並び替えた言葉が真相を告げる。

『やっぱり陰湿ないじめって良くない、と思うんだよな』


 大山から、四年生の時のクラス事情について聞いていた時、実はもうひとつ重大なことを聞いていた。陰湿じゃなくても、いじめは駄目だろう、と思うが、いまになって考えると、こういう言い方はどこか小学生の男の子っぽい表現な気もする。


 一川くん、二階堂くん、三上くんの三人は、四原が転校してきたばかりの頃、よく一緒にいて、先生や他のクラスメートからはそれなりに仲が良い、と思われていたみたいだ。ただ結構、一川くんたち三人は、四原に陰湿な嫌がらせもしていたみたいで、本人と話す時はニコニコしつつ、ノートに落書きをしたり、机に虫を入れたり、ズックにゴミを入れたり、なんかしていたようだ。おそらく彼らにとっては嫌がらせの認識もなく、冗談の延長線上にあったものとは思うが、当人からすればたまったものじゃない。そこには嫉妬の感情もあったはずだ。四原は変わり者だが、顔立ちが良くて、女子からも人気があったから。


 だけど大山くんの話だと、ある時からぱたりとそれが止んだらしい。で、三人と四原はまったく関わりがほとんどなくなった。実際、五年生になって、僕たちと同じクラスだった一川くんや三上くんが、四原と話している姿はほとんど見たことがない。


 ただそこでちょっと意外に思ってしまったのが、一川くんだ。二階堂くんのことはあんまり知らなかったし、三上くんは確かにそういうことをしそうなタイプだ。だけど一川くんは僕とは喧嘩別れしてしまったが、基本的には性格の良い奴、という印象があった。ただ激昂する姿を僕は見ていたし、あと場の流れに合わせてしまうようなところもあったので、他のふたりに引きずられてしまったのかもしれない。


 そんな三人が立て続けに死んでいて、四原が一切関係ない、なんて無理がある。

 だけど僕は黙っているつもりだった。僕は正義の味方でもないし、責任のある大人でもない。ただ友達を見捨てたくない、という一心だけで、そう決めていたのだ。

あの時までは。


 でもあの日にいたるまでに、僕は思いもよらないことを知ってしまい、大きく頭が混乱していた。それはいままで四原に抱いていた疑問にすこし近付くような出来事だった。


 ある日の放課後、僕は水川先生に呼ばれた。理科室だ。水川先生は不織布のバッグを持っていた。ふたりになれる場所ということで、選んだのだろう。花村先生の一件の時も、ここで話したな、と思った。そんなに昔のことではないのに、遠い昔のように感じられた。ここまで悲惨で、非日常的な世界が待っていると、あの時はまだ思っていなかったのだ。


「広田先生、いるだろ」

 と水川先生がいきなり言った。広田先生は水川先生と同じくスポーツマンタイプの先生で、いつも笑顔で、元気ハツラツというタイプの先生だ。悪い先生ではないのだが、水川先生よりも暑苦しい感じで、苦手な児童も多い。僕は関わりがあんまりなかったので、好きも嫌いもなかったのだが、関わりがあれば、苦手になっていたような気はする。


「はい。あんまり話したことないですけど」

「あぁ、担任に付いたこととかなかった、っけ。そっかそっか」

「広田先生がどうかしたんですか?」

「あぁ、いや……」そこで、水川先生が言いよどむ。「俺も、まぁ、オカルト的なことはまったく信じてないんだがな」

「知ってます」何をいまさら、という気持ちになる。

「うん、まぁだから、あんまり信じたくないんだが、な」と水川先生が持っていたバッグから古びた何かを取り出す。表紙を見せてくれて、ようやく卒業アルバムと分かる。「これ、広田先生から借りた、広田先生の卒業アルバムだ。彼がここを卒業した時の」

「卒業アルバム……」


 でも、それが、何……?


 僕の感情が明らかに表情に出ていたのだろう。水川先生が後頭部を掻く。


「あぁ説明が全然足りてなかったな。広田先生はここの小学校の卒業生なんだ。いまが三十近いから、昭和の終わり頃らへんかな。だから卒業したのは、いまから十五年以上、いやもっと前か。その頃に卒業して、さ。で、その広田先生がずっと四原のことを見てから、ずっと違和感を覚えていたらしい」

「違和感?」

「うん。違和感、というか、既視感、というか」当時、僕は既視感という言葉を知らなかったのだが、なんだか話をさえぎってはいけない気がして聞かなかった。「『どこかで見たことがあるんだよなぁ、って思ってて』なんて広田先生は言ってた。最近、ようやく思い出して、卒業アルバムを確認したんだそうだ」

「四原のお母さんかお父さんでもいたんですか?」


 もちろんそんな程度の話ではないと、水川先生の表情を見ていれば分かった。ただ嫌な予感を払いたくて、僕はそう口にしてみたのだ。


「そんなわけないだろ。まぁ見てみろ」

 と水川先生が付箋の貼ってあるページを開く。あるクラスの児童ひとりひとりの写真が載っている。時代も違うので、写真のうつりも古めかしい。最初は気付かなかったが、順番に目で追っていくと、……見つけてしまった。あまり嬉しくない発見だ。四原と瓜二つの少年がそこにいる。


