第4章「橘風佳はそこそこ侮れない」
1/織笠
最近、三結の様子がおかしい。
前々から都会の高校に行きたいとか言っていたのに突然私と同じ高校に行きたいとか言い出すし、中学の頃はいつも一緒に登校していたのに何故か今は下校時だけ。
理由を聞いても特に教えてくれることはなく。
やはり、あの男が原因なのだろうか。
始業式の日に三結と一緒にいた謎の優男。
最初はいつものナンパだと思って三結を助けたけど、あの子が言うにはあの優男はただの幼馴染だとか何とか。
……いや、幼馴染だからって一緒に登校する必要ってあるのかしら?
先日2人して歩いているのを見かけた時は正直驚いたけれど、あぁいう男は絶対に駄目だ。
女をひたすら甘やかしまくって怠惰な人間にしてしまう典型的な例である。
三結も三結で男と登校するなら男と登校すると言えばいいものを。
……まさか、裏であの男に脅されている?だから、私には秘密にしているってことなの?
「ということで、あの優男を調べて欲しいのだけれど」
「良いよん。同じ塾だったよしみで手伝ったげる〜」
とある日の昼休み。
偶然出会った知り合いの橘風佳に先の相談をしてみたところ、二つ返事で引き受けてくれた。
彼女は信頼出来る。
同じ塾に通っていた時から、隠し事はしても嘘はつかないし、約束は絶対に破らない。
そんな子だった。
「でもさ〜、話を聞く限りだと織笠もその萩元ちゃんって子をちょっと甘やかしすぎなんじゃない?」
「友達の事を心配するのは普通のことよ」
「だとしてもさ〜、名前も知らない相手の事をいきなり害悪呼ばわりするのはちょっとどうかと思うな〜。私は織笠のそういう所、あんまり好きくないかも〜」
うぐっ。
橘風佳の正論に思わず黙り込んでしまう。
「まあ、橘さんに任せなさいな〜。丁度オリエンテーションもあるし、その優男くんが信頼出来る相手なのかどうか見定めて来てあげるからさ。暫し待たれよ〜」
2
「おい、良い加減起きろ。バス行くぞ」
「ん〜?もう?」
続々と教室からクラスメイトが出ていく中、1人夢の中で微睡んでいた橘を起こす。
「ふぁ~、起こしてくれてありがと。褒めて遣わす〜」
「良いから早く出ろ。担任が睨んできてんぞ」
橘は大きく欠伸をしながら教室を出ると、そのまま昇降口へと向かっていく。
「私は鍵を置いてくるから結城くんは主任の先生に従ってグラウンドに皆を整列させておいてくれる?」
「了解っす」
そう言うと教室の鍵を閉めて去っていく早川先生。
オレは言われた通りグラウンドへ向かうつもりだったが、途中で何故か先に行ったはずの柊が戻ってきた。
「どうした?忘れ物か?」
「ご、ごめんなさい……。私も学級委員長なのに、その……。忘れちゃってて」
柊は申し訳なさからなのか俯いてしまい、声も尻すぼみになっていた。
本当に真面目な奴だ。
「気にすんな。誰だって失敗する時くらいある。だから、オレがもし失敗したらその時は笑って許してくれ。頼む」
「……うん」
オレの言葉に柊は顔を上げて小さく頷いた。
オレだって大抵はいつもミスしてばかりだ。
でも、そんな時はだいたい笑って許してくれる人が側にいた。
それだけでオレはまあ、救われていたりする。
柊もそうなってくれれば良いなと、オレは思う。
グラウンドでは生徒たちがガヤガヤと騒ぎながら、列をなしていた。
「来たか、結城。人数と欠席している生徒の確認をしてくれ」
「うっす」
五十嵐主任にそう言われ、オレは列に並んでいる生徒を1人ずつ確認していこうとしたが。
「……、私がやっても良い?」
と、柊に言われてしまった。
確かに人数を数えるだけならば、別に誰がやっても差し支えはないだろう。
むしろ、オレよりもしっかりしている柊の方が適任まである。
挽回もしたいだろうしな。
オレは素直にその申し出を了承した。
柊が1人ずつクラスメイトを確認している間、オレは先頭に立つクラスメイトと軽く話す事にした。
「……何?」
今日も露骨に嫌な顔をして睨んでくる髪の長い女子生徒。
蟻塚である。
「いや、お礼を言っておこうと思って。ありがとな。来てくれて」
「死ね」
感謝したのに罵倒されたのは生まれて初めてだった。
