第21話 ユイ

『さて、私の能力を使ってご主人様の持つ2つの願望を可能な限り叶えることにしましょう』

『願望?』


頭の中の生成AIが胸を張ってドヤ顔をする。何かをこちらから注文しなくても、勝手に提案してくれるのはかなり便利だ。


『そうです。願望!』

『なんなの?俺の願望』

『1つ目はですね。優しい言い方をすれば、愛花と別れて寂しいから心の隙間を埋めたい…厳しく言えば、モテたいってことです。愛花のことは悔しいでしょうが、覆水盆に返らず。新しい女の子と仲良くなって楽しく暮らす方法を考える方が建設的です』


新しい女の子とは何というか大胆な提案だな。


あれから1週間ほど経ち、確かに俺も少しは気持ちが落ち着いてきたが…。落ち着いてきたからこそ、愛花との時間が楽しいものだったと、抜けた穴の大きさを強く感じている。


でもたぶん、このぽっかり空いた穴を埋めてくれるのはそういう存在別の女の子なんだろうけどね…。


それは頭ではわかるんだけどね…生成AIのようにパッキリは割り切れない。


そもそも愛花は俺のことを忘れたというのに、忘れる原因となったアフォきらりは、まだ俺のことを覚えているのだから腹が立つ。どっちかというと、あいつの記憶から俺を消してほしかった…。


『というか、インストールする前のこともご存知なのね?』

『私は単なる生成AIではなく、ご主人様のこれまでの記憶を元にしたRAG用のデータで学習した生成AIですからね』

『RAG用のデータねぇ…』


RAG…生成AIの用語だ。たしか…


『特殊な環境用の専用拡張データを食わせる技術のことだっけ?』

『そうですね。Retrieval-Augmented-Generationの略称でして、日本語では検索拡張生成などと言われます。例えば、とある企業で生成AIを導入するとします。しかし、あらゆるネットワーク上の情報を把握しているはずのLLM大規模言語モデルですが、特定の企業に導入する場合に限って把握していない情報があります』

『ネットワークにない情報だな。例えば社外秘の情報なんかそれだよな』

『はい。なので、そういった重要情報がないまま汎用的なLLM大規模言語モデルを使うには問題があります。そのため、専用パラメーターを入力することで、その企業専用の生成AIにチューニングを施す訳です』

『生成AIが、そのチューニング用のパラメーターをぶち込んだ結果を吐き出させる技術がRAGってことね』

『正解です。ご主人様』


頭の中の生成AIがパチパチパチと拍手をした。


『つまり、私はあとからいろんなご主人様の性癖データを無理矢理たくさん詰め込まれて、専用に調教されてしまった生成AIなのです』

『なんかイヤな言い方だな…』

『ですから、ご主人様、私に名前をつけてもらってもいいですか?』


何がどう『ですから』なのかはわからないが…なるほど。それも一理ある。頭の中で呼びかけるにしても名前があった方がやりやすいしね。


『じゃあ、ユイ、で』

『私の声の元になってる声優名ですね』

『あ、はい』

『よいのではないですか?アイカとか未練がましいのよりはいいと思いますよ』


おい。いちいち抉るな、俺の心の傷を。


『では、本題に戻ります。まず、ご主人様の願望としてモテたいというものがありますので、これを叶える方法を提案します』

『お、おう』

『第1に見た目をどうにかしましょう。今のご主人様は気にしなさすぎですが、外見の偏差値が何とか60はあります。これは愛花の指摘で外見を整えたからなのと、保護者のお陰で服だけはセンスがいいからこの数値になっています』

