僕たちが最初に遭遇した事件のこと。
その後になってみれば、そもそも何故そんなふうに思っていたのか、とかつての僕の印象こそ疑いたくなるのだが、もともと、僕が四原に抱いていた印象のひとつに、行動力に乏しい、というものがあった。
どうしてそう思ったのか、具体的なエピソードがあるわけではない。ただ理由として挙げられるものがあるとすれば、顔が良くて運動神経も良くて、と人気者になれる条件を色々と満たしているのに、周囲から浮いていた、というのは、あるかもしれない。だから無意識に、視野が狭い奴だな、というふうに思うような。そんなステレオタイプな人間観を持っているほうが、視野が狭い、といまなら思わないでもないが。とにかくあの頃はそう思っていたのだ。
ただ出会ってからの彼は、行動力に満ちていた。びっくりするほどに。
最初に彼の行動力と情報収集力の高さに驚いたのは、この『口裂け女』の一件だった。
「一川くんのお姉さん、家出したまま、ずっと帰ってきていない、らしい。何年か前に。一川くんも一川くんの家族もそれを隠しているらしいんだけど」
「そう言えば一川くんってお姉さんいるんだ、っけ。でも家出……。というか、なんで知ってるんだよ。そんな秘密の話」
「取材源の秘匿は、記者の常識だよ」
「いきなり難しい言葉を使うなよ。まぁいいけど、でもそれが宇宙人の仕業と、どう繋がるんだよ」
一川くんとの喧嘩から三日が経ち、その時、僕は四原の家にいた。それまでこれといって仲が良いわけでもなかった四原の家に自分がいることが、不思議だった。
四原の家に最初に行った日、僕が何を考えていたか、というと、家族がいなくて羨ましいな、だった。
『家族がいなくて羨ましいな』
と言葉にしてみると、大変失礼で、嫌な言葉ではあるし、直接言えば、別の意味合いで捉えられて、絶交されかねないものではあるのだが、実際そう思ってしまったのだから仕方ない。四原の家に四原の家族は毎回、いない。もちろん存在はするらしいのだが、僕は会ったことはない。顔も知らない。
四原はいつも、
いまはいないんだ、
と言うけれど、こんなに何回も来て、そんなことが起こるなんて違和感しか覚えないけれど、もちろん最初から違和感を覚えていたわけではない。一回目は、仕事が忙しいひとなのかなぁ、と思っていたくらいだ。
誰からも束縛されない世界への憧れ。
もちろん全員がそうだ、なんて決め付けるつもりはないが、僕も含めて、多くの子どもはそんな世界に憧れを持っていたんじゃないだろうか。そして小学生における、〈世界〉は大抵、学校か家か、あとはあっても塾か習い事か、それくらいの狭いものだ。それが狭いとも気付かないくらい、狭い世界で息苦しく生きる中で、すくなくとも僕は、息苦しくない自分を求めていた。
別に、四原は家にひとりでマイペースに過ごしていただけだ。
たったそれだけのことに、やけに自由を見て取ってしまう。そのぐらい、あの頃の僕は狭かった、ということだろう。
そして勝手に羨ましがっていた。そうだ、いつも僕は四原を羨んでいた。友達を羨むというのは、あまり良い徴候ではないが、それでも内からわき上がってくる感情は簡単に止められるものではない。
「一川くんのお姉さんは、もう死んでいるんじゃないか、って思うんだ」
「死んでる……」
「ほら、前に話題になってた事件があるだろ。山で、白骨死体が出てきた、って。身元不明の死体だって」
「あぁ、なんか聞いたかも」
県内のS山の山中にて、男女複数の白骨死体が埋められていた、という事件があった。確か一年くらい前の話だ。クラスでも結構話題になっていたから、なんとなく耳に残っていた。小学生というのは勝手で、ヤクザが借金のある奴らを埋めたんだ、とか、自殺志願者たちが集まったんだ、とか、そんな憶測を口々に言い合っていた記憶がある。大人になってみれば、小学生だけではなく、大人も勝手なものだ、と改めて自覚するわけだが、とりあえず小学生は勝手だ。大体、人間って、勝手だ。僕だって例外じゃない。
「あれは宇宙人の仕業じゃないか、と思うんだ」
「宇宙人?」
「キャトルミューティレーションってあるだろ」
