玄武拾いました

丘野 境界

玄武拾いました


 午前二時、すべてのシャッターが下りたアーケード。


『お腹空いた~……』


 そんな声を聞いた水谷譲は、自転車のペダルを止めた。

 実際の声ではない。

 頭に直接響く、そんな声だった。

 弱々しくも、何だかのんびりした女性の声音である。


「あっちか」


 大きく息を吐き、声のする方へペダルをこぎ直す。

 譲は、ブラック気味の会社でようやく仕事を終え、帰宅途中だ。

 正直しんどい。

 が、聞こえたモノはしょうがないのだ。


『空腹でもう、動けない~……』


 無人の商店街を自転車で進むと、やがて、小さな何かが転がっていた。

 ひっくり返って腹を見せている亀だ。

 いや、亀は亀だが、尾が蛇だ。

 その蛇の部分も、だらんと商店街のタイルに垂れ横たわっている。


「え、これって……玄武?」


 人ならざるモノを見ることが出来る存在を見鬼といい、譲はその亜種というか、強いて言うなら聞鬼とでも呼ぶべきだろうか。

 子どもの頃からそんなだったので、妖怪だの精霊だのには詳しい譲であった。


『……うぅ~……』


 弱々しく、短い手足を動かしていた玄武だが、その動きはいかにも鈍い。


「……見つけちゃったモノは、しょうがないな」


 ため息をつき、譲は自転車を降りた。


 ◇ ◇ ◇


 マンションの一室にある、譲の部屋。

 玄武は、水の入った大きめのタライに浸けた。

 大きさは甲羅が五十センチぐらいだろうか。

 かなり大きく、重い。


『助かりました~。ありがとうございます~』


 相変わらず、念話だ。

 玄武の亀の頭は、リンゴを両手で抱えて、囓っていた。

 お腹が空いていたらしい。


「いえいえ。粗食で申し訳ないです。あと、自転車の前カゴで運んですみませんでした。片手運転は危ないんで」


 玄武と言えば、東西南北を司る四聖の一柱。

 譲も、丁寧な言葉遣いを心がける。

 一方、蛇の頭はゆで卵を丸呑みにしていた。


『いや、実際助かった。これは恩を返さねばならぬな』

「んん?」


 玄武の口調が、突然変わった。

 いや、違う。


『今のは頭脳担当の私の方だ。さっきまでのは食べる専門の方でな』


 これは。蛇の頭の方の念話らしい。

 凜とした女性の声音だった。


『あ、酷いですよ~。わたしだって、え~と……』


 亀の頭が食べるのをやめ、そしてしばらくして。


『……ぐぅ』


 寝た。


『睡眠担当』


 蛇頭が答えた。


「マジですか」

『真面目に返すと、甲羅の維持担当ではあるがね。この甲羅というのが――』


 玄武の甲羅から、幾つもの太いトゲが出現する。


「おおっ!? え、何ですこれ。山?」


 まだらな緑色は森林の類いか、トゲを覆う白いモヤは雲だろうか。

 水を満たしたタライの中に浮かぶそれは、さながら島のようだった。


『ああ。玄武が何かを知ってはいるようだが、その背にあるのが何かは――いや、その前に名を聞くべきであったな。改めて、私達の名は玄武。亀の頭と蛇の頭、二つで一つ故、それ以外の名前はない』

「どちらも玄武様では、ちょっと不便ですね。あ、僕は水谷譲です」

『ユズルか。いや、しかしそうは言われてもな……好きに呼べばいいが』

「玄と武。……じゃあ、亀様の方がクロ様で」


 鼻提灯を浮かべて眠っている亀の頭を、譲は見た。


『となると、私はタケか。なかなか厳ついな』

「確かに。では、トモ様ではどうでしょう」

『ふむ、よいな。ではトモと呼ぶがよい。話を戻そう。これが何か知っているかな?』


 蛇の頭、トモが鎌首をもたげ、山を指した。


「いえ、存じません。見たまんま、山ですか」

『ああ、山は山だが、蓬莱山という』

「竹取物語の!」


 日本の有名な古典、かぐや姫の物語だ。

 童話だと省かれがちだが、かぐや姫には五人の貴人が求婚する。

 しかし結婚したくないかぐや姫は、彼らに無理難題を押しつける。

 その中の一つが「蓬莱の玉の枝を取ってくる」ことだ。


『おお、それは知っていたか。そう、その蓬莱山だ。ここの玉の枝を得れば、絶世の美女に求婚できるな』

「現代だと、宇宙飛行士の資格が必要ですけどね。ちょっと体力的に厳しそうです。あと、英語も喋れませんし」


 かぐや姫は月に帰っているはずなので、求婚するには月まで行かなければならない。


『まあ、それは月に行けたらの話だな。或いはまた、向こうから地球こちらに下りてくるか。とにかくその蓬莱山だが、仙境でもある。さとには霞が漂い、腹が減ることもない。もちろん、何か食べたければそれもよし。話すより、体験した方が早いな。山の頂に手を当ててみよ』

