キジムナーと丸いドーナツ
斑猫
彼女とキジムナーとドーナツ、そして俺の話
かれこれ彼女の月子とは半年ほど同棲生活をエンジョイしていたのだが、この度新しい住民が加わる事と相成った。そしてそれは、俺にも月子にも想定外の事だった。
新しい住民と言っても、別に俺たちの間に子供が出来たわけではない。犬猫小鳥と言ったペットを飼い始めたわけでもない。そもそも今の部屋はペット禁止だし。
新しい住民はキジムナーだった。キジムナーとはアレだ。沖縄に伝わる精霊の事で、本州で言う所の座敷童に近い存在らしい。ネットとかでは赤毛で赤ら顔の子供みたいな姿、とあったが、うちにいるキジムナーも、まぁ概ねそんな感じだった。
そして何故キジムナーが俺の家に出現したのか。沖縄在住だからではない。この前の休日に、鉢植えのガジュマルを購入したのが原因だろう。ガジュマルにはキジムナーが宿ると言うが、まさか本物を引き当てるとは。俺なのか月子なのかはさておき、とんでもないくじ運である。宝くじとか買っといた方が良かったのかな。
ともあれ第三の住民の出現に、俺たち(特に俺)が驚いたのは言うまでもない。その日は忙しかった。俺と月子はネットでキジムナーについて調べ、月子がキジムナーの名前を考えたり、俺がその名前にツッコミを入れたり、結局ああだこうだ言いつつも落ち着いたりしてその日は過ぎた。まぁ月子は順応しまくっている気もするが、それもご愛敬だ。
なお、キジムナーの生態については大体判明した。基本的には無害で人間に対しても友好的らしい。しかしタコが大嫌いで、タコを使った嫌がらせを行った場合、祟って生命を奪う事もあるという。ううむ恐ろしい。
この件に関しては、呑気な月子も困惑の色を見せていた。
「そっか。ハルちゃんもキジムナーだから、タコとか嫌いだよね。って事は陽介君。うちではもうタコパ出来ないね」
「…………」
真剣そうな様子の月子の言葉に、俺はどう返せばいいのかしばし悩んだ。まぁ確かに俺らは関西出身の関西在住だから、たこ焼きは時々食べる。作る用のたこ焼き器だって、二台あるし。ちなみに一台は俺の分で、もう一台は月子が持ってきた分だ。
それにしても、月子の懸念がそこであるとは。まぁ確かに、彼女は既に出現したキジムナーの存在を受け入れ始めているけれど。何だかんだ言いつつハルと名前を付けてるし、ハルが求めれば一緒に遊んだりしている。もはや年の離れた姉妹(ハルは赤毛に赤ら顔の、七歳くらいの女の子の姿だった。緑色の、葉っぱをモチーフにしたワンピースが可愛らしい)のようですらあった。
「べ、別に大丈夫だけど。よく考えたら、ここってやんばるじゃなくてオーサカだもんね」
おずおずとそう言ったのはキジムナーのハルだった。彼女の言葉に、俺と月子は思わず顔を見合わせた。人ならざる者と言えども、その姿は小学生くらいの子供である。そんな子に気を遣わせてしまった。その罪悪感が、俺たちの頭にのしかかってきたのだ。まぁ実を言うと、本当の小学生よりもやや大人びた物言いの気もするが。
「ハルちゃんって優しいのね。お姉ちゃん、この間たこ焼きの素を買っちゃったから、それをどうやって使おうかなって悩んでいた所だったのよ」
「まぁまぁ月子。たこ焼きの素を買ったからと言って、だからって必ずたこ焼きを作らなくても良いと思うぜ。中の具にウィンナーとかポールソーセージとかトウモロコシとかカマボコを使っても美味しいと思うんだけど」
まぁ。俺が言うと、月子はパッと目を輝かせた。
「ホントだ。それだったら、たこ焼きっぽいのも作れるし、ハルちゃんも嫌がらないわ! ありがとう陽介君。えへへ、私、陽介君のそう言う賢い所、本当に好き♡」
「いやぁ、月子ってば大げさなんだから……♡」
感極まった俺と月子は、テーブル越しである事を忘れて抱き合おうとしていた。何のかんの言いつつも、俺は月子の事がいとおしく思うし、月子もきっと同じ気持ちなのだ。
だが……俺たちは結局抱き合わなかった。テーブル越しというのもあるし、日中であるというのもあるにはある。だがそれ以上に、ハルが俺たちを見つめているという事が大きかった。
ハルはキジムナーで、見た目のわりに大人びた所もある。それでも、小学生くらいの子供の前で公然といちゃつくには抵抗があったのだ。俺にしても、月子にしても。
※
「陽介君。私、これからドーナツを作ってみるね。ホットケーキミックスも賞味期限切れちゃってるし」
「ドーナツ作るのって難しくない? 破裂とか大丈夫?」
「大丈夫よぉ」
ホットケーキミックスでドーナツを作る。月子がそう言ったのは、お盆休みの中日の事だった。熱中症患者続出待ったなしの猛暑に加え、いつ地震が来てもおかしくないとマスコミは報じている。そんな中で、俺たちは殆ど出掛けずにお盆休みを過ごす事になった。
