第16話 ミノル100%

 マーちゃんと出会ってから11日目の夜のことだ。この日は、大森林で戦いになり結果として捕虜になったコボルト達と、焼き肉パーティをして過ごした。


 この犬面の種族を『コボルト』と最初に呼んだのは、ゴーリ教会の開祖にして聖人であるターケシ・ゴーリその人である。

 それまでは犬人とかそんな感じで呼ばれていたらしい。そのまんまだ。

 

 正直に言えば、俺は相手の代表者であるガウルルブ殿下となごんでしまった。一党いっとうかしらとしての彼の態度は、俺には非常に好ましいものに映ってしまったのだ。

 未来において、俺と彼の子孫は血みどろの殺し合いを演じることになるだろう。お互いの生活領域が、やがては重なりあう時が来るに違いないからだ。

 であるからこそ、俺はこの貴重な体験に対して非常に複雑な想いをいだいてしまった。


 森や山で人以外に出会ったら、剣を抜いて殺し合う方がよっぽど楽なことなのだ。

 新しい生き方について助言したり、水利権についての面倒を見たり、破損した水道管と住居の修繕しゅうぜんをしてやるなどの事は、それは絶対に何か違うだろうと染々しみじみと思ってしまう。

 街の中でやっている人間相手の仕事と、ほとんど何も変わらないことに俺はしょげた。俺の憧れた先輩達はこんなことやらなかったに違いないのだ。


 トングで器用に肉を食う連中との食事が終わった東屋あずまやで、普段の3倍は疲れた俺は深い溜め息をついてちゃぶ台に突っ伏した。


「ケンチ、疲れているようだがどうかしたのか? もしそうなら丁度良いアイテムがあるのだ。賦活ふかつドリンク『ミノル100%』というのだが、副作用もほぼ無いし試してみないか?」


 俺の様子を心配したマーちゃんが、その時にそう声をかけてくれた。


 信じられないかも知れないが、うちのトカゲ姉さんには悪意というものはないのだ。彼女は常に困っている相手に手を差し伸べ、相手に醜い欲が無くとも、常識や環境や財産や人生観というものに変化を与えてしまうだけなのである。

 それはマーちゃんと俺達との間に、部分的な価値観のズレが存在している為ではないかと思う。副作用もほぼ無いというのは、俺達にとっては確実にあるのと同じ意味だろう。人間は真空中で生きてはいけないのだ。


「マーちゃん、その気持ちだきゃあ、ありがたくもらっておくぜ。そいつは仕舞っといてくれ。あと俺の寝室の冷蔵庫に入れねえでくれよ。それから朝食の献立こんだてに混ぜるのも無しで頼む」


 マーちゃんにはそう言って念を押しておいた。

 俺は身体を張って、いつも事態を防ごうとはするのだが、そういった努力とは無関係に奇跡的なタイミングで影響は対象者に及んでしまうのだ。

 俺は自分が安全地帯にいると考えたことはない。この先もそうだろう。

 

「それは残念だ。飲みやすいリンゴ味なのだがな。これは『ダ』と言ってしまうまでは、永遠に働いていられるという変わった効能こうのうをもっているのだ。無言を貫く限りは悪い結果にならないと思う。口パクとか念話で会話するのであれば、完全に安全なのだ」


 うちの暗黒アイテム姉さんは今日も平常運転だった。

 飲む人が知りたがるのは『ダ』と言ってしまった時に何が起こるのかという事だろう。

 だが絶対に飲むまいと決めている俺は、もちろんそんな事を聞いたりしない。質問の先に空いているのは運命の落とし穴に違いなかった。


「そんな事よりもよ、マーちゃん。今日はもう何か話し合っておくようなこたぁねえのかい? 俺もちょっとしたら、風呂に入って日課のお祈りをやって、それで寝ちまおうと思ってんだ」


 無難に返せたと思う。好奇心にかかと落としを食らわした後で、直前の内容を記憶から消去することにも成功しただろう。


「そうなのか。実は街での事を少し考えてみたのだ。我々にとって秘密の漏洩ろうえいは防がねばならないことだ。だが味方を増やすことで、その危険を軽減出来るかもしれん」


 理想的な柔らかいアルトボイスは無情にもそんな風にひびいた。


「そりゃあ……もし上手く行くんなら文句はねえよ。是非ぜひ、聞かしてもらいてえ話だな」


 万が一それが有効な手段であれば、それを試してみる価値はあるのだ。経験上そう見えるだけな場合もあると知った上で、あろうことか俺は聞いてしまった。

 俺は破落戸ごろつきだが、同時に見習い聖職者であることを忘れたことはない。

 周辺への影響が致命的である場合には、おそらくだが神は介入して下さるだろう。


「うむ。街の上層部の者のほとんどは比較的に高齢の男性だ。最上位近くには女性も多いが、今回は彼女達は対象外だ。彼らの悩みにダイレクトにうったえ得る物を持ってきたぞ」


 うちの売恩濫売ばいおんらんばい姉さんからは、自信に満ちた声と共に緑色の瓶が差し出されてきた。多分だが地球由来とかいう物品だ。絶対に他の世界の物も混ぜてあるに違いない。


「ここまで来ちまったんで、一応念の為にこう言わしてもらうぜ。マーちゃん、こりゃあ何の瓶なんだい?」


 最近は多いのだが、運命とは時にあらがいがたい圧力を持っている。自分で出したはずの声は、自動的に口が動いて発せられたように感じられた。


「これは薬用育毛剤サイレントアドバイザーという。最初の1回でモッサリと生えるだろう。髪は外部記憶媒体としての機能も有している。使用者は助言が必要な時に、それに適した記憶をよみがえらせることが可能だ」


 うちの育毛革命姉さんの言っていることは分かった。完全に理解した。問題は生えてくるのが絶対に髪ではないということだ。一種の共生生物に近いのではないだろうか。


 もし神が、今回は介入が必要であるとお考えなら、隕石が落ちてこようとも俺は言えるだろう。


「マーちゃん、今回はそれに何が混ぜてあるのかは聞かねえ。例えば髪が頭蓋骨を貫通して脳幹にくっつくとか、外部から思考に介入が出来るかとか、そういう機能も聞かねえ。だが、これだきゃぁ言わしてくれ。それはやめとこうぜ……」


 全身が水っぽくなったが俺は何とか言いきれた。神よ……ありがとうございます。


「そうか、実に残念だ。効果的な手法だと思ったのだが。秘密を守る以外の利害関係が無いなら、最低限の介入は問題にならないのではないかと思ったのだ。それにしてもよく分かったな。あれはまれに、対象者が死亡すると頭部から離脱したりするのだが……」


 マーちゃんの後半の台詞については、俺は全部を聞き流した。ろくでもない内容なのはいつものことなのだ。

 柔らかいアルトボイスでささやかれる狂気的な話に背を向けると、俺は黙って東屋あずまやから立ち去った。



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