二十四日の日曜日が運命の日。
「なんでもかんでも、宇宙からの生命体のせいにするのは良くないよ。きっとそれは人間の仕業さ。人間なんて、大抵、悪意の塊なんだから」
そう答える四原の姿を見ながら、らしくない、と僕は思った。
いつものような言葉を聞いて、ほっとする自分を望んでいたのだ。
四原は、長袖のTシャツを着て、ベッドの上に横になりながら、僕と会話してくれていた。本当に体調は悪そうだ。四原なら、不安には思っていても、それで学校を休んでいたとしても、すくなくとも僕の前では普段通りの姿を見せてくれるのではないか、とどこかで信じていた。
数日後、本当に四原は死んでしまうのではないだろうか、と改めてこっちも不安になってしまうほどに。僕は自分自身に、大丈夫だ、と言い聞かせてみる。
「じゃあ渡辺が犯人だって、そう思うのか」
学校を休んでいたこともあって、四原は校長先生の一件を知ってはいたが、詳しい事情やそこから派生する噂については、何も知らなかった。僕がその辺りを説明すると、四原が悩むようにあごに手をあてる。
「うーん、どうだろう」とはっきりしない言葉は四原にはあまり似合わない。まるで別人と接しているようだ。嘘でもいいから言い切って欲しかった。「山岡はどう思ってるんだ」
「僕はあんまり信用してない。まず五代がたいして仲も良くない僕にそんなことを言ってきた理由も分からないし……何か裏があるような気がする」
「裏?」
「たとえば……」とそこにいたって、僕は初めて〈裏〉について考えはじめた。「五代と渡辺が喧嘩しちゃったんじゃないかな。喧嘩したから、悪い噂を流してみよう、みたいな」
だって五代さん、ってちょっと嫌な性格しているじゃないか、と個人的な彼女に対する嫌悪感を続けようとして、抑える。
「悪い噂か……」
「納得してない?」
「まぁとっさに考えたにしては悪くないとは思うけど」と僕の心は見透かされていた。「でもだからと言って、それを山岡に言うかな。もっと口の軽い奴なんていくらでもいるし、それこそもっと親しくて、適任な相手がいると思うんだ。きみはだいぶ、口が堅くて、信頼できる男だからね」
「そ、そうかな」
急に褒められて戸惑ってしまうが、嫌な気持ちはしない。
「なんとなく気が向いただけじゃないかな。人間の感情なんて考えすぎたって、どうせ分かるわけがないんだから。気にするだけ無駄だよ」とまた四原が、らしくない、ことを言う。後になって思ったことなのだが、僕は自分の中に、四原っぽさ、を追い求めすぎていたような気もする。それは僕だけじゃなかった、とこれもまた後で知ることなのだけど。「そんなことを考えるくらいなら、渡辺さんが犯人かどうかについて考えたほうが、ずっといいんじゃないかな。まずは、もしも、について考えるんだ」
「もしも?」
「そう、もしも。仮に渡辺さんが犯人だとして、それはどんな理由が考えられるか」
「でも、分からないよ。正直。だって僕は全然、渡辺のことを知らないんだから」
「僕は四年生の時、渡辺さんとは同じクラスだったから、すこしだけ知ってる」
「仲良かったの?」
「いや、そんなに話したことがあるわけじゃないけど、一度だけ、ちょっと変な噂を聞いたことがあって」
「噂?」
「うん、渡辺さんのお父さんが実は学校の関係者、っていう噂だよ」
「あぁ渡辺、ってお母さんだけだった、っけ」
それはなんとなく知っていた。いまはそこまでではないのかもしれないけど、僕が小学生だったあの当時には、間違いなく片親をどこか馬鹿にするような空気があって、渡辺さんや五代さんにも、そういう眼差しは向けられていたはずだ。その空気のはじまりは大抵、親発信であることが多く、平気で子どもの前でも悪意を隠さないから、伝染していく。怖い話だ、と改めて思うが、それを怖いと感じるのはいまだからであって、この当時は何も考えていなかった。そしてそういう眼差しは、同じではないが、近しい境遇にあった四原にも向けられていたはずだ。四原は両親がいても、ほとんど家にいないような状態だったから。
「うん。母親と娘のふたり暮らしで、渡辺さん自身も誰がお父さんなのか知らない、って言ってた」
「そういう話したんだ。ちょっと意外だな」
「いや僕だってしたかったわけじゃないけど、噂が広まった時、『こんな噂があって、困ってる』って渡辺さんに言われたんだ。なんで僕に言ってきたのか、最初は分からなかったんだけど、後で聞いたら、元々は五代さんに相談していて、五代さんが僕に相談することをすすめたらしいんだ」
「なんで」
「僕が聞きたいよ……って言いたいところだけど、五代さんはなんか知らないけど、僕のことをすごいひとだと思ってるんだ。で、たぶん僕のことが好きなんだ」
