第9話 ただのご近所さん
きらりに朝一から絡まれたのは最悪の気分だった。
それなのに、今度は下駄箱でさらに最悪なやつに絡まれた。きらりの彼氏であり、筋肉ダルマ脳筋空手マンの山田である。
「おい!キモオタ!よく学校にこれたな!怪我は大丈夫かあ?」
「…」
「ひひ…俺が怖くてキモオタは声も出ねぇか!」
ああ、最悪だ…。
気分が…。
俺はさっさと靴を履き替えてから、中に上がって逃げることにした。まさかの先制の逃げに山田は一瞬だけ戸惑ったが、そこはさすが格闘家。俺の動きにすぐに反応してきた。
「逃げるんじゃねーよっ!おらァッ!」
立ち去ろうとする俺の背中に、山田は吠えながら正拳を放ってくる。とは言え、おそらく大してやる気のないだろう右の正拳突きだ。
俺はすぐに振り返ると、左の手の平で、払うようにパリィする。
「はぁ!?」
山田は、拳を払われたことが予想外だったのか、ひどく間抜けな声を上げた。俺からしてみると、週末に散々見ていた愛花の拳に比べて、欠伸が出るほどに遅くて、逆に驚いたくらいだ。
正直、一発殴られて、向こうが満足した瞬間を狙って逃げるくらいのつもりだった。だが…
「頼むから…勘弁してくれよ…」
「チッ…!」
併せて許しを請うたのだが、彼は却ってやる気になってしまったらしい。
少し真剣な顔になった山田は、不意にくるりと背中を向けてくる。
(あ、これは…)
そのままの勢いで回転した山田は、ムチのようにしなる後ろ回し蹴りを繰り出してきた。
(やっぱりそうだ…)
愛花との殺陣で何度か見た後ろ回し蹴り。後ろを向くというフェイントと、身体を半回転させることによって体重が乗るこの大技を、俺のような運動音痴が受けられる訳もない。
受けられないなら避ける。のけぞるようにスウェーバックして躱した。うん。やはり愛花の後ろ回し蹴りの方が早いから、かなり余裕だ。
「ッ!?」
「本当に勘弁してくれって…テストだから俺は行くぞ…期末の成績がかかってるからな」
まさか後ろ回し蹴りまで対処されるとは思っていなかったのだろう。目2つと口をOの字にして驚きで固まった山田を下駄箱のところに放置して、俺はいそいそと教室に向かった。
「ふう…殴られずに済んでよかった」
教室までくれば、流石に絡んではこないだろう。
教室には教師もいる。成績においてはトップクラスであり、授業態度も真面目、かつトラブルを一切起こさない俺に対して、教師はかなり好意的だ。もし絡んできたら、山田の方が分が悪い。
大人の力を頼るのは若干ダサい気もする。が、勝てない相手に無理をしても何も良いことはない。力がないなりに上手く立ち回る方が賢いだろう。
「それにしても上手く逃げられたな…今度はもう少し走る技術でも身につけておくか…」
今の山田の一連の攻撃でわかったが、愛花との殺陣で、
何故なら、俺は攻撃については、すべて寸止めで形ばかりものしかしなかったからだ。だから避けること以外はできず、実はこれ以上絡まれても困るだけだったのだ。
要するに逃げ切ったもの勝ち、ガリ勉くんの俺は空手マンから逃げ回るくらいがちょうどよいだろう。
※※※※※※※※※※
1日目のテストが終わり、俺は帰路についていた。今日のテスト科目、自己採点では、すべて100点だった。この調子で明日も行きたいものだ。
さて、今日もこの後は、愛花と殺陣の訓練がある。
と、考えると帰路につく俺の足取りは心なしか軽くなった。どうやら、愛花との時間は、俺にとって思ってた以上に楽しみになっていたらしい。
家に帰ったら勉強道具をまとめて、体育館に向かわないとな。ま、自転車に乗れば10分ほどで着くだろうからすぐだ。
鼻歌混じりに家に向かうと、家の前に女の子が立っていた。その女の子…愛花は、俺に気がつくと、大きく両手を振って存在をアピールしてくる。
「センパーイ!お疲れ様ですっ!」
「あれ?愛花?」
「はーい!愛花ですよ、センパーイ!」
