第15話 無力

「きらり…こんなところまで来て、一体なんの用なんだよ」

「蒼紀を誑かす泥棒猫を追い払うの」

「は?」


まともに答える気がないのか、きらりは俺たちから視線を外して、不意に横を見た。視線の先には、俺と同じように公園のベンチで寛いでいる高校生くらいのカップルがいる。


「従いなさいっ!」


きらりはそう叫んだ。


今日の愛花とのデート前にきらりが狂ったように叫んだときと同じ様に声に合わせて、見えない音波か電波のようなものが俺の頭の中を通り過ぎた。


今回も俺については何も起きない…が…。


「ふしゅるるるるる!」


その瞬間、きらりの視線の先にいた高校生カップルの男の方が突然、不気味な叫び声とともに、口から泡を吹いた。


男は首が折れたかのように、ガクン、と後ろに頭を倒す。そしてグルングルンと回った目が、完全に白目になると…その姿勢のまま、一緒にいたはずの女性を突き飛ばした。


尻餅をついた女性は、なぜ自分が突き飛ばされたのか全く理解していないのだろう、呆然とした顔で固まっている。


白目になった男子高校生は、そんな恋人の戸惑いを無視して?いや理解すらしていないのだろう、きらりのところに歩いて近づき、そして跪いた。


ただし、ふらふらとした頭は仰け反ったまま、白目は剥いたままで、だ。


「うふふ!そうよ!男はすべて、すべて私に屈するの!私に跪くのっ!」


きらりが狂気に満ちた目でそう叫ぶと、また見えない波が頭の中を通り過ぎる。


今度は公園の周囲にいた男たちが白目を剥き、ワラワラとゾンビ映画のように集まりだしてきた。


「オオオオオオオ」「ヴェエエエエ」「アアアアアアアアアア」「ガアアアアアアアア」


うめき声を上げながら、周囲から5、6人の男が俺の方をめがけて集まってきている。


「あ、あれ、なんなんですか、センパイ!?何が起こってるんですか?」

「わからない…でも…どう考えてもまずい…愛花…とにかく逃げるんだ…」

「せ、センパイは!?」

「とにかく足止めをする…こっちだ!」


愛花の手を引っ張り、後ろに下がる。そして、周りにいる中から、一番背の低い男に当たりをつけて、右肩を突き出すように相手の首元くらいに全力でぶつかった。


体格差があるからだろう、男は簡単に倒れた。俺は夢中で愛花に声を掛ける。


「今だ!早く逃げてっ!」

「で、でも、センパイがっ」

「いいから!男の俺にカッコつけさせてよっ!」

「ううう…」

「早くっ!ほかのやつが集まってきてるっ!」

「セ…センパイも絶対に逃げてくださいよっ!」


愛花は、後ろを何度か振り返りながら、ようやく公園から駆け出してくれた。ここから人混みまで遠くはない。そこまで逃げれば、どうにかなる…多分。


「何なんだよ、お前らはっ!」


掴みかかってくる目の前の男の手を払った。続けて踏み込んでくる男からバックステップして距離を取る。


背中側に回られないように…6人の男たちから逃げ回りつつも、愛花の方に流れないように気を引く。


ちらりと見ると、愛花が角を折れ、さらにその向こうにある信号を渡っていくのが見えた。あのあたりから先に行けば人が多く集まるところだ。


(何とか愛花は逃がせたな…)


ほっとしたところで、後ろから右腕を押さえつけてくる力を感じる。慌てて、首だけ振り返るといつのまにか、距離を離していたはずの男がもうすぐ近くにいた。


掴んできた手を振り払おうとするが、今度は後ろから別の男が左腕に掴みかかってくる。


「ああっ!?ちくしょー!」


さらには前後から押しかけてくる男たちが、俺の足を、腕を、身体をがっしりと押さえつけてきた。大人の力、しかも6人の力となれば、俺では身動き1つ取れなくなってしまう。


さらには地面に引き倒され、上からのしかけられる形で押さえつけられた。もうこうなってしまってはどうにも逃げ出せないだろう。


「きらり!お前は一体、どういうつもりだっ!それにこの力…きらりも…もしかして…?」

「ふふふ。一昨日だったかなぁ〜あの泥棒猫に蒼紀を取られたと思った…あのときにね」


取られる?こいつは何を言っているんだ?