さらり、と四原の口から出たその言葉に、僕は驚いてしまった。自覚があったのか、というのもあるし、まさかそれを口にするとも思っていなかったからだ。僕は思わず笑ってしまって、「笑うなよ」とすこし怒ったように、四原が言った。
「付き合わないの?」
「告白されたこともないのに?」
そう言えば、このくらい年齢になると、『好きな子はいるの?』みたいな会話は、男子の間でも起こるようになっていたけれど、四原が率先して、こういう言い回しで女子のことについて話すのは意外だった。そして告白されたら考えないでもない、という態度にも。そこに僕が五代さんへ苦手意識のバイアスがあったことは否定しない。
「四原から告白はしないの」
「しないよ。別に好きでもないのに」
「五代は好きだから、成功率百パーセントだ」
「この話はいったんやめよう。この話の本題じゃない」と自分から言い出しておいて、四原が話を戻す。「まぁなんでか分からないけど、五代さんは僕をやけに信頼していて、相談役として、僕が適任と思ったみたいなんだ」
「それで渡辺から、お父さん、の話をされたのか」
「うん。変な噂があって困ってるんだけど……、ってはじまって、でもその噂を渡辺さんもすごく気にしている感じだったんだ」
「気にしてる?」
「『その噂の中に、私のお父さんが学校のひとっていうのがあって。もし本当なら、私、知りたいな、って』なんて渡辺さんが言ってたんだ。学校関係者なんて、そりゃ用務員さんとか給食の会社のひととか、そういうひともいるかもしれないけど、もし本当だとしたら、先生である可能性が一番高いよ」
「先生の誰かが、渡辺のお父さん。……もしかして」
「校長先生が、そうなんじゃないか、って僕は思うんだ。いや、というよりは、それが事実かどうかは別として、すくなくとも渡辺さんは、校長先生だと考えて、校長先生を問い質そうとしたのかもしれない。たとえば匿名の手紙を送って、あの開かずの教室へと校長先生を誘い込んで」
まるでその場を見ているかのように、僕の頭にもその映像が浮かんでくる。
「でも問い質そうとした、って、校長先生を刺すかなぁ。それに体格差を考えれば、反撃されて終わっちゃうんじゃ」
「もちろん普通なら。だけど校長先生が罪悪感を覚えていたとしたら」
「ザイアクカン?」
「悪いなぁ、っていう気持ちだよ。だって自分の娘を捨てちゃっているわけだから。もちろん僕は想像で話しているだけで、何か色々複雑な事情はあったのかもしれないけど。うん。とりあえず僕に考えられるのは、こんなところかな。まさか二十四日になる前に、こんなことがあるなんて思わなかったよ」
二十四日。その言葉に、どきり、とする。そうあと数日もすれば、その日が訪れる。
確かに校長先生のことは気になる。だけど僕にとっても、四原にとっても、そちらのほうがずっと重要なことだった。四原が指でほおを掻く。やっぱりいまの彼は、彼らしくなく、不安そうだ。
「僕は殺されるのかな……」と四原が呟く。
「そんなわけないだろ。最近、警察っぽいひとたちが学校に出入りしているのをよく見るから、きっと警察が犯人を捕まえてくれるよ」
警察の捜査状況なんて何も分からないくせに、僕はそう言った。ただの気休めにしかならない言葉だ。実際、その時点で死んでいた三人が全員殺されたのかも、その三人の死に繋がりがあるのかも、警察が犯人に目星を付けているのかも、僕は何も知らないし、本当のことを言えば、僕が学校に入っていく警察らしきひとを見たのは、二回程度で、その二回とも、彼らは渋い顔をしていた。
「そうか、まぁ、ならいいんだけど、な」
四原は僕の言葉を信用していなかったはずなのに、そう言ってくれて、僕はなんだかとても申し訳ない気分になったのを覚えている。
「正直、怖いんだ」と四原が弱音を吐く。
「……四原、ってさ。家族いるだろ。僕は会ったことないけど」
僕ははじめて四原の家族について触れる。この話をしようと決めていたわけではなく、気付けば口から出ていた。ずっと避けていた話題だったので、口にしている自分自身に驚いていた。
「うん、なんで?」
「こういう時、相談したりできないのかな、って。だって命を狙われているかもしれないのに」
「仮に言ったとしても、信じないよ」
「僕は信じている」
「だったら、相談する相手は、きみでいいよ」
その表情はすこし寂しげだった。
結局、僕は最後まで、本当に四原に家族がいるかどうか分からないままだったし、理屈を考えれば、いなければおかしいのだが、存在しなかったとしても驚かないほどには、その点に関して、四原の家族に関する言葉を信じていなかった。
四原についての、どこまでが嘘で、どこまでが真実だったのかは、いまになっても分からないままだ。
「二十四日ってさ、日曜日だろ」
すこし考えて、僕は言った。
