木枯らし使い

 木枯らしの吹きすさぶ寒い夜だった。

 漆黒の闇に沈む山に一軒の小屋があった。かつては登山客の山小屋として利用されていたもののようだ。山小屋の管理にもお金がかかる。登山客の寄付で賄われていたが、登山客の減少と共に寄付が減り、山小屋とそれに続く登山道を整備できなくなった。登山客の安全を確保できなくなったことを理由に、管理人は泣く泣く山小屋を閉鎖した。

 一年前のことだ。

 誰も来ないはずの山小屋に若い女性がいた。

 使われていないはずの山小屋で、石油ストーブがあかあかと燃えていた。何処からか吹き込む隙間風で、時折、ストーブの炎が揺れた。石油ストーブの前に、毛布を頭から被った若い女性が座っていた。

 女性の名前は美和子。まだ学生に見えた。目の大きな整った顔立ちだ。体調でも優れないのか、顔色が異様なほど青白かった。

 山小屋の外では、びゅうびゅうと音を立てて木枯らしが吹き荒れている。明かりの消えた山小屋で、石油ストーブの周りだけが明るく暖かかった。

 美和子はふと顔を上げた。

 部屋の隅に男がいた。薄暗い部屋だ。部屋の隅に男がいることに気がつかなかった。男が部屋の隅にある箪笥の上に腰掛けて座っていた。男の存在に気がついた美和子は「ひいっ――!」と小さな悲鳴を上げた。すると、美和子の悲鳴を聞いた男は「えっ⁉ 何? 何?」と反対にパニックを起こした。

 変わった男だ。この寒空に、体にぴったり密着した服を着ている。上下ひとつになったツナギのような服だ。しかも茶色一色だ。手袋に靴まで一体になっている。ダイビングで着るウェットスーツのようだ。だが、靴先が異様に長く、尖っている。首の周りにはひらひらと花びらのような襟がついていた。

「誰よ、あなた?」と美和子が鋭く叫ぶと、「えっ⁉ 君、僕の姿が見えるのか?」と男が聞き返してきた。

「何言っているの。見えるわよ。何、その、変な服。あなた、頭、おかしいんじゃない?」

「えっ⁉ 変な服・・・そうかあ~この服、そんなに変かい?」

 服は変だが、なかなかの男前だ。体も顔もとにかく細い。モップを被せたかのようなぼさぼさの髪が細い顔の上に乗っている。

「変よ。そんな格好で寒くないの?」

「寒い? ああ、そうか、木枯らしが強すぎたかな? ちょっと小さくしようか」と男が言うと、山小屋の外でびゅうびゅうと音を立てていた木枯らしの音が小さくなったような気がした。「これでどうだい? 君の声もよく聞こえる。ねえ、ねえ。君、本当に僕のことが見えるの?」

 男が尋ねる。「当たり前じゃない!」と美和子が答えた。

「やあ~嬉しいなあ~誰かと話をするなんて、何時、以来かなあ~」と男が笑顔を弾けさせた。

「あなた、ここに住んでいるの?」

「住んでいる? いやあ~僕は何処にでもいるんだ。ここにもいるし、遥か彼方の海の上にもいる。この世の何処にでもいるんだ」

「やっぱりあなた、頭、おかしいみたいね。あなた誰なの? あいつらの仲間なの?」

 男は「あいつらって誰だい? 僕は――」と言って言葉を切ると、「えへん、えへん。木枯らし使いだよ」と言って胸を張った。

「木枯らし使い? 変な名前ね」

「そうかい? ねえ、ねえ、君の名前は何て言うの?」

「私は美和子」と答えると、木枯らし使いは「そうか~美和子ちゃんかぁ~えへへ~」と楽しそうに笑った。

 変なやつだが、悪いやつではなさそうだ。美和子と話ができるのが楽しく仕方がないといった様子だ。美和子はごそごそと頭を動かして、被っていた毛布から頭を出した。毛布がずり落ちて肩にかかる。美和子はストレートの長い髪をしていた。