「カトルミテーション?」
うまく聞き取れずに僕が返すと、四原がため息をついた。
「キャトルミューティレーション、だよ。キャ、ト、ル、ミュー、ティ、レー、ション。アメリカで起こった家畜が惨殺される事件だよ。異様な死に方だったから、宇宙人の仕業じゃないか、って言われてるんだ。で、実際、宇宙人の仕業なんだ」
四原が決め付けるように言った。
「山の中の死体も、宇宙人の仕業だって言いたいの」
「あぁ、地球外の生命体がこっそりやってきた人間たちを誘拐してるんだ。で、抵抗した人間は殺され、埋められた。そういうことじゃないか、って僕は考えてる」
「えぇ、でも。宇宙の奴らが、山に埋めるなんて人間っぽい殺し方するかな」
「人間の仕業に見せかけようとしたんだろう」
「うーん」
強引だなぁ、と納得できないものは感じたが、四原の自信満々な口調に押されて、それ以上は反論しなかった。しかしそもそも地球外の生命体の仕業だと考えるほうが少数派なんだから、人間の仕業に見せかける必要性は感じられない。
「一川くんのお姉さんは、誘拐された人間のひとりだった。一川くんや一川くんのお父さんやお母さんはそれを知っていて。隠してるんだ。きっと、『しゃべれば、お前たちも殺すぞ』なんて脅されて。……信じてないな」
「うん」
正直に僕は頷いた。
「まぁこのあたりが強引なのは認めるさ。ただ一川くんにお姉さんがいて、そのお姉さんが行方不明になっている。これは事実だ。とりあえずここだけ分かってくれればいい」
「分かった」
「で、山岡が見たのが、一川くんのお姉さんだった、ということだ」
「死んでいるのに、どうして、見れるのさ」
「それは、一川くんのお姉さんは幽霊だったからだよ」
僕は四原の答えにびっくりしてしまった。だってさっきまで幽霊はいなくて、すべて宇宙人の仕業のような言い方をしていたのに。
「四原、宇宙人はいない、って言ってなかった?」
「そんなの、一言だって口にしてないよ。言ってないことを勝手に補足するようなことはしちゃいけない。僕は地球外の生命体が関わっている、と言っただけで、それとは別に、ちゃんと幽霊も存在している、と思っている。そこは切り離して考えるんだ」
幽霊に、ちゃんと、ってなったんだよ、と不思議な言葉選びに、思わず笑いそうになってしまった。
「じゃあ、あの女のひとは、『口裂け女』でも地球外の生命体でもなく、幽霊だった、ってことだね。……あれ、でも、『口裂け女』は地球外の生命体だって言ってなかった、っけ。この前」
「だから、それも一川くんのお姉さんとは切り離して考えてくれ。実際、僕もあの時は一川くんのお姉さんのことなんて、知らなかったんだから。口裂け女は口裂け女で、あれは宇宙からの何かなんだよ。分かった?」
「わ、分かったよ」
強引に納得させられてしまった。
「とりあえず話を戻すけど、一川くんがきみに対して怒ったのは、一川くんのお姉さんの話を蒸し返してしまったからだよ」
「僕はそんなつもり……」
「もちろん分かってるよ。でも自覚がなかったとしても、ひとを怒らせちゃう、ってことあるだろ。僕もたまになんでか、女子のことを怒らせちゃう時があるけど」
と首を傾げる四原くんを見て、こういう話をしちゃうところだよ、と思ったが、言わなかった。嫌な気持ちになるだろう、と思ったのもあるが、それ以上に、僕は彼との話を楽しんでいたからだ。だから彼が気分を害して、今後、こういう話をできなくなることを、無意識に嫌がったのかもしれない。
話自体もそうだが、新しい彼の一面を知ることができて、距離が縮まったことが嬉しかった、というのもある。友達は減るよりも、増えるほうがいい。
僕がそんなことを考えていると、四原がいきなり、
「じゃあ、いまから現場にでも行こうか」
と言った。それが冗談めかした口調に思えたので、本気じゃない、と僕は思っていたのだが、四原は本気だった。
気持ち的には強引に引きずられるくらいの感じで、僕は彼とふたりで外に出て、あの川沿いの橋近くまで来ていた。
「なぁ、こんなところまで来たって会えるか分からないよ。あの日と時間だって違うし」
