第3章「柊南帆は凄く頑張り屋」

「なんか湊斗、機嫌良さげ?」

「まあ、ちょっとな」

「わかった!星座占いで1位だったんでしょ?」

「割と嬉しい奴きたな」


1


「そういえばオリエンテーション合宿っていつだっけ?」

「来週じゃなかった?どこにいくんだろうね?」

「なんか山の中っぽいよ。先輩が言ってた」

「うわー、だるぅ」

朝の教室でいつものように仮眠を取っていると、たまたまそんな会話が聞こえてきた。

合宿……?聞いてないが?

「結城くん、おっす~」

目を開けて体を起こすのとほぼ同時。

うっとおしい奴に声を掛けられる。

「矢渕か。丁度良いところに来た。合宿って知ってるか?」

「合宿?あー、山の中に泊まるやつでしょ?知ってる知ってる。なんか色々やるんだよね」

「色々ってなんだよ」

「そりゃあ、色々は色々さ」

要するに詳しくは知らんってことか。

合宿……ね。なるほど。

クラス分けの紙を見た時、萩元が絶望してた理由がなんとなくわかった気がする。

萩元には悪いが、こういう学校行事のほとんどに参加できていなかったオレとしては少し楽しみではあった。

「男同士で寝泊まりとかキチー」

嫌そうな顔をしながら席に座ってスマホをいじり出す矢渕。

だが、その顔はちょっとだけ笑っているようにも見えた。

机に座って黒板の字を書き写してるよりはマシ、とでも考えているのだろう。

「結城くん、あれやってみない?あれ」

「あれってなんだよ」

「女子風呂覗いて叱られる奴」

「やらねえし、叱られてるじゃねえか」

そんなことしたらきっとクラスどころか学校にすらいられなくなるぞ。

「じゃあ、女子の部屋行ってそのまま夜を明かしたり?オーケーしてくれそうな子何人か知ってるよ」

「一人で行け」

「つれないなぁ。一度くらい非行に走ったってバチは当たらないよ?」

「お前、オレが窓ガラス割ったの忘れてるだろ?」

「一回も二回も同じだって~」

「言ってること無茶苦茶じゃねえか」

笑いながら言う矢渕に呆れつつ、オレは再び机の上に突っ伏した。

この調子だと本当にやりかねないから困ったものだ。

「……え?結城くん、ちょっと」

急かすようにゆさゆさと揺すってくる矢渕。

どうせまたしょうもない事を考えているに違いない。

なんだよ?と再び顔を上げるとそこには見覚えのある顔があった。

「……蟻塚?」

相変わらず不機嫌そうな顔をしながら教室に入ってきた彼女は周りに威圧感を放ちつつ、特に何をするでもなく自分の席につく。

思っていたよりも復帰が早い。

1ヶ月くらいは停学になると思っていたのだが……。

「ねえ、級長。なんで蟻塚いんの?停学って話は?」

近くで雑談していたクラスの女子がこそこそと耳打ちしてくる。

「いや、オレに聞かれても」

「私、あれの後ろの席なんですけど。もう最悪」

心の底からうんざりしたような表情で呟く彼女を見てオレは何とも言えない感情になった。

既視感と言うかなんというか。

昔の自分へ向けられた言葉と似ていたのだ。

とはいえ、蟻塚に関しては自業自得。

オレがしてやれることは何もない。

「柊ちゃんがまた肩身の狭い思いをしなきゃ良いけどね〜」

クラスメイトの鋭い視線が蟻塚へ向けられる中、矢渕はいつも通りに笑顔だった。

最近は周りに人が増えつつある柊の事だ。

大丈夫だとは思いたいが。

「大将、このチャンスは生かすべきじゃない?潰すなら全然手伝うよ」

「誰が大将だ」

今まで見たこともないくらい楽しそうにしている矢渕に対してオレはため息をつく。

下手したら昔のオレの時より楽しそうだ。

気に入らないとか言ってたもんな。

「そもそも柊ちゃんに手を出されて怒ってたのは結城くんじゃん?窓ガラス割ってたし」

「あれは怒った訳じゃなくて単に可哀想だったから助けただけだ」

「可哀想?たったそれだけ?お人好し過ぎん?」

「柊には負ける」

とにかく。

また蟻塚が柊に突っかかるようならば、色々と考えなくてはならないだろう。

堂々と首を突っ込んで地獄から彼女を引きずり上げた者の責任として。


2


特にこれといった問題もなく、昼休みになった。

柊も多少は警戒しているのか、登校してからというもの休み時間になる度にオレの近くに避難してきている。

それにしても。

「あんなあからさまに避けられるもんか?」

まるで見えない壁でもあるかのように机に座って昼飯を食べる蟻塚の周りには人がいなかった。

というか、喋らない。

始業式の日とは見違えるくらいに蟻塚はまったく誰とも喋らないのだ。

取り巻きの男たちがいないせいもあるだろうが、普段はこんなものなのか?

