かつては騎士学校首席だった私も、落ちぶれて後輩のお嫁さんになってしまってな
ビーデシオン
本編(四話完結)
第1話 親元に求められたのさ
夕暮れの中、愛用のエストックを軸に、背負い袋を担ぎ上げる。
これからしばらく持ち上げっぱなしになるが、随分断捨離したおかげか、あまり重さは感じない。
長旅でも何の問題もなく運んでいけそうだ。
「先輩!」
もはや聞きなれたと言うのもおかしく思うほど、この二年間で馴染みすぎた声。
上ずって、少しだけ抑揚の外れた声色が、それだけで彼の表情を伝えてくれる。
「なんだリンゼ。お別れは式で済ませたはずだぞ?」
「あんなの、ダメですよ……俺、あんなんじゃ、先輩のこと割り切れないです」
振り向けば予想通り、くしゃくしゃにゆがんだ後輩の顔があった。
雪のような薄水色の髪の下、手の甲で拭われた水滴が夕焼けで一瞬瞬いて落ちていく。
相変わらず、感情豊かで可愛いやつ。
そんな表情をされたら、私まで感傷的になってしまうじゃないか。
「先輩、いつも言ってたじゃないですか……自分はなすべき事を全力でなし遂げるだけだって。こないだの試験だって首席だったし、卒業まであと半年なのに、なんで……」
「……他にやるべき事ができたんだよ。説明はしただろう」
「実家に戻れだなんて、そんな急な知らせに従わなくてもいいじゃないですか!」
困った。こうなった彼は、納得するまでわがままを押し通そうとするからね。
馬車の出発まで、もうあまり時間はないんだけれど、このまま喧嘩別れのようになってしまうのも、なんだか忍びない。
ここはひとつ、彼が納得して独り立ちできるように、私があやしてやるべきかな。
「なあ、リンゼ。私たちは何者だ?」
「……? あなたはユリアナ・シル・アイギスで、俺は」
「名前じゃないよ。立場を聞いているんだ」
とはいえ、少し気取りすぎた質問だったね。
もう少し、平易な言葉遣いをすればよかったかな。
だけど、そんな風に、私が反省している間に、彼も何やらハッとしたような顔になった。
思い当たることがあるようだ。
「俺たちは騎士です。まだ、見習いですが」
「その通り。では、騎士がなすべき責務とはなんだ?」
「それは……」
彼も、答えが思い当たらないわけではないのだろうね。
当然だ、答えは学園長の挨拶がある度に、耳に入れることになる言葉だから。
「その身を捧げて、主君に尽くすことだよ。私は今、親元に求められたのさ。北の国境を守り続ける、ヴィジー・シル・アイギス伯にね」
我ながら、意地悪な言い方だと思う。
私だってこんな言葉で、彼が納得してくれるとは思っていない。
「詭弁です! アイギス伯は捨て駒の将を求めているだけだ!」
だから私は、その言葉が響き終える前に、彼にエストックの先を向けていた。
「うっ……」
背負い袋と、乱雑に抜き捨てた鞘が石畳を打ち、リンゼは一歩後ずさる。
「すまないね。ここはまだ、騎士学校の敷地内だから、許しておくれ。」
「……こっちこそ、ごめんなさい」
「いいさ。君の言うことも、全く的外れなわけじゃない」
「だったら……!」「だから」
リンゼと私の声が重なり、私たちは視線を交わし合う。
君のその凛々しい顔立ちに、晴天の蒼のように澄んだ瞳に、そんなうつむき加減は似合わない。
だから、少し注目してもらおうか。
君も、私がこんな風に、抜き身の剣片手に、結んだ髪を鷲掴みにしてみせれば、目をやらずにはいられないだろう?
「せめて私も、覚悟を見せよう」
「先輩! ダメです!」
許せ、我が後輩よ。
私も君と同じくらいには、人の忠告を聞かないんだ。
こうするのが正しいと信じているから。あとは一思いにやらせてくれ。
そう思って、私はエストックの根本の刃でざっくりと、後ろ手に握った赤いポニーテールを切り落としてみせた。
「騎士学校生としての私は、ここで終わりだ。これより私はアイギス伯の騎士であり、それ以外の何者でもなくなった」
「そんな……」
それは、もう話すことは無いという意思表明。
彼もわかってくれたのか、私を強く引き留めようとするしぐさを見せることは無く、ただその場に崩れ落ちている。
このまま背を向けて去ってみせれば、かっこもつくかもしれないが、それでは、あんまりにも自己満足がすぎるかな。
彼なら、きっと大丈夫だろうけど……一応、もう一言だけ残しておこうか。
「もし、私が生きて戻ってこれたら……その時は」
「待って! 言わないで……」
「…………」
そうか。自己満足は、こちらの方だったか。
君の気持ちはわからないが、酷いことを言ってしまったね。
君がそういうのなら、もう私から言えることは、ないんだろう。
だったらせめて、君がこれから健やかに暮らせるように、私を忘れて生きられるように……
「もし……いえ、必ず! 先輩が生きていたら、その時は」
「……ふむ」
彼は両腕をピンと張って、力むように両手を握りしめ、苦しそうに俯いている。
何を言うつもりか、予想はつかないけれど、君は随分葛藤しているようだ。
いいだろう、聞こうじゃないか。もしその言葉で私の意思を揺るがせるというなら、やってみせるといい。
「俺と、結婚してください!」
「もちろん……ほえ?」
おっと、それは、想定外、だな?
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