第5章「蟻塚祐絵はやはり敵が多い」

1


「くそー。あと少しでクリアだったのにな。残念」

「まあ、あのグループで最後の問題までいけたんだ。落ち込むことはないだろ」

担任の早川先生が用意した、いわゆる脱出ゲームに近い謎解きを終えてオレたちは部屋へと戻ってきた。

ここから夕食までの自由時間は短いが、一休みするくらいの時間はあるだろう。

クラスメイトの男子五人が同じ部屋で、それぞれ好きな場所に座ってくつろぐ中、オレは持参したペットボトルのお茶を飲みながら隣に座る矢渕を見る。

「よしよしよし」

と、なにやらスマホの画面を見ながら嬉しそうにはしゃいでいる。

「何やってんだ?」

「ん?最近流行ってる『ヘブンズステアー』ってゲーム。敵を倒しながら世界各所の塔を登って頂上を目指すみたいな奴」

「へえ~。上に行くほど敵が強くなるみたいな?」

「そうそう。頂上にいるボスのアイテムがなかなか手に入らなくてさ~」

「え?それってもしかして沙羅曼蛇じゃね?」

オレたちの会話を耳にしてか、近くにいた男子生徒が混ざってきた。

「確かそんな名前だったはず。何?お前もやってんの?」

「やってる。俺もそれ欲しいから一緒に周回やらね?」

「うわー、それマジ助かる」

何やら二人の間で話が盛り上がりだしたところで、部屋の扉を叩く音が聞こえ、我先にと立ち上がる。

オレはあまりスマホのゲームや家庭用のゲームをやっていないので、こういった話にはついていけず、いつも当たり障りないことを言い、頃合いを見てさっさと退散することにしていた。