ちょっと泣きそう。
「始業式の日に殴りかかろうとしたのを怒ってるのなら謝る。確かにあれは女子に対する行為じゃなかった。ごめん」
「……」
視線を逸らしてスマホを弄り出す蟻塚。
さすがにもう話を続ける気はないらしい。
彼女の後ろにいる生徒が「こんな奴ほっとけ」とオレに目で訴えてくる。
わかってはいるつもりだ。
多分。いや、きっと。
今後一生を掛けたとしても蟻塚と仲良くなれる日など来ないということくらいは。
でも、それでも。
放っておく気になれないのはオレという人間の性なんだろう。
「もし困ったことがあったら何でも相談してくれ。力になる」
本当にお節介で、お人好しだ。
3
「皆、バスの席は自由にして良いわよ」
校長の有り難い長話を終えて、いざバスに乗り込まんとクラスの全員が列に並んだところで、担任の早川先生がそう言った。
クラスメイトたちがざわめきだし、「自由? やった! 隣になるチャンスじゃん!」 ……などなど、様々な声がバス待ちの間に飛び交う。
「名簿順で良いじゃんな?」
少々不満気な矢渕。
まあ、言いたいことは大体わかる。
バスに乗り込む順番が名簿の早い順となっている以上、最後の方となるオレや矢渕は空いている席に座るしかないのだ。
つまり、仲の良い奴の隣に座れる確率が極端に低い。
……オレは別に誰の隣だろうと気にしないけどな。
「世の中不平等だらけだ」
矢渕はそうぼやくと前にいた女子に話し相手になってもらおうとした様だが、速攻でフラれていた。
ご愁傷様。
さて、バスに乗り込む順番が回ってきた。
仲の良いグループで固まっている連中はワイワイと騒ぎ、初めましてで隣になったらしい連中は探り探りの会話をしている。
柊は……と奥に進みながら探していると、窓の外をじっと眺めている蟻塚に一生懸命話題を振る彼女の姿を発見した。
なかなか苦戦しているようだ。
こちらに気付いた柊が軽く手を振ってきたのでオレも手を振り返す。
と、そうこうしているうちに空いている席を見つけた。
隣は……。
「おっ、ウチの隣は級長か~。ちょっと安心」
橘だった。
「見知った相手で良かった〜」
「橘でも気まずいとか思ったりするのか?」
「そりゃするよ~。ちなみに今もちょっと安心しつつ気まずくもある」
「男女が隣同士は珍しいしな」
「いや、まあ、それもあるけど〜。級長的には柊ちゃんの隣が良かったんじゃない?」
「なんで?」
「いつもすご〜く仲良さそうにしてるでしょ?ひょっとしたら付き合ってるんじゃないかな〜、みたいな?」
「別に付き合ってねーよ」
ぶっきらぼうにそう答えると、橘は「ふ~ん」と何か含みがありそうな相槌をうつ。
「なんだよ」
「鈍感なのかな〜って思ってさ。柊ちゃんって級長と話してる時だけ乙女な顔してるの気付いてる?」
「……は?」
乙女な顔?なんだそれ。
「乙女の顔知らないマジか〜。まあ、でも人の恋路をあんまり邪魔したら悪いよね〜。深追いはしないでもろて~」
そう言うと、橘は窓の外に視線を移す。
オレは釈然としない気持ちを抱えながら、肘掛けに肘をついてバスが発車するまでの時間を待った。
4
「あっ、級長も罰ゲーム大富豪やる?」
バスが走り出してしばらくすると、前の席の男子がそう声をかけてきた。
「罰ゲームって何をするんだ?」
「バスのカラオケで歌う」
なるほど。確かにクラスメイトの前で歌うとなれば、罰ゲームみたいなものか。
「わかった。やるよ」
「よっしゃ!ちなみに都落ちはなしだから安心して」
「了解」
こうして、オリエンテーション合宿のバス移動は大富豪大会になった。
最初のうちこそ、少人数でのプレイだったが時間が経つに連れて人が増え、気付けば倍ほどの人数になっていた。
とりわけオレはまだ一度も負けてはいなかったが、橘が途中から参戦してからは状況が一変。
何故か最後の最後まで上がれないという事態が頻発し、そして。
「級長、苦しそうだね~」
心の底から楽しそうにしている橘に、オレは鋭い視線を向ける。
「やってんな?」
「えぇ〜、酷いなぁ。根拠もないのに人を疑うとか~」
確かに根拠なんてない。
だが、大富豪で個人を狙って最下位に落とすことなど出来るものなんだろうか?
