第5話 山陽本線をゆっくり急いで

 三原駅のホームには駅弁売りと立ち食いそばの店がある。

 特急や急行が走っていた頃、とは言ってもほんの数か月前までは上り列車を待つべく長距離客も利用していたが、今やその多くが新幹線に移行してしまったため、利用しているのは観光客や若者、そして近隣からやってくる地元の客くらい。

 それでも今日は土曜日の午後。夏休みということもあってそれなりの客が立ち食いの店に群がっている。

 まだ夕食には時間があるのと、さして小腹を満たす必要もないこともあって、広島から呉経由でやって来た教授と学生の一段の誰もホームに出たりはしない。それにそもそも長時間停車するわけでもないから、なおのこと。


 電車は三原を出て、少しばかり走ると糸崎に停車。海側には電留線があり、複数の電車列車が停泊している。

 かつて湘南電車として緑にオレンジ色の窓枠の予にも明るい色合いで四半世紀前にさっそうと東海道にデビューした80系電車であるが、今や地方のローカル線利用に使われるようになって久しい。

 なかには当時の二等車、現在ならグリーン車として扱われていた車両もあるが、地方に行くほどグリーン車の利用は少なく、車両の設備も年々向上しているため、このままではグリーン車として使えないと判断された車両は座席もそのままに普通車に格下げされているものもある。ちょっと窓枠の大きな車両がそれ。昨日のサロは今日のクハ、ってところか。本来は列車の中間に組み込まれていたそれらの車両も、地方で長編成を組む必要がなくなったのを機に運転台を取り付けられたものもある。そうかどうかは、もともと普通車でちょっとばかり流線形っぽい顔つきではなく、いささか食パンを切ったような顔つきの車両を見るとよい。

 そのような車両は、事情を知っている客や鉄道好きな人は好んで、場合によっては探してでも乗るところであるが、そうでない一般の乗客には、かえって痛みの激しさや車内の暗さなどを感じて敬遠する人もいるという。

 当時レイルウェイライターと称して毎日新聞記者から鉄道専門作家になった種村直樹氏でさえも、自身の活躍の場としていた鉄道ジャーナル誌1975年11月号において広島駅で遭遇した元二等車の傷み具合を記述した上で、これならもとからの普通車に乗った方がよほどいいと述べているほどである。


 糸崎の次は尾道。このあたりもまた、進行方向右側に瀬戸内海と向島を見ながら進むことになる。しかも左側は、割に近くまで山が迫ってきている。尾道では多くの乗客が下車した。新幹線を降りて三原からこの列車に乗って小移動をしたと思われる客も多い。あるいは逆にここから福山までこの快速電車で移動して福山から新幹線に乗車する客も。そんなこんなで、今日も乗車率はかなり良い。ただ土曜日の夕方で夏休み期間であるということもあって、いつものようにビジネス客や学校帰りの学生はほとんどいない。

 尾道を出ると、しばらくの間海と山に囲まれた市街地をすり抜け、程なく海からいささか内陸に入っていく。松永停車後は、備後赤坂を通過して福山へ。ここでまた大量の乗降客が発生する。福山を出て新幹線の高架と並走しながらしばらく進むと東福山の貨物駅。この数年後に旅客駅もできたが、当時はまだ旅客駅はできていない。福山の次は大門。大きなカーブに沿ってホームが作られている。この駅を通過すると、程なく国道2号線と並走を始める。

 進行方向右側を見ていると、広島県と岡山県の県境がしっかりと目視できる。県境とは言うものの、何か峠や川などで隔てられている感じもない。それもそのはずである。福山市は広島県ではあるが、広島市よりも岡山市のほうが近く、経済的にも岡山県西部との結びつきが大きい。おおむね倉敷から笠岡あたりまでを備中と称するが、福山市近辺の旧国名は備後。国鉄の管理局の境もまた、笠岡と大門の間の県境ではなく、糸崎と三原の間である。

 列車はトンネルをくぐり、再び海を右側に見るようになる。程なくすると、岡山県に入って最初の駅、笠岡に。ここから内陸の井原市まで井笠鉄道が出ていたが、数年前に廃線となって現在はバス輸送に切替えられている。近くの港からは近隣諸島への船が出ている。


「何だかわかりませんが、笠岡駅から海側を見ていたら、たこ焼きが食べたくなってきました」

 吉田青年が、ふとそんなことを言い出した。岡山市出身の八木青年は笠岡という地にさほどの縁があるわけでもないが、笠岡という場所がどんなところでどんな名物があるかをかねて知っている。八木青年は、高校生の頃に岡山市内で笠岡ラーメンと言われるものを食べたことがあったという。

「なんでたこ焼きなのかわからんけど、この笠岡のラーメン、チャーシューの代わりに鶏肉がのっかったしょうゆ味でねぇ。悪くないよ。あと、牡蠣やシャコも名物や。タコが名物とは聞いてないけどなぁ」


「たこつぼ、あるじゃろう」

 通路を挟んで向いのボックスには、笠岡から乗って来た地元の20代と思しき男性客が4人座っている。彼らの誰かが、こんなことを言い出した。

「あのたこ焼きとアイスクリームの店か?」

 向い側の若い男性が尋ねる。どうやら笠岡に余程土地勘のある人物らしい。

「そうじゃ。わしな、今度お好み焼き屋をやろうと思っとるけど、口直し用にあそこのアイスクリンを仕入れようと思っとってなぁ」

 たこつぼという名の店を話題に出した青年は半そでのシャツにネクタイをしているが、傍から見るにいささか野心家のような雰囲気を醸し出している。

「アイスクリン?」

「あそこのアイスクリームのこっちゃ。ありゃあもう、笠岡名物よ。これを金光でも広めさせてもらおうと思っとる」

 これまで黙っていた進行方向の窓側に座っている少し年長気味のサラリーマン風の人物が答える。

「あそこのアイス、わしは好きじゃ。金光出店やるんじゃったら、笠岡のたこつぼとは別に競合にならんし、エエと思うで」


 笠岡を出た急行型の快速列車は里庄と鴨方をあっさりと通過し、次の金光に停車した。横の4人組はこの金光で降りて行った。瀬戸内の陽はまだ高く明るいが、列車の陰は少し大きくなりつつある。この町は金光教の本山の地であるとともに、私立高校もあるため駅周辺は割に開けていて乗降客も多い。

 金光の次は、隣の玉島改め新倉敷に停車する。倉敷市と金光町の間は、山側の少し向こうに新幹線の高架がある。時折青と白のツートンカラーの0系電車が東へ西へと走り去っていく。次の新倉敷駅には、この年の3月から新幹線が停車するようになった。もともと急行までの停車駅であったが、新幹線のおかげで倉敷の代わりに特急停車駅になった次第。

 なぜここに新幹線の駅かと言うと、夜行新幹線や貨物新幹線の退避場としての役割の他に、急行列車の客も新幹線に乗せようという考えが国鉄の本音としてあると言われている。駅名もわざわざ新倉敷に改名されたが、この駅のある玉島市はすでに児島市とともに倉敷市に合併されて久しいということもある。

 新幹線の駅こそできたが、まだ周囲は一面の田園地帯。世にも肥沃なる田畑に囲まれた地域をすり抜け、列車は高梁川の鉄橋を渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る