「これ、って……」

「その子は小学校を卒業してすぐに、交通事故が原因で死んだそうだ。四原にそっくりだよな。似ている、ってどころじゃない。同じだ」

「でも、ただ似ているだけです、きっと。そっくりさんなんてよくいるじゃないですか」

「こんなそっくりな?」

「世の中に同じ顔のひとは三人いる、って聞いたことがあります。この間、テレビで『芸能人と顔がそっくりなひと』がテレビに出てましたけど、瓜二つでした」

 反論してみるが、声に力が出ない。僕自身があまり自分の説を信用していないからだ。

「同じ学校で都合よく?」

「十何年もあれば、ひとりくらいいますよ」

「じゃあ名前はどう思う?」

「名前は全然違いますよ。なんかあんまり見たことのない名前ですけど」

 八波論やはろんくん。彼の名前だ。


「山岡は、ローマ字は分かるだろ」

「あんまり得意じゃないですけど」

「四原をローマ字にしてみろ」

 先生が僕に白紙のメモを手渡してきたので、ローマ字で、『yonhara』と綴ってみる。それがどうしたのだろう、と僕は首を傾げる。


 すると先生がそこに『yaharon』と書き加えて、矢印を結ぶ。


「並び替えると、『yonhara』は、『yaharon』になるんだ。アナグラム、っていう並び替えを使った言葉遊びだよ。四原は八波論になる。だからどうした、ってわけじゃないし、ただのこじつけって言ったらそれまでなんだけど、ここまで偶然が重なる、ってことあるかな」

「……あります、きっと」

 ない、と言うのが怖かった。何者なんだろう。本当に、彼は。


「俺にはそう思えない。だから俺はあんまり信じたくないし、こういう話は大嫌いなんだが、やっぱりただの小学生じゃないんじゃないかな。四原は」

 ただの小学生じゃないなら、何なんだよ。


「じゃあ、何だと思うんですか?」

「そこまでは分からんさ、俺にも。だけどそう考えれば、四原に家族がいなくても、その代わりになる人間がいなかったとしても、多少は理解することができるし、逆に言えば、そうじゃないとまったく理解できないんだ、あいつの生活環境が。だから俺は信じたくなくても、この説を取ることにした。どんなに納得できなかったとしても、理解しがたかったとしても、それしか考えることができない以上」


 オカルトの類を一切信じていない水川先生が、敢えてこんなことを言うからこそ、この仮説が真実だ、という印象が強まっていく。


 家に帰った後も、僕はずっとこの件について頭をうんうん悩ませていた。悩んだところで、答えが出るわけでもないのに。もし真実を知りたいのなら、一番手っ取り早い方法は、本人に直接聞くことだ。


 僕の様子を見て、

「どうしたんだ、お前」

 と父が首を傾げた。


「ねぇ、変なこと聞いてもいい」

「答えられる範囲でならな」

 と父が笑う。こういう時に、絶対、を約束しないのが父で、それが父の魅力だとも思っている。


「クラスに人間じゃないものが混じってる、って信じられる」

「それは幽霊とか妖怪、って話か」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「なんだ曖昧だな」

「僕もあんまりよく分かってないから」

「お前にもよく分からんものが、父さんにも分かるわけがないが、まぁ信じられるんじゃないか」

「えっ」

 と僕は自分からこんな質問をしたにも関わらず、驚いたような声を上げてしまった。否定が返ってくるとばかり思っていたからだ。


「だって、俺も見えるからな。そういうのが」

 父は、俺は、ではなく、俺も、と言った。だから僕がそういう存在を認識できることに気付いていたのだ。


「見えるの?」

「あぁ、昔からな。変なものばかり見てしまうんだ。見たからこそ味わった良い経験もあったが、もちろん嫌なこともあったなぁ」

 と父が遠い目をした。


「そっか……」

「たいしたアドバイスをしてやれるわけじゃないが、そしてこれは人ならざるものだけに限った話じゃなくて、普通の人間関係でもそうなんだが、相手を裏切るようなことだけはするなよ。それはいつか自分に降りかかってくる」


 これから起こることを暗示するかのように、父の声は強く響いた。

 もしかしたら父にも似たような経験があったのかもしれない。


 四原の正体に関する疑いを深めて、父とこんな話をしてから数日が経ったあれは確か、三月十七日のことだった。また二十四日が近付きつつあって、みんながひそひそと次の被害者について、噂をはじめていた。前回で終わり、と思っていない児童は意外にも多かった、ということだ。


「ひどいよね。次は私が殺される、って噂が流れてて」

 六風が笑う。その表情に怯えている様子はない。意外にも元気そうで、ほっとした。


「なんか元気そうだね」

「うん。私はたぶん、前の五代さんで終わりだと思っているから。四原くんも、『絶対、大丈夫!』って言ってくれたし」

 その口調は、どこか嬉しそうだ。


「四原が、言ったんだ」

 僕の知らないところで会ってたんだ……。別にそれはおかしいことじゃない。僕だって四原のいないところで六風に会っているし、六風のいないところで四原に会っている。何もおかしなことじゃない。なのに、すごく嫌な感じがした。