「なーんか変?」

矢渕も異変を察しているらしく、眉をひそめている。

「最近俺のスマホ充電の減りが早くてさ」

「そっちかよ」

くだらない話についツッコんでしまった。

「冗談だって。わかってるよ、蟻塚の事でしょ?」

「やけに大人しくないか?中学の時はどうしてた?」

「どうしたも何も1人で騒いでたら頭おかしいでしょ」

「それはそうか……。何もなければいいけどな」

「……」

「なんだよ、その目は」

「今世話焼こうとしてなかった?」

「焼くわけないだろ。そもそも焼くほど困ってるようにも見えん」

スマホをいじりながらただ黙々と手作りらしき弁当を食べる蟻塚。

周りに誰もいないことを特に気にした様子もなく、自分だけの世界に入り浸っていた。

「まあ、突っかかってこないって事は反省したってことじゃん?俺らも学食行くべ」

「一人で行け」

「うわ〜、最近返しが雑〜」

傷ついたふりをしつつ教室から出ていく矢渕を見送り、オレは再び蟻塚を見る。

心配しすぎ、か。

最後に4人ほどのグループとなって弁当を囲む柊を見届け、教室を出る。

さて、パンでも買いに購買部にでも行くか。

と、思っていた矢先。

「おぉ、結城。丁度良いところで会ったな」

どうやらオレを探していたらしい五十嵐先生に見つかった。

「お前に手伝って欲しいことがあるんだ。来てくれるな?」

「先生、オレ今から昼飯なんすけど」

「教師の頼みより大事な昼飯があるのか?そうかそうか。なら仕方ないな。今からでも指導室へ行って反省文を500枚ほど……」

「いやー、丁度先生方のお手伝いを何かしたかった気分なんですよねー。超嬉しー」

明後日の方向を見つつ心にもないことを言う。

棒読みなのはご愛嬌だ。

「気が乗らないのはわかるが昼飯くらい奢ってやる。だから、頼まれてくれ」

「マジで?」

願ってもない提案だった。

ただ昼休みが終わるまでに食べられるかは怪しい気もするが。

「そういえばどうして蟻塚だけ停学期間が短いんすか?」

五十嵐先生に連れられて歩く中で、ふとした疑問をぶつける。

「気になるか?アイツはな、結城には一切手を出してないと必死に抗議したらしい。ただ、あの場所で見ていただけだと」

「……、なるほど」

「お前に暴力を振るった他の連中も蟻塚と同じ事を言っていたからアイツだけ特別に期間を短くしたんだが、何か問題があったか?」

「いや、事実です」

蟻塚は確かに、オレには一切暴力を振るっていない。

だが、柊には……と思ったところで考えるのをやめる。

当の本人である柊が教師に報告していないのだから、オレが余計なことを話す必要はないだろう。

柊にも柊なりの考えがあるんだろうし。

それに、強い。

オレが想像している以上に柊は芯の強い女の子である。

下手したら蟻塚なんかよりもずっと。

「聞いたぞ。学級委員長になったんだってな。頑張れよ」

そう言って何故か嬉しそうに笑う五十嵐先生。

オレは途端に恥ずかしくなり、顔を背ける。

「ただの暇潰しっすよ」

「それでも嬉しいもんだぞ?生徒が成長していく姿というのは」

そういうものなんだろうか。

オレにはまだよくわからないが。

「そのうちわかるさ。大人になればな。あっという間だぞ?時間が過ぎるのは」

「むしろ今は長すぎて嫌気さしてますけどね」

「俺からすれば贅沢な悩みって奴だな。後悔しない人生をとまでは言わないが、せめて誰かに誇れるような人生を送れるようにな」


3


「はい、というわけで合宿のグループを作りたいから五人組で集まってもらえるかしら?」