都落ちも存在しないというのに。
それとも人数が多くなった分、カードが偏りやすくなったのか?
「よし、上がり!」
他のクラスメイトが上がってしまい、残ったのはついにオレと橘だけとなる。
相手は2枚。さて、どう出る?
「ん〜、ウチはパスかな〜」
場にあるスペードのKを見ながら、橘は余裕の表情でそう言ってのけた。
その態度が逆に怪しく感じるが。
「大富豪って人生みたいだよね〜。配られたカードだけで勝負しないといけないとことか特にさ~」
「そうかもな。でも」
オレはそこで言葉を切ると、手札の1枚を場に出した。
「人生はゲームのようにやり直しは出来ないし、進むか逃げるかの2択だけだ」
オレが出したのはジョーカー。
残り2枚はスペードの8とハートの5。
つまり8切りして5を出せば勝ちである。
「なるほどね~。級長はそうなんだ?でもさ、2択だけだと思ってるならこの先辛いんじゃない?」
「は?」
そう言いながら橘が場に出したカードはスペードの3。
ジョーカーに対して最強のカードである。
「はい、級長の負け~」
最後に出されたのはクラブのJ。
まさかスペードの3を最後まで持ってるなんてな。
「進むのも逃げるのも良いけどさ〜。たまには休憩って選択肢も必要だよね~。頑張りすぎも体に毒だよん」
「……くそっ」
変わらず笑顔を浮かべる橘に、オレは舌打ちするしかなかった。
とはいえ、負けは負けだ。
罰ゲームはしっかり受けるとしよう。
「級長の歌、楽しみだな~」
悪戯っぽい笑みでオレを見る橘。
正直なところ、歌に自信なんてないがここまで来たら覚悟を決めるしかないだろう。
オレは一昔前の曲しか載っていないようなカラオケの選曲リストから、1曲選ぶと覚悟を決めてマイクを手に取る。
流れてくる音楽に身を任せて歌い始めると、クラスメイト全員がしーんとした様子で聞き入っていた。
別に音痴というわけじゃないはずだけど、こうしてじっくり聴かれるとさすがに恥ずかしくなってくるな……。
柊が何故かじっとこっちを見てくるし。
頼むオレを見ないでくれ。他人ならまだしもクラスメイトだと余計恥ずかしいから。
羞恥心に悶えそうになりながらも、どうにか最後まで歌い切ったオレは緊張から解放され、深く息をついた。
「普通に上手くて草〜。おもんな~」
拍手をしながらそんなことを言ってきたのは、何故か大笑いしている橘だった。
そんなに面白かっただろうか。オレとしては羞恥心でそれどころじゃなかったんだけども。
「次は絶対お前に歌わせてやるからな?」
「良いよん。受けて立つ〜」
5
バスでの移動中は大富豪にカラオケにと散々だったが、その後は何事もなく目的地へと到着した。
バスから降りて荷物を受け取ると、そのまま宿泊施設に入ってチェックインをすませる。
山の中だと聞いていたからてっきりテントを張るような場所を想像していたけれど、案内されたのはホテルだった。
しかも、結構いいホテルだ。
「なんかウチの学校をやってる偉い人が、ここのオーナーと友達らしくて部活の合宿とかにもここをよく使わせてもらってんだってさ」
「なんでお前がそんな事知ってんだ?」
自慢げに話す矢渕にオレは疑問の目を向ける。
「隣の席だった奴と色々話したんだよ。暇だったし」
「お前寝てなかったか?」
「話が面白くなさすぎてな」
薄情すぎんだろ。まぁ、こいつに人情を期待する方が間違っているか。
荷物を部屋に運び込むと、そのまま隣接した体育館のような場所に移動する。
大方、今日と明日の予定を説明して少し別の話もした後にようやく昼食といった流れになるだろう。
しかも、飯盒炊爨。
一応カレーも合わせて作っていくらしいが、この際はっきり言おう。
オレは飯盒なんて見たこともないし、飯盒炊爨なんて聞いたこともなかった。
「キャンプとかで使う奴らしい。知らんけど」
と、矢渕は言っていたが本当に大丈夫だろうなオレのグループは?
