第七話

    十七


 その時 感じた風は生暖かく、不快に纏わり付いてくるように想えた。それがなにかを予感していると考えたのは、かれこれ十日近く、音沙汰がなかったからである。離れた場所に居るふたりが、想いを通わせたのは、同じ想像ゆめを共有したからだった。

 メールでその事実を知り、こうは

「南無阿弥陀仏」と、無意識に念じていた。目の前に現れた装置からマイが飛び出してきて、

「人間は、我慢のご褒美を欲しがることが多いけど、こちらの都合はお構い無しなんだね?」

 こうは、申し訳ない? といわんばかりに両手を擦り併せ拝み倒していた。

 マイは、こうのそんな姿に親しみを抱いた。マイの表情が和らいだことを確認してから

「子供の頃の思い出したくない記憶が甦る理由を教えて欲しいんだけど、ダメかな?」と、訊ねた。

「遺伝子に刻まれた記憶のことなら、彼の涅槃ねはん(束縛から脱した円満の境地)かも知れないから、呼び出そうか?」

「答を見つけないと先に進めないから、お願いするわ」

 マイは、こうの切望に応えるために手招きして、装置の中に招き入れ、嗚咽に任せて、心の虫であるうさぎを吐き出した。

 こうは、うさぎが実体に変化するのを待ち

「夢の中に顕れる古代樹が、逆転の思想を求め、迫って来るんだけれど、無視してもしつこいくらい顕れるのは、曰くが呪縛となったのかしら?」と、訊いてきた。

 うさぎは瞳を閉じて、右手で鼻を摘み、右腕の肘を左手で支えるポーズを取り、息を止めて考え始めた。1/2分の間を取り、瞳を見開いた。異彩を放つ魅眼は、この世のものとも想えず、さしずめブラックホールを連想させた。それが神の眼の異名を指すことに、こうは気付かされていた。

「様々な曰くの誤解が、世界樹の根に引き寄せられたようですね」

「福山氏と連結するのは、何故なの」

「四方八方に伸びて枝を支えるのが根ですから、根張りが絡み、ふたりの想い出を絡めた可能性があります」と、うさぎは云い、再び瞳を閉じた。

 こうは、理由の解らない安堵感に襲われ、立ち眩みを起こし、倒れ込んで終った。

「どうしたの、こう?」

 マイは、ひれ伏したこうを心配して、近付いた。うさぎは、マイの声で瞳を開いてから近づき、こうを抱き抱えて、呼吸を保つために仰向けにした。気道を確保するために、こうの頸を支えていた腕の変わりに、マイを枕にして押し入れて、両手をフリーにした。そして、フリーになった両手を拡げた。両手から出されたものは高周波であリ、狭い装置の中に高周波を充満させ、低周波を身体から出れないようにしたのであった。量子が造り出した空間に、悪意が居場所を無くしたのは、疑似無重力空間が造り出した結界となっていたのである。

 両手を胸前で併せ、両人差し指を立て

「仏・陀・弥・阿・無・南」と、三回唱えてから、両手を上下に開き

「怪・奇・斬・真」と唱え、掌を併すことで、見えない糸を絶ち切った。

 うさぎの瞳からほとばしる異光が、暗黒を引き連れるように取り出すと、こうの血の気の引いた表情に朱味あかりが戻ってゆくのが視て取れた。

 しばらくして、こうがゆっくりと瞳を開けた。

「お帰りなさい? こうさん」

 マイが、詫びるように、言葉を投げ掛けた。

「私はまた、死んだの?」

雷門かみなりに撃たれた際に、怨念の欠片が、空間だった心の隙間に憑依したようです」

「ならば、福山氏も同じ夢に苛まれているから、助けてあげて」

「彼に悪意があったとしても、その心配はいらないわよ」

「どうしてよ?」

「彼はまだ、死の境界線を体験していませんからね」

「どういうこと?」

「勾玉は、自ら分裂できないのよ。貴女は、女神様から授かったけれども、彼は、赤瞳から授かっているわ。その違いは、監督するものが、責任を取る必要がある? かの違いなのよ」

