第三章:運命の一夜

 新宿の裏路地は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。蒼鷹(そうよう)と萌葱(もえぎ)は、息を潜めて歩を進める。二人の間には、蘭丸から託された美術品が、重々しい存在感を放っていた。


 蒼鷹は、黒のタートルネックに身を包み、その上からレザージャケットを羽織っていた。足元は、動きやすさを重視したブーツ。しかし、その素材は最高級のイタリアンレザー。実用性と美しさを兼ね備えたその姿は、まさにプロフェッショナルそのものだった。


 一方の萌葱は、鮮やかな緑のショートヘアが印象的だ。彼女が身につけているのは、ボディラインを強調するタイトなジャンプスーツ。その生地には、最新の防弾素材が使われている。首元には、高級ブランドのチョーカー。しかし、それは単なるアクセサリーではなく、緊急時に使用できる特殊通信機器だった。


 二人の動きには無駄がなかった。長年の経験が、彼女たちの体に染み付いている。


 蒼鷹が、わずかに顔を萌葱に向けた。


「気をつけて。この辺りは……」


 その言葉が途切れたのと同時に、突如として背後から銃声が響き渡った。


「っ!」


 二人は反射的に身を隠す。蒼鷹は瞬時に近くの路地に身を投げ込み、萌葱は古びたドアの影に身を潜めた。


 萌葱の唇が、かすかに動く。


「誰?」


 蒼鷹は、無言で首を振った。状況を把握しようと、慎重に周囲を窺う。その瞳には、鋭い光が宿っていた。


 暗闇の中、二人の手が偶然に触れ合う。その瞬間、何かが火花のように散った。緊張と興奮が入り混じる空気の中で、萌葱の呼吸が少し乱れる。


 萌葱は、ゆっくりと顔を蒼鷹に向けた。月明かりに照らされた彼女の瞳には、これまで見たことのない色が宿っていた。


 突如、萌葱が蒼鷹に唇を寄せる。


 蒼鷹は、一瞬戸惑いの色を見せた。しかし、次の瞬間には、その口づけを受け入れていた。


 銃撃の合間を縫うように、二人の唇が重なる。それは、長年の信頼関係が、別の形の愛情へと変化する瞬間だった。


 キスの後、二人は無言で見つめ合う。そこには、これまでにない感情が溢れていた。


 しかし、その甘美な瞬間は長くは続かなかった。


「こっちだ!」


 荒々しい男の声が、闇を切り裂く。その瞬間、路地裏に潜んでいた蒼鷹と萌葱の周囲で、一斉に銃声が炸裂する。弾丸が壁を削り、火花が散る。


 二人は一瞬で現実に引き戻された。視線が交錯し、無言の了解が交わされる。次の瞬間、二人は完全に別の人間に変貌したかのように、冷徹な表情で素早く身を翻す。


 蒼鷹のジャケットが風を切る音と共に、彼女の手が内ポケットに伸びる。まるでスローモーションのように、小型の銃が姿を現す。その動作には無駄がなく、まるで呼吸をするかのように自然だった。銃を構えた蒼鷹の瞳に、鋭い光が宿る。


 同時に萌葱は、首元のチョーカーに仕込まれたボタンを押す。彼女の耳元で小さなビープ音が鳴り、緊急信号が送信される。その音と共に、萌葱の表情が一変する。優雅な佇まいは消え、代わりに冷酷な殺気が漂い始める。


「三時の方向!」


 蒼鷹の鋭い声が夜空を切り裂く。その声に反応し、萌葱が猫のように素早く身を翻す。彼女の手には、まるで魔法のように小さなナイフが出現していた。その刃が、月明かりに不吉な輝きを放つ。


 突如、銃声が再び響き渡る。弾丸が二人の間を通り抜け、背後の壁に穴を開ける。しかし蒼鷹と萌葱は、まるでその銃弾を予測していたかのように、完璧なタイミングで身をかわす。


 二人は息を合わせるように動く。蒼鷹が銃を構えて掩護射撃を行う中、萌葱は低く身を屈めて敵の死角に回り込む。その動きは、まるで長年の共演で培われた、完璧な振り付けのダンスのようだ。


 蒼鷹の放つ銃弾が、敵の一人の肩を捉える。悲鳴が上がる中、萌葱のナイフが闇を切り裂き、もう一人の敵の喉元に迫る。


 路地裏は、銃声と悲鳴、そして二人の息遣いだけが響く戦場と化していた。蒼鷹と萌葱の動きは、まるで一つの生き物のように調和している。それは、死の舞踏とも呼べる美しくも危険な光景だった。


 しかし、その影で、真の脅威が忍び寄っていた。


 二人が気づかないところで、黒い影が静かに動いている。それは、蘭丸の命を受けた別の刺客たちだった。


 蒼鷹と萌葱の新たな関係。そして、彼女たちを取り巻く予期せぬ危険。この夜、全ての運命が交錯し始めていた。


 東京の夜空に、不吉な雲が広がり始める。そして、遠くで雷鳴が轟いた。

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