六時間目ということもあり、多少うつらうつらしていると担当教師である早川先生がそんなことを言い出した。

特に仲の良いクラスメイトがいないオレとしては誰と組まされようがあまり変わらない気もするので適当に割り振ってもらえた方が助かったのだが。

「まあ、結城くんは確定じゃん?あと三人か」

さっそくバカがオレを数に入れ始めた。

「お前と組むなんて一言も言ってねえよ」

「え~、じゃあ他に当てはあんの?」

「ねえけど、お前と組む理由がないだろ。むしろ、お前と組まない理由の方が多い」

「そこはほら、俺を助けると思ってさぁ。……ただでさえ、俺このクラスで浮いてるから気まずいんだよ」

小声で訴えかけてくる矢渕。

お前の口から気まずいなんて言葉が聞けるなんてな。

そういうのは気にしない奴かと思っていたのに。

「なら、これはチャンスかもな。お前が変わるための」

「お、俺と組まないと後悔するかもしれないじゃん?」

「ほう、例えば?」

自分のプレゼンを始めようとする矢渕に先を促す。

矢渕の言う通りだとしたら面白いだろうが、こいつがそこまで考えているとは思えないし、期待はできないだろう。

「例えば……そう、フィジカル強いしサバイバルとかで役立つ!」

「なんだよサバイバルって」

「無人島行くかもだろ?」

「山の中っつってんだろ。そもそも学生がサバイバルって。映画の見過ぎだ」

呆れたようにため息をつく。

確かにオリエンテーションで何をやるのかはオレも知らないが、ただ皆で遊んで親睦を深めるだけの交流会的なものになるんじゃないだろうか。

そうでなければこんな時期にやらないと思うし。

つまり、フィジカルは重視されない。

大事なのはコミュニケーションだ。

その点、矢渕は……苦労しそうである。

自分中心に世界が回ってるとか思ってそうな奴だし。

「あの……み、湊斗くん」

と、そこで控えめに声をかけられた。

声の主はもちろん柊だ。

「どうした?」

「えっと……一緒のグループに入れたらなって。だめ、かな?」

頬を赤らめながら上目遣い気味に見つめられる。

これを無意識でやってるんだとしたら恐ろしい事この上ない。

「オレなんかで良いのか?せっかく仲良くなれた友達もいるだろうに」

「……応援、されちゃったから」

「応援?」

言っている意味が分からなかったが、クラスメイトの女子たちが時折こっちを見ては興奮気味にきゃーきゃーと騒いでいることに気付く。

なんなんだ一体。

「これで三人か」

「おい、待てコラ」

勝手に仲間になったつもりの矢渕を小突く。

「頼む!結城くんのことなんでも言うこと聞くから!なんなら、命令されるまで動かないと約束する!」

「一昔前のゆとり世代か。あと許可を得るなら柊に頼め」

「……、え?」

驚いた様子でこちらを見る柊。

「オレは柊と組むって決めたんだ。柊が拒否するならお前とは組めんだろ」

「私は良いよ?」

「ほら、柊も嫌がって……は?」

思わぬ返事に一瞬思考が停止する。

この間まで罵倒してきた奴だぞ?何考えてんだ?

「気にしてないことはないけど……湊斗くんがいてくれるなら」

「お前な……まあ、いいや。コイツのこと嫌になったらちゃんと言えよ?」

柊本人が良いと言うならもう何も言うまい。

「てか、前から名前呼びだったか?」

「あっ、ごめんなさい。迷惑……だった?」

「いや、オレは別に嬉しいけど」

柊にだって気になる相手の一人や二人いるだろうに。

そいつらに勘違いでもされたら面倒なことになるのが目に見えているが大丈夫なんだろうか。

え、ひょっとしてオレが気にしすぎなだけ……?

名前呼びってそんなに大して特別なことじゃないのか?

