第8話 九死に一生ってやつだね?(違う)

「『私を探せ』なんて神妙な顔で言った癖に随分呑気なんですね」


 もそもそと焼きそばパンを頬張る先輩に目を移しつつ、愚痴る。


「ほんはほほはいへす!!」


「あー食べてからでいいです。何言ってるか分からないので」


 小動物のように小さな口を必死に動かし、安いパンを美味しそうに頬張る姿は、なんというか癒されるものがある。


「ほらお茶も飲んで」


 麦茶を吹き出しているところを視認しているはずなのに、先輩は素直にこくこくと飲む。


「ぷはあ! 呑気だなんて、そんなこと言わないでください。白墨君が仲間になってくれたから今までの緊張が解されたんですよ」


「……買い被り過ぎです」


「そう言う割には他の私と知り合いになってますよね。喋ることさえできなかった私からすれば大進歩! 白墨君ならきっとみんなを仲間にできるはずっ!」


「他の私って、緑色さんだけですよ」


 契約が不履行になったとしても危害が及ぶ可能性が低いと分かった今、僕が先輩への協力をする理由はほとんどないというのに。


「他二人ってどんな人たちなんですか?」


「自分で言うのもなんですが、私の才能と存在感は三原色になぞらえて三種あると噂されていました。それらが等分されたものが他の私たちです。赤色はあらゆる競争における戦闘力を、青色はあらゆる事件における問題解決能力を有しています」


 そして緑色さんはあらゆる思惑を叶える幸運を有すると。


「白墨君に任せっぱなしにはしませんよっ! 私も目一杯協力しますとも!」


「当事者なんだから当然です。水筒返してくれますか? パンがぱさぱさで」


「あっはい……ええっ!? あ、後で飲み物買ってくるってのはどうでしょう?」


 顔を赤くして、さっと水筒を背中に隠した。


「今欲しいんですけど」


「うう……私としたことが……あっあのですね、男女で回し飲みをするというのはちょっとばかしいかがわしくはないですかね?」


 回し飲み、つまり間接的な粘膜の接触。


「のっ、飲み口を拭くだけでいいんじゃないですか?」


「多少なりとも唾液が混ざっていそうなので……でっ、では今すぐ買ってきますから!」


 どたどた。噂に聞く先輩の姿とは乖離した運動音痴な後ろ姿を晒して走り去ってしまう。


 真上から日の差す屋上には僕と水筒だけが残され、その飲み口はつやつやと光っていた。


 先輩の飲みかけの水筒……衆人環視は一つとしてない……いや何考えてんの!?


「いや……でも僕の所有物ではあるし、熱中症になったら先輩に迷惑をかけてしまうし、」


 罪悪感に苛まれながら、自己を正当化しながら、ゆっくりと手を伸ばしてしまう。


「うおおおおおおおおい!! 亜黒氏いいいいいい!!」


「うおっ!?」


 まさかもう戻って来たのか!?


 いや確かに先輩の声だったけど少し違う。不気味な調子で気楽な――聞き覚えのある声。


 ドカンッ。


 プレハブのような安っぽい扉は重低音を響かせながら、蹴り破られた。


 外れた螺子を周囲にまき散らしながら、中央の凹んだ扉は給水タンクにぶつかって、耳を塞ぎたくなる轟音が喧騒を吹き飛ばす。


 非日常な音をもって下の階は静かに、そして疑念を持つ声ばかりが聞こえてきた。


 そこには左足を伸ばしたまま硬直する見慣れた――どこか見慣れない少女の姿が。


 正常な重力の働きに従って揺れるスカート、御本尊がちらと見える。


「黒か、ああっ!?」


 何か固い物が顔面に当たり、視界を暗転させる。


「ったあ……靴?」


「女子のスカートを悪びれず覗くとは中々やるねぇ」


 見れば緑色さんはケンケンで近づいており、片足のローファーが無くなっている。 


 靴を飛ばしたのか。いや普通そんなにうまく当たるか?


「僕は運が良いからね。靴を飛ばせば百発百中、扉を蹴れば吹き飛んじゃうのさ」


「前者はともかく、後者は緑色さんの実力じゃないですか」


「こーんな華奢な女の子が扉を破壊できるわけないじゃないか」


「いやだって証拠がそこに、」


「君を運良く屋上から蹴り飛ばしてもいいんだよ?」


 僕は降参した。緑色さんは満足そうに頷き、靴を渡すように催促してくる。


靴を床に置いて数歩分距離を取った。


「なぜ離れるのだね?」


「あんなバイオレンス見た後に近づきたいと誰が思いますか」


 緑色さんは肩を竦め、近づいてくる。靴を履いてもなお接近は終わらない。


 距離を保ったまま後退し――背後には道が無くなるまで、柵にもたれかかって相対する。


「今日来たのはほかでもない。君ぃ、僕に言いたいことがあるんじゃないかね?」


「……よく分かりましたね」


「僕は運が良いからねぇ! 君の悩みくらいお見通しなんだよっ!」


「……そうですか。ではこの際だから言いますよおおっ!? えっ!?」


 一瞬渋い顔をした緑色さんは僕の手を取ると、ずんずんと歩き始めた。


 方向は正反対――屋上の端から屋上から下る階段へと行く。


「緑色さんは自己中過ぎます! 急に何ですか! 話を聞きに来たんですよね!?」


「そうだね。聞きたいことがあった。場所が悪いんだよ、見つかりたくなかったら早く」


 質問を介さないその台詞には焦りとか、圧とかそういうものが含まれていた。


「僕は運が良いけど常識的な範囲だからさ」




 昇降口。


 緊張を散らすように緑色さんは溜息をついて、ようやく僕の手を離した。


「ここまでくれば安心かな」


 汗一つかいてない緑色さんとは対照的に僕は息荒く、膝に手をついていた。


「さて。たった今の奇行について弁解したいところだが、あと一分でチャイムが鳴る」


 緑色さんは壁掛け時計を指差す。


「亜黒氏は授業をきちんと受けるタイプかな」


 要はこれから話すつもりではあるけどお前はどうするよ、ということだろう。


 ちょうど、今日は悪目立ちし過ぎて教室に戻りたくない気分だ。


 その言葉に緑色さんは不気味な笑みを浮かべた。


「九死に一生ってやつだね」


「違います」

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