第6話 美少女と組み手

悠里さんの車に乗って5分ほどで、体育館のような建物についた。駐車場には何台か車が停められているが…みんな窓にはカーテンが掛けられていて、中が覗けないようになっているものばかりだ。


窓のカーテンって、よく芸能人が移動に使う車に使われているよなぁ…。


「悠里さん、この体育館は?」

「ここはうちの事務所で持っている体育館だな」

「え?事務所で体育館持ってるんですか?」

「おう。アイドルやタレントの練習を人に見られる訳にもいかないからな。いちいち借りるのも面倒だし、事務所で買っちまったよ」


悠里さんの事務所は、とにかくタレントにガンガン投資する。もちろん給料が高いのもそうだが、設備がとにかく充実している。その厚遇っぷりにタレントも簡単には移籍する気がおきないらしく、結果優秀なタレントを上手く引き止められている。


「なんだか、豪快ですね」

「うち専用だから、まーテレビで見たことあるアイドルとかいるけどあんまり気にするなよ?」


イタズラ少年みたいな顔をした悠里さんに案内されるまま、体育館の中に入る。中は、特段なものはなく外観から想像できるまんまのところだった。


つまり、どこの学校にも備え付けられている体育館そのものだった。大きさもほぼ同じくらいである。


中では、いくつかのグループが集まってダンスの練習をしていたのだが…。


「あ、あそこで練習している3人組って…」

「もぎたて☆フレッシュフルーツだな…蒼紀はうちで何度か会ったことあるよな?」

「毎年、家でやる新年会にきていますよね?」

「ああ。そうだな」


もぎたて☆フレッシュフルーツは、メロンさん、パイナップルさん、スイカさんという芸名の3人からなる、いま国内で最も人気があるグラビアアイドルのグループだ。


スイカさんは、何と言うか…見た目が俺のめっちゃ好みのアイドルなんだよね。それで覚えている。


え、何が好みって…こう…おっぱいがめっちゃ大きくて、かつちょっとお腹のお肉が余ってる感じが…エロいというか…。


俺と同じ性癖の男が日本国内にはそれなりにいるのだろう、青年向け漫画雑誌でしょっちゅう表紙を飾っている。


なかなかキャラクターも濃くて、バラエティ受けがよく、テレビでも見かける人気っぷりだ。


グラビア中心ではあるが、ダンスや歌もかなりレベルが高く、何と武術館でライブをしたこともある。


そんな、まさに今をときめくアイドルグループなのだが…。その『もぎたて☆フレッシュフルーツ』がまさか練馬の片隅にある体育館でダンスの練習をしているとは驚きである。


「本当に事務所で持ってる体育館なんですね」

「そうだな。奥には格安の食堂もあってな、みんなそこで晩ごはんとか食べて帰ることが多いぞ」

「充実の設備…」


悠里さんが入っても、タレントたちは誰も挨拶をしなかった。というか、各自のダンスに集中していて誰も気がついていないようだ。


そのまま体育館の端にある鏡の前まで移動する。


「じゃあ、蒼紀、早速、いま覚えた殺陣で、愛花の相手をしてやってくれるか?」

「わかりました」


大丈夫。さっき一度見て、動きは全部覚えた。そしてバク転で脳神経製の計算機シナプスカリキュレーターと身体の動かし方のやり方は掴んでいる。


「じゃあ中野さん、よろしく」

「よ、よろしくお願いします…えと、本当に大丈夫ですか?当たると痛いですよ?」

「大丈夫大丈夫!もう全部、覚えたから!それに何かあっても俺が痛いだけで、中野さんに文句言ったりしないから気にしないで」

「わかりました。お願いします…あと私のことは愛花と呼び捨てで構いません。その代わり、河合さんことはセンパイと呼ばせていただきます」

「わかった。それでいいよ、愛花」

「じゃあ…始めます!」


キリ、と愛花の表情が変わり、雰囲気が引き締まったものに変わると、最初の攻撃が来た。


愛花の右正拳。


これは左手で受け流し、続けて放ってくる右の前蹴りをバックステップして距離を取る。


下がったところにさらに追い打ちとして来る回し蹴りを、スウェーバックして躱す。


躱し際には、追い打ちを防ぐジャブ。


ジャブした左手は掴まれるので、今度は右フック。


右フックも掴まれるので、強引に力で払いのける。


1秒対峙した後、俺がさらにワンツーを寸止め。


愛花は当たったふりをしてから、それに耐えるように反撃の正拳。


こっちは腕で受け止める…ふりをする。さらに痛いふりまでしてガードの上からでも愛花の正拳突きを効いたことにする。


愛花は、この殺陣での役設定としては『パワータイプで、その拳は相手の防御すらもぶち破る』ということになっている。その演出らしい。


左手の正拳を今度は両手でガード…もちろんこれも実際には当たっておらず、こちらも寸止めだ。


続く、右、左もガードするが、効いている演出としてだんだん姿勢が下がってくる。


5発目の正拳突きで、俺は弾かれるようにガードを下げる。


そこに愛花の後ろ回し蹴りが来るので、それを食らうふりをして吹っ飛び、地面に転がり、伏せる。


