第8話 星空きらり

星空きらりは、極々普通の家庭に産まれた、極々普通の少女だ。


だがその極々普通の家庭環境と比して、彼女は容姿に恵まれた。


父は、可愛らしくパッチリした二重の目に、長いまつ毛、白い肌、なで肩の低身長。


母はひどくキツい目をして、浅黒、そして背の高い、怒り肩の女性だった。


奇跡的に、きらりは、この父と母から欲しいところばかりを引き継いだ。パッチリとした二重のつり目に、なで肩、高身長、白い肌に、長いまつ毛。


さらに顔は小さく、首や手足は長い。


胸は出ているし、お腹はキュッとしまっている。


そのため、星空きらりは、まるでモデルのような、という表現が相応しいそんな美しい少女だった。


すでに小学生低学年からその片鱗を見せていた彼女を、周囲は放っておかない。繁華街を歩けば、モデル事務所やアイドル事務所からのスカウトが声をかけてくるのは当たり前だった。


だが、きらりはそういう有象無象のスカウトに興味がなかった。彼女の興味があったのはただ一つ。


幼馴染の関心だけだった。


「そーきは好きな女の子いるの?」

「いないよ。きらりと遊べればいいよ」


母同士が気があったからと、互いの家を行き来した仲だった、河合蒼紀はいつだって、きらりの心の中心を占めていた。


「そーきは、頭いいよね!お勉強はできるし、いろんなことを知っているもん」


幼馴染の男の子は、勉強ができて、それでいても少しも偉ぶることがない。きらりにいつも優しくしてくれる少年だった。


どんなワガママを言っても優しく聞いてくれる。


面倒な宿題はいつも手伝ってくれる。


友達と喧嘩をしたら、うまく仲裁をしてくれる。


困っていたら、いつも颯爽と現れては助けてくれるきらりのヒーローだったのだ。


その関係が少しつづおかしくなり始めたのは小学4年のとき。遊びに来る理由の1つだった、蒼紀の両親が事故に遭って亡くなってしまった。


幸い、近所に住む親戚に引き取られて、学校は変えずに済んだ。


だが、蒼紀と会う機会が減っていった。


蒼紀を引き取った叔父夫婦は、かなり優しい人でしかもかなりのお金持ちだ。だが、蒼紀はその優しい2人に迷惑をかけたくないと、より一層勉強に打ち込むようになったのだ。


「そーき、勉強しすぎじゃない?」


前より会う回数が減ったことを不満を抱えつつ、きらりは蒼紀にそう言った。


「そう?でも、俺を率先して引き取ってくれた叔父さんたちに迷惑かけたくないんだ」

「…叔父さんたちは何て言ってるの?」

「悠里さんと桜子さんは優しいから…迷惑なんて気にしないで好きなことをしなさい、って言ってる」

「じゃ…じゃあ…」

「きらり、心配してくれてありがとう。でも俺、勉強やってたらもっと頑張りたくなってきたんだ」


蒼紀は、ヤケクソではなく、徐々に自分のやりたいこととして勉強を位置づけていたのだ。だから好きなこと、と言って、ひたむきに努力する蒼紀が、きらりにとって眩しく映った。


見た目が良くてちやほやはされる。


でもここまできらりが特に何かを自分で努力したことはない。髪型も服も、親の言う通りにしていただけで、特に良くしようと思ったことはない。それなのに周りがちやほやしてくるのだ。


だからだろう、僅かだか、きらりは劣等感が刺激された。好きなはずの蒼紀に嫉妬を覚えた。


きらりの中で、蒼紀への強烈な好意と、少しの劣等感が入り混じり、歪み始めた瞬間だ。


それからというもの、きらりは蒼紀の気持ちを確かめることをするようになった。


少しの意地悪を、少しの面倒なことを、蒼紀にお願いしては、それを文句も言わずにやってくれることに優越感を覚えるようになる。


お願いはだんだん過激になるが、蒼紀は「全くきらりは仕方ないなぁ」とか言いながらも、絶対に叶えてくれる。だから、きらりはさらに面倒なことを頼むようになった。そんな悪循環が続く。


そして蒼紀が頼みごとを聞いてくれる度に、自分のことを相変わらずに好きであるのだと確信を持ち、安心をしていたのだ。


「あのよ、星空、俺と付き合わないか?」


空手部のキャプテン、山田浩史から告白を受けたのはそんな歪みがかなりの極致に達したときである。


(もし、私が山田と付き合ったと知ったら、蒼紀はどんな顔をするのだろう?)