「うさぎ氏に責任がないと云うの?」

「端的に云うと、地獄経由で授かる勾玉と、宇宙の中心で授かる勾玉は同じものでも、抗力となる重さが違うのよ」

「その違いは、堕ちて授かるものと、昇天して授かるものの重さに違いがあることを差します」

「重さ? それは、ニュートンさんに所縁ゆかりがあるのかしら?」

「すれ違い? と云うと、理解しやすいかも知れないね」

「どういうことよ?」

赤瞳わたしの幼少期に、フォークソングが流行りました。想いを託した理由は、学生運動が盛んだったので、鎮圧を受けたからです」

「わたしとの繋がりは? なんなの」

「音楽に魅入られる理由? なんじゃないかな」

「多分ですが、鎮圧時の犠牲者を供養するために、フォークソングが造られ、同じ時間を過ごした記憶に追悼したのでは、ないですかね」

「英国では、ビートルズというバンドが若者の自由な思想を吐き出しているわ。あたしは猫だけど、飼い主が聴く曲に馴染みがついたわよ。こうや福山氏なら、解るんじゃないかな?」

「馴染みじゃない? と想うけれど、商店街で聴いた覚えがあるわよ」

「5番街のマリーと、ジョニィへの伝言という唄がすれ違いと気付かせている? と云った人がいました」

「その方は、どこで聴いたのかしら?」

「酒を飲むパブで、カラオケを唄ったときです。記憶を失くすための酒と想いがちですが、感涙作用を引き出すものが、酒と云うのが、神々の想いかも知れませんね」

 その時、こうの勾玉が、月光のように輝き始めた。

「命の重さを、お酒の席のツマミにしちゃったようね」

「もう、大丈夫だね? 機転が生まれるのは、貴女の脳に後遺症は見受けられないことだからね」

「私を試したの?」

「勾玉が、こうさんの想いを判定するために、わざと空間を造り出したのか、という疑問が生じましたが、苦い想い出だったと確認できました」

「そんなことをする必要があるの? かしら」

「発色の制限を確認するためです」

「それって、重要なことなのよ。現世では価値のないものにしているけれども、魂となった時に、連なることを許されるんだからね」

「だとしても、その重要性は、なにを示しているのよ」

「御釈迦様と偽る僧侶が居るのは解るわよね」

「なりすまし? ちょっと違う気もするけれど」

「すれ違った時に閃くものの多くが、悪意である人間の魂が、軽い気持ちだったとしても、僧侶になれる現世では、監督神だけでなく、同じ魂までも騙しているのよ」

「性根が同じとしても、隠された悪意が問題を起こすことが多いのは、この世もあの世も同じなんだろう? とは想うけれども、見分けるために、勾玉が存在すると云うのね」

「正解です。そして、徳を積むことで数を増やし、発色で手に取らずして、重さを知ることができますからね」

「だから彼は、爪弾きにあっても、平然として要られるのよ」

「それでも、赤瞳わたしの神の眼をみたは、神々を除けば、こうさんがはじめてなんですよ」

「それほど切羽詰まっていた? と云うのかしら」

「現代と一緒で、隠れることに長けたがいますから、赤瞳わたしの落ち度を詫びるには、判断よりも先に救いだす必要がありましたからね」

「まぁ良いわ? 終わり良ければすべて良しなんて云うくらいだから、大目に視て措くわよ」

「ありがとうございます」と、うさぎは詫びてから、マイの体内に戻っていった。



    十八



「ついでだから、寄って往かない?」

 こうの淋しげな瞳に迫られ、マイは了解していた。

 なん度か来ていたことで、配置を知っていたが、模様替えしたらしく、マイは違和感を抱いた。表情の解らない猫であっても、固まる(フリーズした)ことで、気付かれていた。

「何かあったら洒落にならないから、風水を参考に、気分転換を図ったのよ」

