ふたりの少女が死ぬまでのすべてのこと。

 幸ちゃんは、

 あっ、もちろん分かってるよね、三好さんのこと。三好さんは物心ついて私が覚えている中で、一番最初にできた友達。近所に住んでいるお金持ちの子で、引っ込み思案な私と違って、いつも誰にでも積極的に話し掛けにいけるひとで、ずっと私の憧れだった。


 ふたりはいつも一緒だね、ってそう言ってくれたのは、幼稚園の先生で、周りからそう言われるくらい、私たちは親友だった。親友って言葉を使うの、なんかちょっと気恥ずかしいけど、でも本当にそうだったから。


 先にピアノを弾きはじめたのは、幸ちゃんだった。当然なんだけどね。幸ちゃんのお母さん、ピアニストなんだから。有名なコンクールにも出たことがある、って言ってて、すごいひとだったんだ。でも優しいんだけど、ちょっと怖いひと。笑っていても、目が全然、笑ってなくて。苦手だったんだ。


 だから私、お母さんから、「幸ちゃんのお母さんのところのピアノ教室で、ピアノ習ってみたら」って言われて、最初は嫌だったんだ。「嫌だ」って何回か言ったし。でもお母さんに熱心にすすめられて。お母さん昔、自分がそういう習い事をしてみたかった、って憧れがあったみたいで、どうしても私に何かを習わせたかったみたい。


 習いはじめたのは、小学校に入ってからだった。あんまりその時のことなんて覚えていないんだけど、もう先にはじめてた幸ちゃんがすごく上手くて、私のお手本だったの、覚えている。私は自分の弾くピアノは大嫌いだったけれど、幸ちゃんと幸ちゃんのピアノは大好きだったから。たぶん私がピアノを別にやりたくない、って思ってることにも気付いてて、「いっしょにがんばろう」なんて声を掛けてくれたのは覚えてる。幸ちゃん、すごく良い子だった、から。だった。うん。だった。なんであんなことになっちゃったんだろう。


 たぶん私たちの関係が変わりはじめたのは、高学年に上がったころだった、と思う。


 自慢してるなんて思わないでね。でも事実として、その頃になったら、幸ちゃんよりも私のほうがピアノは上手になってた。その時にはもう、私もピアノが好きになってたよ。できなかったことがひとつひとつできるようになっていく、ってやっぱり楽しいからね。でも反対に、幸ちゃんはピアノが楽しくなくなっていったみたい。


 なんで、って?

 分かるでしょ。なんとなく、だとしても。あと、幸ちゃんのお母さんも幸ちゃんには特に厳しかったから。私は実際に見たわけじゃないけど、手も出してたはずだよ。一回、あざを見ちゃったことがあって、「あぁ、うん、お母さんが、あっ、ううん。なんでもない」って言ってたから。


 私と幸ちゃんのことをいつも比べてたみたい。「怜奈ちゃんはできるのに、なんであなたはできないの。私の娘なのに」って。ひどい話だよね。親子だから、って両方が同じことできるわけないよ。私はピアノがうまくなることよりも、幸ちゃんとの仲が悪くなるほうがずっと嫌だった。好きになってきた、って言っても、幸ちゃんほどじゃなかったから。一緒に帰ってもくれなくなったし、話しかけても冷たくなった。でもたぶん幸ちゃんのほうも、私に悪い、って気持ちはあったんだと思う。私に冷たくする時、なんかすごく申し訳なさそうな感じがあったから。


 私は、でもやっぱり、どれだけ避けられても幸ちゃんとは話したかったから、たぶんそれが良くなかったんだ。放課後に、雨の日だったかな。傘を差して帰る幸ちゃんを呼び止めて、「一緒に帰ろう!」っていつもより元気な声を出して、言ってみたんだ。


「なんで、そんなこと言うの。あんなに冷たくしてるのに」

 幸ちゃん悲しそうに言ったんだ。


 幸ちゃんがいつも使ってたピンクの柄の傘をばって投げ捨てて、私に背中を向けて、走っていっちゃったの。その背中、いまもずっと覚えてる。悲しそうだった。


 あんまり恨んでる感じがしない、って?

