第七章:最後の仕事

 高層ビルの一室、大きな窓から東京の夜景が広がる。その光景を背に、椿樹(つばき)と杏奈(きょうな)が向かい合って座っていた。二人の間には、重苦しい沈黙が漂っている。


 椿樹の長い黒髪は、夜の闇に溶け込むように艶やかだ。彼女が身に纏うのは、深紅のボディコンドレス。その生地には、最新の防弾素材が使われている。足元は、12センチヒールのスティレット。そのヒールの先端には、緊急時に使用できる細い刃が仕込まれていた。


 対照的に、杏奈のショートヘアは月明かりに銀色に輝いていた。彼女はタイトなレザーパンツに、シースルーのブラウスを合わせている。その下に覗くブラは、高級ランジェリーブランドの最新作。しかし、そのレースの中には、微弱な電流を流せる特殊な装置が組み込まれていた。


 椿樹の細い指が、コーヒーカップを軽くトントンと叩く。その音が、静寂を破る。


「あり得ない」椿樹が、低い声で呟く。「あの時、確実に仕留めたはずよ」


 杏奈は、じっと椿樹の表情を観察していた。通常は無表情な彼女の顔に、珍しく困惑の色が浮かんでいる。


「ええ、私も見たわ。橘川の胸に弾が命中したのを」杏奈が言葉を続ける。「でも、あのクラブで見かけたのは間違いなく彼よ」


 椿樹は立ち上がり、窓際へ歩み寄る。その姿が、ガラスに映り込む。


「何か見落としているのかしら」椿樹が呟く。「あの時の違和感...何だったのかしら」


 杏奈も立ち上がり、椿樹の隣に立つ。二人の姿が、夜景を背景に浮かび上がる。


「考えられる可能性は二つね」杏奈が冷静に分析する。「一つは、我々が騙されていた。もう一つは……」


「これも蘭丸の計画の一部だった」椿樹が言葉を継ぐ。


 二人は無言で顔を見合わせる。その目には、長年の信頼関係と、新たな疑念が交錯していた。


 突如、椿樹のスマートフォンが鳴る。画面には、蘭丸からのメッセージ。二人は、息を呑む。


「来たわね」杏奈が、小さく呟く。


 椿樹は、ゆっくりとテーブルに戻る。そこには、蘭丸から届いた最後の仕事の詳細が書かれた封筒が置かれている。


「あのクソ女にはむかつくけど……とにかく、これが終われば、自由になれるわ」


 杏奈の声には、期待と不安が混ざっていた。椿樹は無言で頷く。その瞳には、決意の色が宿っていた。


 椿樹が、ゆっくりと封筒を開く。中から取り出した紙に目を通した瞬間、彼女の表情が曇った。


「どうしたの?」


 杏奈の問いかけに、椿樹は無言で紙を渡す。


 杏奈の目が、紙に書かれた内容を追う。そして、彼女の表情も曇り始めた。


「これは……」


 標的は、これまで関わってきた全ての人物だった。蒼鷹、萌葱、葵唯、そして橘川誠一。


「全員を始末しろ」


 蘭丸の命令が、二人の耳に鳴り響く。


「杏奈……」


 椿樹の声が、かすかに震える。


「これは……本当に正しいことなのか」


 杏奈は黙ったまま、窓の外を見つめる。その瞳に、東京の夜景が映り込んでいた。


「蒼鷹、萌葱……」


 杏奈が静かに言葉を紡ぐ。


「彼女たちとはかつて共に戦ってきたこともある……」


 椿樹は立ち上がり、ゆっくりと部屋を歩き回り始める。その足取りには、普段の優雅さが欠けていた。


「そして葵唯……」椿樹が呟く。「彼女との過去も、全て消し去ることになるのね」


 杏奈は椿樹の方を振り向く。その目には、複雑な感情が交錯していた。


 椿樹は窓際に佇み、自分の姿をガラスに映し出す。その瞳には、迷いと決意が入り混じっていた。


「自由……」椿樹が小さく呟く。「でも、この代償は大きすぎる」


 杏奈は椿樹の背後に立ち、その肩に手を置く。二人の姿が、窓ガラスに映り込む。


「私たちの手は、既に多くの血で染まっている」杏奈が静かに言う。「でも、これは違う。これは……」


「殺人じゃない」椿樹が言葉を継ぐ。「これは抹殺だ。私たちの過去も、現在も、そして未来までも」


 二人は無言で見つめ合う。その目には、長年の信頼関係と、新たな決意が宿っていた。


「杏奈」椿樹が静かに言う。「私たちには、選択する権利があるはず」


 杏奈はゆっくりと頷く。「ええ、そうね。私たちの人生は、私たち自身のものだから」


 東京の夜景を背に、二人の影が重なる。そこには、これまでの全てを賭けた、新たな決断の瞬間が訪れようとしていた。



 杏奈の言葉に、椿樹は無言で頷く。


 愛か、義務か。自由か、忠誠か。選択の時が迫っていた。


 椿樹は、ドレスの裾をたくし上げ、太腿に巻かれたホルスターから銃を取り出す。その動作には、長年の経験から来る無駄のなさがあった。


 杏奈も、ブラウスの下に隠されたナイフを手に取る。


 二人は、再び見つめ合う。そこには、決意と迷いが入り混じっていた。


「行くわよ」


 椿樹の言葉に、杏奈は無言で頷く。


 二人は、部屋を出る。その足取りには、これまでにない重さがあった。


 エレベーターに乗り込む二人。鏡に映る自分たちの姿を見つめる。そこには、プロの殺し屋としての冷酷さと、人間としての葛藤が同居していた。


 エレベーターのドアが開く。そこには、東京の夜が広がっていた。


 椿樹と杏奈は、その夜の闇に飛び込んでいく。彼女たちの選択が、全ての運命を決めることになるのだ。


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