「だとしたら、今回は転換がもたらしたのかも知れないね」

「私の身の回りに、悪が存在したとするならば、必然的なんだろうけれども、どこかで精算して措かないと、泥沼化の恐れがあるはずだから、結果として良しとなるでしょう」

「もしかして、諸行無常の響きあり? とでも云いたいのかしら」

「終わり良ければすべて良し? 仏門を語るだけにして措かず、悪しきことは改める。それが私のモットーだからね」

「実が堕ちるのは熟してからよ。熟す前に取れば盗難になるし、曰くになると厄介だから、一考に出来れば最良なんだけれども」

「ひとりなら、用心が最重要なんだろうけれども、今はマイも居るし、ふたりの従者がボディーガードになり傍に居てくれるから、怖いものが減ったからね」

「なら良いけれども、浮わついた気持ちならば、そのつけは、ねずみ算式に増えることを、肝に銘じて於いてよね」

「解った。ご忠告、ありがとうね」

 こうのしたたかな笑顔は、あざとらしく映っていた。

「折角登場したんだから、私の愚痴を聴いて貰えないかな?」

 マイは、虫に金縛りを受け

「折角と想うなら、散歩序でに、柵を確認しに往かない?」と、発言した。

「それならば、様子伺いを兼ねて、福山氏を誘ってみるわね」

 こうは云うと、すぐさまスマホを取り、福山氏と連絡をとった。返信は瞬く間に来て

「エレベーター前で待って居るって」と、云った。

 マイは金縛りのまま、うさぎが呪文を発し、装置が現れると、勇んで乗り込んだ。確認すると出入口は閉まり、空気の歪みの渦巻きの中に消えていった。



    十九


 ボタンを押してないエレベーターが開いたことを知る者は、時間と空気だけだった。

 福山氏の眼は『遅い!』と云いたい様子だったが、

「ご苦労。今宵はどちらまで遠征するのでしょうか、お姫様」と、冗談混じりに道化おどけて魅せた。

 うさぎはマイの金縛りは解いていたが、口を借り

「希望と挫折の狭間を見学に行こうかしら?」

「学生街の喫茶店にでも連れて行きたいのかな」

「帝国大学が、革命の戦士を招集したのは、組織の堕落を見直すためだったみたいだからね」

「どういうことよ?」

「自衛隊にしても、警察にしても、全国の学生と対峙したときに、数の定義は打ち砕かれたのよ」

「今の平和は、多くの学生の犠牲のもとにある? とでも、云いたいようだな。爆発の根本はなんなのだ」

「神々は怨念と視ていませんが、野口英世氏の死は、嵌められた節があります」

「嵌められたの?」

「北里柴三郎氏の栄誉のために伏せられていますが、師匠を超える実績を得て終ったことで、同じ分野の教授等に妬まれていたことを隠したから、大志という希望を抱く若者たちを震い立たせました」

「だとしても、文科系だけでなく、体育会系が参加した理由は、なんなの?」

「戦争を捨てた国が残した呪縛は、立ち位置の維持があからさまでした。昭和の精神論は知っているとは想いますが、情の通わない罰則を、勝ち組からの強制だったと、言い訳で塗り固めています。その愚かさが、見えないものを見えるようにしましたからね」

「見えないものは、どこまで行っても見えないんじゃないの?」

「物理的に無理? だとか、物理的にあり得ない? と云う言葉を聴いたことはないかな」

「確かに、聴いたこともあるし、石油製品が犇めく昨今では、死語となったようだな」

「もしかして、権威ある学者さんや、教授たちが、その都市伝説の発祥だったと云うの?」

「国営会社から立ち上がったのが株式会社の発祥だから、戦後の多くの会社は、有限会社だった」

「商店が増え、商店街になったことで解るように、その商店に品物を運ぶ会社と品物を集める会社を、国が造ったから、五百を超える会社を建てたのが経済の父って、マスコミが云ってたわね」