土下座でもして、俺と付き合ってくれと言うのだろうか?それとも、山田に殴りかかるだろうか?


劣等感を覚えた対象である蒼紀が、自分に対して膝をつき、嫉妬さえ剥き出しにして、好意をはっきりと見せてきたら…。その場面を想像するだけできらりはぞくぞくするのを止められなかった。


「良いわよ」

「そうか!よかった!」


思わず、と言った感じで山田はきらりを抱きしめてきた。


もやしな蒼紀とはまるで違う、男らしく、汗臭い肉体。見たことのない、雄度の高い肉体に、きらりは不覚にもときめいてしまったのだ。


そしてそのことに一瞬だけ、強い罪悪観を覚えた。


(蒼紀が…あいつがいつまでも私を待たせるのがいけないんだわっ!)


だが、それも一瞬。自己正当化だけは得意なきらりは、その後も山田の要求にずるずると応じていく。その都度『蒼紀が愚図なせいだ』と誰にいうわけでもなく言い訳をしていた。


そして、付き合い始めてからわずか2週間。空手部の誰もいなくなった部室で、きらりは山田に抱かれた。


初めての体験はあまりに一方的で、乱暴で、気持ちよさなどは少しもなかった。何らかの本で読んだ通りきらりは精一杯の演技をしたが、山田はそれで大層満足したらしい。


翌日、きらりは山田と付き合っていることを含めてついに蒼紀にそのことを話した。そして劣等感を吐き出すように蒼紀をこき下ろしたのだ。


『キモオタの蒼紀は私に2度と話しかけてこないでね』『あんたみたいなのと幼馴染って言うだけで吐き気がするから…今後は近寄らないでね』


予想通り、蒼紀が山田に喧嘩を売ったのは最高だった。ボコボコにされた蒼紀は、きっと泣きついてくるだろう。きらりは最高の気分だった。


このときまでは…。


「あとで保健室に迎えにいってあげましょう。そこで私に謝罪して告白してきたら、山田とは縁を切って私と蒼紀と晴れて恋人になる」


ところがいそいそと保健室に向かったら、蒼紀は帰った後だと保険医の先生が聞かされた。何か用事でもあったのだろうか?


(まぁ、蒼紀も私の大切さに気がついたよね?今度はきっと私が諦められなくて、週末にでも直接家に来るかもしれない。そうなったら、さすがに認めてあげてもいいわ。山田とは別れて、付き合ってあげる選択肢も考慮してあげる)


だが、週末の土日、蒼紀がきらりの家に姿を現すことはなかった。蒼紀が叔父に連れられてどこかに行っている…程度のことはわかったが、それ以上はわからない。


それでも夜には戻ってきたみたいだから、家には居たはず。それなのに…


「なんで!?うちは隣なのよ!?それなのに私に泣きついてこないのはなんで!?一体全体、どういうことなの?」


そして、ついには蒼紀からきらりへは一切の連絡もなく、週末は過ぎ、月曜日になってしまった。


きらりは、土日悶々としていて、今日から期末テストだったことをすっかり忘れていた。いつもは蒼紀がテスト勉強を教えていたから意識したこともなかったのだ。


(私のテストの点数が悪かったら蒼紀のせいだ!また謝らせてやろう!)