昔、対戦ゲームで姉貴にボコボコにされて以来、そういったゲームが好きじゃなくなったのも原因ではあるが。

ガチャッ!と扉を開けると、そこにいたのは萩元だった。

「あっ、やっぱりここだったんだ」

「どうした?もうすぐ夕飯だぞ?」

「うん、わかってる。わかってるけど……その、なんか喋りたくなっちゃって。湊斗と」

「わかった。ちょっと待ってろ」

オレは部屋に戻り、財布とスマホを手にすると矢渕に「少し出てくる。時間になっても戻らなかったら先に夕飯いっててくれ」とだけ伝えて部屋を出た。

2人でしばらく歩き、自販機の置いてある休憩スペースまでやってくると、そこで飲み物を二本買って片方を萩元に手渡す。

「ありがと」

両手で受け取り、蓋を開けるとそのまま口に運ぶ萩元。

オレも自分の分の飲み物を開けて口をつける。

「それで?どうかしたのか?」

「……」

しばらくの間を経て、萩元は壁に背中を預けながら少し困ったように笑う。

「ちょっぴり疲れちゃって」

「あー、人といるのがか?」

「……ん」

小さく頷いて肯定する萩元。

「お前は昔から人一倍気を使うもんな。話し方といい言い方といい」

「だって誰も傷つけたくないし、誤解されたくもないじゃん?人付き合いは良いに越したことはないし」

萩元が何を言いたいのかはわかる。

だが、萩元は結構人見知りをするタイプだ。

しかも人の感情の変化に敏感で、相手の気持ちを汲み取ることに関しては誰よりも秀でている。

だからこそ、相手の顔色を窺いすぎて疲れてしまったのだろう。

だからといって空気を読まなければ、それこそ人間関係は崩壊するし、自分の意見を押し通してばかりでも嫌われる。

オレから言うのもなんだが、萩元はその辺のバランスが絶妙に上手い。

だから、人付き合いが上手くて誰からも好かれるタイプに見えるし、実際彼女の周りには人が多い。

だが、それはあくまで表面上の話。

本当の彼女はとても繊細で、傷つきやすく、なにより面倒臭がり屋。

だが、そんな面倒臭がり屋でも自分が傷つかない為ならばどんな努力も厭わない。

周りによく思われる努力もするし、可愛く思われる努力もする。

頼られればそれに答えるし、自分の意見は極力口にしない。

それはきっと萩元が生きていく上で身につけた処世術なんだろう。

だけど、そんな萩元にだって疲れるときもあるし、弱るときだってある。

だからこうして今みたいにギリギリになるまで耐えてようやくオレのところに来ては甘えようとしてくるのだ。

昔のように。

「偉いよな、萩元は。逃げたりなんかせずに立ち向かってんだから」

「……最初は逃げるつもりだったよ。この街からも。でもね、湊斗がいたから」

「オレ?」

「うん。頑張ろうって思った」

そう言って萩元は嬉しそうに微笑む。

オレはそんな萩元にどう反応すればいいのかわからず、視線を逸らして誤魔化すしかなかった。

けれど、萩元にもその仕草の意味は伝わったのだろう。

その証拠にクスクスと笑い声が聞こえる。

「昔みたいにさ……頭撫でて欲しいな」

催促するように少し照れながら、でもはっきりと萩元が口にする。

そんな萩元にオレはゆっくりと近づき、その頭に手を置くと優しく撫でてやる。

「これでいいか?」

「……えへへ」

たったそれだけで萩元はくすぐったそうに目を細めて、幸せそうな笑みを浮かべる。

昔から、萩元がオレの前でだけ見せる表情だ。

相変わらず我儘な奴だと思いつつも、どこか嬉しく思ってしまう自分がいた。

それからしばらくの間は他愛もない会話が続いた。

学校のこと、クラスのこと、友達のこと……そんな取り留めのない話をしながら、オレは萩元の気が済むまで頭を撫で続けた。

「次は絶対に……いなくならないでね?」

別れ際、彼女は寂しそうにそう口にした。

きっと小学生の頃に急に転校してしまったオレのことを、まだ引きずっているのだろう。

「ああ、絶対な」

オレはそう答えると、萩元は満足そうに頷いて、 またねと手を振って帰っていった。


2


「級長、あんま食べてなかったけど大丈夫?」

