第2話 完全記憶能力って便利だな

「記憶力には自信があったけど、こりゃあいくらなんでも異常だよなぁ…」


例えば、勉強であれば問題を繰り返し解いたり、体系的な理解をすることで、記憶に刷り込まれやすくはなる。


だが、そういう過程をすっ飛ばし、見たものを一瞬で記憶して、いつでも鮮明に思い出せるというのは通常ではありえない。


「よくよく思い出してみると、拳の軌道やらもまるで動画を再生するみたいに思い出せるな…」


思わず嘆息した。殴られたことがきっかけかどうかはわからないが、俺の脳に何らか異常事態が起きたのは間違いないだろう。


「これって…やっぱり、普通じゃないよな」


もしかして完全記憶能力ってやつだろうか?カメラアイとも言われる、文字通り、見たものを全て完全に記憶しておける体質のことだ。


「殴られて、その衝撃で、完全記憶能力が芽生えてしまったとか、そういうことなのか?」


そんな偶然があるのだろうか?しかし、そうでなくてはこの異常な記憶能力には説明がつかない。


試しに、ほかの情景…先ほど目を覚ましてから、保険医の先生との会話の情景…を思い出してみることにする。


すると、やはり殴られたときと同じ様に、まるで写真、というか動画撮影をして、それを再生したかのように詳細まで細かく思い出せた。


保険医の先生の目の動きから、パッチリとしたまつげの数まで数えられる。天井の染みだって、のんびりと数えることができるほど、背景がくっきりと頭に浮かんできたのだ。


「……うん。これは完全記憶能力だな」


もはや疑いようのない事実である。


「完全記憶能力って言っても…これって記憶が鮮明に残るだけだよな…。それで何か特に困るようなことがあるわけではない…よな…?」


実際にいる完全記憶能力の持ち主のエピソードを耳にしたことはある。恥ずかしい記憶、いやな記憶を鮮明に覚えていて、いつまでも忘れられないというデメリットがあるとか何とか。


「たしかに山田に殴られた記憶が、いつまでも鮮明なのは嫌だけど…」


それよりも見たことを完璧に覚えられて忘れないことには、たくさんのメリットがある、と俺はすでにこのとき浮かれていた。


「そうだよ!考えてみれば、こんな能力を持っていたら、テスト勉強とか楽勝じゃないか!」


俺の気持ちは興奮していた。


自分の身体に、異常事態が起きているのは間違いない。脳にこんな異常な能力が出るほどの衝撃だ。ほかにも異常が出ている可能性もある。


頭は繊細なところであり、本来なら病院にいって検査するなり、最低でも保険医の先生に相談するなりはすべき事態なのだろう。


それなのに『これは病気ではない』と、俺はそう自身に言い聞かせていた。これは病気ではなく『ギフテッド』なのだ。間違ってもと強く思ってしまっていた。


だからと判断した。もし知られたら、せっかくのギフトを治療されて失ってしまうかもしれない。


反則とも言える記憶能力に後ろめたさもあった。きらりをほかの男に取られて、落ち込んでいた俺の精神が特別な何かをほしがっていた…ということもあったのかもしれない。


だけど、何よりも俺はもうこのときには偶然得られた『ギフテッド』を試してみたくて仕方なかったのは事実だ。


そう俺はこのとき浮かれていた。


だから、いつもなら思いつくような様々な可能性を考えていなかった。例えば、…とかだ。


もし俺以外にギフテッドを持っている人がいたら社会はどうなっているのだろう。世間はどうように動くのだろう。世間には知られていないような隠された力があると、例えば『国』はどう対応するのか。


そうした考えを巡らせなかったことが、大きな後悔につながる。


※※※※※※


俺は保険医の先生が止めるのを説き伏せて、さっさと学校を出ると、近所にある図書館に向かった。もちろん、俺の能力を試してみるためだ。


「さて、どれくらい簡単に覚えられるのか試しみようかな?」


俺は比較的、文系科目が得意だ。


理系科目というのは、事実を扱うため、答えが唯一無二だ。それに対して、文系科目というのは、答えが唯一無二ではないと揶揄されることが多い。


確かに文系科目の答えは、唯一無二ではない。だからこそ俺は文系科目は唯一無二を学問だとは思っている。


例えば『作者の意図を書きなさい』と言われたら、日本語の文法と書かれた内容という事実から、客観的に導き出される結論を書く。


それが書いた作家の意図と違ったら『あなたの日本語能力が欠如している』と作者に指摘して言い張れるくらいの客観性を持つ事実を導くのだ。


そういう学問だと思っている。だから、すごく面白いと俺は思っている。


…話がそれた。


「今回のテスト範囲の古典を読んでみるかな?」


2学期末古典のテスト範囲は、源氏物語、最初の章である『桐壺』だ。


源氏物語にいまさら説明は不要だろう。平安時代末期の作家であり、藤原氏の血筋に生まれ、時の超権力者である藤原道長の娘・中宮彰子に仕えた才女・紫式部による大河小説である。


確かな教養を思わせる重厚で、しっかりと作り込まれた作風は、同時代に軽妙でセンスのある表現をしていた清少納言の随筆『枕草子』としばしば双璧のように語られる。


「まず、せっかくだし原本を読んでみようかなぁ…近所の一図書館にあるのかは不明だけど…」


こうした古典作品を現代人が触れる場合、世に出回っている書は、大きく3つの形態が取られている。


1つ目は、原本。つまり、紫式部その人が書いたものだ。源氏物語に関しては、紫式部の書いた原本は現存せず、その代替としては写本(を現代の印刷機で複製したもの)が用いられる。