「岩崎弥太郎氏の三菱系列や、二股ソケットの松下幸之助氏は、実費で造っていますが、経済の父は、国民の税金で造り、利益だけを着服しています。格差の発祥とするならば、その矛盾を口にして当たり前です。それが知恵ならば、諦めもつきますが、慰問団として、欧米で視て持ち帰ったものなら、国民すべての財産とするべきですからね」

「良いとこ取り? ということが、れたとなるな。その結果、市民を守るはずの警察が、学生たちの押さえ込みに加担した、と云うのだな」

「あまつさえは、非社会的勢力と繋がりのある者を助っ人にしています」

「そんな過去があったなんて、耳を疑うしかできないわね」

「されたから、仕返しする? 何処かで聴いたことはないですか」

「神々様か!」

「悪意が悪を呼んだ結果、云わずもがな解ると想いますが、学識が地獄に堕ちたのです」

「欲が膨らみ過ぎると、悪に堕ちるとなるのだな」

「敗戦がもたらしたのは、小賢しい言い訳と、隠された悪意です。勿論、良心を持ち得る方も居ますが、呵責で解るように、ガキ大将の域をでない悪さは、昔も今も変わりがありません」

「なぜ今頃、そんな話しを持ち出したのだ」

「戦争の慰霊碑を、海外が受け入れないとしても、犠牲のもとに今が存在すると、心に納めて措かなければ、身内を無くした遺族の気持ちを解るはずがありません。当たり前にして良いことと、ダメなことがあるとしても、忌まわしい過去を忘れ、繰り返すのが、人間ですからね」

「知らないから、繰り返される? と云いたいのだな。だからと言って、戦争を知らない子供たちに、強制する理由にはならんはずだが」

「だから肝に銘じて、想像の役にするならば、誰もがそれを悪とは云わないわよね」

「遺すということは、知らない子供たちの心を蹂躙しても良い? とはならん。共感して貰うくらいしかできないだろうな」

「それを模索するのが大人の役割なんじゃないかな?」

「GHQが期待したのが、そういう思想だったはずですが、知恵者たちや猛者を失くした日本は、箍をはずしたばかりか、自由を唱える解放感から、規則の重要性を忘れました。その結果、傲慢と云うしかない悪い言葉を受け入れるしかなく、法律となっても、虐めと云うパワハラがなくなりません」

「幼い命の重さを知らない大人たちは、学生運動を見聞きする者が減ったことで、躍り出ています。ちゃんと継承しなかった事実は、置き去りにされていることにも、気付かないのが、現実としてのし掛かって終いました」

 うさぎは云うと、結界の住民が知り得る事実を教えるために、装置の壁に、外を写し出した。

 視たことの無いその過去は、ふたりの心に、正義のあり方を教え、蹂躙される痛々しさを知った。そういう踏み台が、戦争中の外国の地に起こっていることを理解した振りをしなければ、報道はなりたたないが、せめてコメントだけでも、犠牲者の魂を讃えるために、祈りを捧げて欲しいものである。それが、神の国に居る者の誇りとなれば、間違いもスムーズに訂正されるはずだった。

 自身の考えを正当化することが悪ではなく、犠牲に生ってしまった事実に向き合い、同じ過ちを繰り返さないことに勤めれば、カスハラも繰り返さないはずだし、警察官にしても、対するのが人間と想い定めることができたなら、懲戒免職になることはないのだ。

 昨今世間を騒がしている、兵庫県問題にしても、決定権を持っているが、市民のひとりということを承知していれば、問題にならないはずだし、死をもって抗議する、と云う遺書を重く受け止めれば、見苦しい姿を晒さなくてすんだはずだ。少し前になるが、鈍感力という文庫が流行ったが、それを関連性とするならば、効果の因果関係も否めなくなる。しかし、無関係と主張するのが出版界だが、編集者の傲慢が、自殺に追い込むケースと結び付くと考えられたなら、命を護ることに繋がるとなり、命を無駄にすることも、なくなるのだ。それが道徳であり、永遠の栄誉と考えられることを、願って止まなかった。

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