そんなことを言いながら、嬉しそうに駆け寄ってくる愛花の姿はどことなく小型犬を彷彿させる。左右にゆれるポニーテールも、何だか小犬の尻尾に見えてきたな。
「で、愛花はこんなところで何を?」
「今日もこれから、またセンパイに殺陣と家庭教師をお願いしようと思っていたんですよっ!」
「それはそうなんだろうけど、なんでウチに?いつもの体育館じゃなくて??」
「はい!今日は体育館の方に空きがないから、社長が『うちの地下のスタジオ使え』って!」
「悠里さんが?わかった…ま、じゃあこんなところで立ち話もなんだから上がって」
「はーいお邪魔しまーす」
俺が門をあけ、愛花が元気よく挨拶をしながら、中庭に踏み込もうとした、そのときだ。
「ちょっとォ!蒼紀ッ!」
鋭い声に振り返ると、視線の先にきらりがいた。俺のことを追いかけてきたのだろうか、肩で息をしている。
彼女の視線は、まるで射殺さんばかり。もともとつり目がちな目をさらに鋭くして、睨みつけるようにこちらを見ていた。
「なんだよ、きらり」
「その女はだれよっ!?」
俺は、わざとらしくため息をついてみせた。
もし俺がきらり以外の女の子と仲良くしているとしよう。きらりはこれまで『自分に彼氏がいること』そして『俺がきらりのことをまだ好きであること』の2つを前提に俺をバカにしていた。
だが、俺がもしほかの女の子と仲良くしているとそれらの効果はほぼなくなってしまう。となると、俺をバカにすることを楽しんでいるきらりとしては、不愉快な話なのだろう。
そういえば、今朝、俺が、つい愛花の名前を口にしてしまったときも、きらりは気にしていた。様子を確認にでもしにきたのか…。
「きらりには関係ない」
俺はそう言って、話を終わらせようとする。愛花のことを隠す必要はないが、だからと言っていちいち説明する義理もない。
「関係あるっ!」
「いや、ないだろ。俺の交友関係なんか知ってどうする?お前が言ったんだよ『キモオタ蒼紀は話しかけてくるな』と」
「そ、それはっ!そのっ!」
なんなんだよ、こいつは。そこまでして、山田といちゃつくところを見せつけて、俺が凹むのをみたいのかね?性格悪いなぁ。
「しつこい。キモオタの俺のことは無視して山田とよろしくしてくれよ。そして今後は、俺の人生に関わらないでくれ」
「そ、蒼紀っ!誤解だからッ…」
「近所に迷惑だから、静かにしてくれないか?」
「ッッ!?」
ここまで言えばさすがに理解をしたのか、きらりはそれ以上何かを言ってこなかった。
「…愛花、行こう」
「あ、はい、そのぉ、えーと、センパイ?いいんですか?そちらの美人さん?」
「ん?ああ、ただのご近所さんだから大丈夫。愛花が気にすることじゃないよ…ほら、家に上がって?終わったら、昨日と同じように勉強も教えるから」
「あっ!はいっ!よろしくお願いします!」
呆然とするきらりを完璧に放置して、俺と愛花は家の中に入っていった。
※※※※※※※※※
パタンと閉じられた扉を見て、きらりは絶望的な気持ちになった。
いつまでもアプローチしてこないヘタレの蒼紀をやる気にさせるために、いろいろやったのだ。
ワガママをたくさん言った。
テスト前に呼び出して勉強を教えさせたり。
あれが欲しいと買わせたり。
課題を頼み込んで肩代わりさせたり。
パシりも何度もさせた。
言うたびに、喜んでやる蒼紀を見て、都度、気持ちを確認して満足していた。
そして今回もそうだ。
蒼紀は、きらりの彼氏にしてほしいと懇願してくるはずだった。事実、それは先週末に山田に喧嘩を売ったあたりまで上手くいったはずなのだ。
それなのに…。
(新しい女を連れて…私に向かって人生に関わってくるな?ただのご近所さん?)
「何よっ!何よ何よ何よ何よ何よ何よ!蒼紀のバカバカバカバカバカバカ!」
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