「でも、その時間にだけいるとは限らないだろ。いつだってうろうろしているかもしれないじゃないか」
「まぁそれはそうだけど……あっ」
橋を渡る女性が、そこにいた。歩いてそこまで来た、という感じではなく、急にふっと現れるように。
「よ、四原」
「ほら、いたじゃないか」
僕の怯える声とは反対に、四原は涼しげだった。平然とした振りをしているわけではなく、本当に恐怖を感じていなかったんだ、と思う。
そしてあの日と違うことがあったとしたら、
「うん? あなたたちは」と彼女が話しかけてきたことだ。そして僕に目を向けて、続ける。「あっ、きみはこの前の」
「き、気付いてたんですか」
「だって、目が合ったからね。なんかしゃべりかけて欲しくなさそうだったから。何も言わなかったけど。何? お姉さんと話したかった?」
とその女性は楽しげだ。彼女を見て、幽霊ではないかもしれない、と思った。年齢は、外見的には、高校生くらいに見えた。
「あっ、いえ」
「そっちの子は友達?」
「はい」と答えたのは、四原だ。そして四原が彼女に聞く。「お姉さんは、『口裂け女』ですか?」
「何を言ってるの?」
と彼女が首を傾げる。
「お、おい。四原」
僕は慌てて彼女に説明する。『同級生から口裂け女の噂を聞いて、ちょっと来てみました』と。もちろん宇宙からの生命体の話は出さなかった。
「へぇ、面白そうな話。でも残念ながら、私は口裂け女なんかじゃないよ。まぁマスクなんかしてたら、勘違いもされるか」
彼女が笑う。
「良かった……普通の人間だ……」
と僕がほっとしたように息を吐くと、
「まぁでも、普通の人間でもないけどね」彼女が薄く笑う。「私は幽霊」
「幽霊……」と僕。
「知らない? 死んだ人間が成仏できないと、幽霊っていう存在になるんだよ」
「いや、意味は知ってるけど……」
「冗談に、真面目に答えないでよ。……でも口裂け女だ、なんて、まるで祐介みたいなことを言うんだね」
「祐介……。もしかして一川くんのこと」
一川くんの下の名前は、祐介だ。
僕の言葉に、今度は彼女が驚いた表情を浮かべる。「弟のことを知っているの?」
確かにさっきの話の時には、一川くんの名前は出さなかった。知りたかったが、彼女の反応が怖くて言えなかったのだ。だから彼女のほうから関係を明かしてくれたのはラッキーだった。
「同じクラスだから、……で、その話を教えてくれたのが、一川くんなんだ」
と四原が言った。厳密に言えば、四原は一川くんから直接教えられた人間ではないのだが、わざわざ訂正することではないので黙っていた。というか、四原が代わりに話してくれるのなら、そのほうがありがたかった。
「そっか、祐介が……それ、弟にからかわれてるよ、きっと。よくそういう嘘をついて、ひとをからかうのが好きだから。でも気を許した子にしかしないと思うから、きみたちは弟から好かれているのかもしれないね。でも私と会ったことは言わないほうがいいかも、ね。あれでも結構、お姉ちゃんっ子だったから。幽霊の私と会ったなんて知ったら」
「もう言っちゃいました……、それで怒っちゃいました」
とつぶやくように僕が言うと、
「あはは、本当に。手遅れだったか」と楽しげに笑った。「でもやっぱりひとと話せるのは楽しいね。生きてる頃は分からなかったよ」
死んだ霊と関わるようになって思ったのは、長く孤独を味わい続けて、他者と話すことを渇望する霊が意外と多い、ということだ。
「なんで、死んだんですか?」
「お、おい。四原」
僕も同じことが気になっていたのは事実だが、さすがにこんな堂々と聞くのは……、と慌ててしまった。
「いいよ、いいよ。教えてあげる。私は殺されたんだ」
友達と喧嘩したんだ、くらいの軽い口調で言われたので、何か違う話を聞いてしまったのかもしれない、と思ってしまうほどだ。だけどもちろん、そんなことはない。彼女は確かに、自分が殺された、と笑った。そして、すこし長話になるけど聞いてくれない、とその口ぶりはどこか楽しげだった。
彼女がひとつ息を大きく吐く。
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