第2章 トカゲさんと街

第1話 解体所


「ケンチ、そういう日もあると思うが気を落とすなよ。俺が言うようなことじゃないかもしれないが、生きていればきっと良いこともある。俺はお前が怪我もせずに帰ってきてくれたことを喜びたい。何かあれば相談しろ」


 街に帰ってきた途端とたん、目の前の衛兵隊長の旦那だんなにはそう言われてしまった。俺の背囊はいのうの中身がほぼ▪▪空だったからだ。今日は大八車だいはちぐるまも引いてないから依頼に失敗したように見えただろう。

 街の外区西門にいるこの旦那だんなは悪い人じゃない。たとえ名前がマルッキ・リアホーでもだ。

 40代になって身体はゆるんできているが、背も180センチはありたくましく、茶色い髭におおわれたいかつい顔に油断は無い様に見える。髪の毛の方は真ん中まで後退していたが、完全撤退する気はまだ無いようだった。


 俺はこの、自分の欲望に忠実な旦那だんなが嫌いではない。

 今もマーちゃんに用意してもらった酒を瓶2本で差し入れたのだが、堅いことを言わずに受け取ってくれた上に、余計な気まで回してくれるのはこの人ぐらいだったりする。

 この御人おひとが隊長なのだから、ここの規律についてはして知るべしだ。

 ここでは毎度の付け届けが己の身を助けることがある。

 人は1人では生きていけない、というのはつまりはそういうことだと俺は思っている。


旦那だんな、そんな……気ぃまで使ってもらっちまって申し訳ねえ。これでも俺ぁ今回も稼いでますよ。そんじゃ組合に顔を出さなきゃならないんで、失礼しやす」


「ハッハッハ、組合じゃ背囊はいのうは買ってくれんぞ。荷物は他に無いのに美味そうな酒は持っているとか相変わらず変な奴だ。それではトマンネーノのオヤジによろしく言っておいてくれ」


 トマンネーノのおやっさんはうちの組合長だ。組長じゃなくて組合長だ。




 荷物に酒しか入っていないのははっきり言って怪しい。

 それでも通してしまうのがマルッキ隊長だった。もらえれば疑惑の証拠リストから消えてしまうのだ。

 俺は日本に生きていた頃は身体が弱いのにもかかわらず、酒もタバコもすごい勢いでやってそれが原因で死んだ。

 こちらに生まれてからは、金も無かったから酒もほどほどでタバコはやっていない。身体が資本の商売で、それが生死に直結するとなれば当然だろう。


「用意した酒が役に立って良かった。ケンチは酒は少しでタバコはやらないだろう。私としては嗜好品しこうひん贈呈ぞうていで何でもスムーズに行くのであればそれに越したことはない」

 

 姿を消した状態ではあったが、物持ちのマーちゃんはそう言って嬉しそうにしていた。

 彼女が本気を出せばこれらの品物で世界を掌握しょうあく出来るだろう。

 今回の件は完全に思いつきだ。

 街の直前で思い立って考えた挙げ句、マーちゃんなら持っているのではないかとお願いしたら快諾かいだくしてくれた。そのうち一番安い▪▪蒸留酒を厳選して袖の下として出したわけだ。

 厄介事やっかいごとが多い世界で生きるのだから、こんなことでも積み重ねておかないと街のルールで守ってもらうのは無理がある。組合や教会にまもってもらうにはまた別の善行を積まねばならない。




 昼過ぎの組合事務所は相変わらず閑散としていた。

 化粧は薄いのに退廃的という受付じょうの前を素通りし、俺は真っ直ぐにアッコワの兄貴のところまで進んだ。

 背囊はいのうがへこんでる上に手ブラという俺を見て、鼻で笑うじょうもいたが俺は気にせずに済ました顔で通した。


「兄貴、ただいま戻りぁした。もちろんブツはありぁす。解体所に付き合ってくだせえ」


「早かったなケンチ。おめえ……本当なんだな……分かった。付いてこい」


 冷酷イケメン顔のアッコワ兄貴は、そう言うと俺の先に立って解体所へ続く扉へと進んだ。

 受付じょうの間をどよめきが渡ったが俺たちは無視した。奴らは俺が兄貴にドヤされるのを楽しみにしていたに違いない。


「ケンチ、神がおめえに授けられたのはアイテムボックスだな? どんぐれえ入る?」


 解体所へ向かいながら、アッコワ兄貴にそうたずねられた。

 ちなみにこの能力スキルを『アイテムボックス』と最初に呼んだのは我らが開祖にして聖人であるターケシ・ゴーリその人だ。

 郷里ごうりさん自身は、この能力スキルを授けられていたのか定かではない。

 探索者組合はゴーリ教会の下部組織であるため、こういったことについて不敬ふけいなことを言えば、最悪は街の外壁からるされる羽目になる。


「馬車か猪車イノぐるまで2台分ってところです。それよかほんの少しだけ多いかもしれやせん……」


 一瞬バレやしないかと思ったが、俺はマーちゃんと事前に話し合った内容で通した。


「分かった。充分だ。こっちだケンチ。

おい、とっつぁん! オシタラカンのとっつぁんは居るか? 弩貝イシユミガイが届いた。立ち会いと解体を頼みてぇ。急ぎだ」


 解体所に到着すると、アッコワ兄貴はここの責任者であるオシタラカンのとっつぁんを呼び出した。今回は口の堅い人間の立ち会いがどうしても必要だからだ。


「アッコワじゃねえか。今は暇してんだ。たまたまだがな。

おっ! ケンチじゃねえか。手ブラでここに顔を出すたぁおめえもずいぶんと偉くなったな。ええ? それとも仕事を手伝ってくれんのか?」


 身長2メートル、筋肉の塊のようなヒゲ面のハゲが解体所の奥から出てきた。この御人おひとがオシタラカンのとっつぁんである。

 ここの主と呼ぶ方が相応ふさわしい『怪力』の能力スキルまで持ってる人間離れしたオヤジだ。


「とっつぁん、人払いを頼む。ケンチは手ブラじゃねえんだ。これで分かってくれ」


 アッコワ兄貴の台詞を聞いた途端、オシタラカンのとっつぁんの顔から表情が抜けた。作業用の分厚いエプロンをつかむ手に血管が盛り上がった。


「そりゃあ……ケンチもとうとうそうなっちまったのか。街の外で行倒いきだおれてたクソガキを拾って来た俺に、酒をご馳走してやらにゃあならねえみてえだ」


 そう言うとっつぁんの俺を見る目は、昔を思い出しているだけのような、何かをあきらめたような、どちらとも言えない眼差まなざしをしていた。



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