「よし、とりあえず米を炊く奴とカレーを作る奴で分けるか」
体育館での長話が終わり、いよいよ昼ご飯作りへ。
ブロックで囲われた複数のキッチンがある場所にクラスメイトたちがそれぞれグループで分かれ、調理を開始する。
「火は?」
「オレがやっとく。野菜切ったり米をといだりを頼む」
「野菜、やろうかな」
と、柊がちょっと自信なさげに言う。
「なら、米」
と、次に何故かウンザリした表情で蟻塚がそう答える。
相当柊が努力したみたいだが、ちょっと可哀想に見えてきたな……。
「ウチはどっちでもいいけど今日はナホチとイチャイチャしよっかな~」
「ナホチ?」
「ん。柊南帆だからナホチ。可愛いっしょ〜?さあ、いこいこ~」
そう言って、橘は柊に抱きつくとそのまま野菜を取りに行ってしまう。
……本当に自由だな。
残りは蟻塚と矢渕だが。
「代わるか?」
矢渕に小声で聞く。
こいつらが仲良くしている姿なんて想像出来ないし、喧嘩でもされたら困る。
「任せなって。腹減ってるし普通にやるよ。皮肉は混ぜるかもだけど。カレーだけに」
「その調子なら問題ないか」
米は2人に任せてオレは薪とマッチを持ってくると、早速火おこしを始めた。
最初は結構苦戦するかと思っていたが、案外簡単に火が着き、手が空いてしまったオレは4人の様子を見に行くことにした。
「何か手伝うことあるか?」
楽しそうに会話していた橘と柊にそう話しかけると、橘は肉を指さして「お願い〜」と言ってくる。
オレは2人の隣に並んで用意されていたまな板の上に肉を乗っけて食べやすい大きさに切っていく。
それにしても。
「2人とも手が綺麗だな」
「……、えっ!?」
柊は驚いたのか、持っていた野菜をまな板に落とすと、顔を真っ赤にしながら手を隠す。
「なんだなんだ~?ウチらを褒めたって何も出ないぞ〜?ねえ、ナホチ?」
「……う、うん」
何やら柊は照れているのか、どこか落ち着かない様子だった。
「ただ褒めただけだぞ?」
「ホントに~?なんかナンパしてるみたいだったけど〜?」
「……、悪い。嫌な気分にしたなら謝る」
「あはは、なに真剣な顔してんの~。冗談だよ冗談。普通に嬉しかったから謝んないでよ〜」
と、橘は笑いながらオレの背中を叩く。
「私も……嬉しいよ?」
頬を赤く染めながらも励まそうとしてくれているのか、柊も笑顔でそう言ってくれる。
なんか申し訳ないな。
「肉切れたから先炒めておくぞ?野菜も切れたら持ってきてくれ」
「うん、お願いします」
とは言え、オレに出来ることは限られている。
例えなりゆきで決まったようなグループでも最高のメンバーであることに代わりはない。
オレはオレで頑張るのみだ。
6
「いただきます」
その後、特に問題もなくカレーと米が完成し、オレたちは昼食を食べ始めた。
見た目は別に悪くない。普通に家で作るものと大差ないように見える。
だが。
「……なんか米がベタベタしてね?」
微妙な顔をした矢渕がスプーンをテーブルに置く。
確かにカレーに紛れてはいるが口に含んだ瞬間、妙な粘り気があることに気づく。なんだか全体的に水っぽいというか。
「蟻塚さんよ、水の量多かったんじゃねーの?」
「は?」
矢渕の発言に、眉をひそめる蟻塚。
ひりついた空気に橘と柊がおどおどする中、矢渕は後頭部に手を組んでお構いなしに続ける。
「これだから適当な女は困るぜ。こんなもん食って腹壊したらどうすんだよ」
……こいつ、わざと言ってんのか?
