第六章:過去との対峙
薄暗い路地裏、葵唯(あおい)の足が突然止まった。彼女の前に立つ人影に、息を呑む。
月明かりに照らされたその顔は、紛れもなく紹子(しょうこ)だった。かつての恋人。蘭丸の妹。
「久しぶり」
紹子の声は、かつてのように優しくはなかった。むしろ淡々としていて、それが葵唯の胸を更に痛めた。
葵唯は、自分の姿を意識せずにはいられなかった。かつては輝かしい未来を約束された女性格闘家だった彼女は、今や薄汚れたジーンズにくたびれたTシャツ姿。髪は手入れを怠り、顔には疲労の色が濃い。一方の紹子は、相変わらず優雅だった。
紹子の姿は、まるでファッション誌から抜け出してきたモデルのよう。長い黒髪は完璧なストレートに整えられ、深紅のワンピースが月明かりに映える。その生地は、パリの高級ブランドの最新作だとひと目で分かった。首元には、ダイヤモンドのペンダントが輝いている。
葵唯の脳裏に、過去の記憶が蘇る。二人で過ごした幸せな日々。笑い合った時間。そして、突然訪れた別れ。
「なぜ、あの時……」
葵唯の声が震える。紹子は沈黙を守ったまま、ただ葵唯を見つめる。その瞳には、かつての愛情の面影はなく、ただ冷たい光だけが宿っていた。
二人の間に流れる沈黙が、全てを物語っていた。言葉にできない感情が、空気を重くする。
葵唯は、紹子の完璧な姿を前に、自分の惨めさを痛感した。かつては互角だった二人。今や、その差は歴然としていた。
紹子の右手に、葵唯は見覚えのあるタトゥーを見つける。それは、二人の関係が終わる直前に入れたものだった。「永遠の愛」を意味する模様。今や、それは皮肉にしか見えない。
葵唯は、自分の左手首を無意識に撫でる。そこには、紹子と対になるタトゥーがあるはずだった。しかし今、その場所には薬物中毒の痕跡だけが残っていた。
突如、遠くで銃声が響く。
現実が、再び二人を引き裂こうとしていた。
紹子の表情が、一瞬だけ緊張する。それを見逃さなかった葵唯は、はっとした。紹子もまた、この状況に巻き込まれているのだと気づいたのだ。
「あなたも……」
葵唯の言葉を遮るように、紹子が口を開く。
「もう戻れないわ、私たち」
その言葉に、葵唯の心が締め付けられる。しかし同時に、新たな決意が芽生え始めていた。
紹子が、ゆっくりと葵唯に背を向ける。その姿は、まるで過去との決別を象徴しているかのようだった。
葵唯は、決断を迫られていた。過去に縛られたままでいるのか、それとも新たな未来に向かって歩み出すのか。
東京の喧噪が遠のいた路地裏。月明かりだけが、二人の女性の姿を淡く照らしていた。
遠くで、再び銃声が響く。その鋭い音が、夜の静寂を引き裂く。
葵唯の体が、その音に反応して強張る。その瞬間、彼女の脳裏に過去の記憶が走馬灯のように駆け巡る。栄光の日々、挫折、そして今。その全てが、この瞬間に収束していくかのようだった。
その銃声が、葵唯の心に火をつけた。長い間眠っていた何かが、今、目覚めようとしていた。
「待って!」
葵唯の声が、夜の空気を震わせる。その声には、かつての彼女を思わせる力強さがあった。
紹子の足が止まる。その背中が、月明かりに浮かび上がる。時が止まったかのような静寂が、二人を包み込む。
ゆっくりと、紹子が振り返る。月の光が、彼女の横顔を輝かせる。その美しさに、葵唯は一瞬、息を呑む。
二人の影が重なる。そこには、過去と未来が交錯する瞬間があった。かつての恋人同士。そして今は、敵か味方か、それすらも定かではない関係。
葵唯の目に、久しぶりの決意の色が宿る。それは、かつて格闘家として輝いていた頃の彼女を思わせる輝きだった。その瞳には、迷いや恐れはなく、ただ真実を求める強い意志だけが宿っていた。
「全てを、話して」
葵唯の言葉は、命令というよりも切実な願いのようだった。その声には、これまでの全ての苦しみと、そしてこれからの希望が込められていた。
紹子が、ゆっくりと振り返る。月明かりに照らされた彼女の表情には、複雑な感情が交錯していた。冷たさの中に、かすかな温もりが見え隠れする。
葵唯は、紹子の瞳に小さな希望の光を見出した。それは、かつて二人が共有していた何かを思い出させるものだった。
東京の夜空に、新たな星が瞬き始める。その光は、二人の姿を優しく包み込んでいた。
葵唯と紹子の前に、誰も予期しなかった未来が開かれようとしていた。それが希望に満ちたものなのか、それとも新たな試練の始まりなのか。その答えは、まだ誰にもわからない。
しかし、この瞬間、二人の間に流れる沈黙の中に、新たな物語の幕開けを予感させるものがあった。
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