 うん。そんなに恨んでないかな、幸ちゃんに関しては。それよりも、もっと。あぁ、まぁいいや。これは後にしようか。


 幸ちゃんの私への態度がもっと酷くなったのは、ここからだったかな。はっきり無視されたり、私の悪い嘘の噂を流したり、教科書に落書きされたこともあったかな。うん。いじめ。いじめだね。でも結局、幸ちゃんも楽しんでやっているわけじゃないから、私も傷付くけど、幸ちゃんも一緒に傷付くような、いじめ。だからかな、あんまり幸ちゃんを憎みきれないのは。


「ねぇ、塚村さん。もしかしていじめられてるの?」

 そんなふうに、私に言ってきたひとがいるんだ、あの時。

 名前はたぶん聞いてないよね。水川先生がまだ生きているあの子の名前なんて出すわけがないから。


 高村さん、って名前でね。高村詩織さん。

 クラスメートだったんだけど、別に仲が良かったわけでもなくて、ちょっと距離感はあった。綺麗だけど、すこし冷たい感じがする女の子で、幸ちゃんのお母さんと、もしかしたら似たタイプかもしれない。


 たぶん私だけじゃなくて、幸ちゃんも苦手だったと思う。

 だけどその頃から、よくふたりが話しているのを見掛けて、それが仲良さそうに見えて、不思議だった。


 で、「いじめられてるの?」なんて聞いてきたから、意味が分からなかった。

「あっ、ううん。そんなんじゃないよ」

 ってしか、私、答えられなかった。


「嘘つかなくてもいいよ、塚村さん。三好さんにいじめられてるんでしょ。かわいそう。私、守ってあげるから。ねぇ、今度から怜奈ちゃん、って呼んでもいい」

 高村さんが私の手を握ってきて、なんかちょっと気持ち悪いな、って思ったけど、私、頷くことしかできなかった。


 高村さん、ってクラスの女子のボスみたいな子で、ね。分かりやすいボスじゃなくて、もうちょっと、なんていうか、もっと嫌な感じの。だから私も変なこと言えなかった。私は苦手だったからあんまり関わらないようにしてて、だからあんなことされて、本当によく分からなくて……。


 でも、それから、幸ちゃんの嫌がらせはなくなった。うん。たぶんもうあの時からはじまってたんだ、と思う。山岡くん、だったよね。たぶんきみも、もう気付いてるよね。まぁいいや。順を追って、話すから。


 幸ちゃんからの嫌がらせがはじまってちょっとして、だったかな。

 私が死んだのは。


 いまでも私が自殺した、って考えている子も多いみたいなんだけど、私は自殺なんてしてないよ。死のうなんて考えたこと、一度もない。命を粗末にするひとなんて嫌いだから。私は車に轢かれて死んじゃった。本当に不注意で、悪い人間がいるとしたら、運転手さん以上に、私。信号のないところを渡ろうとして……、目の前に車があって……。


 私は死んで、気付いたら幽霊になってた。あっ、本当に幽霊になる、ってあるんだ、なんてびっくりはしたけど、意外と悲しくはなかった。当事者ってそんなもんなんだよ。


 最初に心配になったのは、幸ちゃんのことだった。嫌なことされたりもしたけど、どうしても嫌いになりきれなくて。大丈夫かな、幸ちゃん。だって私が死んだら、って。


 不安は当たった。


『どんな理由があっても、ひとをいじめていい理由なんてない』


 これ誰が言ってたか、分かる?

 うん。高村さんが言ってたんだ。グループの中心になって、幸ちゃんを攻撃する時、いつもこれを言ってて、幽霊になった私は、いつもこの言葉を聞いてた。どんな理由があっても、ひとをいじめていい理由なんてない。うん。すごく正しい言葉。言葉だけならね。だけど私は高村さんにその言葉を使う資格なんてないと思ってた。だって幸ちゃんのこと、いじめてるんだから。どんな理由があっても、ひとをいじめていい理由がないのなら、仮に私をいじめていたとしても、いじめっ子だったとしても、いじめていいはずがない。そんな言葉を使うな、って思ってた。感情的に私をいじめてた幸ちゃんのほうが、百倍マシだ、って思った。元々私は高村さんが嫌いだったから、幸ちゃんが可哀想としか思えなかった。


「お前がいじめたから、塚村さんは死んだんだ」ってみんな勝手に決め付けて。私が何も言えないから、って。

 トイレに閉じ込めたり、イスで頭をなぐったりして、そのたびに私の名前を出して、「塚村さんはもっと苦しんだんだから」って。


 ひどい、と思った。本当にひどい。許せない。殺してやりたい。

 あぁ、あと、私は幽霊になって、色々な事情をこっそり見れるから知ってるんだけど、幸ちゃんのお母さんも、かなりひどいこといっぱい言われて、ピアノ教室の窓が割れたり、スプレーで落書きされたり、ってのもあったみたい。犯人も知ってる。同級生のお母さん。たぶんもともと嫌いだったんだ、と思う。別に関係ないけど、いいやこのタイミングで、って思ったのかな。それもやっぱり私が理由にされる。「お前のせいで、あの子は」って。すごく卑怯なんだ、みんな。結局、私を持ち出せば、いじめも嫌がらせも、悪いことじゃなくて、良いことになっちゃう。大嫌い。すごく大嫌い。