挑発するような物言いをする矢渕に、流石にオレもイラッとした。
「見てただけのアンタに言われたくない」
「米といで炊くだけなのに二人も三人もいるかよ。馬鹿なんじゃねーの?」
「……あ?今なんつった?」
今度は蟻塚までキレ気味だ。
さっきから喧嘩腰の矢渕に対し、最近はずっと大人しかった蟻塚が牙を剥く。
この二人の間に何があったか知らないが、このままじゃヤバそうだ。
「嫌なら食べなきゃいいでしょ。気持ち悪い」
「気持ち悪いのはお前の作った米だろ」
「……っ!?」
蟻塚が矢渕の服を掴み上げて立ち上がらせる。
そのまま顔面目掛けて拳を振り上げるが、それは寸でのところで止まった。
何故なら――。
「いらないならオレが貰うぞ?」
「え?」
オレは矢渕の皿を持ち上げて一気にカレーライスをかき込む。
口の中に広がる不快感はこの際無視だ。
食感はどうであれ、カレーはカレー。
味に変わりはない。
唖然としている二人……いや、四人を他所にオレはカレーライスを完食し終えると、空になった皿を矢渕に返す。
「初めてやったんだろ?こんなもんだろ普通。気にすんな」
「……」
何かを言いたげにしていた蟻塚だったが、結局無言のまま席に着く。
その表情には悔しさが滲み出ていた。
一方で矢渕の方は呆れた顔でオレを見つめている。
せっかく追い詰められたのに、なんて顔だ。
腹は立つがこいつも腹を空かせているだろうし、あとで何か持ってきてやるとしよう。
その間はまあ、オレをイラつかせた罰ということで我慢しててくれ。
7/蟻塚
どいつもこいつも私をイラつかせる奴らばかりだ。
特に結城湊斗。
あいつはなんなんだ?
一体何がしたい?
私に対して、何を求めてる?
わからない。まったく、わからない。
復讐などという訳のわからない説得をされてモヤモヤした気持ちのまま、オリエンテーションに参加してしまったのを少し後悔する。
「もう……良いや」
次も授業の一環で何やらグループ毎で別れてゲームをするようだが、そんな気分には到底なれなかった。
矢渕はムカつくし、柊はウザいし、結城は意味がわからない。
あんな奴らと一緒にいて一体何があるというのか。
……もしかして私に嫌がらせをするのが復讐だとでも?
