第10話 キャットファイト

「で、センパイ」

「なに?」


家の中に入った途端、愛花は好奇心を隠せない表情で俺に声をかけてきた。俺はというと聞かれる内容に想像がついていたので、思わずぶっきらぼうに答えてしまう。


「あの美人ギャルさんは、何者なんですか?」

「幼馴染だな」

「それだけですか?」


そっけなく答える俺に、愛花は、じっ、と真剣な目で見てくる。どうにも俺は隠し事ができなさそうなことを察したので、両手を挙げて降参のポーズを取ることにした。


「はー。愛花は鋭いなぁ…少し前まで好きだったんだよ…で、見事にフラレて…というかこっちがどうこうする前に彼氏ができて、話しかけてくるなと言われたんだ」

「そうなんですね…つまり、あれですね。BSSってやつですね!で、今のセンパイの気持ちとしてはどうなんですか?」

「もう吹っ切れた」


もう本当にただただ煩わしいだけ。別に貶めようとまでは思わないが、関わらないで済ませたい。ところでBSSってなに?


「でも、幼馴染なんですよね?」

「それはそうなんだけどね」


今ならわかる。


悠里さんが視野を広く持てと言っていた理由が…。きっと盲目になっていた俺を、心配すらしてくれていたのだろう。


「もともと俺がきらりの世話をいろいろと焼いていたところもあったんだけど、それは彼女に好かれたい一心というか、下心というか…」

「ふーん。必死だったんですね〜」

「ああ…それで足元を見られて、年々、過激になっていたというか…恋心で周りが見えなかったときは何とも思わなくても…フラレて目が覚めて…かなりおかしかったことに気がついてしまった…と」

「…なんとなくわかるような気がします」

「だから、万に一つ、きらりの気持ちが変わって俺のことを好きだと言いだしても、たぶん断るだろうな…それくらい吹っ切れちゃったんだよ」


そこまで言うと、はぁ、とため息が漏れた。好きという気持ちは強い気持ちだ。時に大きなエネルギーを生み出す。


が、一方で周りが見えなくなる怖さがある。痴情のもつれなどという言葉がある通り、男女の心の機微は時に大きなトラブルを引き起こす。


「そんなに割り切れるものですか?」

「これまでの蓄積を考えると、ね。俺としては嫌いというより、関わりたくない。俺のいないところで勝手に生きてくれと思っているよ」


特にきらりへ恨みがあるわけではない。きらりを見て思うのは『バカなことをしてしまった』という自分の行動に対しての後悔ばかりである。


別にきらりに強制された訳でもなく、最終的に行動を起こしたのは他ならない俺自身だ。そのことできらりに恨みを持つのは、いくらなんでも自分勝手な気がする。


「きらりさんはセンパイのことをどう思っているんですかね?」

「さぁ?あいつの考えはわからない。話しかけてくるなと言ったかと思いきや、今朝から妙に絡んでくるし…。いずれにしても、きらりが何を考えていようが俺にはもう関係ない話だよ」

「……」


愛花は思案顔になると、腕を組んで唸り始めた。


「愛花、何か言いたそうだね?」

「いいえ。思い過ごしかもしれませんし、そうでないかもしれません。私の勝手な妄想なので…お話するのはやめておきます」

「そうか…わかった」


女性ならではの、何か感じ取ることがあるのだろうか?とは言え、別にきらりのことで知りたいことなどない。


むしろ『やめておく』と言っている愛花から無理に聞き出そうとして、彼女との関係を拗らせてしまう方がよっぽど問題だ。


「聞かなくていいんですか?」

「きらりのことで何か思い当たるんだろう?だとしたら知らなくても特に問題ないしな」

「…ホントにどうでもいいんですね…」


俺も、自分が思っていたよりもずっと冷静で驚いてはいる。過去、きらりに尽くしていたことを思い出すと、恥ずかしい気持ちにすらなるのだから。


もしかして様々なデータを分析する脳神経製の計算機シナプスカリキュレーターの影響もあるかもしれない。


「じゃあ、俺は着替えてくるよ。愛花も着替えるなら…そうだな、洗面所を使ってくれる?この時間帯は誰もいないしね」

「わかりました、ありがとうございます」


階段を上がり、自分の部屋に戻る。荷物やらを下ろして制服を脱ぐと、動きやすい私服に着替えた。


毎度、上下ジャージと色気のないものだが、運動するにはちょうどいいので、割り切るしかない。ま、愛花も上下ジャージだしね。


「センパイ、何かリビングにあるスマホに電話かかってきてますよ?」


下の階から愛花の声が聞こえてきた。電話がかかってきている?ああ、そう言えば、リビングにスマートフォンを置きっぱなしだった。


慌てて階段を下りてリビングに行くと、ダイニングテーブルの上のスマートフォンが光りながらブルブルと震えていた。


「ありゃ。ほんとだ…桜子さん?」


通知が知らせる相手は桜子さんだった。コールが切れる前にスマートフォンを手に取り、受信ボタンを押す。


「はい。もしもし?」

『ああ蒼紀くん、ほんとに申し訳ないんだけど、いま仕事がどうしても手が離せなくて…』

「七海のお迎えですね。任せてください。すぐに行ってきます」

『ありがとう!助かるぅ〜。あ、あと晩ごはんは出前でも頼んでおいてくれる?寿司でもうなぎでもおっけーだよ!もちろんお金は、あとで精算するから愛花ちゃんの分も頼んでおいてね!』

