぁんだっ?」



 まさしくパスコード的な証明を求める。



「えっ、と……」



 しずりを貼付ちょうふした人物のわずかな動揺が、寒気のする間隙かんげきを生じた。



「ああ、ああ……わかるよ。わかってるって! 待って。あー、タイトル出てこない。待って。たしか、沼で暮らす緑色の巨漢がファニーなロバとドラゴン退治に行って、助け出した姫様といい感じになるんだけどしょうもないケンカ別れして暗君にうばわれてクッキーで……うーん、そんなんだよね? 合ってるでしょ? タイトル憶えてないけど」



 しずりを貼付した人物は、鬼気迫る表情で頭をかかえながら水鈴みすずにこたえる。

 正面から対する水鈴も小刻みにふるえる眉をよせ、重々しく深呼吸をする。



「いい感じって、姫様とロバが?」

「なんでや。だとしたら緑色の巨漢が暗君と……ってことになるじゃん」

「そっかぁ。でも、水鈴、それが最初に観た映画かおぼえてないんだよね」

「……はあ?」



 水鈴が緊張感のある表情で、すずしげに言う。要するに、正解は分からないというのだ。



「なんだったのよ今の」



 しずりを貼付した人物は腑に落ちない結果について、ツッコミを入れずにはいられなかった。


 そのとき、水鈴はぷっとおかしなラッパをふき出してしまう。

 息をすいこむ動作にもふふっ、おさえの利かない感情がちらちらとのぞいている。


 しばらく黙していた人物も、水鈴のおかしさに接しているうちにつられてハミングをし始め、水鈴部屋はいつしか、清流輝く河岸にならぶ、心地よい賑やかさに包まれた。



「おかえり……っで、いいんだよね? しずりん」

「違うよ。おはよう、だよ」



 その言葉を聞いた水鈴は、ついに眼前の≪スキン≫へ、日月 しずりのたましいが宿ったものだと確信する。


 喜怒哀楽の混然こんぜん一体いったいとなった胸中の爆発が推力をうみ、水鈴をしずりにぶつけ、深く抱きしめさせる。


 しずりの胸のスウェット生地にこめかみを埋める水鈴みすずは、先のあいさつに「おはよう」と返した。

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