「うん。あんな優しい四原くん、初めて見た。頭を撫でてくれて」

 ほおをすこし染めていた。うっとりとする、という表現がぴったりと来る顔だった。なんだよ、それ……。


「僕もきょうは、四原の話をしたくて」

「四原くんの?」

 元々、そのつもりだった。水川先生から聞いたことを誰かに相談したくて、その相談相手として一番適任なのは、六風しか考えられなかった。


 放課後、僕たちは学校近くの公園に向かう。塗装の剥がれたベンチに座ると、そこから薄赤く色づいた桜が見える。例年よりもすこし早めに咲く桜だ。風の強かったその日は、花びらが舞って、地面もピンク色に染まっていた。


 夕暮れ時、公園にいるのは僕たちだけだった。

 僕は水川先生と話したことを六風に伝える。広田先生がこの学校の卒業生だった話、その広田先生の小学校時代の同級生が四原と瓜二つだった話、そして彼の名前が八波論という名前で、ローマ字にして言葉を並び替えると、四原になる話、あのオカルトの類をまったく信じない水川先生までが四原が超常的な存在だと信じている話……。


 話し終えた僕を睨んで、

「なんで、山岡くん、そんなに嬉しそうなの」

 と怒ったように言った。


 言い訳をしておくならば、あの時の僕に自覚的な悪意はなかった。ただあの時、六風に伝えた言葉を思い返すと、四原のことが悪く伝わるように、と無意識な悪意はあったはずだ。六風と四原の関係に亀裂を望む、僕の浅ましい感情を、六風は見透かしていたのだ。


「そ、そんなことない」

「友達だよね。なんで、友達を化け物みたいに扱うの。よく知らない都市伝説とか怪談を調べるのとは、全然違うんだよ」

「だから別に、そんなこと」

「私、そういうのって、気持ち悪いと思う。嫌だ」


 たぶんどちらが悪いかと言えば、悪いのは僕のほうだ。正しいのはどう考えても六風のほうで、優しい六風だったなら、おそらく四原に恋愛感情を持っていなかったとしても、同じことを言ったはずだ。いまなら分かる。だけどあの時の僕には、六風の態度が四原を庇っているようにしか見えなくて、その場から逃げたくなるだけだった。


「あぁ、いや」

「私、いいや。きょうは山岡くんとしゃべりたくない」

 と言って、ベンチから立ち上がった六風が走り去っていく。僕はその背中を見ながら、「なんだよ……」と呟いていた。


 ひとりになっても、そのまま立ち上がる気にはなれず、僕は確か二十分くらいはその場に座っていた。自販機横の空きびん入れの蓋の上に置かれびんのオレンジジュースが三分の一ほど残された状態で寂し気にぽつんとしている。


 僕は普段、暴力を振るったりとか、物に当たったりとかするタイプの子どもではなかったが、この時だけは、そしてこの時期だけは、感情が激してしまうことがよくあった。僕は空きびん入れの近くに行くと、そのびんを地面に叩きつけた。割れて、飛び出たオレンジジュースが無造作に生えた雑草にしみ込んでいく。


 物に当たったところで、清々しい気持ちになったりはしない。もっと怒りが増すだけだ。でも衝動的なものだから、そうせずにはいられなかった。


 誰かが来ても嫌なので、僕は公園から出ることにした。

 朱色を落とす夕暮れの光が夜へと向かうように、陰鬱に黒を混ぜて、澱みはじめていた。


「あんな奴ら、嫌いだ」

 置いてけぼりにされたような、見捨てられたような孤独感が、おのれの心を満たしていく感覚があった。


 もしもあと誰かひとり、もうひとり誰か、僕に相談のできる同世代の友人がいたなら、未来は変わっていたのではないだろうか。実際にそうなっていたかなんて分からない、意味もない仮定の話でしかないのだが、そう考えてしまうこともある。例えば水川先生や父になら相談できていたのかもしれないが、そうではなく、もっと身近な同世代の親密な友人だ。学校に行けば話せる相手はいたが、そのレベルではない、もうすこし深い関係の。


 後悔してるのだ、僕は。この後、僕たちが辿った道を。

 結局、僕は六風と仲直りすることができなかった。

 どれだけ望んだとしても、もうすることはできない。

 だって六風は死んでしまったからだ。


 三月二十四日の夕方、学校近くの畦道で頭から血を流している少女が見つかった。


 六風だ。連絡を受けた母からその話を聞かされた時、僕はあまり驚かなかった。だけど夜中の間、僕はずっと涙が止まらなかった。


 そして翌日、すべてを終わらせようと思った。

 彼女が死ななければ、僕は何も言うつもりはなかったのだ。

 でも、もう駄目だ。六風が死んでしまった以上、もう隠し続けていることはできない。


 なんで、こんなことになってしまったのだろう。

 おとなになったいまでも、僕はそう考えてしまうことがある。

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