第41話 外区北側アジト

    ~犯罪組織のボスの場合~


 教会暦805年6の月10日の晩のこと。オーデン伯領の衛星都市ズットニテルの外区北側にある事務所兼屋敷の執務室では、ここの女主人であるエラベル・カモネがイライラしながら部下からの報告を待っていた。


 この日は公国西部から、トクシマティ商会が猪車を12台も引いて、商用街道上のこの都市ズットニテルに到着する予定日であったのである。何の問題も無ければ、今日の昼には到着しているはずなのだ。


 往復には2ヶ月を要する旅程であるから、何かあった可能性や、小さな予定外のことが重なって、それらにより数日のズレが発生することも考えられる。

 しかし、彼らを出迎える為の壁外宿泊施設から連絡が一切いっさい無いのは、何をどう考えてもおかしな話だった。責任者にしている男は、そこら辺の破落戸ごろつきより多少はマシで、簡単にられる様な男でもないのだ。


「ちょいと、誰も連絡を寄越よこさないのかい? サメトルは? バンジージョでもかまわないんだよ。あいつらには、アタシからいつも連絡を寄越よこせって言ってんだ」 


 近くに居る部下に対し、ハスキーなアルトボイスでそうたずねるエラベルは、実のところ不安も感じていた。


 彼女の部下達は不信心者の集まりであるから、当然ながら強力な能力スキルなどはもちろん持っていない。

 この街には、衛兵や探索者、教会騎士、内区の軍施設に居るオーデン伯の騎士など、彼女達にとって恐ろしい相手が大勢いるのだ。


 滅びの神などもこの世にはいるのだが、これらの神は犯罪者も一律いちりつに滅ぼしたい為に、何も与えてくれないという徹底した存在であるのだ。むしろ奪いに来る方が普通であるため、祈るなどの行為は禁忌きんきの扱いになっていた。


あねさん。あいつらからは、まだ何も言ってきやせん。多分忘れてんじゃねえですかい? セトゥスさんが来ねえのを良いことに、飲んでから寝てんじゃあねえかと」


 たずねられたエラベルの部下であるカンデノムは、実にありそうな理由を返してくれた。


仕様しょうがないね。カンデノム、あんたは20人ほど連れて、地下から宿泊所の様子を見てきておくれ。それと北門の様子も誰かに確認させな。それから出来るだけ急いで知らせを寄越よこすんだよ」


 エラベルはカンデノムにそう頼むと、壁外に出かける部下を見送ってから、黒い髪を手でかき上げながら改めて考え込んだ。

 それから、紫色のやや扇情的なドレスを脱ぐと、茶色い革で補強された旅装に着替えたのである。下はショートブーツと、革も使った足元までおおう細いパンツであった。

 執務室から男性がいなくなった為に出来ることではあるが、その思い切りの良さは普通の女性とは考えられないものがある。

 

「もし、次の鐘が鳴るまでにカンデノムが帰って来なかったら、アタシらは逃げるよ。猪車の準備をするんだ。アレに水と食糧を積んでおきな。イーナ、20人ぐらい連れてってやっとくれ」


 エラベルは、自分の勘を信じていたから今まで生きて来れたとそう思っていた。

 事態が明確になってからでは遅いと感じた彼女は、部下のイーナ・コレスキヤーノという女性に逃げる準備をするよう指示した。


 もちろん、逃げるのは自分とイーナを含む3名だとエラベルは考えている。

 既に外壁の門が閉じた様な時間に、猪車の準備をさせたのは、ここに残ってオトリになる他の破落戸ごろつきたちの為であった。


「ヌーラネイト・キトルデンハイム様はどうされますか? あの方は、まだ裸でベッドの中にいらっしゃいますが」


 意外なことに、エラベルには女性の部下が2人いる。1人は細身のイーナで、もう1人は今の質問を発した肉感的なムレルヴァ・ベルトッテだ。


 ヌーラネイト・キトルデンハイム氏は、エラベル達の仕事の協力者である内区の役人なのだ。彼は金をもらい、エラベルや他の2人の女性と楽しんでから自宅に帰る日々を満喫まんきつしていた。


「そうだねぇ……アタシの悪い方の予感が当たったら、あの人には亡くなってもらうとしようか。大したことを知ってるわけじゃないけどさ、身分証の発行をやってもらったし。アタシらが、追跡されないようにしとかなきゃダメだからねぇ」


 エラベルは蠱惑こわく的な黒い目を細めて質問に返し、ムレルヴァ・ベルトッテはそれに答えて無言でうなずいた。ムレルヴァは、刺突剣で人間を消すぐらいは簡単に出来るのだ。


 その後は、北門の様子を見に行った部下が走って戻り、変わった様子は何もなく既に閉まっていたことを伝えてきた。大捕物おおとりものの準備がされているわけではないようだ。


 それからは、逃げる時の段取りの確認になった。

 キトルデンハイム氏を消し、残りの破落戸ごろつき達には明日の早い時間に猪車で逃げるよう指示を出す。連中は外で猪車の準備をしている20人に加え、まだアジトの内部に20人近くもいるのだ。


 壁外には最初の40人と、後からカンデノムが連れて行った20人の、合計60人が出ている。もしも何かが起きている場合には、連中はとっくに全滅しているだろうと彼女は判断した。


 エラベルとしては、アジトにいる残りの部下40人に、出来るだけ時間を稼いでもらわねばならないのだ。


 エラベル達3人は、外壁を抜ける別の地下道から、今夜中にズットニテルを脱出することに決めた。西側にも隠し通路があるのだ。






 それからしばらくして、とうとう内区の時計塔の鐘が鳴り始めた。壁の外から連絡は来ない。

 丁度ベッドから起き上がったキトルデンハイム氏は、首の後ろにもぐり込んだ細い刺突剣の刃の為に、ゆるみきった大柄な身体を再びベッドの上に戻した。


「これが間抜けな間違いだったら、許しとくれよ旦那だんな。そんなことは無いと思うけどさ」


 エラベルはキトルデンハイム氏に簡潔かんけつに別れを告げ、残りの者に指示を出すために階下に降りた。


「ところでイーナはどうしたんだい? まだ戻って来ないみたいだけどさ。ああいうのは適当に入れときゃいいって、言っておいた方が良かったかねぇ……」


 この屋敷兼事務所は、引退した商人から購入した物でそれなりに広い。庭に木や花は無いが厩舎きゅうしゃがあり、隣には倉庫まであった。イーナはそこへ、エラベルの指示で20人も連れて行ったはずなのだ。


「あなた達、全員で倉庫まで行って、イーナを手伝って来てくれないかしら? ついでにイーナに戻る様に伝えてちょうだい」


 ムレルヴァから残りの破落戸ごろつき20人に指示が飛んだ。彼らは荒事に慣れた男達ではあるが、エラベルだけでなく、ムレルヴァやイーナのことも恐れていたので素直に従った。


 その部下達を無言で見送ったエラベルではあるが、彼らは倉庫から戻って来ないかもしれない、と自分が考えていることに気がついて思わずギョっとなった。次にそうなるのは自分だろう、というのがその後に来た予感だったからだ。



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※連載再開しましたのでよろしくお願いいたします。

『俺が吹き飛ぶと桶屋がもうかる』

https://kakuyomu.jp/works/16818093086338069196


※今日のオマケ

◎エラベル・カモネ

「選べるかもね」

◎イーナ・コレスキヤーノ

「良いな、これ好きやの」

◎ヌーラネイト・キトルデンハイム

「塗らねいと、キとるでハイム

◎ムレルヴァ・ベルトッテ

「蒸れるわ、ベルトとって」

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