「そうだけど、それが?」
「その日、一緒にいようか。一日ずっと。家族だって、どうせ家にいないんだろ」
「山岡が大丈夫なら」
「いつもならそっちがもっと強引に誘ってくるくせに」と僕は思わず笑ってしまった。
何が起こるかは分からない。続く二十四日の死の連鎖が偶然だったならば、別に何も起こらないかもしれない。ただもしも四原に身の危険が迫っているのなら、その日一緒に行動する僕だって死ぬ可能性はあるかもしれない。だから言葉にしつつも、僕は恐怖に怯えていた。
帰り道、暗くなった空がちいさく雪を降り落としていた。電灯の光はどこか弱々しく感じられて、寂しげだ。そう言えば、こんなに遅い時間に帰るのは久し振りだ。冬休みを終える直前、「最近は物騒な事件ばかり起こっているから、早く帰ってきなさいよ」と母からは言われていた。普段、父も母も、あんまりそういうことには口を出さないひとだったから、意外にも感じていたのだが、それだけ凶悪な事件が起こっていた、ということだろう。
怒られるかな、と現実的な心配が萌してくる。
二十四日に、四原の家に泊まりに行くことも、いつもだったら許してくれそうだが、もしかしたらいまの状況を考えると、「駄目だ!」と言われてしまうかもしれない。何かいい説得の方法を考えておかないと……。
そして家に帰ると、当然、僕は怒られた。
実際、先生たちも、『気を付けるように』と僕たちに対して口酸っぱく言っていたし、僕たちだけでなく、保護者に対してもそういう言葉は間違いなくあったはずだ。だからこれは全面的に僕が悪い。
僕は正直に理由を伝えることにした。
大切な友達が困っていて、すこしでも力になりたい、と。母は、「だからって」という表情をしていたが、父のほうは理解を示してくれて、「まぁ男の子だもんな。そういう時もあるか。だけど俺たちが心配だってことも分かってくれよ」と言った。
心の中で僕は、あと数日だけ待って、とふたりに謝っていた。二十四日が終わったら、きっともう僕たちは大丈夫だから、と。
あの日が確か二十日だったはずだ。二十四日まで、あと四日しかなかった。
そんな短い期間で、また何かが起こるとは思っていなかった。起こるとしたら二十四日当日だけだ、と。なんとなく心の中で、悪いことはそこまで続かない、と考えていたのだ。こんなにもすでに続いているにも関わらず。
あの頃、僕たちの学校では、本当に多くのひとが死んだ。非日常的な世界にいるのだ、と思うほどに。僕はその事実を甘く見過ぎていたのだ。
翌朝の二十一日、僕はまた新たな死者が出たことを知った。
「校長先生、自殺したんだって」
と学校で先生から聞かされる前に、僕は六風から校長先生の死について聞かされた。
校長先生が死んだ。自宅のリビングで首を吊って死んでいるところを発見されたのだ、という。これに関しては疑いようもなく自殺で、遺書も見つかっているらしい。僕はその遺書をもちろん読んでいないし、何が原因で死んだのかも、はっきりとは分かっていない。
僕はそれを実際に読んだわけではないし、どの程度の内容が書かれていたのかは知らないが、児童の死が続き、週刊誌などで、『呪われた学校』などと悪評を立てられていたことを後で知ったのだが、それを苦にしての自殺、というのが、学校の関係者ではない世間一般的な見方だ。実際、それは間違いではないだろう。だけどそれだけではない、と僕たち児童の多くは考えていたはずだ。開かずの間での一件がまったく関係なかった、と考えられるほど、あの頃の僕たちは幼くはない。
渡辺さんが犯人かもしれない。そのことについて知っているのは、ごく少数だ。だから僕は黙っていよう、と思った。本当か嘘かも分からない噂で、渡辺さんが犯人じゃないのに、犯人になってしまうのが怖かったからだ。だけど僕が言わなくても、渡辺さんは多くの人間に知られることになってしまった。誰がしゃべってしまったのかは分からない。週刊誌で、『校長先生の死の真相』として、渡辺さんについてほのめかす文章が書かれてしまったのだ。それをきっかけに渡辺さんは学校に来なくなり、すこし経った頃、転校してしまった。親子で引っ越したそうだ。
でも、あの頃の僕はまだ、そんな未来が訪れることなんて知らなくて、ただただ校長先生の死にショックを受けていた。校長先生自身の死もそうなのだが、暗い予感を覚えていたのだ。この学校で続く死は、まだまだ続くのではないか、と。校長先生の死は事件そのものには関係ない、とはいえ、事件と地続きにあるものなのだから。そして次の標的がいるとすれば、
四原しか考えられないのではない、と。
だって僕の学年に、四の付く児童は、四原しかいない。
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