崩れゆく世界で少女だけが知っていたこと

五代さんが告げる犯人の名前は。

 全国に伝わる怪異。家や学校、その他の施設において開くことがないように設置されている部屋のことで、その部屋を開けたり中に入ったりするとさまざまな怪異が起こるという。――「開かずの間」朝里樹『日本現代怪異事典』(笠間書院)


 チェーンメールにまつわる怪異。一定の期間内に不特定多数の人物に同内容の手紙を送らなければ、何らかの不幸が訪れるという旨の文章が書かれた手紙のこと。その内容のため、鼠算式に数が増えていく可能性がある。――「不幸の手紙」朝里樹『日本現代怪異事典』(笠間書院)



 校長先生が刺されたのは、小雪のちらつく、一月のなかばだった。

 結構、衝撃的でセンセーショナルな事件ではあるとは思うのだが、世間的に言えば、それは事件にさえもならなかった。あくまでもその時点では。校長先生が事件にすることを嫌い、学校内の噂として回るだけものになったからだ。校長先生が事件にしたくなかった、というそれ自体も、ただの噂で、実際に校長先生が何を思っていたか、までは実際のところ、分からない。


「ねぇ、私、校長先生を刺した犯人が、誰か知ってるんだ」

 と帰ろうとしていた僕を呼び止めて、五代さんが言った。いきなり彼女にそう話しかけられて、僕は驚いてしまった。話の内容にも、もちろん驚いてしまったが、それ以上に、五代さんに話しかけられたことに。


 僕は五代さんと仲が良かったわけじゃない。クラスも同じになったことはないし、名前を知っているだけの女子だ。だけど、たぶん僕のことは嫌いなはずだ。


 彼女は去年まで、四原と同じクラスで、四原と仲が良かったみたいだ。好きだったのだ、と思う、きっと。四原の奇矯な口振りを見ていると、たまに忘れてしまいそうになるのだが、四原の顔は格好いい。隠れファンも実は多い。五代さんもそのひとりだった。僕が四原と一緒にいると、遠くから睨まれたこともある。


 それと、あと……。

「誰か知りたいでしょ」

 と僕の驚きなんて気付きもしないような様子で、五代さんが続ける。


「いや、あれは事故だ、って校長先生が自分で言っていたじゃないか」

 僕は全校集会の光景を思い出しながら、言った。あれは緊急で、開かれたものだった。左腕にぐるぐるに包帯を巻いていたその様子が痛々しかった。刺された箇所は、左腕と腹部で、腹部のほうは比較的軽傷だった、と聞いている。


『私に起こったことについて、変な噂が飛び交っているようですが、それは事実ではありません。信じないように』

 と児童たちを見回しながら、校長先生が言った。はっきりと強い口調で。その堂々とした雰囲気が、より疑わしい、と感じていた子は多かったはずだ。嘘だと口にすればするほど、それが真実めいてくることがある。


 五代さんにこんなことを言いながら、僕自身があまりその言葉を信じていなかった。


 だから、

「信じてないくせに」

 と五代さんから言葉が返ってきて、僕はどきりとしてしまった。心の中を言い当てられてしまったようで。


「本当だよ。五代はなんでそんなふうに思うの?」

 と聞くと、僕の態度が気に入らなかったのか、


「ふんっ」

 と帰ってしまった。


 なんだったんだ。まず五代さんが僕に話しかけてきたこと自体、意味が分からない。裏があるような気がするけど……。


 悩みながら、正門を出ると、

「山岡くん」

 と背後から声を掛けられた。六風だった。


「六風」

「なんか、めずらしい子と話してたね」

 六風が意外そうな表情で言う。


「僕もびっくりしてる」

「五代さんとあんなに仲良かった、っけ」

「いや全然。ほとんど話したことないよ」

「そうだよね。私も初めて見た。うーん、こんなこと言っちゃ駄目なのかもしれないけど、ふたりが仲良かったら、私、なんか嫌だな。……あっ、ごめんね」

「本当に何もないよ。ちょっと変なことを言われて」

「変なこと?」

「帰りながら、話すよ」


 五代さんと会ったあとすぐに、六風に会う。そこに特別な意味はないだろう。たまたまのはずだ。なのに僕は、嫌な感じを覚えてしまった。すこし前に起こった一件を思い出したからだ。


