第六篇
またしばらく空いちまった。緊急入院させられていた。定期検診に行ったらそのままってやつだ。医者から90も近い疾病持ちの爺が毎日コーヒーを飲むなんてやめろと言われちまったが、知ったことか好きにさせろ。
さて、猫の後を着いていって何処とも知れん階段を昇り降りした先で俺は喫茶店に辿り着いた。そこまでの詳しい情景やそこでの会話は割愛するが、バケモノが猫の姿のまま作業しづらそうにしてるのを見かねて、人の姿になってやったらどうだと口を出したら元オーナーの若いころだという姿になった。さっきみたいに享年の姿でもいいだろうなんて言ってみたが、この店にあの爺はもういないから。なんて返されちまったらなんも言えねえよな。俺はなんでバケモノなんかに人の情みたいな話を説かれたのやら。
そして俺は、1杯のコーヒーを馳走になった。
それは……。
アホほど不味かった。
その後、俺はバケモノのことは伏せて記事を書き上げて寄稿した。しばらくしてその雑誌が廃刊になったと風の噂に聞いたが、まあオカルトブームも終わって久しいし、仕方ねえわな。時代の流れってやつだ。
で、あのバケモノが仇討ちも終わってどうなったかなんだが……なぜかウチに住むことになった。たぶんコーヒーを1口含んだ瞬間に吹き出したのがコイツの琴線に触れちまったんだろう。ある日俺が家に帰ると居間に居座っていて、コーヒーの淹れ方を教えろとか言いやがる。何がしたいんだと問い詰めると喫茶店を開きたいとか言い出しやがった。コーヒー出すだけが喫茶店じゃねえぞと諭せば、確かにそうだと納得はしてくれたが居候する腹積もりは変わらなさそうだった。
とりあえず俺はコネを使いカネをばら撒き、コイツの戸籍を用意した。後ろ暗いコネも使いようだな。次に、バケモノにもっと幼くなれ、学校に通えと説得した。喫茶店を開く近道だと唆せば諾を得るのは難しくなかった。2年ほど外見が変わらないまま過ごさせたら児童相談所が来たりとえらい目にあったが、しばらく人の子として過ごしたのは、アイツにとっても良い刺激にだったのだろう。大人しく学校に通って人間としての勉強を重ねていった。たまに耳とシッポを仕舞い忘れるのも減ってきたように思うころ、あいつは姿を消した。
何があったかっていうと、そうだな、あいつには何もなかったが、俺の癌が見つかったんだ。ステージ4の肺癌。好き勝手して不養生に生きてきたんだ。いずれそうなるだろうとは思っていた。幸い金はまだまだ残っていたし、この金で店を出させてやるのも悪くはねえかなと考えていた矢先だった。
猫は死期を悟ると姿を消すっていうが、あいつはバケモノだし、悟れたのは俺の死期だしで訳がわからんかったが、野良猫がどっかに行くなんて珍しくもない話だと思い、放っておいてしばらくは療養して過ごしていた。
20年近く共に過ごしたが、あいつはやっぱり人間とはどこか違ってたしな。突然いなくなることもあるだろう。なんて考えていたら突然帰ってきて出掛けようとか言い出しやがる。なんだなんだ突然帰ってきて藪から棒にと憤慨してみたが、ダメだな。俺はきっと分別もなくほころんだ顔をしちまっていただろう。コイツとはやべえ橋も何度か渡ったが、だからこそ家族みたいに思える。そいつが出掛けようというなら俺に断る理由なんてなかった。
連れてこられたのは都内の真新しいビルだった。なんだココ? 曰く、あの廃ビルの跡にできた商業ビルらしい。ほー。洒落たカッフェでも入っていそうだな、そこに行くのかと聞いてみても否と言う。そして俺はビルとビルの隙間へと連れていかれる。なんだなんだ、何処に連れて行かれるんだと目を白黒させていると、天地がひっくり返ったりビルの谷間を飛び越えたりと現実離れした光景を経て、やがて懐かしい喫茶店に辿り着いた。俺を席に案内するとアイツはサッと奥に引っ込んでいく。こんな風に気軽に現実離れしたことをやるあたり、やっぱりバケモノだな。
ブレンドでいい?
喫茶店の制服に着替えたバケモノが殊勝な態度でそんなことを聞いてくる。昔に馳走になった時は着替えすらせず、ブレンドなんて言葉も知らなかったくせにな。コーヒーの違いなんてよく知らん俺はとりあえず頷く。きっとここは現実ではなく幽世というやつなんだろう、昔に連れて来られた時は現実にある空間だと勘違いしていたが。そうなるとこれから供されるのは黄泉竈食か。あの時に生きて帰れたのは吐き出したからか? まあいい、この癌では俺ももう長くねえだろ。
「これが、ここで淹れられる最後のコーヒー。ここに来られるのも最後かな。現実側のビルを認識する人が増えてきたから」
供されたコーヒーは少しだけ青臭く、古臭く、新しく、懐かしく、甘く、苦い。一言でいうなら……。
最高に美味いコーヒーだった。
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