「昼のカレーをちょっと食い過ぎたからな。太りやすい体質だから加減しないとヤバいんだ」

「へえー、なんか大変そうだね」

夕食を食べ終えたオレたちは、再び自室へ戻ってくると入浴時間までの間を、持参したトランプや雑談などで潰すことにした。

「バスでやられた屈辱を今ここで晴らす!スピードで勝負だ!」

「罰ゲームは?」

「気になる女の子に告白!」

「いいぜ。乗った」

クラスメイトの白熱した戦いを他所にオレはスマホで適当に調べ物を始めた。

橘が言っていた学校の裏サイト。

それがどうしても気になったのだ。

だが。

「ないな……」

いくら探してもそれらしきものは見当たらず、オレは諦めてスマホの画面を閉じる。

オレがネット慣れしていないのも原因なのかもしれないが、見つからないと逆に気になってしまうのが人間という生き物である。

「なあ、矢渕」

「んぁ?どうかした?」

視線をスマホの画面から外すことなく返事をする矢渕に、オレは橘の言っていた裏サイトについて尋ねてみる。

「お前は知ってるか?うちの学校の裏サイト的な奴」

「あー、それってあれでしょ?陰口を叩きあって日頃の不平不満を垂れ流すオタク君の巣窟みたいな場所」

むちゃくちゃ言ってんな、こいつ。

「何処にあるか知ってるか?」

「さぁね。興味ないし」

もしかしたらと思ったが、宛は外れてしまったらしい。

「結城くんは興味ある感じなの?もしかして帰巣本能?」

「違えよ。ちょっと気になったってだけだ」

「ふーん。昔の自分がバラされてないか心配で怯えてんだ?」

「あのな。今さらその程度でオレが落ち込むわけないだろ。いちいち心配するまでもない」

「まぁ、今の結城くんは昔がどうあれモテそうな見た目してるしね」

「モテる話なんてしてねえよ」

オレはスマホをポケットにしまい、そのまま机の上に突っ伏す。

そのタイミングで、部屋のドアを誰かがノックした。

ドアのほうを振り向くとほぼ同時に扉が開き、そこから顔を出したのは担任の早川先生だった。

「そろそろ1組の入浴時間だから準備してお風呂に入ってきていいわよ」

先生はそれだけ伝えるとすぐに扉を閉める。

おそらく他の部屋にいるクラスメイトたちにも伝えにいったのだろう。

オレは同部屋の男子たちに一声かけると、みんなで大浴場へと足を運ぶ。

脱衣所ではすでに入浴を終えた他のクラスの男子たちが、雑談しながら服を着ている最中だった。

オレは彼らから少し距離を取り、服を脱ぐ。

そして、タオルを片手に大浴場へと足を踏み入れた。

「この隣で女子も風呂に入ってんだよな」

矢渕がニヤけた面で、男子の方の浴場と女子の方の浴場を隔てる壁を見つめている。

その言葉に反応し、多くの男子たちが鼻息を荒くするのがわかった。

「……」

オレは油断している矢渕の頬にビンタを放つと、そのまま何事もなかったかのように歩きだし、体を洗い始める。

矢渕はビンタされた頬に手を当てながら、オレの隣に座りつつ文句を垂れ流し始めた。

「なんで叩くんだよー。誰だって想像するだろ、それくらい」

オレは矢渕の問いかけには一切答えず、シャワーで体についた泡を洗い流す。

知らない女子ならまだしも、よく知っている女子をそういう目で見られると何故かムカついた。何故なのかは自分でもよくわかっていない。

矢渕はそんなオレを見て、小さくため息をつくとそれ以上は何も言わなかった。

それから湯船に浸かってしばらく経ち、オレたちは大浴場を後にして着替えを済ませると、丁度脱衣所から出たところで柊と蟻塚に出くわした。

肌が火照り、髪も少し濡れた2人の色っぽい姿に、男子たちが鼻の下を伸ばす。

柊はオレを見るなり、小さく手を振りながら歩み寄ってきたが、蟻塚は特に何も言わずそのままオレの横を通り過ぎていく。

「少しは仲良くなれたか?」

柊はオレの問いに対し、小さく頷く。

どうやら上手くいっているようだ。

「でも……変、なのかな?」

「ん?何がだ?」

「蟻塚さんと仲良くしようとするのって」

柊は俯き、蟻塚が歩いて行ったほうをチラチラと見つめながらそう口にする。

その表情はどこか不安げだ。