『私、五代さん、ってちょっと苦手なんだよね』

 と六風が言っていたことを思い出す。僕同様、四原と関わるようになってから、六風も敵意を向けられているらしい。実際に六風にいたっては、『私、六風さん苦手なんだよね』と五代さんが他の誰かと話しているところを聞いたこともあるそうだ。僕よりも嫌われている感じがする。


 あれは音楽室で塚村さんの幽霊と会った一件のすこし前だ。

 たまたま早めに登校した時、僕のクラスの下駄箱が並ぶ列のところで、五代さんが何かをしていたことがあったのだ。それが何かまでは分からない。ただランドセルの中から取り出した何かを、誰かの下駄箱に入れようとしていたのだ。


「あの……」

 と僕が声を掛けると、僕を見る五代さんの顔は青ざめていた。そして僕を睨むと、その時も逃げるように、いなくなってしまった。一瞬見えたその何かは手紙のようで、場所は六風の下駄箱の近くだった。僕と四原の可能性もあるが、五代さんが六風に向ける敵意を考えると、標的は六風の下駄箱にも思えた。


 当時、不幸の手紙が流行っていた。不幸の手紙自体は、僕が生まれるよりも昔からそれなりに知られている都市伝説なので、全国的にその当時流行っていた、というわけではなく、ちょうどうちの学校で、その時期に悪戯心も相まって、不幸の手紙を書く児童が多かっただけなのだが。


 もしかしたら五代さんは、不幸の手紙、を六風の下駄箱に入れようとしたのではないか、と僕は思った。


 とはいえ、そのあとに六風が不幸の手紙を貰ったなんて話は聞かないし、実際のところは分かっていない。


 下校道を、六風と並んで歩きながら、僕は先ほど五代さんから聞かされた意味深な言葉を彼女に聞かせる。


 その時間帯、夕暮れの緋が辺りを染めている。何故か彼女と一緒に帰る時に見る夕暮れは、どこか暗い感じがする。


「五代さんが言ってた犯人って誰なんだろう?」

 六風が首を傾げる。


「でも、あの噂ってそもそもどこまで本当なんだろう」

「えっ、私は大体、信じてるけど」

「えぇ、でも、小学生が校長先生を刺すなんて信じられると思う?」

「油断してたら、子どもだって、大人を刺せるかもしれない」

 改めて考えてみると、物騒な会話だ。もしも周りで誰かが見ていたら、眉を顰めていたかもしれない。


 噂で尾ひれの付いた部分を除いて、あくまで事実として分かっている範囲の事件の顛末はこうだ。


 うちの学校には、開かずの間、と呼ばれている教室がある。もちろん正式な名称ではなく通称で、誰もが、先生さえも面白がって、開かずの間、と呼ぶ。厳密には開くし、たぶん定期的に見回りなどで頻繁に開いているはずなので、その呼び方は何も正しくないのだが、基本的に児童がいるような時間に、その教室が開いていることはないので、みんなの間で勝手にそう共有されている。


 少子化に伴って児童数が減少し、開かれることのなくなった教室で、血だらけの校長先生がぐったりしていた。校長先生のそばには血に塗れたナイフが落ちていたらしい。いつも閉まっている教室のドアの鍵が開いていて、放課後、前をたまたま通りがかった先生が不審に感じて開けると、そんな状態の先生が見つかったそうだ。救急車を呼ぼうとしたそうなのだが、校長先生に、「呼ぶな。大丈夫だから」と言って、その先生が、車で校長先生を病院まで運んだらしい。そして今回の件はたまたま持っていたナイフを誤って自分に対して刺して、起きてしまった事故だ、と周囲に告げ、数日休んだあと、校長先生は学校に復帰した。


