第56話 先生達の補習の日程が勝手に決められる

「ふふ、この絵とかどう? 凄く細かい所まで描きこんでいるでしょう」


「は、はあ……」


 彩子が拓雄の隣に寄り添いながら、風景画の画集を開き、絵の解説をしていく。


 しかし、彼女の講義など殆ど頭に入らず、彩子も必要以上に体を密着させて、拓雄との距離を縮めることしか考えていなかった。


「ねえ、今度、二人で写生にでも行く? 拓雄君に色々と絵の事、教えたいなあ」


「えっと……考えておきます」


「考えておきますじゃないの。絶対に行こう。もうすぐ紅葉の時期だから、写生には絶好の季節よ。芸術の秋って言うじゃない。あ、そうそう。この前出した課題……」


「失礼します。やっぱり、ここに居たっ!」


「あ……すみれ先生に、ユリア先生……」


 彩子が拓雄の腕に絡みつきながら、今度の週末の予定を決めようとした所で、美術室にすみれとユリアが押し入ってきた。




「拓雄君、何やっているのこんな所で?」


「あの美術の補習って言われて……」


「今日は英語の補習をすると言ったでしょう。早く来なさい」


「ちょっと、ユリアちゃん。今、私が補習してるんですけど」


「この補習は彼が望んだ物ですか? それとも授業の成績が悪かったからやっているんですか? 私は英語のテストの点数が悪かったから、彼に補習させたいんです。もうすぐ中間テストですし、英語で落第点なんか取ったら、特進クラスから落とされるかもしれないのわかっていますよね?」


「補習なんて、何を理由にやっても良いじゃないですか。とにかく今は私の個人授業中なんですから、邪魔しないで下さい」


 ユリアはいつになく厳しい顔をして、拓雄を連れて行こうとするが、彩子も譲れないと、拓雄の腕を引いて引き留める。


 案の定、こんな事態になってしまったと拓雄も困り果てていたが、そんな二人の様子をすみれは溜息を付きながら、


「二人とも考えている事は同じなのね。拓雄と二人きりになって色目使おうってんでしょ。ま、私もだけど♪」


「私は違います! 純粋に拓雄君の成績を心配して言ってるんです」


「本当ー? じゃあ、拓雄以外の生徒だったら、ユリア先生、マンツーマンレッスンなんかしてる? それこそ金出してでもして貰いたい男子生徒はたくさんいると思うけど」


「し、してます……よ……」


 と、すみれに茶化されるように言われると、ユリアもうろたえながらもそう答える。


 しかし、彼女の態度を見れば、拓雄以外の生徒に対して同じ様な補習をするとはとても思えなかったのは明白であり、ユリアも拓雄を特別扱いしている事は否定し切れなかった。


「ほら、見なさい。まあ、ここは担任の私が優先すべきじゃないかしら? てか、あんた、数学駄目なんだから、もっと頑張らないと、授業付いていけなくなるわよ」


「は、はい……」


「もう、二人ともいい加減、邪魔しないでください。今は私が補習中なんです。すみれ先生たちは後でやれば良いじゃないですか」


「はあ……しょうがないわね。拓雄君はどうしたいの? 彩子先生の補習、どうしても受けたい?」


「う……それは……」


 溜息を付きながら、ユリアが彼に訊ねると、拓雄も目を泳がせながら、どう答えようか悩む。


 正直、美術の授業は嫌いではなかったが、彩子の補習を受ける理由が拓雄にも思いつかなかったが、彼女が好意でやってくれているので、無碍にも出来ずに断るのも憚られた。




「悪いけどさー、真中先生の補習って、無理矢理過ぎるのよね。拓雄、別に美術の成績悪い訳じゃないし、美大志望でも無いんでしょう? それなのに、どうして無理やり受けないといけないんだって、拓雄も顔に書いてあるわよ」