大方、蟻塚のことをよく思わない女子が柊に何か言ったのだろう。

至極真っ当な意見だったに違いない。

だが、それはあくまで第3者の意見だ。

「まあ、変と言えば変かもな。でも」

オレはそこで一度言葉を止めると、柊に笑いかける。

そして、柊の不安を吹き飛ばすようにハッキリと告げた。

「前も言ったが柊のしたいようにしたら良い。お前の人生だ。他人にどうこう言われる筋合いなんかねえよ」

その上で、とオレは付け足す。

「間違った道に進みそうになったらオレが助ける。だから心配すんな。好きなだけ仲良くしてこい」

「……うんっ」

柊は嬉しそうに頷くと、蟻塚が歩いて行ったほうへ駆け出していく。

オレはその背中を見送りながら、小さくため息をついた。

「……、オレは何がしたいんだろうな」

「珍しく悩んでんじゃん。俺が相談相手になってやろーか?」

いつの間にか隣にいた矢渕が、肘でオレの横腹を小突きながらそんなことを言い出す。

オレは首を横に振り、無言のまま歩き出すと2人の少女を思い浮かべる。

萩元三結と柊南帆。

どちらも素直で優しい性格の女の子だ。

しかし、オレはそんな2人に抱く感情が微妙に違うことにも気付いていた。

例えば萩元三結に対しては世話の焼ける妹を見守る兄のような感情で。

柊南帆に対しては……、まだよくわかっていない。

ただ1つ言えるのは、2人と仲良くしていると何故か心がざわついて仕方がない、ということだった。

「……世話を焼いてるだけのつもりなんだけどな」

オレはそう呟くと、ざわつく感情の正体を考えながら、部屋へと戻るのだった。


3


「……ん」

翌日の早朝。

特に目覚ましがなったわけでもなく、ただ自然と目が覚めてしまったオレは、ぼーっとした頭のまま身体をぐっと起こす。

「合宿、だったな。そういえば」

いびきをかきながら寝る男子や布団に丸まって寝ている矢渕たちを起こさないように顔を洗ってそっと部屋を抜け出す。

早朝ということもあってか廊下には全く人気はなく、しんと静まり返っていた。

「どこに行く気だ?結城」

と、合宿施設の玄関で椅子に座りながらコーヒーを飲んでいた五十嵐先生が、オレの姿を見て話しかけてくる。

「まだ起きるには早かったんじゃないか?」

「あー、なんていうか目が冴えちゃって。日課のランニングをしたかったんすけど……やっぱり駄目っすよね」

ははは、と苦笑いしながら頭をかく。

まあ、許すはずもない。

ここは山の中だ。もし生徒に勝手をさせて迷子にでもなったら大変なことになる。

諦めて部屋に戻るか。

そう考えていると先生は、ふむ、と少し考え込んでから口を開いた。

「お前は確か運動部ではなかったはずだよな?なのに走ってるのか?」

「一応、身体作りは大事かなって。先生も一緒にどうです?」

オレは笑って冗談混じりに先生を誘ってみる。

「良いぞ」

「……え?」

返ってきたのは意外な返事だった。

まさか乗ってきてくれるとは。

「だが、少し待て。代わりに見張ってくれる先生を呼んでくる」

「本当に良いんすか?」

「可愛い教え子の頼みだ。それに俺も丁度走りたかったところだしな」

こうしてオレは何故か先生と一緒に朝のランニングをすることとなった。


「あっ、戻ってきた!何処言ってたんだよ?」

ランニングを終えて部屋に戻るや否や、矢渕がオレのことを出迎えた。

「ちょっとな」

「ちょっと……?も、もしかして深夜にこっそり抜け出して柊の部屋に行ってたとか!?」

「違えよ」

鬱陶しく絡んでくる矢渕に、オレは呆れながら身体を拭いていく。

「朝のランニングをしてたんだ。五十嵐先生と一緒に」

「え?……それ何の罰ゲーム?」

オレの返答に、矢渕は若干困惑気味に言う。

まあ、そうなるよな。普通は。

「とにかく女子の部屋なんて行ってない。そもそも深夜に部屋を抜け出そうなんて無理な話だろ。見張りの教師がいるんだから」

オレは矢渕にそう言い、今日の予定表を確認してからジャージを羽織る。

どうやら朝食後はクラス毎で別れてハイキングらしい。

五十嵐先生はコースの状態の下見も兼ねたんだろうか?