「あと二人どうする?」

オレの心配など露知らず、矢渕がそんなことを言い出す。

「お前も少しは遠慮しろよ」

「まあまあ、仲良くいこうよ。ねえ、柊ちゃん。柊ちゃん?」

と、何故か周りを見渡す矢渕を見てオレも振り返ってみるがそこにいたはずの柊はいなくなっており。

何故か1人で黄昏ている蟻塚の方へと向かっていく柊の姿が見えた。

「おいおい」

周りのクラスメイトたちも柊のその異常な行動に気が付いたらしく、ただ息を飲む。

「……、蟻塚さん」

声をかけた柊の方へと振り向く蟻塚。

その表情は相変わらず不機嫌だ。

「何?」

「えっと……その、同じグループになってほしくて」

「アンタ馬鹿でしょ?」

「え?」

怒るでもなく、笑うでもなく。

ただ蟻塚は静かにそう言った。

「どういうつもりか知らないけど私は嫌。アンタとだけは絶対ない」

「……でも、私は」

「執拗い。何?罰ゲームでもさせられてんの?それとも散々虐めた私への嫌がらせ?」

「違う」

「なら、何?もしかして私を怒らせようとしてる訳?」

「私はーーー」

「柊、ちょっと待った」

徐々にイライラを募らせる蟻塚を見て流石にヤバいと思ったオレは柊を止めに入る。

「悪い、蟻塚。柊は別に悪気があって誘ってるわけじゃないんだ。それだけはオレからも補償する」

「あっそ。……別に好きにすれば?私はどうせ行かないから。合宿なんて」


4


「わがまま、だったかな……」

「まあ、理由はどうあれよく頑張った方なんじゃないか?安心しろ。柊は悪くない」

蟻塚から離れ、少し落ち込んだ様子の柊を励ます。

「蟻塚をグループに入れようなんて無謀でしょ。ただでさえ、結城くんも嫌われてんのに」

「好きにしろとは言われたけどな」

「当日来ないんじゃいないのと変わらないでしょ。ホント、結城くんも柊ちゃんも何考えてんのかわかんね」

両手を上げてやれやれと呆れる矢渕。

「とりあえずあと1人決めれば終わりだな」

「え?マジで蟻塚入れるつもりなの?」

「リーダーの要望だしな」

「……、?もしかしてリーダーって私?」

おずおずと手を上げる柊。

「あぁ、一応な。柊がオレたちを集めたんだし。しっかりな、リーダー」

「でも、私なんかよりも湊斗くんの方が……」

「やる前から諦めんなよ。安心しろ。オレも手伝う」

「……うん。がんばる」

何とも頼りなさげなリーダーだが、4人の中で一番まともなのは柊なので致し方ない。

矢渕もその辺は納得しているらしく口出しはしてこなかった。

「とにかくあと1人だ。候補はいるか?」

「俺は誰でも良いよ」

「お前には聞いてねえ。それと、このグループでお前に発言権があると思うなよ?なんでも言うことを聞くって自分から言ったんだからな?」

「うぐっ……」

「私は……誰でも」

「なら、その辺で1人寂しそうにしてる奴を誘ってきてくれ」

「えっ……私が?」

「だめか?」

「初対面の人にはなんて話しかけたら良いかわからなくて……」

それでよく蟻塚に声を掛けられたな。

まあ、でも確かによくよく考えてみれば柊は何でも自分から行くタイプではないか。

