第2話 お父さましんじゃった


 キンキンに冷え切ったブーツで踏みしめる、土も芝生も石畳も、等しく雪に埋もれた冬の王都。

 そう、私は今、王都にいる。

 あろうことか、アイギス伯の領地から遠く離れた、王都にいる。



「ははは……」



 経緯を説明するのは簡単だ。

 あの日、突然の告白に大動揺しながら曖昧な返事をしてリンゼと別れた私は、すぐさま走り去って馬車の乗り場に向かった。

 チェックしていた馬車はすこし時間に余裕があるものだったから、一本早いものにも乗れるだろうと、そういう魂胆で。

 とにかく私は、すぐさま運賃を払い、すぐさま馬車に乗り込み、すぐさま一番奥の席に引っ込み、顔を背負い袋にうずめて隠した。

 気持ちの整理をしたかったからだ。


 はっきり言って、リンゼの告白は想定外だった。

 だって、騎士学校時代の私は回りが男とか自分が女とかそういう意識忘れてたって言うか、全然異性も混じった部屋で雑魚寝したりしてたし、実技試験も手加減無しでやってもらってたし、ていうかそもそもいつも一番近くにいたリンゼが私をそういう目で見てると思ってなかったし……みたいな感じに、私は大層動揺してしまっていたからか、気付かなかったのだ。



「まさか、帰りの馬車賃が尽きるとは……」



 そう、私は一刻早い馬車に乗ったせいで、方面を間違えてしまったのである。

 しかもあろうことか私の乗った馬車は、北のアイギス領とは正反対の南側、交易の盛んなテミス領行きだったのだ。

 馬車の移動がお金を生むテミス領では、国境行きに比べて通行料も高くつき、往路と復路を合わせると予備の分のお金も結構食ってしまい、挙句の果てにはちょっと足りないぶんを有り合わせの持ち物で勘弁してもらい……って感じで。

 帰ってくるころになると、王都には冬が来ていた。



「おかげさまで、私にはもうこれしかない……」



 私は騎士学校時代の鎧も小手もベルトも、挙句の果てには背負い袋すら失って、ゆるめの布ズボンに羊毛のチュニック、それと一足のブーツという、最低限の衣服と、愛用のエストックだけを身に着けて歩いている。

 さっき言ったように、学園謹製ウェポンホルダーベルトも売ってしまったので、エストックは両手に抱えているような状態だ。



「うう……寒い……。せめてもう少し、着るものを残しておけばよかった」



 法外な運賃を請求してきた帰りの馬車、そんな中にいたのが、物好きのコレクターだった。

 なんでも、私のような騎士の身につけている衣類は、それだけで高値が付くそうで、私はコートやブランケット、鎧下のギャンベゾンまで、全てを彼に譲ってしまったのだ。

 勘違いしないでほしいが、私だって乗り気だったわけじゃないし、そいつがやけに何度も騎士!騎士!女騎士!って叫んでいるのを疑わなかったわけじゃない。

 ただ、そうしないと帰れなかっただけで……こんなことしたくなかったんだ。



「しかし……本当にどうしよう」



 エストックを売り払わなかったのは、これさえあれば金が稼げると思ったからだけど、結果として衣類をおろそかにしていては、このまま凍死一直線だ。

 夜になる前に、どこかで暖をとらないといけない。


 一度騎士学校に戻ろうか?

 いや、ダメだ。私の身分を証明する方法がない。

 途中で合流する予定だったお迎えさんとは連絡が取れていないし、あの日にしっかり退学手続きは済ませてしまった。

 何より、こんな姿を学友たちに見せられない。

 もし、現状の情けなさを知り合いに見られでもしたら、アイギス家の名誉にまで関わる問題になる。

 それに、騎士学校に戻ったらきっと、あいつがすぐに駆けつけてしまうだろう。



「先輩?」



 そう、ちょうどこんな感じの顔をした、薄水色髪の美青年が……が、が、が?



「人違いです」

「え、いや、ユリアナ先輩ですよね!? そうですよね!?」

「違います。声かけないで」

「いや、見間違えるわけないですよ! 何があったんですか!?」



 ダメだこいつ。違うって言ってるのに私がユリアナだと信じて疑わない。

 よくよく考えろ、元騎士学校首席がこんな所で浮浪者みたいに凍えてるわけないだろ。他人の空似だよ。

 ていうかこのまま彼に捕まるくらいなら死んだ方がマシだ。

 このエストックで君も殺して死んでやろうか。



「そうかアイギス伯は……負けてしまったから」

「……え?」



 なんだそれは、初耳だぞ。

 アイギス伯ってことはお父さま? が、何に負けたって?



「ご存じないのもしょうがないですよ。今朝方届いた知らせですから。アイギス伯は、ご家族そろって討ち死になされたと、王から通達がありました」



 沈痛な面持ちで俯くかつての後輩の姿を見て、それが嘘でないのだと確信する。

 頭の中が真っ白になって、自分が致命的な間違いを犯したことに気づいた。

 私は、間に合わなかったのだ。騎士学校にまで招集のかかった、国境防衛戦に。



 ご家族そろってということは、お母さまも共に死んでしまったのだろう。

 弟は、国外にいるから、もしかすると無事かもしれないが。

 となると、すでにアイギス伯の領地は敵の手におちているわけで。

 つまりは、実家がなくなってしまったということで。



「……なあ、リンゼ」

「はい」

「私は……一族の恥さらしだ」



 私は、その場に膝を折り、エストックに寄り添いながら崩れ落ちる。

 疲労とか寒さに耐えられなかったわけじゃない。

 ただ、ショックなのだ。自分が思ったより物凄い間抜けをやらかしたことが。

 使命感に駆られておきながら、想定外の方向に空回りした上に、親の死に目に立ち会えなかったことが。



「いいえ、そんなことはありません。こうしてちゃんと、帰ってきてくれたじゃないですか」

「…………う」



 折った背中を抱きしめられて、下がった体温が上昇していくのがわかった。

 怒りや照れなんていう、激情を抱いたわけじゃない。

 心の中から湧き上がるのは、どうしようもない羞恥心だ。



「今は、俺の家に来てください。一緒に温かいご飯でも食べましょう」



 申し訳ありませんお父さま。

 私は今、物凄く申し訳のない気遣いを、後輩にさせてしまっています。

 あなた方の要請に応えられなかっただけでなく、全くの別件でボロネズミのようになって、後輩に拾われようとしています。

 そして、とりあえず今晩の寝床を確保できたことに、ちょっとだけ安心感も覚えてしまっています。



「うえええ」

「先輩!? 大丈夫ですか!?」



 自分が情けなくて、涙が出てきてしまいました。

 もし、お家を継ぐ権利が誰かにあるなら、まだ生きてるかもしれない弟に全部あげてください。

 私は騎士でもなんでもない、まぬけなボロ雑巾です。ほんとうにごめんなさい。

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