「朝は何が食えるんだろうな?」

「なんかバイキングだって話だぞ」

「うわ、最高じゃん!」

支度を終えたクラスメイトたちと一緒に朝食の会場へ向かう。

と、そこに。

「ねえ、級長。ちょっと良い?」

オレの姿を見つけ、そう声をかけてきたのは丁度出くわしたクラスメイトの女子の1人だった。

「どうした?」

「えっと、柊ちゃんのことなんだけどさ」

「……?柊がどうかしたのか?」

「あー、いや。柊ちゃんが直接どうしたって話じゃなくて。どっちかというと蟻塚の話」

「何かあったのか?」

「ここだけの話だよ?アイツ、パパ活してたんじゃないかって噂が出ててさ」

「それはまた、なんというか」

凄い話だな。

本当なら、だが。

「あんな奴と関わってると柊ちゃんもいずれそっち側になっちゃわないか心配なんだよね」

なるほどな。

確かに、その噂がもし本当だとしたら、あの蟻塚といる柊は少なからず悪い影響を受けるかもしれない。

だが、その噂が本当かどうかなんて今の時点では判断出来かねる。証拠もないしな。

噂はあくまでただの噂でしかないのだ。

とりあえず本人に確認を、と言いたいところではあるが相手はあの蟻塚だ。

本音を語ってくれるとは思わない。

オマケにオレは相当嫌われているしな。

「まあ、やることはやってみる。教えてくれてありがとな」

何にせよ。

たかが噂程度でアイツを軽蔑する気もない。

オレはまだ蟻塚のことを何も知らないのだから。


4


「矢渕、お前はどう思う?」

クラスメイトと共に担任の早川先生先導のもと、ゆるやかな坂道の道路を歩き続ける。

やはりというか、なんというか。

蟻塚はまた孤立し、早川先生の後ろを黙って追っていた。

一方の柊はというと、クラスメイトの女子たちに蟻塚の元へは行かせまいと必死に足止めをされている状況だ。

「どうって何が?」

蟻塚の後ろ姿を見つつ、矢渕は聞き返す。

「噂くらい耳にしてるだろ?蟻塚の話」

「あー、パパ活がどうこうって奴?まぁ、中学の頃にアイツがつるんでた連中が連中だしなぁ。ありえない話じゃない」

「そうか」

「結城くんも柊と蟻塚を仲良くさせる為に頑張ってるみたいだけど、やっぱり無理があるって。蟻塚には良くない噂が多すぎる。つるむ相手を見誤った蟻塚の自業自得だよ」

「……」

オレは何も言えずに、蟻塚の後ろ姿を目で追う。

すると蟻塚は立ち止まり、一瞬こちらを振り向くと、また前を向いて歩き出した。

オレたち……いや、最後方にいる柊を見たのか。

何か思うところはあるんだろうが、如何せん蟻塚は噂に対して否定も肯定もしていない。

ただ「勝手にすれば?」といったスタンスを貫いてしまっている。

中学の頃に相当周りから嫌われることをしていたらしいし、本人も今さらクラスの輪に入りたいなんて思ってはいないだろうが、そこが余計に拍車をかけてしまっている気がした。

「お悩みだね〜、級長」

いつもの調子でオレたちの後ろについてきていた橘が、オレの顔を覗き込みながら言う。

「橘はどう思う?」

「ウチ?ウチは別に噂を流した犯人じゃないよ?」

「んな事聞いてねえよ。あの噂は本当だと思うか?」

「いや、デマでしょ普通に。ねえ〜、ユエチ〜?」

「な、何!?」

橘は速攻で否定すると、蟻塚の元まで駆け寄り、後ろからいきなり抱きつき始めた。

まぁ、そうだよな。

学校が始まったタイミングならまだしも、1ヶ月程度経ったこのタイミングであの噂が広まるのは少し妙ではある。

もっと早い段階で広まっていてもおかしくないはずなのに。

何故今になって広まったのか。

考えられる理由は一つ。

蟻塚を陥れて得をする誰かが、今になって意図的に噂を流した。

そう考えるのが妥当だろう。

だが、誰が?