「わかりました」


スマートフォンをピ、と切ると、いつのまにか横に愛花が立っていた。どうやら、話をなんとなくは聞いていたようだ。


「センパイ、おでかけですか?」

「うん。七海…えーと、桜子さんの娘さんを保育園に迎えに行かなきゃなんで、愛花には留守番を任せてもいいかな?」

「わかりました!お任せください、センパイ!」


※※※※※※※※※


蒼紀がややドタバタしていろいろな用意を持ってから出かけると、広い家には愛花1人になった。


聞けば保育園はかなりの近所だが、行きはともかく帰りは子供の足なので、30分くらいは戻ってくるまでかかるとのこと。


留守番を任された愛花は、台本を読みつつリビングで蒼紀たちの帰りを待つことにした。


しかし、2、3ページ読んだところで、インターホンが響いて、台本読みを中断せざるを得なかった。


「宅配の荷物なら受け取るくらいはするけど…」


家主でも親族でもない愛花が留守番を任されて、来客した場合の対応というのはひどく判断に悩む。


勝手に家にあげる訳にもいかないし、かと言って追い返すのも難しい。


「よくわからなかったら居留守を使っちゃおう」


愛花は決心を口にした。それで家主に来客があったことを報告すればそれで十分だろう。


意を決した愛花は、やや緊張気味にインターホンが映すカメラ映像を覗くが…。


また予定とは違う意味で面倒な相手に、ため息を漏らす。しばらくためらったあと、インターホンの音声はオンにせず、愛花は直接玄関に行って扉を開けることにした。


扉を開けるとそこに立っていたのは…先程、蒼紀に突っかかってきたばかりの幼馴染、星空きらりだった。


「星空きらりさんでしたっけ?」


思いの外冷たい声が出たことに内心で驚いた愛花だが、表情にはおくびにも出さない。


きらりは愛花を見て、もともと釣り上がり気味だった目をさらに釣り上げた。


「キーーッッ!!!この泥棒猫ッ!!!!なんの目的で蒼紀に近づいたの!?」

「私、貴女に泥棒猫呼ばわりされる覚えがありませんが…」

「じゃ、じゃあ!なんで蒼紀の側にいるのよっ!」

「それは教えられません。ですが、センパイの彼女でもなんでもない貴女に言われる筋合いはない、ですよね?」

「そんなの貴女に関係ないでしょ!!」


無茶苦茶な上に、問答にもなっていない支離滅裂な主張を繰り返すきらりに、愛花は思わずため息をついた。


内心では『センパイはこんな女のどこが良かったのだろう???』と3つくらい疑問符が浮かんだのだが…。


確かに顔はいいし、胸も大きいし…。愛花はちらりと自分の寂しすぎるバストに視線を向けて、少しだけ悲しい気持ちにもなった。


「話になりません。そんなにどうこうしたいならば直接、センパイに話したらいいと思います」

「は、話を聞いてくれないのよっ!だから貴女、泥棒猫じゃないなら伝えて欲しいのよ…誤解だからって…ね?」


あれだけ睨みつけてきたかと思いきや、急に媚びてきたことに愛花は鳥肌が立った。まるで赤ん坊のような情緒の不安定さに、愛花は、不気味さすら覚える。


「伝えません」

「なんでよっ!」

「だって、恋敵は少ない方がいいですから」

「なっ…!」


口にしてから、愛花は自分自身でもそんな言葉が出たことに驚く。だが勢いがついてしまえば、そこは真っ直ぐなスポーツ少女。


頭で考えるよりも口が先に動いていた。


「頭が良くて、親切で、見た目は野暮ったいですけど、素材は良いので磨けば光ると思います。だから、すごーい優良物件ですよね、センパイは」

「やっぱり泥棒猫じゃないっ!」

「貴女がそうなら、そう思えばいいと思いますよ」

「認めたわねっ!なら…」


認めたらなんなのだ、と愛花は思った。


この問答をそのまま蒼紀に見せたところで、恐らく結論は変わらないだろう。愛花からみてもそれは明白だった。


「伝えませんよ?伝える義理あります?というか、人にイジワルとかしたくないですけど、センパイをわざと傷つけるような性格の悪い人に親切にするほど、人はできていません!」


そう言って、愛花は玄関扉を強引に閉めた。これ以上は話しても無駄だと思ったのだろう。


『な、なによっ!もういいわよっ!?覚えておきなさいっ!後悔させてやるからねっ!』


扉の向こうで、きらりがまだ何か喚いているが、まるで悪役の捨て台詞にしか聞こえない。


愛花は、きらりの執念に呆れてため息をついた。


愛花から見てもきらりの気持ちは明白だ。


きらりはどう見ても蒼紀のことが好きだ。素直にきらりから付き合ってほしいと言っていたら、付き合えたであろう。


もちろん、山田とやらと付き合う前ならば、だが。あまりにも歪みきった愛情に愛花はまた鳥肌が立ったが、ふるふると首を振る。


…恋敵は少ない方が良いですから…


完全なる宣戦布告であり、告白である。なんであんなことを言ってしまったのかわからないが、嫌な気持ちもしなかった。


「私…もしかして…センパイのこと好きになっちゃったのかな…」

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