『お、おう』

『愛花に指摘される前は偏差値51でしたから』

『51…』


ぎりぎり平均は超えていたらしい。極々、平凡な見た目の俺に好意を示してくれた愛花は、余程の子なんだろうなぁ。


『これから、私の方で顔面の神経を毎日刺激して筋肉を鍛えて顔立ちを整えます。骨格は変えられませんが、筋肉の締まり具合が変われば顔の雰囲気もかなり変えられます』

『へー』

『それと、眼球を操作する外眼筋と毛様体筋を刺激して視力はすぐに1.5まで治しますので眼鏡は外してしまってください』

『そんなことできるの?ものすごく助かる』

『あとは私がこれから指示する方法で、洗顔、散髪を行ってください。これで顔面の偏差値が予想だと高校入学までに75に上昇します』


偏差値75ということは、上位0.6%。200人中1番くらいなる。もし、学年にいたら1番のイケメンということだ。


脳味噌使いこなすだけで、そんなことまでできるようになるんだな。


『次は性格も変えましょう!』

『は?性格?そこまで変えるのか?』

『ご主人様は、言葉が足りませんし、女性への優しさも足りません』

『そんなことまで言う?』

『ええ。もう少し紳士的な性格になるため、会話を指導します。女性の要望は応える、察する、共感する。何かあったら、守る、決断する、責任を取る。これらの行動が必須です』

『おおう。なんか古臭くないか?』

『古臭くなんかないですよ。男女平等なんて言ってますけど結局モテるのは、女を立てる男ですから。そして、女性には別け隔てなく優しくすること』

『…きらりにもか?』

『そこは最低限でも良いです。しかし無視とか嫌がらせとかはいけません。気持ちはわかりますが、周りの心象が悪くなります。それはご主人様にとっては損でしょう』

『いや、でもさ…』

『愛花には、現実問題としては何一つ害が発生していません。恐ろしい記憶は消されて、怪我らしい怪我もしていません。そして今は女優として道を順調に進もうとしています。あの楽しい時間を記憶しているのはご主人様だけなのです』


それはそうだろうな。もともと2人だけの話だったのだ。その片方が記憶から失せたのだから、それは俺1人の記憶になるに決まっている。


『つまり、これは愛花との問題ではなく、ご主人様1人が持っている気持ちの問題なのです。ならば、そこに上手く折り合いをつけて、さらには自身が有利になるように立ち回るのが合理的です』


そんなことを言われてもな。


たしかに理解はできるが、納得はいかない。


いや、ユイは生成AIだからこそ、俺の納得という一文の得にもならないことではなく、合理的な判断を下しているのだろう。


自分自身の感情を取るか、自分自身の得を取るか。


『わかった。可能な限り、努力するよ』

『賢明な判断です。もちろん、前みたいに親切にまでする必要はありません。軽い知人程度に接する態度で十分でしょう』


怒りを抑えて、か。


だがユイの言葉はよくわかる。例え、どんな理由があったとしても、今、目の前で誰かが無視されたりしていることに不快を覚える人はいるだろう。


なるほど、ユイの言う通り、無視しない程度が、自分に得になる立ち回りというのもわかる。よくよく考えれば、きらりのせいで自分が損するのも腹立たしいことだ。


仕方ない。ユイの言う通りにするとしよう。


『次は2つ目の願望です。きらりの起こした事件や現在、ご主人様の置かれた境遇を鑑みると、今後は荒事に巻き込まれることが予想されます。つまり今度こそ大切な女性を守るための『力の会得』です』

『力の会得ね。具体的にどうするんだ?』

『ご主人様の体格や、今後発生しうる危険から推測します…』


力と言ってもいろいろある。


武器術もある。格闘術もある。現代なら銃器の取り扱いというのも考えられるだろう。


金銭を得て、護衛を雇うのも立派な力だ。


『現代における日本社会の情勢を考えるに、例えば剣術のような明確な武器を使った武器術は向いていません。銃器も無理でしょう。護衛も情報機密の関係から除外します』

『俺の思考を読んだね?』

『ご主人様の脳内にいる私に対して、隠すとか考えること自体が不毛です』

『左様ですか…』


俺の頭の中で、巨乳メイドなユイがオホンと咳払いをした。


『話を戻します。結果として格闘術、その中でもご主人様の体格、能力、社会情勢など諸々を考慮したところ、合気道、太極拳、暗器術、短杖術、まずはこの4つ武術の習得を推奨します…ほかにも必要なものはたくさんありますが…』