蟻塚を恨んでいる人間はそれなりにいるとは思うが、タイミング的なことを考えるなら昨日いざこざがあったあの旭川と呼ばれてた女ーーー

「普通に考えれば柊じゃね?噂を広げようとしてんのは」

「……は?」

唐突な矢渕の一言に思わず間抜けな声が出た。

だが、矢渕は気にせず続ける。

「考えてもみろ。柊は特に蟻塚に虐められ続けてた被害者だ。なら、復讐として蟻塚を落とそうって話なら納得いくだろ?」

「本気で言ってんのか?」

オレは矢渕を睨みつけながら、問いかける。

「そう怒んなって。黒幕が普段は大人しいけど実は腹黒い人間だったなんて王道の展開だろ?」

矢渕はヘラヘラとした態度でそう言うが、例え可能性の話だったとしても柊が疑われるのは気分の良い話じゃなかった。

「柊はそんな人間じゃない」

「まだ1ヶ月も経ってないのに人の事が分かんのかよ。利用されてんだって。結城くんは」

「……、黙れ」

「結局、結城くんは見ないようにしてるだけじゃね?人の裏の顔とかそういうの。柊だって意外と誰にでも股を開くタイプかも知れなーーー」

矢渕の一言に、オレは思わず足を止める。

そして、気付けば矢渕の胸ぐらを摑んでいた。

周りを歩いていたクラスメイトは何事かとオレたちを見る。

だが、今はそんなことどうでもよかった。

矢渕に対しての怒りだけが、今のオレの心を支配していた。

矢渕の胸元を摑む手に力を込める。

分かり切っていたことだ。

コイツはどうしようもなく、腐りきった人間であるということは。

「ちょ、ちょっと2人とも!?」

早川先生がオレたちの騒ぎを聞きつけて慌てて戻ってきた。

「湊斗くんっ!」

今まで見た事のないような焦った様子で、柊も駆け寄ってくる。

「……猫かぶりやがって」

矢渕はそんな柊を見て、軽く舌打ちをするとオレを突き放し、クラスの1番後ろへと歩いて行く。

オレはそんな矢渕をただ睨みつけることしか出来ず、心配そうにオレを見つめてくる柊から顔を逸らす。

「先生、もう大丈夫です。行きましょう」

「大丈夫なわけないでしょ?せめて何があったかくらいは」

「いや、ホントに大丈夫なんで」

あえて言葉に被せるように、オレは強めに言う。

これ以上は触れて欲しくない。

そんなオレの気持ちが伝わったのか、早川先生は渋々といった様子で頷いた。

オレたちは再び歩き出すもその足取りは重い。

ずっと何かを言いたそうにしていた柊に気付かないフリをし、オレはただイライラを抑えることしか出来なかった。


5/矢渕


「聞いたわよ。上手くやってくれたみたいね」

クソつまらないハイキングが終わり、1人で部屋に戻る途中で嬉しそうに微笑む旭川とすれ違い、俺はその場に立ち止まる。

「まあ、自慢じゃないけど人に嫌われるのだけは上手いからな」

俺は自嘲気味に笑いながら、幼馴染である旭川に言葉を返す。

「それより、お前が恨んでるのは蟻塚だけって話じゃなかったか?嘘の情報を流すだけじゃなく、橘の周りの友人関係も悪化させろなんて」

「あら、不満?」

「急に違う奴の名前が出てきたら何かあったんじゃないかと思うのが普通じゃね?」

ふふふ、と旭川は意味ありげに笑い、自らの唇に指を添える。

「えぇ、まあ、正解よ。あの橘って奴も私に歯向かってきたの。だから、お返しに全部ぶっ壊してやろうって思って。丁度蟻塚と同じグループみたいだったし?貴方がいてくれて助かったわ」