だとしたら、大成功だ。
こんなにも私は苛立っているのだから。
「……帰りたい」
私は1人、自分の部屋へと続く廊下の壁にそっと背中を預けて座り込んだ。
と、そこへ。
「あれ?なんか見知った顔だと思ったら
いかにもギャルっぽい女たちがこちらへ向かって歩いて来る。
1人は中学の頃によく連んでいた
もう1人は知らない。
「なになに?友達?」
「うん、まあ、そんなとこ。中学の時に色々とね」
旭川が飄々とした態度でそう答えると、不敵な笑みを私に向けてクスクスと笑い始めた。
「なに?」
「いや、別に。いつもなら目が合った瞬間に掴みかかってきてたのに今日は随分と大人しいなって。廊下の隅なんかで丸くなっちゃって。陰キャみたい」
「あ?」
私は勢いよく立ち上がって、旭川の胸ぐらを掴みにいく。
だがしかし、パシッ!と私の腕はいとも容易く隣にいた女に掴まれてしまった。
「……!?」
その女は私よりも少し背が低いのにも関わらず、腕を掴むその力は信じられない程に強かった。
「今さ、コイツ旭ちゃんに手を出そうとしてたけどホントに友達?」
「言ったでしょ?色々とね、って」
「ふ〜ん。にしてもコイツ細すぎでしょ。喧嘩したって折れちゃうよこれ」
私の腕を掴んだまま、もう1人の女が無遠慮にジロジロと私を観察をしてくる。
「……っ!離せ!」
私は掴まれている腕を強引に振りほどく。
痛い。力強く掴まれていたせいか、腕がジンジンと痛む。
「そういえばあの子はどうしたの?ほら、なんて言ったっけ?えぇっと……そうそう。柊南帆さん。まだ一生懸命虐めてるの?」
「アンタに関係ないでしょ」
「なに?コイツ虐めとかやってんの?もしかして時間とか無駄にすんの好きなタイプ?ンなことするより金持ってる男と遊んだ方がよっぽど有意義でしょ。あ、でもアンタには無理か。だって不細工だし」
「こらこら。そういうのはやめてあげてね。蟻塚祐絵はこう見えて結構傷つきやすい子なんだから」
旭川と名前も知らない女がケラケラと私を馬鹿にするように笑う。
……ああ、もう駄目だ。
コイツらのヘラヘラした態度が私の神経を逆撫でする。
殺してやろうか、今ここで。
「そんなに睨まないでよ。アンタがあんな奴好きになるのがいけないんでしょ?」
「……っ」
「えー?どーゆーこと?」
「この子はさ、好きな男が「柊って奴、可愛いよな」なんて言っちゃったもんだから嫉妬して惨めにも柊南帆を虐め始めちゃったんだよね〜。乙女すぎて超かわいいでしょ?」
ププッ、と旭川がわざとらしく笑う。
本当なら掴みかかってぶん殴ってやりたいところだが、余計な女がいてはそれも敵わない。
私はただ耐えて拳を力いっぱい握ることしか出来ず、歯噛みする。
「まあでも、その蟻塚祐絵の好きな男ならもう私が貰っちゃいましたけど」
「……え」
その言葉を一瞬理解出来ず、私はただ呆然とする。
何も考えられなかった。
いや、何も考えたくなかった。
あの人がもう、こんな奴の彼氏などと。
「ホントに分かりやすいよねぇ、蟻塚祐絵って。だからこそ、弄り甲斐があるんだけど」
「……嘘、でしょ?」
「ホントだって。なんなら2人で撮ったプリクラ見る?キスとかしてるけど」
そう言って、旭川が手に持っているスマホをこちらに向ける。
そこには、2人で仲睦まじく肩を寄せ合う男女の姿があった。
女は間違いなく旭川だ。そして、男の方は……。
「……っ」
気付けば走り出していた。
ただ逃げるように。
現実から目を背けるように。
もう……良いや。
何もかも……どうでもいい。
学校も、家族も、友達も。
全て、すべて、消えてしまえばいいのに。
8/蟻塚
「……、蟻塚さん?」
部屋の隅で身を縮こませるようにして座り、目を瞑る私に声を掛けたのは鬱陶しいあの子だった。
あれだけウザいくらい話し掛けておいてまだ私のことが怖いらしく、震えたような声色でありつつもまだ私の事を心配しているらしい。
ホントに馬鹿な子だ。
私は仲良くする気など微塵もないというのに。
「えっと……大丈夫?」
優しくしないで。
私に構わないで。
関わりたくない。
放っておいて。
心の中でそんな悪態をつくが、何故か口には出なかった。
私が思っている以上に私は弱い人間だったらしい。
いや、心のどこかでは多分気付いていた。
気付いていたからこそ、私は私を偽って強がりながらも足掻いていたのだ。
そう、私は弱い。
強くなんかないのだ。
だから……誰かに優しくされるような資格なんてなかった。
ましてや、自分が虐めていたはずの相手に優しくされるなど、あってはならない。
私は……私は……。
私は、もう……。
「皆、待ってるよ?」
「……」
「お腹が痛い、とか?」
「……そうね。そうかも」
私はそう答えながら、ゆっくりと目を開ける。
両手を胸の前でぎゅっと握りながら膝をついてこちらを覗き込んでくる彼女は、どこか申し訳なさそうな表情をしていた。
「なに?」
私が睨みつけると少し怯んだ様子で、しかし彼女は私から目を逸らそうとしなかった。
何かを言おうと口を開きかけたが、すぐにきゅっと口を結ぶ。
そして少ししてから言った。
「さっき、廊下で話してたこと聞いちゃって……。ごめんなさい」
「……そう。ざまぁみろって言いに来た訳か」
「ち、違うよ!」
「……なら、何?まさか同情でもしてるつもり?アンタが?私に?」
馬鹿らしい。
この子に一体私の何がわかるというのか。
恋愛の1つもしたことがないような、この子に、私の何が……!
