第6話 そして、明るいうちに岡山に。
高梁川を渡って程なく、西阿知を通過。駅舎のある反対側には岡山県立水島工業高校がある。水島の街中からかなり離れているのになぜか水島という名を名乗っているのがいささか不思議な気もしないではない。
「ハチキ君、あの水島工業高校というのはなんでまたこんなところにあるのや? 水島のコンビナートはもっと海よりでしょうが」
石村氏は岡山と倉敷の町には何度も来たことはあるが、水島地区まで出向いたことはない。ただ、水島と言われる場所が倉敷の市街地よりかなり南の海沿いにあることはかねてより知っている。
「それでしたら石村先生、実はこの学校、その水島の工業地帯の工場でしっかり働ける人材を育成しようということで、場所こそ西阿知にありますけど、要は彼らの卒業後の進路と言いますか、生涯活躍できる場所の名前を取って水島工業となったと聞いております。倉敷にもほら、いつぞや甲子園で報徳学園と延長戦を戦った倉敷工業がありますけど、その分校みたいな扱いから始まった学校です。岡山市内にも駅の西側に岡山工業高校がありますが、これだけでは足らないってことで東岡山駅の近くに東岡山工業高校を作っていますね。確か水工も東岡工も昭和37年に開講していますよ」
岡山出身の八木青年が、地元の高校事情を少し詳し目に話した。
「昭和37年言うたら、高度経済成長期に入って程ない頃やないですか。やっぱ岡山の工業地帯で働くにあたっては、中卒者を金の卵ともてはやして何とでもとはいかなくなってきていたってことですね。これが岡山の県北なんかでしたら都会に集団就職なんてこともあったでしょうけど、岡山や倉敷の子らは集団就職どころか何とか地元に残って働いてくれって言うか、むしろ集団就職を受入れる側ってことになるってことでしょうか」
「ま、そういうことや。岡山から大阪や東京なんかに行くのは大学まで行くような人よ。こんな田舎街住めるか言うて出ていかれたら、仕事にならんからね」
「ま、そやろな。そのへんはハチキ君のお見立てのとおりやろ」
話が進んでいる間にも、快速列車は伯備線と合流し、倉敷駅に到着した。土曜の夜だけ会って倉敷ではまた幾分の乗降客がある。倉敷から岡山に向かう人も多く、その逆もそれなりの数がある。この快速列車とて例外ではなく、車内は幾分立客が出るほどに混んできた。おかげで冷房の効きもいくらか弱まった感じさえする。
倉敷を出ると、あとは中庄と庭瀬の両駅をそそくさと通過し、14分も走り通せば終着の岡山。山陽本線上りホームは西口寄りにある。
「ほな、八木さん、折角なのでお世話になります」
八木青年と懇意になった吉田青年は、神戸に帰る前に2日ほど岡山に停まることとなっている。石村氏は大学の研究室の先輩であるO大学の堀田教授宅に、吉田青年は八木青年の実家に2日ほど泊ることとなっている。
地下改札の前には、堀田繁太郎教授とその知人で米穀店を経営している山藤豊作氏が迎えに出ていた。大学教授と大学生、それにかつて陸軍将校でもあった紳士らの一団は、駅前の居酒屋へと向かっていった。
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