「そりゃあ、どーも」

ぶすっとした顔で、俺はそう返す。

「どうせなら私の代わりに暴力を振るってくれても良かったのよ?好きなんでしょ?喧嘩」

「……、流石に女を殴る趣味はねーな」

ケラケラと笑う旭川を他所に、俺は両手を上げてやれやれと首を振る。

「そういえば小日向はどうしたんだ?アイツこそ人をいたぶるのが大好きな人間だろ?」

「アレはもう良いわ。写真程度にビビって逃げ出すような臆病者だし。帰ったら右京先輩にお仕置してもらう予定♪」

またも意味ありげに笑う旭川。

どうやら、小日向は付き合う人間を間違えたらしい。

まあ、俺には関係のない話だが。

「てか、本当に捏造だったのか?その写真ってのは」

「当たり前でしょ。どうやって作ったのかは知らないけど私はバレるような真似絶対しないもの」

「……」

どこから来る自身なのやら。

「それにしても本当にあるのかしらね。裏サイトの掲示板なんて。貴方は知らないの?」

「結城くんにも聞かれたなー。知らないっての。興味なし」

「使えないわね」

わざとらしく肩を落として、旭川は俺を睨む。

まぁ、睨まれたところで本当に知らないのだからしょうがない。

「褒めたり貶したり大変だな」

「……何?文句でもあるの?」

何故か一瞬で沸点に到達してしまったらしく、怒りを込めた目で俺を見た旭川は俺の襟元を掴み上げた。

ホントによく似ている。コイツと蟻塚は。

何かが違えばきっと良い友人になっていたことだろう。

だが、そうはならなかった。

既に手遅れ。俺が何を言おうと止まらない場所まで来てしまっている。

だから、これはせめてもの情けだ。

「文句なんかねーよ。ただ、やるなら徹底的にやろうぜ。トラウマになるくらいの奴をな。中途半端は1番嫌いなんだ。お前もそうだろ?」


6


「……、大丈夫?」

1人で昼食を取っていたオレの元に来たのはさっきまでずっと傍にいてくれた柊だった。

オレがイライラしていたのを察してか、ハイキング中は無闇に話しかけてくるようなことはなかったが、それでも絶えず心配そうな眼差しを向けてくれていた。

こんな女の子に裏の顔があったとしたら、きっとオレは二度と異性を信じることはなくなるだろう。

「悪いな、心配させて」

「ううん、大丈夫だよ」

オレの隣の席に座り、一緒に昼食を取る。

なんだかんだ言って初めてかもしれない。

柊と2人で昼食を食べるのは。

「何があったの?」

「……え?」

「湊斗くんが怒るなんて珍しいから」

そんなことはない、と思ったが確かに柊の前では今まで一度も怒ったことはなかった。

もしかして現滅されたか?

「ちょっと色々あってな。怖がらせたか?」

「うん、少しだけ」

「……っ」

当たり前の返答に胸が痛む。

そりゃあ、怖いよな。

しかも、それが異性のものであればなおさら。

「でも、それくらい嫌な事があったのかなって思ったら……その、放っておけなくて」

「そうか」

か細い声ながらも、必死に思いを伝えようと頑張る柊は真っ直ぐにオレの瞳を見つめてくる。

本当によく出来た女の子だと思う。

そんな子に何もしてあげられないというのが今はとても心苦しい。

「だから……相談してほしい、かな」

「……え?」

「いつもは湊斗くんに頼ってばかりだけど……私も、湊斗くんの役に立ちたいから」

気丈な笑みを浮かべるも、柊は緊張からか少し震えている手をぎゅっと握りしめる。

その小さな身体で一体どれほどの勇気を振り絞ったのだろうか。

貴方の役に立ちたい、などそう簡単に言えるものではない。

勿論、『言うだけ』なら誰にでも出来る。

だが、それはあくまで口にするだけの行為であり、行動も伴わなければただの口先だけの奴にしかならない。

しかし、柊は違った。

本気でオレの力になりたいと思ってくれているからこそ、こうして普段は滅多に合うことのない目をしっかりとオレに向けてくれているのだろう。

「なんか……ムキになってたのが馬鹿馬鹿しくなってきたな」

「湊斗くん?」

ため息混じりに呟いたオレは項垂れる頭を手で支える。

さっきまでのイライラは消え、なんだかとてもすっきりした気分だ。

何をやってたんだろうな、オレは。

いつもなら冷静に矢渕のことを流せていたはずなのに。

……そういえば前にもあったな。

柊に酷いことを言われて矢渕を校舎裏まで連れていった事が。

……そうか。つまりオレは。

「多分、柊のことを悪く言われたのがスゲー悔しかったんだろうな。こんなに素直で優しくて魅力的な女の子なのにって」

「……っ!?」

その言葉を聞いた瞬間、柊はみるみるうちに顔を真っ赤に染めていく。

「ひ、柊?」

あまりの急変に驚き、声をかけるも柊は口をパクパクさせながら固まっている。

何かマズいこと言ったか?