 幸ちゃんはひとりぼっちで、無口になった。

 一度、私と幸ちゃんが写った写真を見ながら、「ごめん、ごめんね……」って幸ちゃん泣いてたの。ずっと泣いてたの。でも私は幽霊だから、どうすることもできなくて。私は見てるだけしか。


 幸ちゃんは死んだ。

 自殺だって。私みたいな噂とは違う。本当の自殺。


「仕方ないよね、だって自業自得だから」誰が言ったのかは覚えてないけど、たぶんクラスの子の誰かが言ってて、「うん、そうだよね」って空気が広がっていく嫌な感じだった。だってあの子はいじめっ子だったんだから、って。私たちは悪くない、悪くない、ってみんな自分に言い聞かせていて……たぶん最初は怯えもあったと思うけど、こう、何度も言い聞かせていると、それが本当のことになっちゃう時、ってあるんだ。全部、幸ちゃんが悪かったことにして。『私たちは悪くない』が大合唱。馬鹿みたいだね。


 自業自得、だよね。

 うん。自業自得。そう言えば知ってる、最近、高村さんが高校を中退したんだ、って。私、知ってるの。ずっと追ってたから。子どもを妊娠したんだ、って。高村さんがもしどこかから落ちて死んじゃったとしても、悪くないよね。私、悪くないよね。


 いま暮らしてる場所に行ったら、旦那さんは暴走族かなんかしてた、不良みたいなひとでね。なんかすごく幸せそうだったな。あぁ駄目だよね、でも駄目だよね。


 いじめと同じで。


『どんな理由があっても、ひとをいじめていい理由なんてない』と同じで。

『どんな理由があっても、ひとを殺していい理由なんてない』よね。分かってる。分かってるんだけど。でもどうしても考えちゃうの。


 あれを言ってた高村さんが同じことしてたんだから、私だって、ってね。ねぇ駄目かな。本当に駄目かな。なんで駄目なの。良いじゃない。私だって。ムカつくよ、私だって。


 山岡くん、もし良かったら、私の代わりに決めてくれない。駄目かどうか。はい、か、いいえ、か。


 ねぇ、どっちにする?

 ……冗談、冗談。大丈夫、あなたの答えは聞かなかったことにしてあげるから。それに、どっちを選んだところで、結果なんて変わらないから安心して。もう終わってるから、全部、ね。


 ねぇ、良かったら、私のピアノ聞いていく。私のピアノを聞ける最後のひとにならない?


 えっ、なんで最後なのか、って?

 うん、だって私はもう、ここに残りたい気持ちがないから。


 でも、じゃあいままでは残りたかったのかな。実はそれもあんまり分かってないの。さくっと嫌な奴だけ呪い殺しちゃって、消えちゃっても良かったんだけど、なんとなく残ったままになってた。目的もなんにもないのに。でもだったら、ってこうも考えちゃうんだけど、ね。生きてた時も、別に私、なんかそんな大事な目的も持ってなかった、って。うーん。そりゃあ、あったよ。将来の夢とか。ケーキ屋さんになりたい、とか、うーん、まぁあんまりお嫁さんになってみたい、ってのは考えなかったけど、将来どんなひとと結婚するのかなぁ、とか、ね。


 もし結婚するなら、私、こうやってちゃんとお話を聞いてくれるあなたみたいなひとと結婚してみたかったなぁ。


 ねぇ、私と一緒に成仏してみる。成仏した後にどこに行くのかは分からないし、そっちで一緒になれるかは分からないけど、ひとりはちょっと寂しいから。


 ……なんて、ね。冗談だよ。これも。

 ごめんね。話、長いよね。でも、こうやって誰かと話せること、幽霊になってから全然なかったから。やっぱりひとと話したかったんだろうね。


 あなたはなんか不思議だ。

 幽霊の私を見た、って子はいままでいっぱいいたし、噂になってるのも知ってたけど、こんなにしっかりしゃべってくれるひと、はじめてだ。ぼやっとした感じじゃなくて、私のことがはっきりと見えている感じがする。


 気のせいかな。

 あぁ、ごめん。ピアノの話だったね。

 私が最後に弾く曲を、聞いていてくれないかな。

 曲は、ベートーベンの『月光』だよ。


 幸ちゃんがはじめて私のピアノを褒めてくれたのが、この曲だったの。幸ちゃんのお母さんじゃなくて、幸ちゃんが褒めてくれたの。それがすごく嬉しくて。なんで私たちはこんなことになっちゃったんだろう。


 あっ、雨の音が聞こえる。

 雨音が混じった時の、『月光』って私、好きなんだ。切なさが混じる感じがして。


 じゃあ、聞いてて。

 私が消える、その時まで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る