むしろ、大抵はクラスの女子の方から話し掛けてもらっていたような気もするし。

「よし、矢渕。出番だ」

「えー、俺?苦手だぞ?そういうの。しかも俺の印象ってめちゃくちゃ悪いじゃん?断られたら普通にキツいし」

「使えねえ奴だな」

「うわー、すげぇ悪口」

矢渕を無視してオレは適当に周りを見渡して誰かいないか探す。

するとちょうど良さそうな人物が目に入った。

休み時間でもないというのに机の上に突っ伏したまま気持ちよさそうに寝ている女子生徒だ。

髪は長く、眼鏡を掛けており、見た目は完全に優等生といった感じである。

……授業中に寝ている優等生とはこれ如何に。

「おい、起きろ。授業中だぞ」

なるべく優しく相手を起こそうとするが反応がない。

完全に熟睡モードに入っているようだ。

仕方なく彼女の肩に手を置き揺り起こすことにする。あまり強く揺すりすぎて怪我させてもマズいと思いゆっくりと力加減に注意しながら体を揺らす。

「……?なに~?」

寝惚けた様子で上半身を起こし、こちらを見てくる少し垂れ目の女子生徒。

特別美人だとか可愛いだとかはないものの、どこか癒される雰囲気があった。

眠たげな目を擦ると彼女は大きな欠伸をして背伸びをする。

「オリエンテーション合宿のグループを決めてるんだが、オレたちのところに入ってくれないか?」

「ん~?良いよ、何処でも」

意外にもあっさりと了承してくれたことに驚くがこれで5人目のメンバーが決まったことになる。

「他のメンバーは?」

「柊と矢渕、蟻塚だ」

「うわ〜、めちゃくちゃ楽しそ~」

ゆるい笑顔を浮かべながら嬉しそうにする彼女。

どうやら喜んでくれたようで良かった。

「あ、あの……柊南帆です。よろしくお願いします」

いつの間にか近くに来ていた柊が緊張した面持ちで挨拶をするが、彼女はそんな柊を安心させるように笑みを溢す。

そして、柊に向かって手を差し出した。

握手を求めているのかと思ったのだが、突然パチンッ!と柊の顔の前で思いっきり手を叩く。

「ひゃあっ……!?」

当然、柊は驚いた声を上げて後ろに下がる。

「あ〜、ごめんね。癖なの、可愛い女の子を見たらつい驚かせたくなっちゃうの」

てへぺろ、と舌を出しておどける彼女に柊は顔を赤く染めて口をパクパクさせている。

「も~、可愛いな~。ごめんてば~。よしよし」

柊をゆっくり抱き寄せながら頭を撫でる彼女はさしずめ母親のようだった。

「ウチは橘風佳たちばなふうか。よろしくねん、結城湊斗と愉快な仲間たちさん」


5


「さてと」

放課後になり、教室にほとんどの生徒が居なくなった頃。

オレは鞄を持って立ち上がり、窓から外を見る。

中庭では花壇を手入れしている園芸部の姿があり、吹奏楽部の楽器の音や運動部の掛け声などが聞こえてくる。

平和だなぁ……と思いながら、オレは教室を出た。

放課後は大抵用事はない。

毎回矢渕の誘いは断るし、萩元は他の友人と帰っているらしいし。

青春は与えられるものではなく、見つけるものとはいえ、これじゃあ昔のオレとあまり変わっていない気がする。

今度柊でも誘ってみるか?