これは通常、高校生が触れるものではない。文学部の大学生でも、さらに古典を専攻するような場合にしか読む機会はないだろう。


何故なら、ひらがなの基になる、漢字を崩した文字が徹頭徹尾使われているため、現代語のどの文字に相当するか判別するだけでもかなり難しいのだ。


2つ目は、原文。崩した文字を現代の活字に置き換えたもの。意味を理解できるかはともかく、読んで発音するだけなら簡単にできる。中学、高校の教科書や試験に出るのはほぼこの形態だ。


3つ目は現代語訳。これは文字通り、現代人が読めるように翻訳したものだ。


古典作品が、現代がなを当てられた原文であっても簡単には読むことが出来ない原因は多々ある。その1つは古典独特の敬語表現にある。


敬語は、古典であっても現代語と同じように、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3つに分類され、敬意を払う対象の違いによって使い分けられる。


尊敬語は、動詞の主体。謙譲語は、動詞の対象。丁寧語は文書の読み手。それぞれに敬意を払う言葉になっているのも現代語と同じだ。


例えば『奏す』という、大学受験の古典でも頻出の言葉がある。現代語で言うと『申し上げる』に相当する謙譲語だ。謙譲語ということは、動作対象、つまりこの場合は話しかけた対象への敬意を示す言葉になる。


が、これは単なる謙譲語ではなく、天皇や東宮などに対する特別な敬意を表す謙譲語だ。稀に最高敬語などと分けて解説することもある。そのため目的語が書かれていなくても、奏す、と出た瞬間に誰に申し上げたのか、対象が文脈でわかる場合がある。


現代でも例えば『御学友』と言うだけで、皇族の友人関係であるのがわかるのと同じだ。


そうした当時の暗黙の了解のようなものを読み解けないと文書の意味がわからないことが多々あり、そこが古典の難解さに繋がっている。


「源氏物語をこの3つで読んでみるか…」


まず、原本の写本(を、現代の印刷機で複製したもの)を読んでみた。


源氏物語の「いずれの御時にかどの帝の治世だったか」という出だしは有名だから、序盤は何となく読めるような気もする。


しかし、読み進めていくと、すぐにこれらのうねうねとした『くずし字』のテキスト群を、理解して読めているとは言い難い状態になった。


ただ、どのような形をしているかのマネはいつでもできるほどには記憶している。要するにそういう画像として写本を頭の中に記憶できている訳だ。


テスト範囲の『桐壺』だけにしようかと思ったのだが、せっかくなので、最後の『夢浮橋』まで読んでみる。ここまでだいたい20分ほどだ。


「次に原文を読んでみようかな?」


原文を記憶すれば、頭の中で原本と突き合わせすることができるだろう。


そうすれば、文学部の学生でもそれなりに真面目に古典を勉強しないと覚えられない『くずし字』を比較的簡単に覚えられるのでないか…という目論見であるのだが…。


「………」


原文をパラパラとめくっていく。先ほど確認したところ、カメラアイで記憶するのに1ページ1秒もいらない。わずかでも視界に入れば自動的に覚えられる。


同じく20分ほどで、原文の本を読み終える。すると読み終えたその瞬間、頭の中で、くずし字と活字の変換が済んでしまった。


慌てて、原本を思い返してみると…まるで活字を読むかのように、すらすらと発音できるようになっていた。


「これは…想像以上だ…」


最後に現代語訳を読んでみる。


現代語訳には単なる訳だけではなく、文章を読み解く上で補強すべき時代背景などが書かれている。古典作品の常だが、先ほど説明した敬語表現のように書く必要のない共通認識は、省かれることが多い。


ところが、現代人からすれば、その共通認識は存在しないため、文章の直訳だけでは理解できないことが多々ある。それを補うために、時代背景などが必要になるのだ。


これも20分ほどで読み終えると…。


「これはヤバいわ…」


読み始めてから合計1時間ほど。しかし、頭の中で急激に構築されていく大量の知識に俺は慌てて、紫式部の他の記述を手に取ってみることにした。


「あった。紫式部日記」


紫式部日記は、文字通り、紫式部が日常のあれこれを日記として残したものだ。当時の宮中の様子を知る資料として、非常に貴重なものとされている。


少し古い紙の匂いがする紫式部日記…もちろんこれも写本を現代の印刷機で複製したもの…をパラリと開いてみて、その瞬間、俺は驚愕した。


「あーすっげぇ…初めて読むのに原本でも頭の中に意味がするする入ってくるわ…」


俺は、まだ紫式部日記の現代語訳や原文を読んだりしたことはいない。それにも関わらず、頭の中に体系立てて入った源氏物語の知識から、くずし字であっても簡単に関連付けられて理解ができている。


小説の表現と、日記表現の違いがあるため、完全ではないものの、さらっと読んだだけで9割は理解ができた。


「こりゃあ、完全記憶能力なんて、生易しいものじゃないな…」


もはや、これは人智を超えただ。


現代のヒーローモノや、サイバーパンクの超能力を取り扱う創作には、パソコンに干渉して計算ができる『ロジックマスター』という超能力がある。それに似ているようにも思える。


「つまり、単に記憶能力だけじゃない。俺の脳を補完するような計算処理能力まで備わっているみたいだな」


改めて、紫式部日記の現代語訳を読んでみて、俺の理解とほとんど差異がないことを確認した。


俺は思わず自分の頬をつねる。しかし、ただ痛いだけだった。手を離しても残る僅かな疼痛が、これが現実だと教えてくれる。


「はは。夢でも妄想でもないみたいだ」


ただの完全記憶能力だけだったら、こうはいかなかった。完全記憶能力を越える超人的な処理を俺の頭はこの一瞬で済ませてしまったのだ。


「明日は土日だったな…この能力がどこまで何を出来るか、試してみるか」

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