「……、今まで散々辛い思いをしてきたってのにこれからもずっと同じ思いをしていかなきゃならないなんて納得出来ないだろ?」
「……は?」
何を言って……。
「確かに私は蟻塚さんの気持ちをわかってあげられないもしれないけど……ずっと辛そうにしてるのは知ってたから」
「……」
わかるはずがない。
私は自分を偽って今まで生きてきたんだから。
弱い自分を隠してきたんだから。
誰にもバレないように、ずっと……ずっと。
なのに……どうして。
どうして、アンタが泣いてんの……?
「あれ……?おかしいな……。なんで、私が泣いて……」
私は何も言えず、ただ彼女の涙を流す姿をじっと見つめることしか出来なかった。
私は……どうすれば良かったのだろうか。
どうすれば、正解だったのだろうか。
拒絶し否定され続けても尚、変わらず私に手を差し伸べて涙を流してくれるようなこの子に私はどうすれば……。
「……、ウザすぎ」
私は溜め息をついてゆっくり立ち上がると、油断していた柊の頭をわしゃわしゃと掻き回した後、彼女の目を真っ直ぐ見つめて言った。
「許さないから」
「……え?」
キョトンとする柊に背を向けて私は歩き出す。
「私を惨めな気分にさせておいてただで済むと思ってないわよね?復讐だかなんだか知らないけど良いわ。付き合ってあげる。ただし、それが終わったらもう二度と私に関わらないで。ほら、行くわよ」
柊はきっとわかっていないだろう。
私がどんな思いでそう言ったのか。
でも、それでいい。
私のことなど分からないままでいてくれれば何も問題はない。
わざわざ同じ場所に堕ちてくる必要なんて、ないのだから。
9
「あ~あ、ホント面白い」
「物凄い顔してたよね、蟻塚って子」
「叩けば叩くほど良い顔してくれるのよ。あの子の周りにいた男連中も全員私のものに出来たし、もう蟻塚を支えるものは何もなくなった。いい気味だわ」
「後はどうすんの?退学でもさせる?」
「そうね。目障りな奴には消えてもらわないと。でも、その前に私の側についた男連中にもちゃんとご褒美をあげないとね」
「もしかして……蟻塚を襲わせるとか!?」
「正解。あの連中は多少なりとも蟻塚に気があったみたいだし、証拠隠滅を手伝ってあげるって言えばきっと襲いにいくわ。蟻塚の奴、どんな顔するかしら。想像するだけで笑えてくる」
長い廊下でゲラゲラと笑い合う2人の少女。
話の内容が内容でなければ、さぞ微笑ましい光景だっただろう。
だが、他人を陥れる人間は総じて醜いものだ。
自分もまた陥れられている側だということにも気付かないのだから。
「お二人さん。ちょ〜とお話聞いてもらっても良きかな~?」
「……?誰?旭ちゃんの知り合い?」
「さあ?人違いじゃないかしら?」
突如現れた第三者の姿に2人の少女は首を傾げる。
「旭川さんと小日向さんでしょ?大丈夫大丈夫~。間違ってなんてないからさ」
名前を言われた2人は怪訝そうな顔で声の主である橘風佳を見つめる。
「何の用かしら?」
「いや~、実はウチのグループでちょっと迷子になってる子がいましてね〜?その原因があなたたち2人にあるんじゃないかと踏みまして~。何かお心当たりはございません?」
ゆるい笑顔を浮かべる橘は2人に向かって問い掛けるも、何のことかさっぱり分からない様子で互いに顔を見合わせていた。
「勘違いじゃない?私たちは迷子なんか知らなーーー」