退屈はしなかった。元よりインドア派の気質だったし、ラップトップがあれば娯楽と直結できる。何より月子が傍にいるし、今はキジムナーのハルもいる。キジムナーは本州の座敷童に似ていると言うが、それは確かにその通りだった。大人びているとはいえ、ハルも遊び好きだったのだから。ずっと昔に、一緒に従姉妹たちと遊んだ事などを思い出すほどだ。
さて、何故月子はドーナツを作り出すなどと言ったのか。賞味期限の切れたホットケーキミックスがあるからなのだが、恐らくはうどん屋が丸いドーナツのような物を販売するというコマーシャルを見たからだろう。うどん屋がドーナツを売るなんてけったいね。丸いやつだったら、家でも作れるじゃない。焼き魚をつつきながら、確かに月子はそう言ったのだ。
元より月子は料理やお菓子作りを楽しんで行う節があった。それこそ、ホットケーキ作りに凝っていた時などは、チーズやらきな粉やらを入れて色々と工夫していた物だし。
暑い最中に揚げ物を作るのは大変だろう。そう思いつつも、「油が跳ねるから危ないよ。陽介君もハルちゃんも待っててね」と言われているので、俺たちにはどうしようもない。
ふと見れば、ハルはずっと台所の方を向いていた。台所でドーナツを揚げる月子を眺め、何処か懐かしそうな表情を浮かべていたのだ。
※
「で、出来上がったわ……」
大皿を両手に抱えた月子は、しおらしい口調でテーブルに戻って来た。
大皿の上に乗っているのは、彼女が今しがた揚げたドーナツたちである。もちろん、穴のない丸いやつだ。こんがりと焦げ茶色に上がったそれらは、楕円型だったりやや平たいけれど。
「陽介君にハルちゃん。やっぱり真ん丸に仕上げるのは難しかったわ。でも暑いし……今の私ではこれで手一杯かも」
「良いやん良いやん。見た目よりも、味の方が一番なんだからさ」
俺はそう言うと、月子を一番涼しい場所へと誘導する。実を言えば、月子がドーナツを揚げ始めてから、ほんの少し冷房の温度を下げてもいたのだ。これは内緒の事だけど。
ドーナツを取り分けるのは俺の仕事だった。余分な油分を落とすために別の大皿に移し替え、それから三人の皿に分けていく。大小合わせてドーナツは十二個あった。おおらかな月子の、俺やハルに対する気遣いが見て取れた気がして、俺は心がほっこりしていた。夏だけど。
そして俺たちは、三人で月子の作ったドーナツを頬張る。キジムナーのハルも、特段暑がる様子もなくドーナツをかじっていた。
カリッとした外側をかじると、素朴な甘みとフワフワした触感が口の中に広がっていく。ただそれだけなのだが、それがとても美味しく感じられた。一人当たり四個だけ、というのも良いのかもしれない。あんまり食べると胸焼けするかもしれないからだ。ドーナツだし。
「どうかな二人とも。美味しい?」
早くも三つ目を平らげた月子が、箸(ドーナツに箸は奇妙かもしれないが、熱いから箸で食べていたのだ。何となればホットケーキだって箸で食べていた)を置いて問いかける。
美味しいよ。俺がそう言うよりも先に、ハルが目を輝かせて口を開いた。
「月子お姉ちゃん。とっても美味しかったよ。なんかさ、故郷のサーターアンダギーに似てたから……懐かしいなって思ったんだ」
「本当!」
月子の瞳が驚きと、喜びに大きく見開かれた。
俺もまたドーナツを食べる手を止めて、残ったドーナツを見やった。サーターアンダギーの事は知ってるし、食べた事もある。修学旅行の折に沖縄に行った事があるからだ。確かにあれも、丸っこい揚げ菓子だった気がする。これもドーナツだけど、似ていると言えば似ているじゃないか。
よくよく考えれば、ハル(とその本体のガジュマル)も、沖縄から遠く離れた関西の地に、たった一人でやって来たんだ。ここにきて、故郷を思い出すものを食べる事が出来たのは、良い事だったのかもしれない。
だが、しんみりしていたのは俺だけだった。女性陣は、というか月子とハルは、うきうきした様子で言葉を交わしていたのだから。
「ハルちゃん、このドーナツ、じゃなくてサーターアンダギーが気に入ったのね。毎日……はちょっとしんどいけれど、二日に一回くらいは作ろうかしら」
「やった! 嬉しい! 月子お姉ちゃん大好き!」
「ねぇねぇ陽介君。ハルちゃん、私の事大好きだって。本当に、素直な良い子だよね」
「いや、二日に一回だったら毎日とほとんど変わらんやろ。せめてゴーヤーチャンプルーくらいにしときなって」
「ゴーヤなんて近くのスーパーで見かけないけどなぁ……」
ボケとツッコミの応酬のごときやり取りを恋人や同居妖のキジムナー童女と繰り広げながら、お盆のお昼は過ぎていった。
余談であるが、結局月子がサーターアンダギーを連続して作ったのは、四回ほどで収まった。月子は真夏の揚げ物作りに音をあげなかったが、ハルの方がサーターアンダギーに飽きたからである。月子はちと残念そうだったが、俺は少しほっとしているのは内緒の話だ。
キジムナーと丸いドーナツ 斑猫 @hanmyou
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