「こうで?」


 譲は、手を一番高い山の上にかざした。


『うむ。汝、水谷譲よ。我、玄武が蓬莱山への入山を認めよう』


 トモが宣言すると、譲の視界がかすんだ。


 ◇ ◇ ◇


 次の瞬間、譲は山の中にある、廃屋の中にいた。


「え」


 周りを見渡す。

 元は宮殿だったのか、傾いた赤い柱に壊れた部分の多い金色の装飾、廊下は長いが破損が目立つ。

 見上げると天井はなく、微かに青い空が覗く白い雲に覆われていた。


「ようこそ、蓬莱山へ」


 そんな声がした方を見ると、着崩した道服の黒髪美人がいた。

 手には長い煙管を持っていた。


「トモさん!?」

「お、察しがいいな。何故分かった」


 ふふん、と美人――トモは赤い唇で笑みを作った。


「声と口調が同じで、この流れで人違いだったら、それはそれでどうかと思いますよ!?」


 すると、不意に黒髪美人の雰囲気が変わった。


「ようこそ~……」


 鋭かった目つきが眠たげなモノになり、全身の雰囲気もどこか緩い。


「って、またベタな多重人格! これはクロさん!」

「じゃあ、おやすみ~……トモちゃん、後よろしく~……」


 そして、黒髪美人の雰囲気は、再び引き締まった。


「任された。クロのペースだと、時間が幾らあっても足りんからな。ま、ここは外界とは時間の流れが変わるから、足りんということも、実はないのだが」

「というと……?」


 トモは煙を吸うと、それを吐き出しながら煙管を譲に突きつけた。


「まあ、まずお主に必要なのは休息だ。ここでゆっくりと身体と心を癒やすといい。考えるのは後にしとけ」

「え、それは、どういう……」


 譲の鼻に、甘い空気が吸い込まれる。

 煙管の煙だと気付いた。


「さて、こっちも働くとしようか……」


 トモが、そんなことを呟くのを聞きながら、譲は眠気の中に落ちていった。


 ◇ ◇ ◇


 譲は、深い眠りから意識が浮き上がっていくのを自覚した。

 そして、同時に焦った。


「仕事!」


 身体に掛けられた毛布を払いながら、上体を起こす。

 壊れた宮殿の中だ。

 味噌だろうか、何やら温かく美味しそうな匂いがした。


「お、起きたか。仕事なら問題ないぞ。幾ら何でも、今の時期で日が昇る前に出勤ということもあるまい?」


 すぐそばに、トモはいた。

 大きな赤い酒杯で、酒を飲んでいた。

 譲とトモの間には、幾つもの料理の載ったお膳と、徳利があった。


「どれぐらい眠ってました?」


 空は相変わらず、白い雲に覆われていて、時間の感覚が分からない。


「睡眠時間ならジャスト八時間といったところか。だが、外界では一時間経ってないぞ。そういう風に、蓬莱山こちらを調整してあるからな」

「マジですか?」

「嘘だと思うなら、ほら。お主の部屋の時計だ」


 トモが空を指すと、白い雲が晴れ、青い空……ではなく、見慣れた天井が出現した。圧倒的に巨大だが、譲の部屋の天井だ。

 そして壁には、やはり大きな時計があり、針は午前の三時過ぎを示していた。


「……ホントだ」

「それよりも飯だ。残っている調理具でも何とかなるモノだな」


 二人の間にあるお膳には、豪華な料理が並んでいた。

 盛られた白いご飯、鯛の尾頭付き、複数の小鉢に汁物もある。

 玄武としての身体が回復したから、蓬莱山の中でこれだけの食材を揃えられたのだとトモは説明した。

 もっと回復すれば、もっと豪華な食事を作れるのだという。

 譲は手を合わせて、食事を始めた。

 そして、荒れた宮殿を改めて、見渡した。


「……えらく、荒れてますね」


 荒れてはいるが、汚れてはいない。

 何があったのかと思っていると、トモが説明を始めた。


「青龍と白虎が喧嘩してな。それに巻き込まれたんだ。蓬莱山はひっくり返り、封印していた魑魅魍魎は外界に出てしまうわ、宝貝は散らばるわ、家屋は倒壊するわで、大変だった。私が商店街で野垂れ死にしそうになっていたのも、それが原因さ」


