第39話 交易商人

     ~交易商人の場合~


 セトゥス・サヌーキ・トクシマティは、持っている茶碗が唐突に真っ二つに割れた所為せいで思わずさけんだ。


「あづぁぁ! くそ、どうなってんだ!? 縁起えんぎの悪い……街で何か起きてないと良いがな……」


 この世界では、自分で気に入って購入した物が前兆も無しで破損するのは、非常に縁起えんぎが悪い事とされている。

 その上、セトゥスの服のひざには熱い御茶がおもいっきりかかったのだ。


「セトゥスさん、明日はズットニテルの宿ですぜ。あそこはカモネさんが居るから、まだまだ大丈夫ですよ」


 彼の部下は、12台の猪車イノぐるまによる商隊の長の様子に、くものを渡しながらそう返した。笑う様なこともないので、商隊長に対する敬意ぐらいはあるのだろう。

 彼らは街道脇にある休憩所で、夜営の準備に入っているところだったのである。


 セトゥスは、この50人からなる猪車商隊の責任者で、たまに出合う野盗や危険な生物との戦いの矢面やおもてに立ってきた。通過する街の住人と普通に取り引きもやり、役人に言い訳することにも慣れている。


 それでも、セトゥスがやっているのは密輸でしかなく、正規品と一緒に、処分に困る死体と爆薬や毒物などの禁制品も運び、西から逃げたい人間をこちらへ運び、東で買われた子供たちを西へ運ぶことで成り立っていた。


「確かに、エラベル・カモネは頭の切れる女だ。でもな、部下だけを切り離して、自分だけがいつも逃げられるとは限らんさ」


 都市でずっと暮らし、外にも出てこない奴らというのは、セトゥスから言わせると腰抜けということになる。連中は言動が探索者と似ているだけで、護衛として野盗と戦うことも出来ないし、山や森や遺跡へ行って何か取って来ることも出来ない。


 それにセトゥスは、あのエラベル・カモネという女の気味の悪さには辟易へきえきしていた。


「でもあの街が駄目になったら、俺たちだって仕事が無くなっちまいます。逃げるのだって大変ですぜ」


 セトゥスの部下の方は、安定路線が大好きで冷静な悪党だ。

 彼は商隊長に対し、代わりの茶碗に御茶をいれて差し出した。


「そうしたらヒゲを全部って、名前も変えるさ。その方がいっそスッキリするぞ。ヤスキなんて名はどうだろうな! ありゃ?」


 セトゥスがそう言った瞬間、彼の腰に差してある短剣が鞘ごと地面に落ちた。彼の座る折りたた椅子いすの脇だ。

 短剣をよく見ると、腰から下げる為の紐が切れている。拾って鞘から抜くと、刀身が真ん中から折れていた。


「セトゥスさん、代わりの短剣を用意しましょうか? 確かあったと思いますんで……」


「いや、必要ない。これは使ったことも無くてな。15歳の時にもらった物だ」


 彼の部下は気を利かせようとしたが、セトゥスの方はそれを断った。

 この世界では、成人した際の贈り物が前兆も無しで破損するのは、非常に縁起えんぎが悪い事とされている。壊れた彼の短剣は、成人した際に両親からもらった物だったのだ。代わりになる物は無い。


 うだつの上がらなかった男セトゥスは、30歳でこの交易路線を辿たどる生活に入り、今年でもう35歳になる。

 短剣の方はきっと、20年も経った所為せいでとうとう壊れたのだろうと、セトゥスはそう思った。


 それにセトゥスは、夢見がちな悪党で自分の苗字が嫌いだったので、いっそのこと名前も変えたいと思っていた。苗字が嫌いであるから、普段から態々わざわざ名前の方で呼ばせているのである。


「さっきから何の話をしてるんです? セトゥスさんが偽名で逃げるって言ってたけど、それなら俺も兄弟か何かの振りをして、一緒に……ん? こいつ! 何でこゲェェ!?」


 離れていたが会話が聞こえたたのだろう。セトゥスの別の部下は冗談を言ったのだが、その部下に異変が起きたのはその直後であった。


「くそったれ! 何て縁起えんぎが悪いんだ。大サソリだ。皆んな下がれぇ!」


 ここは、ズットニテルからは西側に位置する、広く見通しの良い商用街道の休憩所である。この辺りでは野盗が出る可能性はあっても、街道上にまで危険な生物が出てくることはほぼ無いはずなのだ。

 だが無情なことに、冗談を言った部下の腹をぶち抜いたのは、頭胴長3メートルにもなろうかという大サソリの尾にある槍の様な毒針だった。砂をかぶり体色も変え、地面に化けて待ち伏せしていたらしい。


 この世界では、商売の旅の途上でサソリと出合うのは、非常に縁起えんぎが悪い事とされている。今回は縁起が悪いどころか、戦いながら後退しないと死人が増えそうな事態になっていた。


「ここで夜営の準備は一旦中止だ! たいまつを持っている奴はサソリを牽制けんせいしろ。油をぶっかけるか何かでも良い。勿体無いとか言うなよ! 火炎瓶も使って良いぞ!」


 セトゥス自身は、180センチはあるがっしりした体型で、茶色い目と髪の目立たない何処にでもいそうな男である。だが戦いともなれば、この男は意外と頼りになる指揮官でもあって、部下たちに次々と的確な指示を飛ばした。


 車を引く為のイノシシと、商隊の人間を狙って現れた大サソリであったが、奇襲に成功した際の最初の犠牲者を含め、計2名の隊員を道連れにして死んだ。


「セトゥスさん、サソリに殺られたのは2人です。いつもはこんな所にサソリなんか出ねえっていうのに……」


 セトゥスの部下達の報告では、人員以外に被害らしいものは無いとのことだった。イノシシや猪車と積み荷に問題は無いらしい。


 教会暦805年の6の月9日になるその晩のセトゥス達は、いつもの状態に比べれば本当に酷い有り様だった。


 ここは、衛星都市の手前ということもあって、本来ならば安全で気楽な夜営が出来るものなのだ。

 だが密輸商人達は、見張りを密にしながら交代で食事を取りつつ、緊張にまみれた一夜を過ごす羽目になってしまった。


 しかし実際には、そのキャラバンに上手く判断しようがない微妙なトラブルが生じたのは、翌日6の月10日の事だったのである。


「やっぱり、ズットニテルに行くのは止めた方が良いかな? 縁起えんぎが悪すぎる。今日の昼に到着の予定だったよな。これだと夕方を過ぎそうだ」


「セトゥスさんが決めて下さいよ。俺たちだって、気味の悪い事があったから行けませんでしたなんて言えませんぜ」


 セトゥスが部下と一緒に軽口とため息を吐いたのは、2台の猪車の車輪が本体から脱落した所為せいであった。脱落した車輪はそれぞれ1個ずつであった為、横転などの事故が無かったのは運が良い方なのだろう。


 この世界では、目的地の手前で引き車の車輪がはずれるのは、非常に縁起えんぎが悪い事とされている。

 不思議なのは、この事態をまねいた原因が見つからず、部品は破損したわけでもなくゆるんで抜けた様に見える事だった。



====================


※お読みいただきましてありがとうございます。この作品について評価や感想をいただければ幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る