きらりは内心、会ったら怒りをぶつける気満々で、朝から家の前で蒼紀が通り過ぎるのを待っていた。


中学に行くには蒼紀はきらりの家の前を通る必要がある。そのため、家の前できらりが待ち伏せていれば蒼紀は必ず見つかる。


案の定、始業時刻の30分前、蒼紀はきらりの家の前をそそくさと歩いていった。しかも生意気なことに、無視して通り過ぎようとしたので、きらりは、思わず蒼紀の背中に声を掛ける。


「あんたみたいなキモオタよりも、山田はずっとイイ男だよ?ふふん、私の彼氏になれなくて悔しいでしょ?いまなら…」


きらりの声なんて、まるで聞こえていないかように無視して学校へ向かおうとする蒼紀。


(何?ここまでして私の気が引きたいの?いくらなんでも生意気過ぎるんですけど!許すのにハードルが上がったからね!)


「ちょっと!キモオタそーきのくせに私を無視するのっ!いい加減にしてよっ!!」


そこまでいうと、さすがの蒼紀も立ち止まり振り向いてきた。


(ようやく謝る気になったのかしら?私を待たせた分、たっぷりと謝罪してもらわなきゃね)


「何か用事かよ…話し掛けるなと言ったのはそっちだからな?」

「私がほかの男のものになってくやしがるアンタを見たかったのよ。どう?まだ私のことが好きなんでしょ?私と付き合いたいでしょ?勝ち目のない山田に喧嘩を売るほどなんだから、ね?」


きらりを取られたことが悔しくて、あの筋肉隆々の山田に喧嘩を売ったのだ。勉強ばかりのもやしみたいな蒼紀が、だ。余程悔しかったに違いない。


(私を遠ざけて勉強ばっかりしていた報いだ。深く反省して今後は私を大事にすればいいわ)


「愛花の方が可愛いな…」


しかし、蒼紀の口からこぼれてきたのはきらりが期待していた謝罪ではなかった。それどころか、別の女の名前らしきものだったのだ。


(しかも可愛い!?ってどういうことなのよ!)


「は?アイカ?」

「いや、何でもない。じゃあな、学校に遅れるぞ」


特に説明するつもりもないらしい。踵を返して私に背中を向けて、歩き出す。


(何よ!キモオタ蒼紀のことだから、アニメか何かのキャラクターでしょ、どうせっ!2次元と比べるなんていい度胸してるじゃないのっ!)


「何よっ!あ、アイカって誰よ!?どうせアニメのキャラクターか何かでしょ!相変わらずキモい!」

「きらりには関係ない話だろ?」

「あるわよっ!幼馴染でしょ!」


(あれ?蒼紀の顔…おかしい。なんでそんな冷たい目をしているの?いつも…呆れたとか言いながらも見守ってくれるあの優しい目じゃない)


これは、怒っているとかではなく、まるで無感心な他人を見るような…。ここになって、ようやくきらりは自分の勘違いに気がついた。


「その幼馴染という関係を『キモオタは話し掛けてくるな』という言葉で、一方的に切ってきたきらりには関係ない」


その瞬間、きらりは、蒼紀の表情の意味がわかってしまった。蒼紀は…きらりのことを諦めてしまったのだ。


(ヤバい…。まさか、そんな簡単に私のことを諦めるの?違うっ!私、そんなつもりじゃなくて…)


きらりはまさか蒼紀の側から切ってくるなんてことを想像してなかった。蒼紀はいつだって、きらりのわがままを聞いて、優しくしてくれて、受け入れてくれる存在なのだ。


それがまさかなんて…きらりは喉が急速に渇いていくのを感じた。


「ちっ、ちがッッ」


声が空転して、ちゃんとした言葉にならない。


(蒼紀に捨てられる?私が?蒼紀に捨てられたら私には何が残るの?)


きらりの想いは伝わらない。いや、すでに蒼紀側が受け取る気持ちをなくしていたのだ。


「はぁ?」

「それはそういう意味じゃなくて…」

「話にならない……するつもりもないけどな。俺は試験に遅れるわけにはいかないからいくぞ」

「ま、待ってよ蒼紀っ」


蒼紀の背中から感じる強い拒絶に、きらりはそれ以上声をかけて追いかけることはできなかった。

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