 ちなみに宝貝というのは、様々な効果を持った道具類だ。

 西遊記でいえば、孫悟空の頭のわっかや、金角銀角が持つ何でも吸い込むヒョウタンがそれに当たる。

 そういうのが今、譲の住む町に散らばっているのだという。


「サラッと、大事件を話されましたね。あ、美味しい」


 そういえばここ最近、食事を味わう暇なんてなかったなあ、と思う譲であった。

 住んでいる部屋は、会社から帰って、栄養補給と睡眠を取るだけになっていた。


「ふふふ、新鮮な食い物は蓬莱山には豊富にあるからな。まあ最悪、食わなくても霞のある蓬莱山ここでは飢え死ぬことはないのだが」

「ありがとうございます」

「礼には及ばんよ。そもそもまだ、こちらの恩返しも済んでいない」

「え、でも」


 譲は驚いた。

 充分な睡眠と、美味しい食事。

 これ以上、他にもらっていいモノだろうか。

 だが、トモは首を振った。


「これは緊急避難に過ぎない。自覚はなかったようだが、精神面はほぼ限界に近かったぞ」

「それは……」


 トモに言われ、反論できない譲であった。


「恩返しというのは、お主が何を望むか。そしてそれを私達が叶えるのが、それに当たる。そして、お主は今、何を望む」

「何をって……」


 考える。

 何を言ってもいいのだろうか。

 それならば、譲には一つ望むモノがあった。


「会社を、辞めたい、ですかねぇ」


 給料はもらえているが、今の働きに見合ったモノとは思えない。

 使う暇もなく、貯まる一方だ。

 しかしこのままだと、使う前に死んでしまいそうな気がする。


「なるほど」

「いやでも、無理ですよ。社長は何か、よくない所とも知り合いって聞きますし、逃げようにも逃げ場所のアテがありませんし」


 譲の両親は既に鬼籍に入っている。

 親戚がいるにはいるが、迷惑を掛ける訳にもいかない。


「いやいや、そういうことならば簡単だ。今すぐに叶えてやろう」


 トモは、空を見上げた。

 そこにはいまだ、譲の部屋の天井が映っている。


「え、でもどうやって……」

「言っただろう。蓬莱山ここと外界では時間の流れが違うと。それは、時間をゆっくりさせるだけじゃあない。逆に、速めることもできる。まあ、不可逆だがな」

「ちょっ、それってつまり――」


 空に映る、譲の部屋に掛かっている時計。

 その針が、何やらグルグルグルグルと、凄い勢いで回り始めていた。


 ◇ ◇ ◇


 警察署。

 その取調室。

 譲は、机を挟んで疑わしげな目をする警察官と向き合っていた。


「――それで、寝てたら五年経っていた、と?」

「ええ、まあ、はい」


 蓬莱山から出ると、部屋はガランとしていた。

 何にもない、空き家の状態だった。

 玄武を休めていた水を満たしたタライもなく、探してみるとベランダの窓の外にいた。

 玄武を抱えて部屋の外に出ると、昼前になっていて、掃除をしていた大家さんが譲を見て悲鳴を上げた。

 そして警察に通報され、今に至っていた。


「部屋の家具は?」


 警察官の問いに、譲は考える。

 おそらく玄武の仕業だが、言って信じてもらえるとは思えない。


「気が付いたらなくなっていたので、おそらく眠っている間に、泥棒にでも入られたんじゃないかと思うんですけど……どう思います?」

「それをこちらに聞かれてもねえ。とにかく君は五年間、失踪していた扱いになる。今後の生活に関しては、警察じゃなくて役所の管轄になるね」


 そう、五年である。

 あの、トモの時計グルグルによって、五年が経過していた。


「あの、会社の方は」

「二年前に潰れてるね。社長がお金持ち逃げして。仮に会社が残っていたとしても、五年間行方不明になっていた君の籍は、なくなっていたんじゃないかな」

「ですよね」

「ちなみに君のだった部屋は空き部屋になっているけど、家賃五年払っていないんだから、居住権もなくなってる」

「ですよねえ!」


 調書にペンを走らせていた警察官が、胡乱げに譲を見た。


「本当に君、五年間、何やってたの?」

「……嘘発見器使ってくれてもいいですけど、本当に寝てたんですよ」


 たっぷり寝て、トモに願いを叶えてもらった結果、譲はこうしているのであった。


 ◇ ◇ ◇


 昼過ぎ。

 コンビニの前で、譲は途方に暮れた。

 上着のないワイシャツ姿、脇に玄武を抱えた珍妙な格好である。


「マジか……たった一日で無職のホームレスとか」

『正確には、家財道具一式は蓬莱山にあるけどな。貯金も無事だったのだろう?』


 そう、譲の部屋にあったモノはすべて、玄武が内包していた。

 その中には通帳と印鑑とカードも存在する。

 ATMで確かめると、お金は残っていた。


「まあ、死亡届は出されてなかったですしね……ただ、スマホも使えなくなってる。通信費も払ってなかったから、当然か。役所に行ったとして、税金関係とか考えたくないですね……」


 このまま本当に失踪してしまおうかと、真剣に検討する譲であった。


『現代とは、誠に世知辛いな』

「いっそ、また数年、時を跳ばしてもらうのも手かもしれませんね」

『とりあえず、衣食住は蓬莱山が保証しよう』


 ホームレスではあるが、玄武は公園の茂みかどこかに潜むことは出来るし、そこで蓬莱山を展開すれば、譲が寝床に困ることはない。


「……亀を助けたら異世界に招待され、元の世界に戻ったら時が過ぎ去ってた……まさか、自分が浦島太郎になるとはね……」


 水谷譲、社会に出て二年目プラス謎の五年。

 社会的な保障はほぼなくなったが、生活には困らないという、よく分からない状態に陥ったのだった。

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