天文部という隠れ家


 冷静になると、リュウが本当に一線を超えてしまうかは疑わしい(そんなことしたらR18になってしまう、今のサイトには載せられない)が、そういう読者の声がある、ということは知ってしまった。

 ならば、ランキングで上位を狙う=読者の支持を集める必要がある以上、聞いた声は活かさないといけない。


『本当ですか! 三日野人先生にそう言っていただけるなんて光栄です! それで、その理解を活かして、わたしとリュウとのいちゃいちゃ短編を、ぜひ作っていただけませんか』


 うわー、なんか面白そうに思えてきたぞ、この執筆依頼。

 どんなものであれ書くという行為が練習になることは間違いないし、何より1人のオタク(?)の夢を叶えてあげられるかもしれないのだ。しかもその相手が自分と面識のある女子、という事実。


 いや、でも。



『すみません。自分としてもまいひなさんの希望に応えたいのはやまやまですが、自分の方もリアルで色々とあるのです。正式な承諾は、もう少し待っていただけますか』


 今の菊川さんは、限りなく黒に近いグレー、だと思う。

 が、本当に黒であることが確定してからでも遅くはないだろう。


 それに何より、俺自身の気持ちの整理がついていない。



 ヘタレと罵られても仕方ないかもしれんが、知人未満程度の関係性とはいえ、リアルで知っている人間をネタにするなんて、勇気や心の準備がいるに決まってる。



『わかりました! いつまでも待ちます!』


 隣の菊川さんが、満面の笑みをしている。

 なんだろう、このなんともいえない罪悪感。


 美少女の笑顔を見ていたたまれなくなるなんて、初めてである。



 ***



「はー…………」


 放課後、俺はノートパソコンの前でため息をつく。


 特別教室や各部活の部室が集まる校舎別棟。その1階真ん中あたりにある、教室の半分以下の広さしかない部屋が俺の放課後の居場所、天文部室だ。


 そこで下校時間までノートパソコンを開いて小説を書き進めるのが俺の日課である。


 

「ん、どうしたんだい春野?」


 長机の向こうで天体望遠鏡を調整していた女子生徒が顔を上げ、俺と目が合う。

 ふちなしの眼鏡の向こうの視線が、好奇心を示しているような気がする。


「いや、先輩には関係のないことですよ、気にしないでください」

「そうか? 後輩の悩みに乗るのも大事な先輩の仕事なんだけどなあ」


 そう言ってあからさまに口をとがらせる先輩。

 何かの部品を手にして少しずつこっちに近づいてくる。


「平気ですって。あとその何か天体観測で使いそうなやつをこっちに持ってくるのやめてください」

「えー、毎日熱心に部室に来てる君には是が非でも天文学の魅力をわかっていただきたいのだけど」


 部品に頬ずりしながらそんなこと言われても、天文学の魅力は結局よくわからないですよ。

 先輩、1年の男たちから美人って言われていて実際とても整った顔してる(し、あと胸もでかい)んだから、もっとその顔を活かしてプレゼンとかしたほうが男子生徒を釣れそうなのに。


 

 ……とは面と向かって言えないので、俺は座ったまま少しずつ後退する。


「そんなこと言われても俺、昔から理科は苦手なんですよ。ここだって、『天文部に入れば放課後部室でダラダラし放題』って言われたから来てるだけですし」

「むー、確かにそう言ったけどさあ……春野はもう少し、部長を敬ったほうが良いぞ」

「自分で言いますかそれ」

 

 先輩は結局、顔をぷくりとさせながら元いた場所に戻っていく。

 


 彼女は栗橋くりはし 銀花ぎんか。2年生にして天文部の部長を務める人間である。

 なぜ2年生が部長なのかといえば、3年生部員が1人もいないから。


 というか、1,2年生の部員もほぼいなくて、栗橋先輩が頼んで名前だけ部に入れてもらっている2年生が2人、1年生が1人。それと栗橋先輩、俺を合わせて、どうにか部活動として認められる『部員5人以上』の要件を満たしている状態だ。


 そういう意味では、俺だって別にこの部室に通う義理はないのだが、どうせ放課後は暇だし、執筆はノートパソコンさえあればどこでもできるし、何より校舎内なら冷暖房で年中過ごしやすい環境が提供されている……との理由で入り浸ってしまっている。天文学には申し訳ないが、本当に興味はない。



「まあでも、春野の心配してるのは本当だよ。大事な部員なんでね」

「俺がいなくなったら、要件を満たせず廃部になっちゃうから、ですか?」

「身も蓋もないことを……より厳密には、観測機材や資料を置く場所が無くなってしまうから、だけど」


 確かに、ずっと栗橋先輩が舐め回すように触っている天体望遠鏡とか、本棚に収まっているたくさんの分厚い図鑑を家の部屋に置こうとすると、それなりにスペースを取りそうだ。

 でも……


「そう言って栗橋先輩、私物も結構ここに置いてますよね」


 俺は本棚から1冊本を取り出す。『キャラクターイラストの描き方 コツ中のコツ』というタイトル。ファンタジーチックの二次元キャラのイラストが大きく描かれた表紙。


「良いじゃない、多少は。せっかくの本棚のスペースを無駄にしたくないし?」

「まあ、こういうの自分も好きなんで、ありがたいですけど」


 俺は全く絵を描けない。でも、この手の類の本にはキャラクターの作り方的な話もあって、執筆の際に地味に役立ったりするのだ。


 で、なんでこんなのが美術部でもない、天文部の部室にあるのかというと。


「栗橋先輩、今は何か描いてるんですか?」

「今は特に、かな。もともと根詰めてやるものでもないし。描きたいと思ったら、何か描くかもだけど」


 栗橋先輩の趣味は、天体観測ともう1つ、絵を描くことである。

 それも美術部で描くような絵ではなく、マンガやアニメのような二次元イラストの方。


 もともとは望遠鏡で見たものをスケッチできるようになりたい、と思って小学校時代に始めたらしいが、今は普通にネットでイラスト投稿なんかもしてるという。最も、投稿しているイラストやSNSのアカウントなんかは恥ずかしいと言って教えてくれないのだが。


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