頭に疑問符を浮かべながらそんなことを考えていると、唐突に柊が机に手をついて立ち上がり、そのまま食堂を出て行ってしまった。

「……やっちまったか?」

女の子は無闇矢鱈に褒めればいいというものではないと聞いたことはある。

だからこそ、あえてオレはここぞという時にしか言わないようにしていたが、それが裏目に出たらしい。

「なるほど。アンタはあぁやって女を口説いてるわけね」

背後から聞こえてくる呆れ声。

振り返ると、そこにはトレイを持ってこちらに歩いてくる蟻塚がいた。

「口説いてるつもりなんてねえよ」

「あっそ」

特に興味もないらしく、蟻塚は席に着くなり手を合わせる。

「……私のせいで悪かったわね。嫌な気分にさせて」

「え?」

「だから、ごめんなさい」

それだけ言うと、蟻塚はただ静かに昼食を食べ始めた。

「謝れたんだな、お前」

正直、驚いた。

いつも強気なイメージの蟻塚が素直に謝るなんて。

だが、それは決して悪いことではない。

むしろ、良い傾向だと言えるだろう。

今までは例え自分が悪くても絶対に謝らない人間だったみたいだし。

「ぜーんぶどうでも良くなっちゃって。プライドとか評価とか、そういうの」

急にどうしたんだと聞くのはきっと野暮なんだろう。

大体の予想は着くし。

それよりもせっかく会話をしてくれるような雰囲気になっているのだ。

聞くなら今しかない。

「あの噂って結局どうなんだ?」

「……」

返事はなかった。

ただ黙々と箸を動かしては、食事を続けている。

沈黙が答えになってしまっている気もするが、今ここで深追いすることもないだろう。

オレはただの子供で、生徒だ。

後のことは大人である教師たちが決めてくれるはずだ。

「私は……どうしたらいいと思う?」

箸の動きを止め、小さく問いかけてくる蟻塚。

その顔はいつもの強気なものではなく、どこか弱々しかった。

「まあ、好きにすれば良いんじゃないかって普段のオレなら言うところだが、出来るならあいつと仲良くしてやって欲しい」

「……良いの?」

「どういう訳かお前と友達になりたがってるみたいだからな、柊は。散々虐めてきたんだ。あいつから奪った時間分の責任くらい果たせ」

「……噂だと私は見ず知らずのおじさんたち相手にお金を貰って性を売るようなことをしてるって話になってるみたいだけど?そんな女と仲良くしてたらあの子にも少なからず悪影響が出るんじゃない?」

「だとしても、オレは柊を信じてるし柊が信じようとしてる蟻塚を信じてるよ。第一、お前はオレのこと嫌いかもしれないけどオレは別にお前のこと嫌いじゃないしな」

「……」

蟻塚は驚いた様子で大きく目を見開く。

が、すぐにいつもの表情に戻ると、 その鋭い目付きでオレを睨みつけ、不敵に笑い出す。

「そういえばそうね。嫌いだったわ、アンタのこと」

その一言に胸がズキリと痛むのを感じつつ、オレは苦笑いを浮かべて呟く。

柊の親友になってくれるであろう、この女の子に。

「ホント、良い性格してるよ」


7


「魅力的……」

柊はニヤけそうになる顔を必死に抑えつつ、未だに鳴り止まない心臓の音を感じていた。

深い意味なんてないとはわかっているものの、先程言われた言葉を何度も思い出しては身体が震えて顔が熱くなる。

「きっと……聞き間違い、だよね?」

柊は自分に言い聞かせるようにして、記憶を無理やり頭の奥底にしまい込む。

少し熱くなった顔を手で扇いで冷やしつつ、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

と、そこへ。

「あら、柊じゃない。1人で珍しいわね」

「……旭川さん?」

「へえー、覚えててくれたの?嬉しいわ。……蟻塚はいないようだし丁度良さそうね。少し、付き合ってもらえないかしら?大丈夫よ。痛くはしないから♪」

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