「美大志望でなくても、美術の楽しさを学んでくれればそれで構いません。まあ、それは表向きで、拓雄君ともっと仲良くなりたいからなんですけど♪」


「うわ、本音が出てるじゃない」


 彩子は本心を隠しもせずに、彼の腕に絡み付いて、意地でも二人には渡さないと、言葉と態度で表していた。


「そんな理由で生徒に補習を強要するのが教師として許されると思っているんですか?」


「教師として許されない事をしているのは、ユリアちゃんたちも同じじゃない。今更、良い子ぶられてもなあ。ね、今度、先生と写生に行きましょう。あ、もちろん写生なんかなしに、二人で純粋にデートを楽しむのも良いわよ。ねえ、良いでしょう」


「うう……」


「彩子先生、いい加減にして下さい。ったく、拓雄君も拓雄君よ。先生達とはもうただの教師と生徒以上の関係になっているんだから、言いたい事があるなら、もっと遠慮しないで言いなさい。彩子先生の補習、どうしたいの?」


「う、受けます」


 ユリアにそう詰め寄られて、思わず拓雄も答えると、ユリアとすみれは溜息を付き、


「じゃあ、三人でじゃんけんね。勝った方が、拓雄に補習するってのはどう?」


「嫌です」


「何でよ、公平じゃない」


「公平じゃないですー。補習の順番をじゃんけんで決めるなんてふざけています。今日は何が何でも、拓雄君と放課後、過ごしますから。だって、彼と接する機会は私が一番少ないんですよ。美術の授業、週に二時間しかないし、担任でもないんですから、放課後くらい優遇させても良いじゃないですか」


「どんな理由よ全く。ああ、もう埒が明かないわ。私もここで、補習無理矢理にでもやってやるわよ」


 と言うと、すみれも美術室にあるイスを持ってきて、彼の隣に座り、強引に肩に手を組む。


「ねえ、先生の事、好きでしょう? だったら、私との補習したいわよねー?」


「すみれ先生! ああん、もう時間なくなっちゃいますよ!」


「全く二人とも……なら、補習のスケジュール、事前に決めましょう。これなら文句無いでしょう」


「事前にねえ……まっ、あんまり三人で喧嘩してもキリがないし、来週以降はそうしましょうか。真中先生もそれで良いわね?」


「良いですけど、今日は譲りませんよ」


 三人で言い合うのも疲れたのか、すみれの提案に彩子も承諾し、拓雄の補習のスケジュールを話し合う。


 だが、肝心の拓雄の意思を無視しており、彼は置いてけぼりを喰らっていたが、口を出す気にもなれなかった。




「はーい、出来たわよ。私は明日、部活でないといけないから、明後日ね」


 ようやくスケジュールが決まり、すみれが日程を書いた紙を拓雄に手渡す。


「私の補習は明日よ。あと、来週の火曜日にもやるわ。拓雄君が今日サボった罰も兼ねてね」


「先生は木曜日ね。本当は毎日したいんだけど、美術部も見ないといけないし、出張に出ないといけない日もあるから、ゴメンね」


 彩子は不満であったが、あまりしつこく二人に食い下がって拓雄の心象を悪くしてはいけないと思い、ここは一旦妥協する。


 拓雄は先生の決めたスケジュールを断る事も出来ず、ただ頷くしかなかった。


「じゃあ、そういうことなんで宜しく♪ あ、今日は特別に真中先生の補習の見学してやるわ。感謝なさい。ユリア先生も良いわね?」


「そうね。彩子先生と彼を二人きりにさせたら、何するかわからないですし」


「あーーん、もう何で邪魔するのよ! こうなったら、強硬手段…


…ん、ちゅっ、んんっ!」


「んっ!」


 ヤケになったのか、あくまでも美術室に居座ろうとした二人に見せつけるように彩子が拓雄に抱きついて強引に口付けをしていく。


それを見たすみれも、


「何、女教師と不純異性交遊してんのよ。いけない子ね……はむ……」


 彼の耳元で囁きながら、耳タブに息を吹きかけ、口で甘くしゃぶる。


 結局、彩子との補習はまともに進まないまま終わり、放課後の予定だけが決められてしまったのであった。

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