第3話 蒼紀の家庭環境
古典の勉強をしたその後、俺は学校から少し離れた図書館の閉館ギリギリまで、ほかのテスト範囲の勉強をしていた。できなかった科目については、ちょうど範囲の参考書を借りる。
この図書館は、うちの中学の連中がこないから静かで助かるのだ。せいぜい親子連れの小さな子供が児童書を読んでいるくらい。騒ぎ声がしても親が止めるからそこまで気になるものではない。
だが、中学生というのは、小学生という記号を付与された子どもから抜け出し、大人へと駆け上がる階段の一歩目。
行動範囲、できること、そうしたものの急速な広がりに、万能感を覚えててしまう。
いわゆる中二病というやつだ。
生意気になった中学生というのは、大人の静止をなかなか聞かず、また小学生とは違ったうるささというものがある。
かく言う中学生の俺も、自分が創作の主人公で、幼馴染の美人ヒロインと結ばれると勝手に思っていた厨二病患者なのだから、どっこいどっこいだが…。
「ま、そして、フられて現実を思い知った訳だ」
厨二病の夢はバケツの水をひっ掛けられたかのように覚めた。目覚めさせられた。
「さて、帰るか…」
たくさんの本を借りて図書館から出た俺は、すっかり沈んだ暗い道を歩いて帰路についていた。
2学期末のこの時期は、やはり日が短く、街灯と時折道なりの家から漏れる光だけが、歩道を照らしていた。
俺の居住地は、東京都練馬区の早宮というところにある。
練馬区は23区のベッドタウンで、住宅街がひしめいている区になる。
通る鉄道は23区にしては少なく、東武東上線、西武池袋線、有楽町線、副都心線、大江戸線の5線が放射状に通っているだけ。鉄道が通っていない北西地区は、関越自動車道と外環の入り口がある車中心社会であり、23区らしくないところもある。
一方で早宮は石神井などと並び、比較的、裕福な層が居を構えていて、高級官僚や芸能人なんかも住んでいたりする。
最寄り駅は有楽町線、副都心線が通る平和台駅。ほかにも西武線、大江戸線が通っている豊島園駅も近い。渋谷や新宿、池袋に乗換なしで行けるかなり便利な立地でもある。
「はー…結構寒いな…」
着ている上着の袖を寄せて、カバンからマフラーを取り出して…固まってしまった。このマフラー、むかしきらりから誕生日にもらったやつだったわ。
心の傷を抉るアイテムに…思わず通りがかったコンビニのゴミ箱に捨てようと衝動的に考えてしまう。
「あーでも…物に罪はないよな」
とは言え、首に巻く気も起きないから、再びカバンにしまうことにした。寒さは堪えるが、心の傷をえぐられるよりはマシだ。襟を寄せて家までの時間は耐えることにする。
「今度は違うマフラー持ってこよう…」
捨てないとは言え、このマフラーは封印は決定だ。
図書館から10分ほどで、今住んでいる家が見えてきた。ここは学校からも徒歩で10分ほどのところになるのだが、正直、相当に立派な家だ。
まぁ、家主が有名人で、かなりの金持ちなのだから当然なのだろうが…。
南向きの坂の一番上に建てられた一戸建ての家。広い中庭にはプールやサウナ、屋上にはジャグジーやBBQのスペース、室内にはカラオケルームやスタジオまで備えている豪邸だ。
敷地面積は500平米とか言ってた気がする。
実はそれぞれの立派な設備は、家主が仕事に使う場合があるので備えている節もあるが…豪邸なのは確かだろう。
門を開けて中庭を通ると、庭で何かを作業をしている女性がいた。作業に夢中で、入ってきた俺に気が付いていないだろう女性に向かって、少し張り気味で声を掛ける。
「桜子さん、ただいま」
「あら、おかえりなさい、蒼紀くん」
こちらを振り向かず、庭に設置されたライトの中、作業を続けている彼女は俺の叔母にあたる、河合桜子さんだ。
元アイドルであり、引退時には九段下にあるライブの聖地・武術館をいっぱいにしたほどの有名人らしい。
年齢は30歳。顔はというと、きらりですら霞むほどの美人だ。さらには胸が…その…めちゃくちゃ大きくて、動くたびにぶるんぶるんするため…俺はいつも目のやり場に困っている。
彼女は、叔母と言っても、俺の父の兄の奥さんなので、血の繋がりはない。それなのに叔母ということで妙に近い距離感が、また思春期の俺をドキドキさせる。
