三十八話 義母の後悔

 何故か俺の目の前に現れた元義母、来江くるえ さんだが…いつか見た時よりもかなり疲れた様子だ。

 目にも隈が出来ており顔も少し青白く見える。


「お願い、少しでいいから話を聞いて欲しいの…」


「いや あの時自分が何したか覚えてます?結構傷付いたんですけどね、俺」


 そう言うと彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて押し黙る。


「それなのに今更になって声掛けられても困りますよ、分かりませんかねそれくらい」


「それは…ごめんなさい…私 気付いたの、あなたをもっと大切にするべきだったって」


 彼女がよく分からないことを言った。

 別に大切にしなくてもよかった、せめて少しでも信じてくれていれば…。


 クソ親父と俺、両方の話を聞いてくれればそれでも良かったんだ。それなのに…。


「意味分かりませんね、あなたは俺とクソ親父に興味なんて無かったじゃないですか」


「それは…」


 淡々と事実を告げる俺に彼女は何も返せないようだ、というか話ってなんだよ意味わからん。


「それなのに今更お話?あなたにはあっても俺には無いんで、それじゃ」


 俺はそう言って踵を返すが、彼女が縋るように俺の手を握ってきた。


「お願い、少しだけでいいから…」


「そんなこと言われても、あの時俺の話をちっとも聞いてくれなかった上に、俺を利用するような真似したんですから自業自得ですね」


 離婚がしやすいように証拠を渡してやったんだ、いい加減アレで手切れにして欲しかったんだがな。

 どうしてここまで切羽詰まっているのか分からないが、俺には関係ないことだ。


「それは分かってるけど…私もうダメなの、一人じゃどうしようもなくて…」


 話を聞くつもりはないといのにいきなり語り始めた。やめてくれっての。


「あの人と離婚して、美智みさとと二人でやってるけど一人じゃ仕事も家事もしてると身体が持たなくて、前に一緒にいた時は家事を手伝ったり家にお金を入れてくれる晴政はるまさくんにどれだけ救われていたか分かっていない私が悪かったの…美智もずっと落ち込んでて…私たちにはあなたしかいないの!」


 普通に身勝手な話だし意味わからん、それだったら理解と金のある男でも捕まえて結婚してくれ。

 それが俺である必要も責任も義務も何も無い。


「そりゃああんまりにも勝手すぎんだろ、俺があの時孤立してどれだけ辛かったか、アンタらに分かんのか?」


「っ…」


 あの時のつらさは結構なもんだったよ、まぁそのおかげで母さんと一緒になれたから結果オーライだけどな。アイツらに仕返しもできたし。


「家って本当は一番安心できる筈の場所だろ、アンタら三人は俺からそれを奪ったんだ、当然の報いなんだよ」


「うっ…ごめんなさい…」


 彼女は謝ることしか出来ない。

 そりゃそうだろう、なんせ自分らの浅はかさが招いた事だからな。


「そういうことだから、じゃあさよなら」


 俺はそう言って彼女の手から腕を引き抜いてそのまま家に向かって歩き出した。


「あっ…まっ待って!晴政く、ん…」


 後ろからドサッというような音が聞こえてきた、

 どうやら俺を追いかけようとした彼女が倒れたようだ。

 先程の話から察するに恐らく疲労がたたったのだろう。駆け寄って肩を揺らし、声を掛けるものの反応がない。…が呼吸はある、かなり浅いが。

 なんにせよこのままではまずい、今の時間はもう夜と言えるくらいだ。

 気の失った人をそのまま放置できるほど俺だって腐っちゃいないが…救急車でも呼んだ方がいいのだろうか?


 体調のことを考えるとあまりゆっくりしている暇は無さそうだ。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 朧気な意識のまま目を開けた私は、ハッとして飛び起きた。


「あっ、お母さん大丈夫?」


 隣にいたのは美智、そしてここは病院だった。


「はっ晴政君は…?」


 さっきまで彼と話をしていた筈なのに、この場所にいることで困惑してしまう。

 彼の姿も見えないことを考えると既に帰ってしまったのだろう。


「お兄ちゃんなら帰っちゃったよ」


 やはり彼は帰っていってしまったようだ。

 美智から話を聞くと、どうやら私が倒れたあと彼はすぐに救急車を呼んでくれたらしく、その後に美智に連絡してくれたらしい。

 私が病院に送られてから美智が来るまでずっと待っていてくれたらしく、美智と入れ替わるように帰ったらしい。

 医者から話を聞いたところ、私が倒れた理由は重度の過労による体調不良のようで、もう少し遅ければ命に関わったとのこと。


 晴政君は私のことを見捨てることだってできた筈…というかされても文句は言えない事を私はした。

 それでもあの子は私の事を助けて、美智にも連絡をしてくれた。そんな義理なんてないのに。


 粕斗かずとさんと離婚してからは私の働く時間を増やした。

 彼から貰った慰謝料や養育費では美智に良い学校に通わせるだけで精一杯だから。


 あの子が不自由なく生活する為にもお金はあった方がいいと精一杯稼ぐのだけれど、あの人みたいに長年勤めてる会社がある訳でもなければ資格もない私が貰える賃金なんてそう多くない。

 だから少しでも働く時間を増やしたのだけど、そこに家事もあって思いの外 体力的にしんどかった。

 仕事は掛け持ちしており、前より朝早くから家を出ているため睡眠時間も減り気味だ。


 美智には勉強や学校での関わりを優先して欲しくあの子には手伝いを頼まなかった。

 家事なら前もやっていたから…と思っていたけれど、良く考えればあの時は晴政君が自分から手伝いに来てくれたし、バイトし始めてからは家にお金を入れてくれていたこともあって私は今の半分ほどしか働いていなかったし、家事だってずっと楽だった。

 いつか彼は言っていた。


 ''親孝行は出来るうちにしておきたいから''


 あの時の私は粕斗さんにも晴政君にも興味がなかったからちゃんと向き合っていなかった。

 それが今になって仇となり私の首を絞める。


 それだけなら良かったのに、彼はあの時私を断罪するでも見捨てる訳でもなく、助けてくれた。


 彼に対する罪悪感と後悔にこれから私はずっと苦しまなければならない。


 美智の帰った後の病室で、私は虚無感に苛まれながらすすり泣くことしかできなかった。

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