第21話 頑張れカニ君

 こうして俺とマーちゃんは、シーシオン氏が持ち込んだ絵の鑑定を行っている最中、時間を潰さなければならなくなった。


 うちのトカゲ姉さんはと言えば、先程から俺の頭の上で、店内の20点ほどの複製美術品を大人しく観察している様に感じられる。

 今回は、店内の複製品だけを買って帰るのも良い様に思えてきた。騙されるのであれば腹も立つが、最初から安価に複製品を買うのなら全く違う話になる。人に自慢するわけではないのだ。


 一方で俺の方は、特にやることも無いので持ってきた漫画を読むことにした。

 スーちゃんが描いた、この世界で最初ではないかと思われる漫画『頑張れカニ君』の単行本を持ってきていたのだ。これはウレズトバズ月報に連載されていたものを、マーちゃんが単行本にまとめてくれた物になる。全部を読んでないので丁度良かった。


「ケンチ殿、ずいぶん変わった本を読んでいるのだな? 面白そうに読んでいたが、何の本か聞いても良いかな?」


 俺が読み終わった頃合いで、この店の用心棒兼お手伝いらしきタシナンデル氏から声がかかった。


「タシナンデルさん、こいつは絵物語みてえなもんだ。子供が読むようなもんで、お恥ずかしい限りですがね。中々面白いですよ。読んでみますかい?」


「絵だけでつづられているのだな。こういうのは初めて見た。拝見させてもらおう」


 漫画に興味を持たれた様なので、試しに勧めてみることにした。デルナッシはこいつのファンになってしまったのだ。タシナンデル氏は無骨ぶこつそうな男だが、意外なことにお茶をいれるのが上手い人でもある。気に入ってくれるかもしれない。


 しばらくの間、店内に漫画のページをめくる音だけが静かに流れた。

 ちなみに『頑張れカニ君』のサイズなのだがB5判に近い程度に大きい。月報のすみっていた漫画だが、最初から連載していたわけではないため、枚数は100ぐらいに収まっているが結構な厚みだと思う。


 ここで、ふと気がついたのだが、シーシオン氏はあまりにも遅くないだろうか。あんな絵を描く画家は、この世界にいないはずだ。値付けの判断に2ザイト(4時間)もかかるわけがない。


「タシナンデルさん、店主さんが戻ってこられねえみてえですが、何かあったりしねえでしょうね? 何だか、俺ぁちと心配になってきましたぜ」


 タシナンデル氏は、漫画を丁度読み終わったところのようだ。何か不味いことが起きている可能性もあって、思いきってこのタイミングで声をかけてみた。


「興味深い読み物だった。良い物語だな。うちの店長なら、そろそろ戻ってくるだろう。意外に長い間、絵をながめ続けているような人だ。評価は高いかもな」


 漫画を返されながらそんな風に言われた。


 その時、シーシオン氏が店の奥から帰って来た。手ブラだ。どことなくふんわりした歩き方だった。






「いやあ、長い時間お待たせしてしまって申し訳ない。これは先程も言ったな。とにかく凄い絵だった。何が描かれているか最初は分からなかった……」


 見た感じ店主はまだ普通だ。話し方が興奮とはかけ離れているが、待たせた事を気にしているし口調もしっかりしている。


「ところで、ケンチ。君はこの世界が葉っぱ▪▪▪の下に収まってしまう事を知っているかね? 我々は真に平等だ。私も台所に出てくる虫も変わらない」


 店主のその台詞を聞いた瞬間、背中が泡立つのが分かった。相手の目を見忘れていた。ガラス玉みたいな目だ。


「神は常に見ていて下さるが、我々を見ているのは知られた神だけではない。どういう目線なのかは分からないがな。でも見られているのだけは間違いない。全ては等価値だ」


 これはちょっと不味いかなと思った。オストロラ・シーシオン氏は何かを感じ取れる方の人だったらしい。先進的な考えの人物でもあるのだろう。正直にまいった。


「ところで、手に持っている本は何かね? 私も本を読むが、見たことのない装丁そうていだ。浮き出し加工が使われているのは贅沢ぜいたくだね。読ませてもらっても良いかな?」


 俺は「どうぞ」とだけ言って『頑張れカニ君』を差し出した。

 タシナンデル氏の方は、新しくお茶の用意を始めたらしい。何故なぜか、いつもの事という雰囲気がした。


 店内に漫画のページをめくる音だけが静かに流れた。本日3度目だ。

 お茶が用意されたが、俺も店主も口をつけなかった。マナー違反ではあるが、それどころではないのだ。


 たっぷり1ザイト(2時間)は経過しただろうか。どうやらシーシオン氏は漫画を読み終えたようだ。


「ありがとう、ケンチ。これは返そう。本当はこの本も売ってほしいが。ついでに作者がご存命なら紹介してほしい。私は……私の理解は不完全だった。だがこれは、それをおぎなってくれた様に思う……」


 シーシオン氏はそう言って、静かに泣き始めてしまったが、俺としては安心すべきなのだろう。店主の瞳には光が戻っていた。


「タシナンデルさん、店主さんは大丈夫なんですかい? いつもこんな感じの御人おひとだったりしませんかね?」


 店の用心棒氏があわてないので、念のために聞いてみた。


「まぁ、感激屋なところはあるな。最近は無かったが、珍しいことに作品が気に入られたようだぞ。良かったじゃないか」


 タシナンデル氏の返答は、たまにあることだから気にするなだった。


「良かった……我々は、生命は平等だが、それは卑下ひげするようなことでは無いのだ。全てはあるがままに。あの絵に描いてあるのはきっとそれだ!」


 ヤバい方の効果を危惧した俺だったが、スーちゃんの大ジャンプ2回転半ひねりで、何とか無難な感じに収まってくれた様に思う。


「ケンチ、私は今日という日を忘れないだろう。本当に良い体験をさせてもらった。あの絵は是非とも買わせてもらいたい。出来ればその本も一緒だと良いのだが、どうかね?」


 店主さんは漫画も欲しがったが、これはスーちゃんの許可も必要だろうから断らせてもらった。保留ってやつだ。


「シーシオンさん。本の方は描いた人に許可をもらわねえとならねえんで。でも聞いてきますよ。それよっか、ここの複製品を売ってもらえませんかね?」


 俺はここぞとばかりにたたみかけた。

 驚いたことに、その日は例の絵の代金として店内の複製品全部と、真作の絵を一枚ただでゆずってもらうことが出来た。

 絵は建国当時の人物画で、デジコルノ家の庶子しょしである有名な女性のものだ。モデルの女性が有名なのは、この絵のおかげという代物しろものでもあって、この店にあるのが不思議だったが悪くない気分だった。



====================


※お読みいただきましてありがとうございます。この作品について評価や感想をいただければ幸いです。


※このオストロラ・シーシオン氏ですが、本当は乾物屋の主人になる予定でした。

名前はホシタロラ・シオシオンで……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る