「桜子さん、今日はお仕事ないんですか?」
「七海が熱出しちゃって、ゆーくんとのじゃんけんに負けたから保育園へ迎えに行ってきたの…今は部屋でぐっすり寝ちゃったけどね」
七海とは、桜子さんの娘さんで御年4歳。要するに俺の従兄弟だ。
そして、ゆーくんは、俺の父の兄である河合悠里さんのことだ。悠里さんは大きな芸能プロダクションの社長さんで、テレビにもちょくちょく出るほどの有名人である。
そのため、この家にはちょくちょく芸能人が出入りしている。テレビで見かけるような人が、普通にリビングにいたりするから、驚かされたことは一度や二度ではない。
やがて桜子さんは、作業が終わったのか立ち上がってうーん、って何だか妙にツヤっぽい声を出しながら伸びをする。そして帰ってきてから初めて俺を見た桜子さんが、ギョッとした顔になった。
「ちょっと…蒼紀くん!?その顔どうしたの!?怪我でもしたの!?」
そう言えば図書館のテンションですっかり忘れていたが、怪我して顔のあちこちにガーゼを付けていたんだった。
「え?あ、その…階段で転んじゃって…でも、保健医の先生にも診てもらって…もうぜーんぜん大丈夫ですから…」
「ホントに?本当に大丈夫!?」
「本当です」
「わかったわ。でも、もし何かあったらすぐに言うのよ!頭をぶつけるのは危ないんだからね!」
「ありがとうございます、桜子さん。気をつけるようにします」
桜子さんとは血が繋がっていないのは、さっきも話した通りだ。それにも関わらず、俺という異分子をここまで優しく受け入れてくれたことに、いつも感謝をしている。
5年前。
俺が、とある事故で両親を亡くして行き場をなくしたときに、悠里さんと桜子さんは、真っ先に手を挙げて俺を受け入れてくれた。
落ち込む俺を、親代わりとして、優しく見守ってくれたのは、2人だ。いくら感謝しても足りない。
そんな2人に迷惑をかけたくない一心で、俺は勉強に打ち込み、学校では常に成績トップクラスを保っている。
そして…。
桜子さんの優しげな顔を見て、横恋慕から山田に喧嘩を売った自分の迂闊さを責めた。下手なことをしたら、この優しい女性にも迷惑がかかってしまうというのに…。
「それでは、週明けからは期末試験があるので、失礼します」
「うん。蒼紀くん、頑張ってね」
ついにはいたたまれなくなって、軽くお辞儀をしてから逃げるように家の中に入った。
駆け込んだ広々とした玄関横には、大きな靴箱がある。靴箱の上にはたくさんの写真が飾られていた。桜子さんのアイドル時代のものと、家族写真…俺も含まれている…もだ。
途中から夫妻の娘である七海も加わり、4人での写真になっている。
七海は従兄弟ではあるが、実質妹みたいなものだ。可愛いざかりで、俺のことをいつも『お兄ちゃん』と言って追いかけてくる。
さて、玄関から続く階段を上ると、2階には俺の部屋がある。たっぷり10畳はあり、勉強に必要だろうと、悠里さんが、かなり高いパソコンも買ってくれた。
たまーにゲームにも使うが、基本は資料作りや勉強のために使っているぞ。うん。
「さて、取りあえずは、期末試験に向けたテスト勉強をしておくかな」
中間試験で俺は総合学年2位だった。現代文、古典や歴史などの文系科目はトップだったが、理系科目に足を引っ張られた結果の順位だ。
(でも、このギフテッドがあればトップを取るのも簡単だな…何だかズルしている気分だけどね…)
たぶん1時間あればテスト勉強の範囲は十分に終わらせることができるだろう。それどころか、丸1日もあれば高校受験の範囲すら済ませられるかもしれない。
ならば、もっと先の勉強をしてもいいのだが…。
「それよりも、だ」
パソコンを起動する。ネットにはデジタルアーカイブ化されたパブリックドメインの書籍などが多数ある。
そうした書物を漁れば、大きな図書館に匹敵するような様々な資料を閲覧することもできるだろう。もちろん、今回の試験範囲とは全く異なることも…。
「だから、この突然、降って湧いたギフテッドで何がどこまでできるのかを、ちゃーんと確認したいよな」
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