以上だ。要するに愛花が正義側で、俺はその愛花にやられる悪役の殺陣をしたことになる。


俺は、伏せた姿勢のままで、顔だけを少し呆けた顔をしている悠里さんの方を向けた。


「こんな感じですかね?悠里さん」

「まじかよ…これは蒼紀の意外な才能なのか!?いやいやバッチリだよ!お前ら今日、はじめましてとは思えないほど息ぴったりだな」


うん。愛花の空手はかなりのスピードだった。脳神経製の計算機シナプスカリキュレーターで思い出してみても、たぶん山田の空手よりも速い。


もちろん体格はかなり違うからパワーでは勝てないだろう。しかし、テクニックとスピードでは愛花のほうが遥かに上だ。


「センパイ、すっごいです!私、小学1年生のころからずーっと、空手をやっていたんで…合わせられる人が全然いなかったんですよ!それで社長に相談に乗ってもらっていたんです…」

「そうなのか?どんな技が来るかわかってるんだから、あとはタイミングの問題であって、どうにかなるんじゃないの?」

「わかっていても、わずかにずれたら、殴ったり殴られたりですから…簡単にはできないんですよ」


殴られたら、体格差があるとは言え、愛花の攻撃はかなりキレがあったので痛くはありそうだ。飽くまで当たればだが…。


脳神経製の計算機シナプスカリキュレーターの効果か、見てから身体が動くまで、つまりは反射神経に関しても早くなっている気がする。


悠里さんはふう、息を吐くと、少し真剣な顔になった。


「愛花の、本当の相方はいまはまだいないって話はしたよな?」

「ええ」

「とは言え、オーディションはすでにやっていて人も集まっているから長くても1、2週間の話だ。でだ、ここまで殺陣の相手が出来るのなら、このまま引き続き、正式な相方が来るまでの間、相手をしてやってくれないか?」

「わかりました。構いませんよ」


殺陣の相手をやっていれば、空手の動きを覚えるのにも役に立ちそうだ。上手くいけば、山田の暴力を躱すくらいは出来るようになるかもしれない。


「助かる。バイト代として、小遣いにたっぷり上乗せしておくからな」

「期待しておきます」


悠里さんの『たっぷり』はちょっと怖い。正当な報酬だなんだと、日給数万で計算してくるからな。


それに…。


「センパイがこれから相手をしてくれるんですか?うっわー!うれしいですっ!」


にっこりと満面の笑みを見せる愛花。どこまでもまっすぐで透き通った笑顔に、俺は少し頬が熱くなるのを感じる。


…幼馴染だけが女じゃないぞ


ふと、先程の悠里さんの声が頭の中でリフレインした。ははは…我ながら単純な話みたいだ。別の美少女とお知り合いになれば、失恋の傷など簡単に癒されるってか?


(そうだな。きらりにフラレただけ。それだけのことだよな。死ぬことでも、大怪我をすることでもない。何より、人生は長いんだし、あまり、かたく考えても仕方ないか…)


※※※※※※


「この問題は、さっき教えた、これ、この方程式を使って解けばできるよ」

「ええと…」

「まず、式を書いて…よし。じゃあ、aにここの数値、bにこっちの数値を代入してみようか」


殺陣の練習がひと通り終わったので、愛花に勉強を教えている。


悠里さんの事務所は、アイドルなどで活躍したタレントさんが、事務所内で別の道に進んだりすることが多い。


桜子さんもそうで、アイドルとして活躍したあとはその知見をいかしてアイドルプロデューサーをやっている。


そのためか、学業を疎かにすることを許さない。大半のタレントには、大学まで卒業することを勧めていたりする。


「で、できました…これで良いですか?」

「よし。大丈夫だね。数学のテスト範囲はこんなもんかな。じゃあ、次は古典の対策をしようか?」

「す、少しだけ休憩しませんかっ?」

「仕方ないな。少しだけだよ」


ということで、タレント業でテストの成績が下がることがないように、俺が愛花に勉強を教えることになった。


愛花は…どうやら成績としては残念なレベルなので結構、真剣に教えている。ただ、性格は素直なためか、教えたことはきっちりと吸収していく。


「で、この調子でテストは大丈夫そうかな?」

「はい!センパイの教え方、すごくわかりやすいです!ありがとうございます!」

「それはお役に立ててよかったよ」


愛花は、狭き門である悠里さんの事務所で採用されるほどの女優の卵だ。もちろんだが、めっちゃくちゃな美少女である。


殺陣に必死で気が付かなった事実に、今さらながら気がついて…。


そして、そんな美少女から、キラキラな笑顔で喜ばれたら、俺みたいな普通の男は、当然のことながらニヤニヤとしてしまいそうになる。


だけど、さすがに緩んだ表情はカッコ悪いので、ニヤニヤを表に出さないよう、必死に顔の筋肉を引き締めた。


あー俺ってほんっとに単純なのなぁ。


だって、この瞬間、もう頭の中からきらりのことはほとんど消えていたのだから。

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