「美和子ちゃん、綺麗な髪の毛だね~風に舞うと、きっと綺麗だよ」変態だ。

「ねえ、どうやってこの山小屋に入ったの? ここは外から鍵がかかっていて、中に入れないはずなのに。あなた、やっぱり、あいつらの仲間なんでしょう!」

「入る? こんな隙間だらけの小屋、入って来るのなんて簡単さ」

「そうなの? 簡単に入って来れたのなら、出てゆくこともできる?」

「勿論さ」

「ねえ、じゃあ、私をこの小屋から外に連れ出してくれない?」

「美和子ちゃんを⁉ う~ん」木枯らし使いは首をひねると、「美和子ちゃんは大きいから、隙間から外に出ることは・・・ちょっと難しいかな」と言った。

「いやだ! 失礼しちゃう」美和子がふくれる。

 木枯らし使いは木の枝のように細い。自分が太り過ぎだと言われたような気がした。木枯らし使いは何故、美和子がふくれたのか分からない。

「僕の役目は木枯らしを吹かせることさ。それ以外、何もやっちゃあ、いけないんだ。ごめんね。美和子ちゃん」木枯らし使いはそう言って謝った。

 それを聞いて、美和子は思った。先程から、常識外れの突飛な考えが頭から離れなかった。思い切って聞いてみた。「ねえ、ねえ。あなた、ひょっとして人間じゃないの? 幽霊なの? 私は幽霊と話をしているのかしら」

 こうして話をしているのだ。人間でなければ、お化けだということになる。

「はは。僕は人間でも幽霊でもないよ。言っただろう。僕は木枯らし使いなんだって」

「もういい!」美和子の理解を超えた存在だということは分かった。


 木枯らし使いは、ひょいと座っていた箪笥から飛び降りた。重力に逆らうかのように、ふわふわと床に舞い降りた。そして、まるで風に流されるかのように漂いながら近寄ってきた。

 木枯らし使いは美和子の側に腰を下ろすと言った。「そうだ! 美和子ちゃん。美和子ちゃんは、北風と太陽の話を知っているかい?」

「イソップ童話ね。子供の頃に読んだ」

 石油ストーブの炎で、木枯らし使いの顔がはっきりと見えた。細い顔に鼻筋がすっと通っている。線のような顔だ。ボサボザの髪の毛がキノコの傘のようだが、優しそうに見えた。

 北風の太陽の話とは――どちらが偉いか、北風と太陽が口論する。そこで、通りかかった旅人を見て、どちらが先に旅人の着物を脱がせることができるか、力試しをすることになる。北風はびゅうびゅうと風を吹き付けるが、旅人は着物をしっかりと押さえて、吹き飛ばされないようにする。更に強く、風を吹き付けたが、着物を脱がすことはできなかった。今度は太陽が自分の番だと旅人を照らすと、旅人は暑くなって着物を脱ぎ始める。勝負は太陽の勝ちだった――という寓話だ。

 物事に対して、厳罰で臨むのではなく、寛容で臨むことにより、成果を引き出すことができるという教訓が描かれた童話だ。

「お日様使いと、あの勝負をしてから、僕はすっかり悪役さ。あの話が広まったせいで、みんな、僕のことを傲慢で愚かなやつだと思っている。美和子ちゃんだって、そうだろう? ああ~あんな勝負なんてしなければ良かった」

(正気で言っているのだろうか?)と美和子は思った。目の前にいるのが、太陽と勝負をした北風だと言うのだ。北風が木枯らし使い、太陽がお日様使いだということになる。

 萎れる木枯らし使いを見て、ちょっと可愛そうになった。

「そうね。でも、私、悪いのは太陽だと思う。だって、太陽は勝負を始める前から、自分が勝つことが分かっていたはずよ。あんな不公平な勝負を仕掛けるなんて、卑怯じゃない。北風は太陽に騙されたのよ」これは、子供の頃、北風と太陽の寓話を読んで、美和子が思ったことだ。

「そ、そうかい! そうだよね~やっぱり悪いのはお日様使いだよね。あいつ、本当に卑怯でズル賢いやつなんだ。ちょっとばかり頭が良いからって、何時も僕のことイジメるんだよ。えへへ。でも、今日は美和子ちゃんと話ができて良かった」

 木枯らし使いは満面の笑顔になった。

「ねえ、木枯らし使いさん」と美和子は微笑みを浮かべて言った。「私のこと、助けてくれない? もし、助けてくれたら、私、あなたの汚名をそそいで、名誉を回復してあげる」

「汚名? 名誉? 僕のこといいやつだって、みんなに教えてくれるの?」と木枯らし使いは興味を持った様子だった。

「勿論よ。私のパパは大金持ちなんだから、できないことなんてないのよ」

 美和子の父親は世界中に支店を展開するアパレル会社の社長だ。日本で一、二を争う富豪として知られている。最も、父親が桁外れの金持ちであるが故に、こうして美和子は危険な目に遭っていた。

「私ね。悪いやつらに誘拐されたの。誘拐って分かる」

「うん、うん」木枯らし使いが頷く。

「あいつら、私を誘拐して、パパから身代金をせしめるつもりなの。分かる。私、悪いやつに捕まっているの。パパは私のためだったら、幾らでも身代金を払ってくれるはずよ。でもね、私ね。見ちゃったのよ。あいつらの内、一人の男の顔を。顔を見られたからには、私を生かしておいては危険だ――って、あいつら、思うに決まっている。パパが身代金を払ったら、私はきっと殺されてしまう。ねえ、ここまでの話、分かった?」