 まず誰もが思ったことは、『たまたま持っていたナイフってなんだよ』と『なんであんな空き教室にナイフを持っていくんだよ』のふたつだ。みんなに確認したわけでもないが、おそらく間違いないだろう。


 こんな違和感だらけの一件に対して、違和感を持つな、というのは、さすがに無理がある。


 で、ここからが噂だ。


「あの噂、って何がはじまりだった、っけ」と聞いてみる。

「えぇっと、あぁ確か、これいまだに誰が言いはじめたか分からないけど、あの開かずの間で、事件が起こる前にちょうど通った子がいて、その時に話し声が聞こえた、って話だよ。それが校長先生……って言っても、その時は校長先生って思わなかったみたいだけど、そう誰かおとなと、誰か子どもの声が聞こえてきて、なんかその聞いちゃった子が幽霊かと思って、怖くなって逃げちゃったんだよ。で、そのあと、あんなことが起こって、うちの学校の子が先生を刺したんだ、って」


「でもやっぱり、背の高さもあんなに違うのに」校長先生は、おとなの中でも、結構長身な部類だ。「刺されるにしても、無抵抗なんてありえるかな」

「確かにそれは思う。放課後だったけど、叫べば、聞こえるひともいた気がするし、大怪我することはなかったかも。だから、私は、恨まれてた説を推してるんだ。なんか噂の中にそういうのもあったでしょ」

「あった、っけ?」

「うん。ほら、校長先生には隠し子がいて、その子に無抵抗で刺されて、庇うために警察を呼ばなかった、って説」

「でも、隠し子を作るような悪いひとが、その子を庇うかな」


 もちろんいまの僕は、そんな人間性を善悪でくっきりと分けられるものではない、と知っているし、その当時だって、いくつかの霊的な存在と出会って考えを改めてはきていたけれど、それでも善悪はもうすこしはっきりとしたものだと思っていたのだ。


「そういうことも私はあると思うな」すこし悩んだ素振りはしつつも、六風が言った。「せっかくだし、明日、現場に行ってみない?」

「現場?」

「そう、実際に行ってみるのが一番」


 まるで四原みたいなことを言うな、と思った。僕よりも、六風のほうが、人格を形成していくうえで、四原の影響を受けていたのかもしれない。


 その四原の姿は、いまはそばにない。実はすこし前から、学校を休んでいるのだ。校長先生の一件は関係なく、もうひとつの連鎖する事件のほうが原因だ。警察も何度か学校を訪れていて、僕の知らないところでは、大人たちもすごい必死に動いていたはずだ。だけど警察の動きまでは僕には分からないので、回想に挟むことはできない。


 翌日、僕たちは開かずの間を訪れた。

『開かずの間』は校舎の一階、一年生の教室が並ぶ中の、一番端にある。普通に行動する際には誰も通らない場所で、事件が起こった直後は敢えて開放していて、児童だったり先生だったりが結構出入りしていたみたいだ。児童に関してはただの好奇心だろうけど。