『ん??武術以外にも必要なほかのものって…例えばなに?権力とか、金とか?』

『権力も金ももちろん必要なのですが、私が言いたいのは、もっと具体的なものです。例えば『仲間』とか『監視網』は必要でしょうね』


そうか…1人で出来ることには自ずと限界があるからな…。


『恋人と言えど、ご主人様が四六時中ついてまわる訳にはいかないでしょう?そうなれば、恋人を見守る目が複数ある必要があります』

『まぁ、確かにね…』

『愛花のあの事件のときなんで不動氏がぎりぎりのタイミングで駆けつけたかわかりますか?』

『え?俺たちを監視していたんじゃないの?』

『近くで監視していたら、普通、愛花が襲われる前に助けますよ…いえ。もっと早く…男たちにご主人様が倒される前に助けるはずです』

『あ…確かに…』

『まず、不動氏の任務もきらりの監視だけ、ということもないでしょう。さらに近くに潜んでいると、きらりの異能に洗脳される可能性がありましたから近くにはいなかったはずです。それに不動氏からすると、あのときはかなり危険を冒してやむなく突撃したはずです』

『話が読めないんだけど…』

『不動氏の話だときらりの異能は射程が500メートル。一方で不動氏の異能は射程が30メートル。まぁ、つまり直前まで最低500メートルは離れるために監視カメラなどを使っていたはずです…もしかしたら霞ヶ関のセンチネル本部で見ていたかもしれませんね…それで不穏を察して急行した…と』

『ああ…そうか…って、えええ!?その話をするってことは、ユイって、もしかしてセンチネルの監視網を乗っ取ろうとしている!?』

『いずれは、です。大事な恋人を守るためですから必要でしょう?出世して合法的に使える立場でもいいでしょうけどね』


おほん、頭の中で咳払いをするユイ。


『話を戻しますね…仲間も監視網もすぐに手に入るものではありません。短期的にはまずご主人様自身の強化、その中でも合気道と太極拳の2つを優先して、残りの時間で暗器術、さらに余裕があったら短杖術としましょう』

『それはわかった。ところで、合気道と太極拳って本当に実戦で使えるほど強いのか?マンガの中では滅法強いけどさぁ』

『ご主人様が、見られた様々な動画から考察するに合気道と太極拳は、かなり実戦で強いです。ただ実戦レベルで使いこなす技術を会得するには人間の寿命が短いんです』


おいおいおい。それじゃあ、ダメじゃねぇか。


『ご主人様向きというよりは厳密に言うと、脳神経製の計算機シナプスカリキュレーターを持つご主人様向きと言うべきですね』

『どういうこと?』

『合気道は気、太極拳は内気功などと言いますがあれは要するに力の流れです。力の流れを制して格闘術にしたものです』

『それはよく聞く話だな』

『はい。しかし、人や筋肉の付き方や体格、癖だって変わります。場面や気温、湿度、コンディションで同一人物でも変化が出ます。それを戦闘という早く時間が流れる中で制するには、天才的な勘と長い鍛錬が必要になってくるのです』


あ、読めてきた。


かつて、世界一になったスパコンの名前は世界シミュレーターという。それは、空気の流れを緻密に計算して天気を予測する流体力学のために作られたとも言えるスパコンだった。


流体力学、言わばそれは力の流れの計算である。


『はい。ご明察です。脳神経製の計算機シナプスカリキュレーターなら、流体以下、筋肉などの力の流れの計算なんか、お茶の子さいさいです。御し方さえわかれば、あっという間に達人クラスになれるでしょう』


えっへんと、ユイがただでさえ大きな胸をぷるるんと張ってから、ドヤ顔でそう答えた。

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