「お前が俺のことを捨てたんじゃないか!!」

「私ね、あんなちんちくりんに蒼紀が騙されたのが悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて…気づいたら、この力、使えるようになっていたのよ?」


話が通じない目を血走らせたきらりの圧倒的な狂気に、思わず背中を汗が伝った。


だがそれよりも、やはり…そうだ。


今きらりははっきりと言った。気づいたら『この力が使えるようになっていた』と。


「…お、お前もなのかっ!お前も何か力を持っているのかっ!?」

「神様が与えてくれたのかもね?蒼紀には効かないみたいだけどね…力づくでしちゃえば、ね?」


この『人が白目を剥いて、きらりの言う通りに動く現象』。もちろん、普通のことではないだろう。


もしかして、きらりにも俺の脳神経製の計算機シナプスカリキュレーターのような特別な力与えられたのだろうか。特別な力が…?


「どっ、どうしたんです!?」

「こっちです!!早くっ!早くっ!」


何故か、再び愛花の声が聞こえて思考が現実に戻された。早く早くと連れてきたのは…2人の警官官だった。警察がくれば…もしかしたら…。


だが…そのときのきらりを見て、俺の背中からは、さらに汗が噴き出してきた。きらりが浮かべていたのは、あまりにも、あまりにも残酷するぎる笑みだったのだ。


「ダメだっ!愛花っ!いますぐに逃げろっ!逃げてくれぇっ!!」

「そこの警官!私に従いなさいっ!」


俺の警告に被せるように、きらりは2人の警官に向かって手の平を向けた。


「「フシュルウウッッッッッ」」


すると駆けつけてきた警官すらも、ビクリと身体を震わせて、白目を剥き、口角から揃って泡を吹きだした。


「そこの2人…その小娘を……!」

「「ふしゅるううううう!!」」


直接的にも過ぎる表現を使い、きらりがそんな命令を下した。警官2人は、何が起こったか理解していない愛花を左右からがっしりと捕まえる。


「ふざけるなっ!きらりっ!てめぇっ!何をしようとしてるかわかってるのか!」

「蒼紀を誑かす泥棒猫を追い払うだけじゃない」


全力でもがくが、何人もの男に腕を、足を掴まれた俺は僅かも身動き取れない。


「いやっ!止めてっ!?」

「「フシュルウウウウウウ!!!!」」


両方から大人に押さえつけられた愛花は、あっさりと地面に倒された。シロブチカワウソのぬいぐるみがついたカバンが、ばらりと公園の地面に転がり、砂まみれになる。


「センパイ…助けてっ」

「愛花っっ!!くそっ!!きらり!止めろ!止めるんだ!止めさせろ!ふざけるなっ!!!!」


そして警官が愛花の肩を掴んだとき、ついに愛花はがくりと頭を垂れてしまった。


恐らく、白目を剥いたまるでゾンビのような男たちに迫られて、恐怖が精神の許容量を超えしまったのだろう…気絶してしまったらしい。


だが、それでも警官2人は、愛花に迫るのを止めようとしない。


「くそっ!愛花っ!愛花ーーッッ!!目を覚ましてくれ!早く逃げてくれっ!!」


気絶した無防備すぎる愛花の服に、警官の手がかかる。必死にもがいても、運動不足の俺では、わずかも身動きも取れない。


まるで心が黒く塗りつぶされるような絶望感に、涙すら流れそうになった…そのとき…。


「そこまでにしようか?」


唐突に、明らかに場違いなほどに落ち着いた低い男の声が公園に響いた。

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