第三篇
もう関わらねえ、命あっての物種だ。そう割り切ってハイさようなら。
そんな風に生きていけるのなら、オカルト記者なんてとっくに足を洗ってる。関わるべきものじゃないからこそ、誰かが見届けなくちゃいけねえ。だからこそ俺は――
「よう、おっさん。おっさんのさぁ、アニキのことを教えちゃくれねえか? ビルの改装工事してて死んだっていうアニキのことをさ」
日雇いの仕事で食い繋いでる冴えねえ中年の男を訪ねてるってわけだ。この男は、10代の頃にあのビルの改装工事に関わっていた。そこで見てしまった事は、今では誰にも言わないらしい。
「アニキは事故で死んだ。それ以外は知らねぇ。帰ってくれ」
こんな風にな。だがな、ブンヤ舐めんじゃねえぞタコ。若い頃に言いふらしてたことを覚えてるヤツってのはいるもんさ。曰く――
「猫のバケモノを見た。ソイツがアニキのカタキなんだろ? その話を聞かせてくれりゃあ、大人しく帰ってやるよ」
男は息を飲んで顔面を蒼白にしながら周りを伺っている。これは……耳をそばだてているな。猫の鳴き声なんざ聴こえねえから、そんな心配すんなよ。
「そのバケモノをな、退治してやろうってのさ。そしたらお前、やっとゆっくり眠れるだろう? 静かな夜を過ごせるだろう? だからな、話を聞かせろよ」
この男が極度の猫ギライで、不眠症なのは調べが付いている。そこまでわかっていればあとは憶測でカマをかければ十分だ。俺の言葉に男はゆっくりと話し始める。思った以上に、想像以上に胸糞悪い話を。
「……最初はただ、作業の邪魔をしてくるだけだったんだ。足元をうろちょろしたり、物を倒したり落としたりするくらいで。みんな作業場に猫がくるなんて珍しくて、可愛いもんだと和んでた。アニキはそういったイタズラのせいで作業が予定より少しずつ遅れていくことにイライラしていたようだったけれど、現場の雰囲気が柔らかくなっているのは歓迎しているふうだったよ。最初のうちはな」
懐かしむような男の口ぶりにその現場の良い雰囲気が伝わる。この男、こんなところで油売ってねえで噺屋にでもなってた方が良かったんじゃねえか? あの業界なら怪談も演目として人気だろうよ。
「そのうちに何もしていないのに引っ掻かれたり、噛み付かれたりするようになった。餌だのオヤツだのをやろうと近付いたヤツから傷だらけになっていった。相手は野良猫だったし、病院に行ったりで工事はさらに遅れた。労災とかにうるさくなってきていた頃だったし、会社側からは頼むから病院に行ってくれという雰囲気もあった。おかげで工期通りにやりたいアニキは会社との折り合いが悪くなっていった。アニキは現場監督だったんだ。でも現場で物に当たるようになっちまって、職人から疎まれるようになった。……孤立し始めたんだ。それから、工具や廃材とかが作業してる奴に落ちてくるようになった。たぶん、あの猫が落としていたんだろう。たまたまちょうど、そこに職人とかがいただけで。でもそれが良くなかった。職人たちとの仲が拗れ始めてたアニキはある時……殴っちまったんだ。落ちてきた工具で、職人を。そいつがアニキ目掛けて落としたんだろって」
疑心暗鬼、か。その時にはもうマトモな猫じゃなかったのかもしれねぇな。祟って判断力を落として、唆して人間同士を争わせる。それで村ひとつ全滅したって話もあるんだから侮れねえ。あん時は犬のバケモノだったか……まあ、ある意味バケモノどもの真骨頂とも言えるな。
「それから職人が休み始めた。いや、ボイコットっていうのか、とにかく来ないヤツが出始めたんだ。当時は現場がいくらでもあったから、着いてけねえって他の現場行ったんだろうな。アニキはさらに荒れた。上からもだいぶ絞られたらしく、酒も増えていたように思う。それで結局、おかしくなっちまった。アニキが傷だらけになりながら猫を捕まえてきて、笑いながら言ったんだ。この野郎、ぶっ殺してやるって。それからビルの裏手に出てって……。血走った目が怖くて、心配で、俺は着いていったんだ。動物を、猫をあんな風に殴ったりする人じゃなかったはずなんだよ。動けなくした猫を角材で……。俺、どうしたらいいかわからなくなっちまって、ずっと見てたんだ。そしたらアニキは持ってたビニール袋に、血だらけの猫を入れて……ゴミ捨て場に置いてったんだ。そのあと何があったかはわからねえ。けど、しばらくしてから夜中にアニキがひとりで重機を持ってきてビルごと壊そうとして……焼け死んだ。そう、焼死だ。運転席で炭になってるのを見付けたんだ。俺がバケモノを見たのはそん時だ。でけえ猫が焼けた重機の上から俺を見て鳴いたんだ……次はお前だって。それで猫はどっかに行っちまった」
……こいつ、まぁだ何かを隠してるな。こいつが、何をやったかだが……火かな……はぁ……根は善良なんだろうなぁ……。
「そうかい、ヤなこと思い出させちまったな。……ところで、お前さんはゴミ捨て場に置かれていった猫を……弔おうとしたんじゃないか?」
そう囁くと、男は目を見開いて睨み付け……叫びながら去っていった。
「し、しらねえ。俺は見てた、見てただけだ!」
当たり、か。……角材で何度も殴られて生きてた猫ってのは信じ難い話だけどな。たまたま生きてたか、既に猫の枠からはみ出ていたか。……まあ後者だろうな。それでも動けない状態で焼かれてしまっては、か。……それであの男には今でも鳴き声が聴こえるのか。生きながら焼かれた猫の鳴き声が……。
「せめて焼いて送ってやろうという、善意からだったんだろうがなぁ……」
ため息とともに、空にひと筋の煙がのぼっていく。俺は吸いかけの煙草を握り潰した。
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