 美和子が木枯らし使いの顔を覗き込む。美和子の言ったことを理解しているようだ。木枯らし使いは泣き出しそうな顔をしていた。

 何時ものように大学に迎えに来てくれた車が誘拐団に乗っ取られていた。大学の講義を終えた美和子が迎えの車に乗り込むと、後部座席に覆面をした男が潜んでいた。車に乗り込んできた美和子の脇腹にナイフを立てて、「声を上げると刺すぞ!」と脅した。

 何時もの顔なじみに運転手ではなかった。助手席にも男がいた。やはり覆面をしており、美和子を振り向くと、「お嬢さん。大人しくしていれば危害は加えない。あんたも無事に家に帰りたいだろう。ほんのちょっとの辛抱だ。大人しく付き合ってくれ」と凄んだ。

 美和子は猿轡を噛まされ、目隠しをされた。

 そして、この山小屋へ連れて来られた。

 後ろ手にロープで縛られ、床に座らせられると、猿轡と目隠しが外された。助手席に座っていた一味のボスらしき男が、「悪いが暫くここにいてくれ。寒いだろうからストーブを点けておいてやる」と言って、石油ストーブを点けると、頭から毛布を被せた。

 美和子は大学で車に乗り込んだ時、一瞬だが、バックミラー越しに運転手の顔を見ていた。流石に、覆面をして車を運転する訳には行かなかったからだろう。運転手だけは覆面をしていなかった。何時も美和子を送迎してくれる里崎さんではなかった。見知らぬ顔だった。

 バックミラー越しに目が合った。運転手は顔を見られたことが分かったはずだ。

「美和子ちゃんが死んじゃうなんて嫌だな。僕は何をしたらいいの? 木枯らしを吹かせる以外、僕には何もできないよ」

「大丈夫よ。考えましょう。きっとあなたに出来ることがあるはず。先ずは、このロープを何とかしてもらいたいの」

 美和子が体をゆすって、肩にかかった毛布を床に落とした。腕が背後に回され、両手首をロープで縛られていた。後ろ手に縛られたままでは、行動が不自由だ。

「じゃあね・・・」と美和子は背後を向けて、後ろ手に縛られたロープの結び目を見せた。「この結び目を解いて欲しいの」と頼むと、「ダメだよ。僕にできるのは木枯らしを吹かせることだけなんだ」と木枯らし使いが申し訳なさそうに言う。

(この役立たずめ!)と心の中で罵ったが、どうしようもない。美和子は考えた。そして、ひらめいた。

「木枯らし使いさん。あなた、風を自由に操ることが出来るのよね? どんなに小さな風だって、思いのままに操りことができるのよね?」

「簡単さ~」と木枯らし使いが胸を張る。

「じゃあね・・・」ともう一度、ローブの結び目を見せて、「この結び目をストーブの炎で焼き切ってもらいたいの。ねえ、木枯らし使いさん。ストーブの炎に結び目を近づけるから、小さな風を吹かせて、炎が丁度、ロープに当たるようにして頂戴。でも、それだけじゃあ、私がストーブの炎で火傷しちゃうかもしれない。私の手に冷たい風を吹かせて、熱くないように、ストーブの炎がこないようにしてもらいたいんだけど、できる?」

 かなり細かい注文だったが、「うん。できると思うよ」と木枯らし使いは頷くと、「美和子ちゃん、もうちょっとストーブに近づいて、大丈夫、大丈夫。熱くないようにするから」と言って、石油ストーブに顔を近づけた。

 美和子は座ったまま、ずりずりと後ろ手に縛られた両手をストーブに近づけた。「もうちょっと、もうちょっと・・・うん、そこで良いよ」と木枯らし使いが指示する。

 石油ストーブにひっつくほど両手を近づけたが、熱くない。心地よい温度と強さの風が美和子の両手を包んでいた。ストーブの熱を遮ってくれた。

 美和子は見えなかったが、石油ストーブの炎は蛇のように鎌首をもたげると弧を描きながら、結び目に接し、じりじりとロープを焼いた。風を操っているのだが、まるで炎自体を操っているかのようだった。