いや、でも断られたら普通にショックだし……。

自分も相手も傷つかない方法を取るならやはり何もしないのがベストか。

そんなことを考えながら、下駄箱で靴に履き替えていると―――。

「……、うわ」

露骨に嫌そうな顔をした蟻塚と遭遇した。

まるで汚物を見るかのような目だ。

トラウマが蘇りそうになるのをぐっと堪える。

「なんで合宿行かないんだ?」

素直な疑問を尋ねると、蟻塚は不機嫌そうに舌打ちをした。

お前と話すことなんてない、とでも言いたいんだろう。

だが、その態度が逆にオレに火をつけた。

「楽しいかもしれないぞ?意外と」

「……」

上履きをロッカーに入れ、わざとらしく強めに扉を閉める蟻塚。

それから外履きに履き替え、こちらに一度たりとも目を合わせようとせず蟻塚はオレの横を通り過ぎて行こうとする。

しかし、それを許すほどオレは甘くなかった。

「また逃げんのかよ」

オレの言葉に足を止める蟻塚。

振り返ることはしないが、向こうも何かしら思うところがあるようだ。

だからといってオレの方から歩み寄ることは絶対にしないが。

「自分の手は汚さずに責任から逃げて、今度は柊の挑戦から逃げて。ダサい真似してんなよ。そんなんじゃ復讐したい側も拍子抜けだぞ」

我ながら自分勝手な台詞ではあるが、この際どう思われようが構わない。

ここでこいつに少しでも響かせることができればそれでいいのだ。

「あの子がどう思おうが私には関係な……っ!?」

気付けばオレは頭を下げていた。

自分でも正直驚くが、これから言おうとしていることは紛れもなくわがままで、きっと受け入れてもらえないだろうということが分かっているからだ。

だからこそ誠意を見せるためにオレは頭を深く下げる。

「……柊に復讐するチャンスをあげてやってくれないか?いや、復讐っていうと大袈裟かもしれないから見返すでも良い」

理解されないかもしれない。

納得されないかもしれない。

だが、諦めたらそこで全て終わる。

お互いを知る為には、理解し合う為にはまずぶつかり合わなければならない。

それがたとえどんな結果になろうとも。

少しの間があった後、蟻塚の溜息が聞こえてきた。

顔を上げると、呆れた様子の彼女がそこにはいた。

だが、先程までの嫌悪感に満ちた表情ではない。

蟻塚は特に何も言わず、そのまま校舎から出て行く。

結局返事を聞くことはできなかったが、まぁいいだろう。

あとは本人次第だ。

もしこれで駄目だったなら、その時はその時だ。


6


気に入らなかった。

私とは違って全てを持っているようなあの子が。

気に入らなかった。

皆がみんな、あの子を褒めるのが。

気に入らなかった。

天狗になることなく謙虚な姿勢で居続けたあの子が。

気に入らなかった。

そんなあの子と比べてしまう自分が。

気に入らなかった。

そんなあの子を憎む自分が。

気に入らなかった。

全て、すべて、消えてしまえばいいのに。


7


オリエンテーション合宿当日。

オレは教室に入ると数人のクラスメイトと挨拶を交わした後、改めてクラスを見回す。

蟻塚の姿はやはりない。

まあ、期待はしてなかったけどな。

「おいっす〜」

席に座るや否や、気の抜けるような挨拶をしてきたのは橘だ。

「眠たそうな顔してるな」

「気になってたアニメ一気見してたら朝になっててさ~。ふぁ……」

「先が気になると止まらなくなるよな」

「そうなんだよね~」

「最近のオススメは?」

「最近か~。言うて全部チェックしてる訳じゃないよ?最近だと『異世界で始める悪役令嬢生活』と『引きこもりの勇者と陽キャの魔王』くらいじゃない?級長もアニメとか見るの?」

「前は見てたけど最近のには疎い」

「へえ〜、意外だな~」

そう言いつつ、橘は机に突っ伏し寝る体勢に入る。

「バスに行きそうになったら起こしてもろて〜」

「あいよ」

あれから1週間くらい経ち、なんとなく橘の人柄が分かってきた気がする。

自由奔放で、自分の興味のあることには一直線。

でも、その反面、興味のない事にはとことん無関心。

そして、可愛い女の子好きである。

「やっぱり蟻塚は来てないか」

続いて机にガタンと大きめの鞄を下ろしながら現れたのは矢渕だった。

「まあ、目障りな奴がいても面白くないしね」

「……前から随分と敵視してるけど蟻塚と何かあったのか?」

「言ったでしょ?幅きかせてんのが気に食わないって。アイツ自身は何も凄くねーのに」

確かに、とは思う。

仲間がいない今の蟻塚は特に威圧もなく、教室の隅で大人しくしている。

そのせいか、最近の教室内の空気は落ち着いていて過ごしやすい。

皆、蟻塚に興味がなくなったわけでもないだろうが、もはや最初からいないものとして扱っている奴もいるくらいだ。

そんな中で、矢渕だけは未だに蟻塚に噛み付いていた。

それが単に気に食わないからなのか、それとも何か他に理由があるのかは分からないが、どうにもその様子は蟻塚への憎悪というよりは何か別のものに感じられるだ。

「柊ちゃんも凄いよね。毎日のように蟻塚に話し掛けてたんだから。その度に睨まれて泣きそうになってたけど」

「柊は強いからな」

「……」

「なんだよ?」

「いや?勘違いしてるみたいだから言うけど多分柊ちゃんだけだったらすぐに折れて諦めてるよ。アイツはそんなに強くない」

「そうか?結構頑張ってるように見えるけどな」

「……お前がいるからだっつの」

「?」

小さい声でよく聞き取れなかったが、まあ、いいか。

とにかくこの4人なら何も心配いらないだろう。初めての学校行事だ。オレなりに楽しむとしよう。

「邪魔」

と、教室の入り口から声がする。

そこには、屯するクラスメイトを気怠そうな目で見下す蟻塚の姿があった。

慌てて道を開けるクラスメイト達。

「……」

蟻塚はため息混じりに彼らの前を通ると、そのまま自分の席に座る。

「へえー、あの蟻塚がねえ」

驚く矢渕を他所にオレは頬杖をついて蟻塚を見る。

「ただの楽しい合宿じゃ終わりそうにないな」

オレは何となくそう予感した。

がんばれ、柊。

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