「知らねェわけないよな?」
「え……」
小日向の言葉を遮った橘の言葉に、2人は驚愕の表情を浮かべる。
さっきまでのゆるい雰囲気はどこへいったのか、橘の表情は酷く冷たく、瞳も澱んでいる。
突如豹変した彼女の姿に2人は思わずたじろいだ。
対して、当の本人である橘は特に気にした様子もなく一瞬で元のゆるい表情に戻った。
「さっき、蟻塚ちゃんと話してるのをこっそり盗み聞きしちゃいましてね~?正直な話、あぁいうのってもうやめて欲しいんだよね〜」
「は、はぁ?アンタにはなんの関係もないでしょ?」
「うん、ないよ。全然ない」
旭川の言葉に橘はきっぱりと断言する。
あまりにもバッサリとした物言いに、2人は思わず啞然としてしまう。
だが、そんな2人などお構いなしに橘は言葉を続ける。
「でもさ、ウチにとっては誰が好きで誰が嫌いで、誰が良くて誰が悪いとか正直どーでも良くってね~。ウチは、ただ皆で笑って楽しければそれでいいの。例え影で誰かが泣いてたとしてもね。まぁ、この辺はあなたたちと一緒かな〜」
「な、何を言って……」
「これ、なんだか分かる?」
そう言って橘はスマホの画面を2人に見せる。
そこに写っていたのは1人の少女がかなり歳のいった男性と怪しげなホテルへ入っていく姿だった。
そして、もう1枚は制服のボタンが外され、胸元をはだけさせて妖艶な笑みを浮かべる別の少女とこれまた歳の離れていそうな男性の写真だった。
2人は思わず息を呑む。
それらに写っているのは間違いなく旭川と小日向だったのだから。
「ど、どこでこんなの……!」
「どこって学校裏サイトの掲示板だよん。何故か普通の人には絶対に見つけられないような仕様になってるけど」
「……ねえ、旭ちゃん。ヤバくない?」
「……」
完全に言葉を失う旭川に橘はまるで励ますように優しく言葉を掛ける。
「安心していいよ~。ウチはたまたま、奇跡的に、偶然見つけただけで2人をどうこうしたいとか全くないからさ〜。ただ……わかってるよね?ウチは、『友達』と楽しいのが好きなの。んで、『友達』の曇った顔なんて見たくないの。この意味、賢い2人ならわかるでしょ?」
「……」
返事を待つこともなく、橘は旭川の肩を叩くと鼻歌を歌いながらその場を去っていく。
残された2人はただただ立ち尽くす他なかった。
10
「珍しいな、鼻歌なんて」
オレは廊下でたまたま奇跡的に偶然出くわした橘に声を掛ける。
「おやおや~?級長こそ廊下の影に隠れて何やってたのかな〜?女子の会話を盗み聞きなんて変態さんだ~」
「何も聞いてないっての。ただお前ら3人を探しに来たんだけだ」
「ふ〜ん。そういえば級長ってさ」
橘は急に神妙な顔つきになると、 少し間を空けて口を開く。
「楽しい?こんな問題児ばかりのグループで」
何やら含みがありそうな問いがきたが、その答えなら決まっている。
「オレも問題児だから安心しろ。なにせ窓ガラス割るしな」
そう答えると、橘はぷふっと小さく噴き出す。
どうやらご満足頂けたらしい。
問題児に優しいグループは最高だ。
むしろこんなグループこそ貴重なんだろう。
オリエンテーション合宿はまだ始まったばかり。
このグループでの合宿が、 各々の楽しい思い出として残るようにオレも努力するとしよう。
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