 焦げ臭い匂いがした。やがて、ロープが焼き切れた。

 両手が自由になった。美和子は「やった。ロープが解けた!」と歓声を上げた。両手が自由になった美和子は、嬉しさのあまり、隣にいた木枯らし使いに抱き着こうとした。

「あっ!」美和子は宙を掴んで、床の上にひっくり返った。

 そこにいたはずの木枯らし使いをすり抜けてしまったのだ。

「美和子ちゃん、大丈夫?」

 床の上にうつ伏せになった美和子に、木枯らし使いが上から声をかける。

「あなたねえ・・・大丈夫じゃないわよ! 嫌だ。床におでこぶつけちゃったじゃない。血が出てない? 後で、たんこぶになっちゃいそう。暫く外を出歩けない」美和子がうつ伏せのまま顔を横向けて、恨みの籠った目を向けた。

「血は出ていないみたいだよ~」木枯らし使いは呑気に言う。

(まあ、いい。どの道、ここを抜け出さないと、たんこぶの心配なんかしても仕方ないんだから)と美和子は気を取り直した。

「あなたって、本当に幻なのね」

 目の前に見えているけど実体がない。木枯らし使いは霞のような存在なのだ。

「だから、僕の姿が見えるなんて、美和子ちゃんの方が変なんだよ」

「そうね。変なのは私ね。さあて、これで、両手が自由になったから、次はここから逃げ出す方法を考えなくっちゃね」

 元気が出てきた。生きる希望が湧いてきた。「ねえ、ねえ。この小屋から外に出ることができそうな場所、ある?」と聞くと、木枯らし使いは「いっぱいあるよ。そこらかしこ隙間だらけだよ~」と答える。

「そうじゃなくて、私が通ることができそうな場所、ある?」と聞き直した。

「そうだね~」と考えてから、「天井裏の屋根の下に美和子ちゃんが通り抜けられそうな場所があるよ」と木枯らし使いは答えた。

「天井裏ね・・・」とても登ることができそうもない。「ねえ、他には?」

「そうだね~床の下に美和子ちゃんが通り抜けられそうな場所があるよ」

 床下なら床板を剥がすことができれば、山小屋から脱出できそうだ。

「そう。何かないかしら? 床板を剥がすことができるような・・・」

 美和子は小屋の中を歩き回った。ハンマーや鉄の棒なんかあれば、美和子の力でも床板を破壊することができそうだ。だが、誘拐犯もその辺は心得ている。警戒したのか、道具になりそうなものは、何も見当たらなかった。

 かろうじて、コーヒースプーンを一本、見つけた。誰かが床に落としたものだろう。無いよりましだ。美和子はコーヒースプーンを持って、床板が剥がせそうな場所を探して回った。

 部屋の隅に一カ所、虫に食われた箇所があった。ここから、少しずつ床板を壊して行けば、美和子が脱出できる大きさに広げることができるかもしれない。しゃがみこむと、美和子はコーヒースプーンで床板を削り始めた。

 木枯らし使いは美和子の背後に漂いながら、作業を見つめていた。

「ねえ、木枯らし使いさん。あなた、さっき、誰かと話をするのが久しぶりだって言ってたよね? 前に人と話をしたのって何時?」

「うん? ああ、本当に久しぶりなんだ。そうだね~前に人と話をしたのは、世界中で人が殺し合っている悲惨な時だった。おおきな飛行機が街に爆弾を落として行くんだ。毎日、大勢の人が死んだ。そんな時代さ」

「それって戦争のこと?」

「ああ、そうだね。戦争。そう、そう言っていたような気がする。ある日、電線に座っていると、僕の姿に気がついた少女が話しかけて来たんだ。彼女ね。悪い奴に追われていて、『後ろの家』っていう隠れ家に潜んでいた。お父さん、お母さん、お姉さん、それに悪い奴から逃げてきたよその家族と一緒に、八人でこっそり暮らしていたんだよ。だからね、あまり大声で話しちゃいけなかったんだ。彼女、前から僕の姿に気がついていたんだけど、話しかけられなかったんだって」

 美和子は床板を削りながら尋ねる。「へえ~それで、どうなったの?」

「結局、彼女とお話できたのは、その時、一度切りだったんだ。その内、彼女も家族も、みんないなくなってしまった。きっと、悪い奴に見つかったんだ」

「可哀そう。ねえ、その子の名前、憶えている?」

「うん。アンネっていっていた」

「アンネ⁉ それって、あなた、アンネ・フランクのことじゃない? 『アンネの日記』を書いた人じゃないの。私だって、それくらい知っているよ!」

「よく分からないよ。それで、そのアンネはどうなったの?」

 美和子が「ナチスに捕まって、収容所で死んだはずよ」と言うと、木枯らし使いは「そう・・・美和子みたいに、ちょっと気が強かったけど、良い子だったのにね」と残念そうに言った。