 数日経って、放課後の『開かずの間』付近にひとの姿はなく、寂しげだった。


「閉まってるね。残念」

 本当に残念そうな表情で、六風が言った。


「まぁでも、こんだけ時間が経ったらね」

「でも山岡くんが一緒だったら、大丈夫かな、って思ってたんだけど」

「なんで」

「だって四原くんが言ってたよ。『あいつは特別なものを視る力がある。それも俺なんかよりも鮮明に』って。そうなんでしょ」


 疑う雰囲気もなく、六風が言う。

 やっぱり、とそれを聞いて思った。四原も僕に対して、そう感じていたのか。

 いまさらだが、僕は他人が見えない幽霊やそれに近しいものを、視認することができる。明瞭に。世の中にどのくらい幽霊がいるのかは分からない。ただすべてではないはずだ。


 最初に自分自身に違和感を持ったのは、一川くんの一件のあとだ。

 一川くんのお姉さんにもう一度会いに行った時、四原は会えなかった、と答えていたが、僕は一川くんのお姉さんをそのあとにもう一度見ている。もちろん偶然の可能性もあるし、実際その時は偶然だろう、と考えていた。ただあそこが違和感の起点になったことは間違いない。花村先生の娘さんと会った時も、どこか四原は話を合わせている感じで、多少は感じるもの、薄ぼんやり程度には見えている何かはあったのかもしれないが、僕ほどはっきりは見えていなかったのではないか。だから僕は特別な力を持っていて、でもそれはあんまり嬉しくなかった。得に感じたこともない。どちらかと言えば、嫌な出来事に巻き込まれる原因を作る、必要のないものだ。


「気のせいだよ。何か変なものが見えたとしても、それはたまたまで、別に僕が特別なわけじゃないよ」

「ふーん」

 と六風は納得のいっていない表情をしていた。


 結局、そのあと正門玄関を出ようとしたところで、同じクラスの女子三人が、六風を呼びかけて、さすがに一緒に帰るというのが恥ずかしかったこともあり、僕はひとりで帰ることにした。


 四原の家でも行こうかな、と正門を出たところで、五代さんが立っていた。

 まるで僕を待ち構えるように。


 僕に近付いてきて、言った。

「いっつも、六風さんと一緒にいるね」

「急に、なんだよ……。別に誰と一緒でもいいだろ」

 五代さんの言葉には、他のクラスメートから冷やかされるのとは、すこし違った嫌な響きがあった。


「好きなの?」

「べ、別に」

 そんなんじゃない、と続けようとした言葉は五代さんの言葉にさえぎられた。


「悲しい思いをするから、やめたほうがいいよ」

 一瞬、馬鹿にされている、と感じて、でもそれはすぐに違う、と分かった。五代さんの表情が、思いのほか、優しげだったからだ。僕に共感でもしてくれているかのように。


「な、何を」

「まぁ、いいや。私はこんな話をしにきたんじゃないから。ねぇちょっとだけ、私と話しながら帰ろうよ」

 と僕は家へと帰る道とは、反対の道を、五代さんと並んで帰りはじめた。そっちに五代さんの家があるからだ。


 氷雨と言えばいいのだろうか、雨合羽がなくても困らない程度の冷たく細かい雨を、黒ずんだ雲が降り落としていた。実際、僕たちには、傘もなければ、合羽もなかった。


「で、犯人は誰だと思う?」

「知らないよ。犯人がいるかどうかも分からないのに」

「怪しいな、って思ってる子とか」

「全然、想像も付かない」

「なんだ、つまらない」


 冷たく、つまらない、と言われて、僕は嫌な気分になったが、表情には出さないようにした。顔に出さなかったのは無意識で、あとになってから、敢えてそうしたのだ、と自覚したのだが、おそらく自分なりのちっぽけなプライドがあったからだろう。


「五代は誰が犯人か知ってるんだよね」

「うん。だって私だから」

 あっけらかんと彼女が告げる。


「嘘だ」

「うん、嘘」

「えっ」

「引っかかった」

 と五代さんが嬉しそうに笑い。こんな笑い方するんだ、と妙にどきどきとしてしまったのを覚えている。あんなに苦手意識を持っていた相手に、そんな感情を抱いてしまったことに、変な罪悪感を抱きながら。


「なんだよ、それ。じゃあ犯人を知っている、っていうのも嘘?」

「それは嘘じゃないよ。犯人は渡辺佳子。佳子ちゃんだよ」

 犯人は、佳子ちゃん。


 その言葉が、五代さんと別れるまで、そして別れてからも、ずっと頭の中で反響していた。


 僕はその子についてあまり知らない。だけど確か、五代さんとは仲が良かったはずだ。そんな子のことを簡単に犯人扱いして平然としている五代さんが、僕には怖くて仕方なかった。


 僕はそのまま家に帰りたくなくて、気付けば僕の足は、四原の家へと向かっていた。

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