第2章 sideジェイデン 百年

第8話 約束します

 俺は吸血鬼の皇子と、人間の母親の元に生まれた。兄もいるが、母親は違う。

 兄のフリークは純粋な吸血鬼で、俺は半分人間だ。そのせいか、昔から何かと比べられることが多かった。


 別に王位に興味はなく、後を継ぐ気なんてさらさらない。そんなものには、興味はない。


「フリーク様は、五歳の頃には既に言語を三つも習得されていたのに」

「ジェイデン様は、まだ吸血鬼の言葉しか話せない」


 話せないんじゃない。お前らなんかに、話す必要がないだけだ。

 十歳の誕生日を迎える時に、そんなことを話している奴らがいた。俺が人間の言葉を、知らないと思っている。


 その為、堂々と人間の言葉で俺を馬鹿にしている。俺が人間の言葉を使う相手は、たった一人だけだ。


「ジェイデン、顔を見せておくれ」

「はい、母様」


 ベッドに横たわって、寝たきりの母さんだけだ。流行り病に罹ってしまい、目がほとんど見えなくなってしまった。

 その為、俺は母に顔を近づける。焦点の合っていない瞳を見ると、悲しくなってしまう。


 母は父に買ってもらった帽子を今でも、大事にしている。被れなくなっても、ずっと枕元に置いている。

 水色の帽子で、刺繍があしらわれている。その姿を見て、本気で父を愛しているのだと認識した。


 それでも俺の頬を触って、嬉しそうにしている。泣きそうになるのを、グッと抑え込んだ。

 頬を触っている手に、自分の手を重ねた。それに気がついたのか、嬉しそうに微笑んだ。


「ジェイデン、母さんが死んでも父さんを嫌いにならないでね」

「……父様は、母様のお見舞いにも来ないじゃないですか」

「ジェイデンがいない時に、来るのよ」

「私がいない時ですか」


 意味が分からない。俺がいない時に来るのは、別に構わない。俺が気に食わないのは、母の方が本妻よりも先に嫁いできた。

 それなのに、吸血鬼だって理由で後から来て本妻になった。確かに、本妻の方が先に妊娠していた。


 だからと言って、先に来た母が後妻扱いになるのは納得がいかない。父が、一回も優しくしているところを見たことがない。


「息子に泣いている姿を、見せたくないのよ」

「あの冷徹がですか」

「ジェイデンもそのうち、分かる時が来るわよ」

「分かりますかね……」

「ええ……きっと」


 母の言葉に、何故かホッとしてしまう。王になる気はないが、いつかは分かる時が来るのだろうか。


「母さんは、父さんと婚姻を結んで後悔はしてないのですか」

「してないわ。母さんは、幸せよ」


 穏やかな笑みを浮かべて、母は眠るように息を引き取った。それでも父は、泣きもしなかった。


 なんて冷たくて、冷徹なのだろう。そう思っていたが、母の埋葬の前日のこと。

 俺は最後に二人っきりになりたくて、部屋に向かった。父がいて、俺は咄嗟に隠れた。


「最後にいてやれなくて、すまない」


 いつも堂々としていて、弱音一つ吐かない。それどころか、一度も笑顔を見たことすらない。

 俺や兄に対しても、いつも無関心。そんな父が母の手を握って、静かに泣いていた。


 ――――ここは、そっとしておこう。


 そう思って、その場を後にした。俺は自室に戻り、空を眺めていた。


「なんで、生きているうちに優しくしないんだ」


 俺は屋敷を出たくなったが、その衝動をグッと抑え込んだ。母の葬儀の後、そのことを世話係のトレイターに相談した。

 メイド服を着てはいるが、実は正真正銘の男である。俺もつい最近知ったのだが、騙された気分になっていた。


「ここから、出たい」

「ジェイデン様。ワタクシもそれには、賛成でございます」

「直ぐにでも」


 トレイターは顎に手を置いて、少し考えていた。直ぐに俺の方を見て、こう告げてきた。


「まだその時期ではないかと」

「時期か……俺は一秒でも早く、この家を出たい」

「吸血鬼の成人は、十八歳です。それまで待たれた方が、賢明かと」


 それも一理あるなと、俺はそれまで待つことにした。その間も、兄も周りも俺のことを馬鹿にしていた。

 それでもトレイターだけは、俺の味方でいてくれた。それだけが、俺にとっての唯一の救いだった。


「ジェイデン、お前は王位を継ぐ気はあるのか」

「ないです」

「そうか、ならいい」


 金髪でルビーの瞳をしている兄のフリーク。いつも高圧的で、皆に恐れられている。

 しかし語学や勉学にも、堪能なためモテている。今だって、多数の美女に囲まれている。


 俺はそんな姿に、反吐が出そうになった。しかし喧嘩しても、なんも意味ない。

 何も言わずにその場を後にする。後ろからは、人間の言葉で「負け犬」と嘲笑う声が聞こえた。


 俺は拳を握って、今度こそその場を後にした。自室に戻り、身支度を整えていた。

 明朝、俺はこの屋敷から出ていくからだ。十八歳の誕生日とはいえ、特に何もないだろう。


「ジェイデン」

「父様。御用でしょうか」

「……お前に渡したいものがある」


 父に言われて、振り向いた。すると何も言わずに、俺に母の形見を渡してきた。

 体の弱い母が、愛用していた黒い日傘だった。その時初めて、父の笑顔を見た。


「これは……私が持っていて、いいのでしょうか」

「ああ、お前が持っていた方が喜ぶだろう。後これを、成人の贈り物だ」


 そう言って渡されたのは、モノクルだった。目は悪くないが、それでも初めて父からの贈り物だった。

 とても嬉しくて泣きそうになった。これでも王族の端くれだ。簡単に、泣くわけにはいかない。


「教えて下さい。父様は、母様のこと」

「ああ……本気で愛しているよ。今までもこれからも、未来永劫」


 俺が聞くと、父は泣きながら答えてくれた。そこには王様でも冷徹でもなく、たった一人の大切な人を失った。


 ――――只の男がいた。


「ジェイデン、約束してくれ。お前はここを出たら、大切な人を見つけろ。生涯その人が亡くなっても、その人のことを思い出すんだ」

「そんなの……辛いですっ」

「大切な思い出があれば、辛いことも悲しいことも乗り越えていけるんだ」

「約束します。絶対に、後ろは振り向かないです」

「俺みたいになるなよ」


 父はそう言って、部屋を出て行った。最後に見た父の背中は、とても小さく見えた。

 トレイターと共に、人間の世界に来た。人間と吸血鬼が共存してから、早いもので百年が過ぎようとしていた。


 それでも、何処か異質なものを見る目で見られる。おそらく一番の理由が、隣にいるメイド服のせいだろう。


「なあ、トレイター」

「なんでしょう」

「ずっと気になっていたのだが、何故メイド服なのだ」

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