「あら、私って、そんなに気が強い?」

「御免ね~」

「ねえ、北風と太陽の話、誰に話したのよ? 誰かにしゃべったから、こうして世に広まったのでしょう」

「ロードピスという女性だよ~綺麗な人だったなあ~」

 美和子は知らなかったが、ロードピスはイソップ童話を書いたと言われている古代ギリシアの作家、アイソーポスの恋人の名前だ。

「あんた、女としか話せないの? 友だちいないの?」

「いるよ。風使いは僕を含めて四人、いるんだ。南風をあやつる『はえ使い』、東風を操る『こち使い』、西風を操る『神渡し使い』、そして僕。みんな仲良しだよ。雲使いの一人、『雨雲使い』とは大の仲良しだし」

「誰よ、それ?」と美和子が言った時、ガチャガチャとドアの向こうから音がした。

(やつらがやって来た!)

 誘拐団だ。父親と話がついたのだ。ひょっとしたら、身代金を奪うことに成功して、美和子を殺しにやって来たのかもしれない。

「ああ~ダメ。まだ早い・・・」

 まだ美和子が抜け出せるほど、床板は削れていない。絶体絶命だ。美和子は懸命に考えた。脳みそが沸騰しそうなくらいの速さで回転した。

「そうだ! 木枯らし使いさん。お願いよ。そこのドアが開いたら、小屋に入って来るやつらを吹き飛ばしてくれる? ねえ、できる?」

「お安いご用さ。美和子ちゃん、一緒に飛ばされないように、床に伏せていて!」

 木枯らし使いはドアの前に立つと、人差し指を立てて、くるくると回した。小屋の中の空気が物凄い勢いで回転し始めた。美和子は床に伏せた。体の上で空気が物凄い音を立てて、回っているのが分かった。

 ドアが開いた。

 その瞬間、小屋の中で回転していた空気が突風となってドアから噴き出して行った。部屋に入って来ようとしていた男たちは台風を超える強風に吹き飛ばされ、吹っ飛んで行った。

「木枯らし使いさん。ありがとう!」

 男たちが吹き飛ばされたのを見て、美和子は小屋から駆け出した。外に出る。風が強いし、真っ暗だった。だが、躊躇なんかしていられない。美和子は闇雲に駆け出した。

「美和子ちゃん、こっち、こっち」

 いつの間にか、木枯らし使いが美和子の前を走ってくれていた。木枯らし使いの後について走ると、びゅうびゅうと吹き荒んでいる風の影響を全く受けなかった。無風状態だ。

「娘が逃げたぞ!」

「捕まえろ!」

 背後から男たちの声がする。バタン、バタンと音がして、眩しい灯りが背後から照射してきた。男たちは車でやって来たのだ。

 このままでは直ぐに追いつかれてしまう。

「ああ~ダメ。あいつらは車、直ぐに追いつかれてしまう」美和子が叫ぶと、「任せておいて」と木枯らし使いが言う。

「美和子ちゃん、御免ね」と言うと、木枯らし使いは美和子の背中に回り込んだ。そして、背後から美和子を抱きかかえた――ように見えた。

 ふわりと美和子の体が浮いた。

「美和子ちゃん、行くよ~!」木枯らし使いが叫ぶと、美和子は風に乗って空を飛び始めた。ぐんぐん上昇し、森を超えて、川を越えて空を飛んで行った。

「いやあああ~‼」美和子が悲鳴を上げる。

 見る見る男たちの乗った車が小さくなっていった。


 美和子は町の警察署で保護され、家に戻った。

「もう、大丈夫。ここで降ろして。怖いのよ」と頼むと、「美和子ちゃん、今日は楽しかったよ~ありがとう~」と耳元で囁いてから、美和子を警察署の前に降ろすと、木枯らし使いは風になって飛んでいった。

 美和子が運転手の顔を覚えていたのが決め手になった。誘拐団の男たちは捕まり、父親が払った身代金も無事に戻った。

 美和子は一躍、有名人になった。

 美和子は木枯らし使いの物語を絵本にした。

 木枯らし使いとの約束だ。木枯らし使いとの冒険を世に知らしめ、彼の名誉を回復してあげなければならない。父親の金とコネを使い、積極的に絵本を売り出した。

 まずまずの売上だと聞く。

 だが、美和子は満足していない。もっともっと木枯らし使いの活躍を絵本にして世に出したい。その為に、木枯らし使いと、もっともっと冒険の旅に出たかった。

「何をしているの? 早く、私を連れ出しに来なさい!」

 美和子は今日も部屋の窓を開け、木枯らし使いがやってくるのを待っていた。


                                    了

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